戦火の中で――3
佐奈井は父に手を引かれるまま、南に向かっていた。香菜実は、理世や園枝と一緒に後ろからついてきている。佐奈井は振り返って、彼女がそばにいることを確かめていた。こんなところで、香菜実とはぐれたくない。
「香菜実、疲れたら言えよ」
佐奈井は声を飛ばす。
「香菜実なら大丈夫。あたしらがいる。はぐれさせたりしない」
園枝が駆けながら、香菜実の肩を叩いている。
「だって、佐奈井。私は平気」
香菜実が笑ってみせた。走るので精一杯なはずなのに、と佐奈井は呆れる。
「何だったらあんたが香菜実と手をつなげばいいでしょ。はぐれさせたら承知しないよ」
理世がすかさずからかってくる。
「わ、わかってるよ!」
「佐奈井、探していた者が見つかったぞ」
峰継が声をかけてくる。
「あいつも一緒か」
苦々しくつぶやいた。
あいつって、誰だよ、と佐奈井は問いかけようとしたが、それより先に慶充が駆けてくるのが見えた。
「慶充!」
佐奈井はとっさに彼を呼んだ。そして、慶充の背後にいる男に気づき、びっくりする。
「……父上」
香菜実がつぶやく。慶充の後ろにいる男の名は、篤英。慶充や香菜実の父親だ。
慶充はすぐに、佐奈井たちを見つけた。こちらへと駆けてくる。
「なんで、あいつがいるんだよ」
佐奈井はつぶやく。
篤英の乱暴を慶充や香菜実からしっかりと聞き出していた。戦場で家に火を放つよう命じ、女子どもにすら手をかけようとした。慶充が命令に逆らって戦地の民を守ると、むしろ怒りを募らせた。一乗谷に戻ってから、息子である慶充に乱暴を働くようになったという。
「佐奈井たち、無事でよかった」
慶充は、篤英の様子など構うことなく言う。当の篤英は、すでに顔を歪めていた。
峰継もすでに、鋭い眼光で篤英を睨んでいた。峰継にとって、恨む相手だ。
息子佐奈井が、この男によって乱暴されたことがある。農民の子だから何をしてもいい、と言わんばかりに投げ飛ばし、殴りつけた――。
「峰継に、佐奈井の小僧か。私の娘のそばで何をしている?」
篤英が低く問いかけてくる。明らかに警戒していた。
「息子に乱暴をした男が、何を言うのだ?」
峰継もまた、刀のように鋭い声を出した。佐奈井の手を放し、腰の刀に手を添える。佐奈井はそのまま、香菜実に近寄った。かばうように、彼女の前に立ち、そして篤英を睨みつける。
「そちらも、娘に近づいて何のつもりだ? 特にお前だ、小僧」
篤英が脅してくるが、佐奈井はその場を動かなかった。
「あんたが、何をするかわからないからだろう」
佐奈井が強がる。怒りに油を注がれた篤英が顔を歪めた。
だが篤英が佐奈井に詰め寄ることはなかった。慶充が一瞬で抜いた刀の切っ先が、篤英の喉元に突きつけられたからだ。
「慶充、貴様、何のつもりだ?」
篤英が身を凍らせて、慶充に尋ねる。とっさの判断で峰継も刀を抜いた。篤英の胸元に切っ先を近づける。
「見てのとおりだ。父上」
慶充は冷たく言い放った。佐奈井は、じっとしたまま慶充を見ている。篤英は憎いけれど、優しかった慶充が誰かを脅すのが信じられなかった。
「この場では二人。父上のそばには味方はいない。俺たちに従ってもらう。佐奈井を含めて、この場の誰も傷つけるな」
「……何をすればいい?」
「まずは領主長俊の身柄を確保しに行く。捕まえることができたら、そのまま反乱勢に引き渡して、助命を乞う。さっき話したとおりだ。下手に敵対するよりは、確実に香菜実を守れるだろう」
悲鳴や、罵声が聞こえた。もう戦闘が起こっているらしい。金属音が立て続けに響いているのは、刀と刀がぶつかり合う音だ。
こうしている間にも、危機はじわりじわりと迫っている。
「……お前の言うとおりにする」
かつて慶充に乱暴していたとは思えないほどあっけなく、篤英は応じた。慶充は刀をしまうと、篤英の腰の刀を鞘ごと抜きにかかった。
「お前、何を」
武士の携える刀に、息子とはいえ他人が勝手に触れる。篤英はおぞましい顔になった。身動きをとらないのは、胸元に峰継の刀が突きつけられたままだから。
「父上に勝手な行動をとられたら、困るからな。佐奈井を人質に取らないとも限らない」
慶充は、鞘ごと峰継の腰から抜いた刀を、香菜実に差し出した。
「しばらく預かっていてくれないか」
「……うん」
香菜実は戸惑いながら、両手で刀を受け取る。
これで篤英が好き勝手できなくなった。
「……佐奈井、さっきはよく言ってくれたな」
「えっ」
佐奈井はきょとんとする。慶充の目から、冷たい光は消えていた。滝の近くで剣術を教えていた頃のように、穏やかな目つきに戻っている。
――あんたが、何をするかわからないからだろう。
そう言ったことか。勝ち誇る気持ちが半分。でも言った相手は目の前にいる。佐奈井は、篤英のほうを見ないようにした。
「……かっこ、よかった?」
佐奈井のひそひそ声は、香菜実の耳に届いたらしい。くすっ、と彼女が笑いを洩らした。恐ろしい父親の近くだ。香菜実も黙り、渡された刀をぎゅっと抱えた。そしてあさっての方向を向いて視線を逸らす。
慶充は構わず、佐奈井の頭に手を載せた。乱暴に髪をかき乱す。
「俺が見込んだだけのことはあるな」
篤英の目の前なのを気にしていない。慶充にとってどうでもいい存在に成り下がったみたいだ。
慶充の撫でる手が止まった。
「もうすぐ、奴のいる館だ。用心しろ」
「なあ、慶充」
佐奈井は、頭に載ったままの慶充の手を取った。
「何だ? 佐奈井」
「絶対、危険なことはするなよ。危なくなったらすぐに逃げろよ」
慶充は、大事な人だ。慶充が肉親でもない佐奈井を大事に思い、この騒動で死なれたくないと思っているのと同じように、佐奈井も、慶充に死なれたくはない。
長俊を捕らえる、最悪殺してもいいなどと、さっきから慶充の言葉には穏やかならないものがある。
まるで、どこか、
慶充が自分の命を落とすことになっても構わないみたいだ。
――それで慶充にもしものことがあったら……
佐奈井は、香菜実を盗み見た。彼女も、父の刀から片手を放し、兄の肘を握っている。
慶充に死なれたら、香菜実はどうなる? 誰が守るのか。
「おい佐奈井、強く握りすぎだ。痛い」
慶充に言われて、佐奈井は慌てて慶充の手を放した。
「ごめん」
「心配するな、佐奈井。俺も必ず生き残る」
兄のように佐奈井に笑いかける慶充。ずっと変わらぬ笑顔に、佐奈井は励まされてきた。けれどなぜかしら今は、不安が募る。
篤英は顔を歪めるが、無言のままだった。
「峰継さんも、いざという時は香菜実を頼む」
篤英に刀を突きつけたままの峰継は、すぐに答えなかった。
「……わかっている」
峰継は篤英を睨んだまま、そう言った。
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