闇の中の企み――1

 府中、夜。

 そこに平静としている者はいなかった。兵たちは武具の用意に慌ただしい。

 富田長繁の居城のすぐ東を流れる川。その向こう岸には、おびただしい焚火の光が見えた。人が動くたびに、焚火にその影が躍る。

 焚火をしているのは、城を攻めんと現れた一揆勢の者たち。

 今、城のすぐ近くまで、一揆勢が押し寄せていた。加賀国から攻め込んできた勢力は、越前国領内の各地を攻撃し、ここにまで迫ってきている。そこには、織田信長らよる支配からの解放という呼びかけに呼応した、越前国の農民も多数含まれていた。

 その人数は、一乗谷の人口をもしのぐほどに膨れ上がっている。現に焚火の見える範囲は、一つの町が丸ごと収まるほどの広さだった。

 圧倒的な敵を目の前にした府中城の奥、富田長繁が控える座敷に、香菜実はいた。

 篤英の横で小さく座っている。行燈の明かりが灯されているが、濃くなってきた夜の闇を払うには弱く、そこにいる者たちの顔は薄ぼんやりとしている。

 座敷の奥にて、富田長繁は集まった家臣たちを見渡していた。顔は険しく、動揺が広がっていて、今にも取り乱しそうな、無謀な命令を強いてきそうな雰囲気を出している。そのためか家臣たちは、父篤英を含めて、口を開く者は誰もいない。

「……越前国を荒らす狼藉者め」

 富田長繁が悪態を洩らす。

「命令を飛ばす前に、また報告があった」

 富田長繁が大きな声を響かせた。

「川の向こう岸に集まった一揆勢のことだ。数は、三万三千ほどだという」

 三万三千、という数に、座敷に集まっている者たちの間で静かな動揺が広がる。

今の府中にいる兵は、七百ほど。七百と三万三千、五十倍に近い兵力差。

「今日は移動の疲れで攻め込んではこなかったがな。だがいつ、連中が襲ってくるかわからん」

 富田長繁は、脅していた。このままでは城が攻め込まれ、ここにいる者たちは無残に殺される、とでも言いたそうだ。香菜実は顎を引いて、黙ったまま富田長繁の言葉に耳を傾けている。

 篤英の様子に落ち着きのなさがあった。手がかすかに震えているのを、香菜実は見逃さない。

 当然だろう。

 この城の目前に敵が迫っているのだから。しかも数は万を越えていて、なおも膨れ続けている。こちらが数百の兵で、数は圧倒的に少ない。

 かつて仕えていた桂田長俊を保身のために裏切った男だ。また生き残るために、裏切る算段をしているのだろうか。次に寝返る先で受け入れられる見込みはないというのに。

 ――そうなったら私も……

「だがこのまま死ぬつもりはない」

 富田長繁の声で、香菜実は我に返った。

「いくら数が多くとも、敵は普段田を耕すことしか知らぬ農民ばかり。こちらは多くの戦を潜り抜けてきた精鋭ぞろいだ、敗れるはずがない」

 富田長繁の声に、おう、と家臣たちも応える。

「越前国を荒らしてまわる連中は、すべて殺せ。奴らを一人とて生かすな」

 おう、という二度目の呼応。

「篤英ももちろん、儂を援護してくれるよな」

 突如として、富田長繁が篤英を名指しした。

「は、はい、もちろんのこと」

 篤英は動揺している。

 裏切りの算段をしていることがばれたのだろうか。富田長繁は、篤英が主君と仰いでいたはずの桂田長俊を裏切り、矢を放ったところを見ていた。篤英は主君が不利な形勢になると簡単に裏切る。そのように思われていてもおかしくない。香菜実は次に起こる修羅場を覚悟して、身を固くした。

「どんなことがあっても儂の前に立ち、敵を薙ぎ払ってくれる。そう期待しているぞ」

 富田長繁は、それだけ言った。

「わかっているだろうが戦になった際は、娘はこの城に置いていけ。連れ出すだけ危険だ」

 ――人質に取られた。

 香菜実は、すでに富田長繁の意図を見抜いていた。篤英が裏切ることができないよう釘を刺したのだ。むろん、もし篤英が、香菜実は必要ないとみなし、裏切ることがあれば、見せしめとして自分が何をされてもおかしくない。

「もちろんです。この娘は唯一残された子。戦に巻き込むことのないよう配慮してくださり、至極ありがたく存じます」

 篤英は頭を下げる。

 うむ、と富田長繁は満足そうにうなずく。香菜実に対して声をかけないどころか、一瞥もくれない。

 香菜実のような幼さの残る娘など、篤英の付属品としかみなしていないのだ。

 物に対して話しかけるいわれはない。香菜実も、じっと黙ったまま富田長繁を見つめていた。今は沈黙を保つのが、せめてもの抵抗だった。

「今、河原にいる敵は眠りの中にいる。あれほど騒がしかったというのに、消え去ったように静まり返っているではないか。今は呑気に焚火をしておる」

 富田長繁は声を大きくした。

 実際、今の城内は静かだ。時々、勝利を確信した一揆勢の手の者が浮かれ騒ぐ声が聞こえるが、それくらいだ。日中は川の向こうから多くの人の喧噪が聞こえてきたというのに、日没を迎えた今は静まり返っている。

「夜が深まったのを見計らって出陣する。奇襲だ」

 おう、とこの場の家臣たちは声を上げた。死を目前にして、この場にいる者たちはいきり立っている。

 すでに、兵たちも準備が整いつつあるということだ。

 香菜実には、彼らがあえて地獄に突っ込もうとしているようで、恐ろしく思えた。

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