凶刃――2

 香菜実にとって、最初は何が起こったのかよくわからなかった。気がついたら、自分の手が自由になり、そして父が自分の目の前で兵を斬り伏せていたのである。しかも背後から。

 この二人は、敵ではないはず。香菜実は茫然と、背中から血を流し、手足を痙攣させながら横たわっている二人を見下ろしていた。

「お前たちはどけ! さもないと斬る」

 篤英が叫んだ。兵たちはこちらを見つめるまま、離れていく。

 香菜実はぼんやりとその様子を見ていたが、突然に右手が掴まれた。父の手だ。目の前で人を殺めた者の手に、香菜実は嫌悪感を抱く。

「父上、離して!」

 香菜実は叫んだ。振りほどくが、篤英はもちろん、香菜実の手を離さない。

「来い。お前だけでも生き延びさせてやる」

 再び引きずられる。城戸の外に出るつもりだ。その先には……

 ――この先に行ってはいけない。

「佐奈井!」

 香菜実の声が、戦火の中にむなしく響く。

 もう、城戸はもうすぐだ。

 その時だった。

 城戸の門が叩き壊された。その向こうから、人がなだれ込んでくる。

 佐奈井や峰継と同じ、野良着をまとった者たちだった。だが着ている物は汚れや破れ目が多く。そして髪は乱れ、目は、賊のようにぎらついている。武器として錆びた刀や弓矢を持っているが、中には鋤や鍬を武器代わりに使っている者も大勢いた。数は、百や二百という程度ではない。

 香菜実は、足が硬直した。

 乱入してきた者たちは、そのまま城戸の兵たちに襲いかかった。大勢で一人の兵を囲み、わめきながら鋤や鍬で兵の背を叩きつけ、倒れたところで、刀で喉元を刺す。

 浮足立った兵たちに抵抗などできなかった。逃れようとして間に合わず、暴徒たちの餌食になる兵が、至る所で見られる。

 これが、民衆。

 佐奈井や峰継と同じく、田畑を耕し、稲を育ててきた人たち。皆、怒りに顔を歪め――あるいは狂気に満ちた笑みを浮かべて――殺戮を続けている。

「香菜実、儂から決して離れるなよ。とはいえ、もう離れたくても離れられないだろうがな」

 篤英が言いつけてくる。その顔にも、笑みを浮かべていた。この状況にふさわしくない表情に、香菜実の手足が硬直していく。

 混乱する香菜実の目の前で、篤英は刀を振り上げた。逃げようとしてそばにさしかかった兵を斬りつける。かつて味方で、戦場で肩を並べた者への非業に、香菜実は立ち尽くすだけだった。

 どう動いたらいいのかわからない。

「こいつ、何をしている」

 篤英の行動を見ていた別の兵が、篤英に向かって槍を突き出してくる。篤英はそれを避けて、間合いを詰め、喉元を斬って捨てる。


 城戸を打ち破ってきた者たちを見て、佐奈井の身が凍った。自分と同じ、質素な野良着をまとった者たちが、刀や鋤を武器に、一乗谷の兵たちに襲いかかっている。数人で兵一人を囲っては、たたみかけて殺していく。

「香菜実が危ない」

 慶充の声で、佐奈井は我に返る。そうだ。あの子はどうなっている?

 香菜実は、ただ立ち尽くしていた。さっきと変わらぬ場所で、目の前の戦いを見つめている。その近くで、篤英はさっきまで味方だったはずの兵たちと刀を交えていた。

「香菜実を助ける」

 混戦極める場へ、慶充は駆け出した。

「おい、俺も」

 行きかけて、佐奈井は手を掴まれた。峰継だ。

「やめろ、佐奈井。まわりをよく見ろ。お前が巻き添えになるだけだ」

 峰継は言いつけてくる。

 だが佐奈井は、手を振りほどこうとした。

「どっちにしたってここは危険だ」

 もうじき、ここにまで鬼の顔をした反乱勢が押し寄せる。

「篤英が!」

 理世が大きな声を上げた。釣られて、佐奈井と峰継は篤英のほうを見る。

 兵から奪ったのかもしれない。篤英は弓矢を構えていた。引き縛る先にいるのは、馬にまたがり、刀を掲げて兵たちを必死で鼓舞する、桂田長俊。

 峰継が矢を放った。

 矢は直線を描いて飛び、そのまま桂田長俊の肩を射抜く。

 桂田長俊は刀を落とし、馬から落ちた。指揮官の落馬に、兵たちの混乱は絶頂に達し、近衛兵すらもその場から逃げ出していく。だが暴徒と化した民は、逃しはしなかった。追いすがり、背後から次々と兵を刺していく。

 もちろん、桂田長俊も例外ではなかった。かつて収穫を奪ってきた領民たちに囲まれ、次々と刀や鋤が振り下ろされていく。

 そして、とどめに首に刀が振り下ろされた。

 かつて領主朝倉義景を裏切った後、織田信長によって越前国の統治を任された男は、裏切りによって命を落とした。

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