哀傷を抱えてもなお――4
鍋の中身が、だいぶ煮えてきた。ぐつぐつと小気味いい音が響いている。
「日向、飯はもう炊けているよな」
凍也が鍋を混ぜながら問いかける。うん、と日向はよく通る声を出した。
「もう炊け上がっているはずだよ。用意する?」
「ああ、頼む。昨日の晩からそうだけど、古い椀をを大事に取っておいてよかったよ」
日向は、せかせかと土間の竈へと向かう。日向が竈の蓋を取ったとたん、ほんわかとした湯気が立ち上がった。いいにおいがするらしい。日向はうっとりとした様子で竈の中を見つめていた。
やがて佐奈井たちのところにも、炊けた飯の香ばしいにおいが届く。
佐奈井の腹が盛大に鳴った。
「ごめんもうすぐだから。早く食べたいんだね」
日向が声を飛ばして、木椀に飯をよそい始めた。佐奈井の頬が熱くなっていく。
「……別にそういうつもりじゃ」
意地を張ってつぶやきながらも、佐奈井はせかせかと食事の用意を進める凍也と日向に、慶充と香菜実の姿を重ね合わせていた。よく香菜実と一緒に家事をやるんだ、とかつて慶充は話したことがある。慶充と香菜実は、平和な頃はこんな風に動いていたのだろうか。
あの二人も、いい兄妹だった。兄は香菜実をよく気遣い、香菜実も、兄を慕っていて……
……あの兄妹が言葉を交えることは、決してないけれど。
凍也は、鍋の汁を匙ですくって味見をした。
「よし、いい感じでできたな。今度こそ本当に飯にするか」
日向が、囲炉裏のまわりに夕餉を並べていく。佐奈井も布団から立ち上がった。囲炉裏のそばに向かい――ゆっくりと歩けるくらいに傷は治っていた――、座る。凍也や日向が食べ始めるのを見て、佐奈井も箸を取る。
――とにかく食べて、早く傷を治さないと。
湯気を上げる汁は、よく出汁が効いていた。ひとくちで体の芯まで温かくなる。
佐奈井は止まることなく夕餉をたらい上げていく。無我夢中だった。
自分に向けられる凍也の視線にすら、気づかないほどに。
食事を終えると、またしても佐奈井はすることがなくなって、ぼんやりとしていた。布団の上に戻って、食器を片づける園枝や理世を見つめている。峰継も、竈の中の炭を除いているところだった。
手伝いたいけど、傷が痛んだらいけないと皆に止められる。
凍也が、ゆっくりと佐奈井に寄ってきた。
「佐奈井、聞いてもいいか?」
小さな声で話しかけてくる。
「お前が大事そうにしている刀のことだ。あれ、お前の物じゃないだろ。誰のなんだ?」
「友達、慶充のだよ。あの刀は俺のじゃない。預かってるってとこ」
その刀は、板の間の奥で、峰継の刀と並べられている。慶充と峰継が、かつて戦場を共にしていた過去を象徴するように。
「……一乗谷で起こった戦いで、死んでしまったけど」
槍に貫かれ、倒れゆく慶充の姿が佐奈井の頭をよぎる。
「す、すまなかったな。触れられたくなかったか」
込み上げるものがあって、佐奈井は必死でこらえているけれど、
「いや、もう起こったことだから」
こんな風に話せるのは、凍也が慶充とそっくりだからだろう。込み上げてくるものはあるが、なお我慢することもできた。
「それにこんなところでふさぎ込んだりする暇もないから」
「どういうことだ?」
「妹がいるんだ。その、慶充って奴に。俺と同い年で、香菜実って名前の子」
「……はぐれたのか」
佐奈井はうなずいた。
「目の前にいたんだけどね。でも、どこかでまた会うんだ」
戦乱続きの中で。子どもじみた理想なのは理解しているけれど、信じなければ、やっていけそうにない。
「見つかるといいな、その、香菜実って子。だったら早く傷を治さないとだな」
佐奈井はうなずいた。
「もういいだろ。寝ていろよ。家のことは俺らがやるから。長く起きていたら、後で響くぞ」
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