凶刃――1

 香菜実は、父に手を引かれたまま歩かされていた。抵抗するが、父の握力は強くて、振りほどくことができない。その場にとどまろうとしても、なす術もなく戦場に引っ張られていく。

「父上、何を」

 だが父は答えようともしない。

 香菜実は後ろを見る。反乱分子とみなされた佐奈井たちは、兵たちに追われていた。さっきは木片が投げられ、理世に当たった。今は先頭の一人が峰継に追いついてきて、峰継が刀を振るって応戦している。

 そして兵は、峰継の袈裟斬りに倒れる。

「……どのみち今は逃げ場がない」

 つぶやくようにして、父は口を開いた。

「一か八かの賭けに出る」

「それ、どういうこと?」

「見ていればわかる。思いどおりになれば、お前も生き残れる」

「慶充たちは?」

 背後で兄たちは、兵たちと刀を交えている。振り払うたびに足が止まり、香菜実との距離は開く。

「あの息子は駄目だ。ここで始末されたほうがいい」

「どうして?」

「儂に刀を向けた。あいつはいつ裏切るかわからん」

 それは切り捨てる道理ではない。兄が父に刀を向けたのは、父が佐奈井に危害を加えようとしたからだ。よからぬことを企まなければ、慶充も篤英に手を尽くしただろう。

「あいつは戦地においても、命令に背くことがあった。私や、死んだ他の息子たちに刀を向けてな」

 その時の父の命令は、侵略先の民の家の放火と、女子どもといった戦と関わりない者も含めた虐殺。慶充から密かに聞き出した話を思い出す。三年前、ここからはるか南に向かった時のことだ。初陣を迎えたばかりの、義に厚く優しい兄は、無力な民たちが凶刃に倒れるのを見ていられなかった。味方だが略奪や放火に明け暮れる朝倉の軍から、侵略先の民をかばうという行動にまで走った。

「これまで生かしてきただけでも大きな恩と思うべきだ」

「兄さんはただ人を助けようとしただけ」

 口答えすると、篤英は握っている香菜実の手に力を込めた。砕かれそうなほどの痛み。

「死なないといけない理由なんてない」

 ――痛みに負けるな。

香菜実は自分に言い聞かせていた。

「何も知らないからお前はそう言える。もうすぐわかるがな」

「もうすぐ?」

 前方からの騒ぎが、大きくなった。この先には城戸がある。一乗谷を外部の敵から守るために造られた土塁の先では、何が起こっているのか見えない。だが土埃や黒煙が立ち上っている。その先の光景を思い浮かべて、香菜実の手足が震えた。この先に行ってはいけない、と体が訴えている。

 ――助けて、兄さん。

 その兄は、兵の一人と刃を交えている。大きく刀を振り上げて、相手の刀をはじき返した。がら空きになったその腹を蹴り、後ろに倒す。

「佐奈井、急げ」

 兄の声が、離れた香菜実の耳まで届いた。佐奈井は慌てて慶充の前を走っている。

「もうすぐ城戸だ。桂田長俊に追いつく」

 篤英がつぶやいた。追いついて、何をするつもりだろう。助太刀でもするのか?

 唐突に、篤英が香菜実の手を離した。腰の刀に手をかける。


 佐奈井は、篤英が香菜実の手を離すのを見た。そして腰の刀に手を添えている。

 今なら、香菜実が逃げられる。こちらが追いついてしまえば。

 佐奈井は、息がつらくなっているのに気づいた。足が痛くて、前に一歩出るだけでもつらい。でも今は、香菜実の無事が先だ。

「城戸が……」

 峰継がつぶやいた。土塁の上にいる兵たちに、矢が浴びせられているところだった。矢を受けた兵たちが倒れていく。うろたえるな、という声が響いた。声の主は、桂田長俊だろうか。

「慶充、あいつが」

「わかっている」

「ちょっと彼、何をやっているの」

 園枝が声を上げた。見ると、篤英が城戸の兵に斬りかかっているところだった。背中をやられた兵はそのまま倒れていく。篤英は、さらにもう一人の兵に手をかけた。

 押し寄せたあまりにも多くの反乱勢に浮足立っていた兵は、突然に仲間が二人も血を流して倒れ、さらにざわめいていく。

「裏切るつもりなんだ」

 佐奈井はつぶやいた。

 ここからでは見えないが、城戸の外には多くの反乱勢が押し寄せている。それに比べて桂田長俊の兵は、極端に少ない。篤英は戦力差が大きく開いているのを見かねて、民衆側につくことにしたのだ。

 篤英の周囲では、兵たちが篤英を討ち取ろうとするのではなく、距離を取っていた。どけっ、と篤英は大きく叫ぶと、刀から片方の手を離し、再び香菜実の手を掴んだ。そのまま城戸の外に引っ張っていく。

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