哀傷を抱えてもなお――3

  「うるさい」

 大根を切りながら、日向が低い声を出す。

「お、恐ろしいな。ちょっと言っただけなのに」

 ――本当におしとやかなのか、こいつ。

まだ女の子の心に鈍い佐奈井は、戸惑うだけだった。

「歓迎のつもりなのかなあ、まったく」

 冗談か本気か、凍也が的外れなことをしゃべる。佐奈井は、その的外れな発言を真に受けた。

「どういうこと?」

「根が不器用なだけだ。きっとお前らが来て嬉しいんだろ。年が近い子、最近あまり会っていなかったし」

 佐奈井は自分の手を叩いた。

「そうなのか」

「違うよ!」

 日向が駄々をこねる。土間で竈を見ている園枝がくすくすと笑い、よく見れば峰継も、笑いをかみ殺している。

「いいぞいいぞ」

凍也だけが、盛大に笑っていた。

「こんな時世で、元気でいてくれて結構なことだ」

「佐奈井もだが包丁を持っている子に意地悪をするな。手元が狂ったらどうする」

 峰継が笑みを浮かべたまま注意を飛ばした。

「ああ、そうだったな」

 凍也が頭を掻きながら言う。悪かったよ、とでも言っているみたいだ。どこまで人なつっこいのだか。

 日向が大根を切り終えて、凍也は、きれいに均等に切られたそれを鍋に入れ始めた。

「……で、そろそろ話し合おうか。一乗谷が落とされた後のこと」

 凍也の言葉に、佐奈井は身が凍った。背中の傷がうずく。

「一揆が起こって、そこらで戦まみれになる。俺も日向も無関係ではいられないしな。どう動くか決めないと」

 凍也に無情な意図はない。情報を整理して、次に戦が起きる場所の予測を立てたりしなければ、自分たちが戦に巻き込まれる。日向という妹を抱えているのだから、凍也が今後の情勢を気にするのは当然どころか、責任が伴っているのだ。

 だが、佐奈井は、腕の震えが止まらなくなっていた。胸を抱えて、恐怖に必死で耐える。

 刀を掲げ、矢を放ちながら一乗谷を襲う男たちの歪んだ顔……

 そして彼らの凶刃に倒れる慶充……

 佐奈井自身が手にかけた男たちの、倒れる間際に向けてきた憎む目……

「おい、佐奈井。どうした」

 峰継がとっさに傷ついていない肩に手を載せた。

 佐奈井の腕の震えが止まる。

「……ごめん」

 これから香菜実を助けるというのに。

「佐奈井のそばで話すのはやめてくれないか。夕餉の後の寝静まった後でも遅くはないだろう」

「ああ、そうだな」

 怖がっているのは佐奈井だけではない。一乗谷という名を出され、刀が舞う中を逃げていたことを思い出して怯えるのは理世とて同じだった。彼女もまた、膝を抱えながら下を向いていた。園枝が娘の背をさすっている。

「嫌なこと思い出させてしまったよ。ごめん」

「いいんだ、別に」

 香菜実を助けると決めた以上、怖がっているわけにはいかない。

「もうすぐ食事ができる。食べたら、傷の様子を見るから、その後すぐに寝るんだ。大丈夫だ。お前を襲った連中はここにはいない」

「わかってる」

 さっきまでにぎやかだった家の中が、急に静まり返っていた。理世と言い争っていた日向も、囲炉裏に薪をくべるのも忘れて佐奈井たちを見ている。

 それほど、一乗谷での出来事は悲惨だったのか、とばかりに。

 悲惨だった、と佐奈井は思う。

 あんなものを、凍也や日向にまで見せたくはない。

「……日向、山菜も切ってくれ。日中に集めてくれたやつだ」

 凍也は、手を止めていた日向に指示を飛ばした。日向は、はっとして、傍らに置かれている山菜をまな板の上に載せる。

「とにかく今は夕餉だ。今は人数が揃っていて賑やかだからな。いつも二人だけで寂しかったんだ」

 寂しかった、という言葉の時に、凍也はにっと笑った。

「とにかく食え食え」

「まだできていないよ」

 日向が包丁を取りながら、鈍い兄に横槍を出す。

 園枝がくすりと笑った。佐奈井も、釣られて口元を緩ませる。

 だが、違和感を否めなかった。

 凍也は優しい。賊に襲われていたところを助けただけでなく、こうして傷ついた自分たちを匿い、傷を癒す場所や食事まで与えてくれている。でも、佐奈井たちには、目に見える形で凍也や日向に恩を返せるわけではない。

 佐奈井たちと園枝や理世は、半年前の夏、一乗谷に織田信長の軍が攻め込んで、佐奈井たちが避難している最中に知り合った。一乗谷の外れの村で賊に襲われ、慶充が肩を負傷した直後のことだ。いつ織田信長の兵が現れて家を焼かれるかわからない中、園枝や理世も逃げなければならない立場に変わりなく、かといって戦えない彼女らには、刀の扱いに長ける峰継や慶充は都合がよかった。それで、休憩の場や傷の手当てと引き換えに、二人は園枝と理世の護衛をすることになった。

 凍也が佐奈井たちを助けるのも、同じ事情だろうか。

 賊に襲われた時、凍夜は刀を振って楽々と賊をあしらっていたけれど、いざという時のために人数を増やして、自身や日向を確実に守れるように。

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