凶刃――6
「佐奈井」
後ろから呼びかけられ、佐奈井は振り返った。父が、自分を見ている。古傷が痛むらしい右足を引きずって、こちらへ来ていた。
「もう、よせ」
「……父さん、俺……」
声が上手く出せない。父にむしゃぶりつきたかった。
慶充が死んだ。守るべき人がいる、死ぬわけにいかない人が死んだ。これからどうすればいい? どうすれば……
「あいつを殺せ!」
叫び声で、佐奈井の恐怖は麻痺した。声のしたほうに目をやる。
刀を持った男三人、こちらに迫ってくる。
「佐奈井、だめ!」
理世の声が、佐奈井の耳にうつろに響く。慶充の刀を掲げ、父の手が肩をかすめるのを感じながら、敵に向かい駆けた。佐奈井の背後では、古傷のうずいた峰継が右足をかばっている。
戦わねば、刀を振らねば……
自分が殺される。次は峰継が、園枝や理世が……
恐怖によって恐怖が打ち消されたまま、佐奈井は先頭の者と刀を交えた。大きな体格の相手に佐奈井は後ろにはじかれるが、立ち直り、相手の腿を切りつける。
足をやられた男は、叫びながら佐奈井の目の前で倒れた。
「よくも……」
悪態が男の口から洩れる。
直後、佐奈井の側面から別の男が襲いかかってきた。
佐奈井は――慶充に教わったとおりの動きで――敵の刀を受け流した。力任せに刀を振っていた敵は、よろめき、佐奈井に背中を見せる。佐奈井は返す刀でその背を切った。
慶充に教わった剣術が、今になって佐奈井を守っている。
――俺の教えたことが……
慶充の声が頭に響き、一瞬、佐奈井は彼の意識が戻ったのかと思った。
――役に立たなければいいんだけどな。
佐奈井にかつて、慶充がかけた言葉。滝の前で互いに木刀を振っていた、まだ平和に穏やかに暮らせていた時の。
佐奈井の身が凍った。倒れたままの慶充を見下ろす。
――どうして今になって?
まわり込む形で、残った敵一人が佐奈井に忍び寄る。
「佐奈井、逃げろ」
峰継の声が響く。背後を取られた佐奈井は、とっさに前に跳んだ。だが、遅かった。敵の刀の切っ先が、佐奈井の背に届く。
着物と肌の裂ける音を近くで聞き、続いて痛みが、全身を貫いた。弱々しい音が佐奈井の口から洩れる。
力が抜けて、佐奈井は地面の上に倒れていた。
ぼやける視界の中で、佐奈井は峰継が、敵に背後から斬りかかるのを見ていた。佐奈井に気を取られていた敵は、そのまま慶充の刀に倒される。
その後ろから、園枝や理世が駆け寄ってきた。理世が、佐奈井の背中の傷を見る。
「傷は浅い。手当すれば助かる」
一方の園枝は、慶充を見ていた。もう助からないと判断してか、腰から空の鞘を抜く。
死体を運ぶ余裕はないから、せめて形見だけでも、と思っているように。
佐奈井は、理世に抱き上げられていた。慶充の刀を握ったまま。
「佐奈井、その刀を」
園枝が近づいてきて、手を差し出す。よこせ、ということだ。
「……いやだ」
息も苦しい中、佐奈井は言う。ここで慶充の刀を手放して、そのまま失ってしまうのが恐ろしかった。
「私が大事に持っているから」
「次が来る。急ぐぞ」
峰継の声で、園枝は佐奈井の手から刀をもぎ取った。
「理世、その子をお願い」
「母さんも気をつけて」
「わかってる」
母子の会話のそばで、また金属音が響いた。峰継が、新手と交戦している。今度は粗末にも、刀ではなく鋤を持った、田からそのまま戦場に来たような男だ。
慶充は男の持つ鋤の柄を両断し、腹を蹴って退けた。駆け出したのを合図に、園枝と、佐奈井を抱えた理世も続く。
理世の腕の中で、佐奈井は離れた場所にいる香菜実を見た。兄が倒されるのを見ていたのだろう。取り乱し、こちらに来ようとしている。だが篤英は、彼女の腕を後ろから締め上げていて、行かせなかった。
「香菜実は? 見捨てるのか」
佐奈井は尋ねる。口の中は鉄の味がした。すでに目元から涙があふれている。
「今あの子に近寄ったら、皆が無事では済まない」
理世が悲鳴に近い声を出した。そして慶充は、再び別の敵と刀を交えている。繰り出された敵の刀の切っ先が、峰継の脇腹をかすめた。血をにじませながらも、峰継はその敵を斬り伏せている。
香菜実に近づくことは、できない。
――目の前にいるのに。
動けぬ佐奈井はただ、彼女を見捨てる悔恨を持て余すことしか、できなかった。
「あの子は生き延びる」
峰継が言った。できないと知りつつ、息子にあえて残酷な決断を強いるために。
「篤英は娘を死なせる真似はしないはずだ」
「都合のいいことを言うなよ。あいつも連れていくんだ」
理世の腕の中で、佐奈井は目を血走らせながら峰継を睨んでいた。
「今はどうにもならない。機会も来る。その時になったら必ず、あの子を守れ」
「卑怯だ。自分たちの無事だけ……」
父親への最大限の非難をぶつけたところで、傷が鋭く痛んだ。佐奈井はしゃべれなくなる。
頼りになる、誇り高い父親。男手一つで、いつも佐奈井を守り、支えてきた。だが今では、理屈をつけて香菜実を見捨てる父が憎い。こんな風に恨むのは、母親が死んだ時以来だ。
――何で俺がなんだよ。
――いつ、そんな機会が来るんだ。
――何を根拠に、そんなこと言っているんだ。
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