エピソード1 六章(瑠璃2) 通算27話

 対決当日。

 瑠璃たちは指定されたホテルの控室で待っていた。

 しばらくするとスタイリストですという声が聞こえ、数名の女性がハンガーに吊るされた衣装を引っ張りながら部屋に入るや、紅牙を外に放り出す。

 そうして瑠璃と睦月の服をあっという間に脱がすと、採寸して、サイズに合う服を取り出して着せてゆく。

 服を着替え終わると、今度はメイクさんが現れて、瑠璃と睦月に化粧を行う。

 瑠璃は化粧なんかしなくても充分可愛かったが、アイラインを強調し、薄いブルーの口紅をつけることで、小悪魔的な魅力の女性に変貌して行く。

 肌の露出の多い、薄いゴスロリチックな衣装は、瑠璃にとてもよく似合っていた。

 睦月もまた、髪を結われ、眼鏡を外され無理矢理コンタクトにされてしまった。

 瑠璃とは対照的に、入念に化粧を施された睦月は、見違えるくらい綺麗な淑女となった。

 服は身体にフィットするスーツ姿で、赤いタイトスカートは短めで、網目の荒い黒いストッキングがふとももまで見えており、とても色っぽかった。

 元々素材は良いのだ。

 睦月はちゃんとお洒落さえ行えば、透やトリノと同じくらいのレベルになれる。

 流石に桃子の美貌には敵わないが、それでも一〇人男性が居れば、九人は振り返ることは間違いない。残りの一人は同性愛者違いない。


 慣れない服装に着替えされられた瑠璃たちは、ようやく会場に案内される。

 催事場には何故か人が詰め掛けており、中央に櫓のようなものがあり、その上で対決をするらしい。

 正直いい晒し者である。

 陣羽織家が凄い家系で、権力者であり資産家であることは、かなり前に健一経由で聞いてはいたが、土曜の稼ぎ時に、これだけの人手と会場を、たかが一学生の対決の為だけに貸し切るというのは異常であり、呆れるしかなかった。

 会場に押し寄せる人の熱気に瑠璃は多少怯んだが、これこそが桃子の手だということを承知しているので、飲まれるわけにはいかなかった。

 勝負はもう始まっている。この雰囲気さえ桃子は武器にしているのだ。

「睦月お姉ちゃん。やっぱり陣羽織お姉さんは手強いね」

「そうね。甘く見てはいなかったけど、こういう手でくるとは予想外だったわ。瑠璃ちゃん平気。体調は大丈夫?」

「うん。睦月お姉ちゃんと紅ちゃんが要るから平気だよ」

「しっかし、それにしてもすげえなこれ。幾らかかってんだ?」

 紅牙は会場の雰囲気に飲まれたりはしない鈍さというか胆力を持っているので、本当に感想でしかなく、萎縮するどころか少し興奮気味である。

「ねぇ紅ちゃん。ルリと一つだけ約束して」

「ん? なんだ?」

「あのね。ルリの応援してくれる?」

「何を言ってんだ。するに決まってるだろ。あいつら全員敵だと思っていいんだろ? そんな中で俺が瑠璃を応援しないで誰がするんだよ」

「うん。ありがとう紅ちゃん」

 瑠璃は紅牙の腰に抱きつき、緊張を和らげようとする。

 すると紅牙の大きな手が瑠璃の背中に回され、もう片方の手は優しくその頭を撫でた。

「少し震えてるな。落ち着け。緊張するな。あんな野次馬、いざとなったら俺が一声で黙らせてやる。だから瑠璃は余計なことを考えずに対決にだけ集中しろよ」

 瑠璃はもぞもぞと紅牙の胸にうずめた頭を上げる。

「うん。ルリのこと守ってね」

「ああ、任せとけ!」

 紅牙は瑠璃を抱き抱えると、自分の肩に乗せて、用意された花道を歩く。

 その後を睦月は微笑みながらついて行った。


「犬飼くん。ジャッジとして色々言いたいことがあるんだけど?」

 睦月は極めて辛辣な口調で健一を問い詰めていた。

「うん。言いたいことはだいたい分かるよ。言い訳にしかならないけど、俺もいまさっきこの状況を把握したところなんだ。本当に申し訳ない」

 慣れないスーツ姿でネクタイが居心地悪いのか、何度も指を首にかけ、隙間を探している健一が、実に申し訳なさそうに謝る。

「申し訳ないと思ってるなら、あのギャラリーくらいなんとかできないの?」

「そうだな。ちょっと桃子に掛け合ってみる」

「いいよお兄ちゃん」

 瑠璃が後ろから声をかける。

「でも瑠璃ちゃん。こんな中じゃ集中できないでしょう?」

「いいの。これが陣羽織お姉さんの作戦だったとしても、戦術としては間違ってないから。むしろ抗議する方がおかしいんだよ」

「ふふ、流石ね青木さん。どこかのヒステリー眼鏡と違って、なかなか肝が据わってるようね」

 舞台裏から桃子が現れ、感服したように呟く。

 だが、瑠璃が緊張していることは明白で、会場の雰囲気に飲まれていると知った上での言動なので性質が悪い。

 そんな桃子の衣装といえば、巫女のような赤い袴に豪奢な陣羽織を纏い、髪を和紙でちょんまげというか、ポーニーテールみたいに結っていた。

 へんてこな衣装にも関わらず、中身が美人のため、何故か似合っていた。

 美人は得というかずるいなと、睦月は率直な感想を抱いた。

「わかったわ。瑠璃ちゃんが納得してるなら、私からは何も言うことは無いわ。それで勝負の方法はなに?」

「教養に関わる問題を三つのパートに分けて行いたいのだけど。その三本勝負で二本先取した方が勝ちというのでどうかしら?」

「それは問題は三問しかないってこと?」

「違うわ。文章力の対決、カードゲーム対決、クイズ対決の三つよ。どうかしら?」

「それなら平気だよ」

「ありがとう。それではルールを説明するわ」

 桃子はルールブックという一〇枚つづりくらいの冊子を瑠璃たちに渡して、説明を開始した。


「それでは最初の対決は手紙を書いて、相手をどれだけ感動させられるか勝負よ」

「わかった」

「私は鬼龍院くんに、青木さんは健一くんに手紙を書いて、それぞれにジャッジして貰うわ。それなら公平だと思うけどどうかしら?」

「手紙の内容というかテーマにもよるわね」

 それはクジを引いてからのお楽しみと、桃子は用意したボックスに手を突っ込んでゴゾゴゾとまさぐって一枚の紙を引き当てる。

 どうみても茶番だった。

 始めから書く手紙の内容は決まっているのだろう。

 こうしてクジにすることで、紅牙やギャラリーに公平にやってますよとアピールしているのだ。

「クジの結果、手紙はラブレターを書いて貰うことになったわ」

「なっ!」

 会場に入って、緊張はしていたものの平静を保っていた瑠璃が、初めて動揺した。

「制限時間は一五分で、より相手に感銘を与えた内容を書いた方が勝ちで、百点満点で採点して貰うわ。

「えげつないことを……」

 睦月は狡猾な桃子の罠に、苛立ちを覚え、瑠璃の心境を想うと歯がゆくて仕方なかった。

「犬飼くんは知ってたの?」

 ジャッジとして隣に立つ健一をキッと睨みながら睦月は尋ねる。

「返す言葉も無い。もちろん知らなかった。正直俺も呆れてるよ。瑠璃ちゃんが紅牙のこと好き好き大好きお兄ちゃんって想ってることを見事に逆撫でしてくれてるよな」

「私は彼女を一生好きにはなれそうにないわ」

「あ、うん。それでいいと思うよ」

 でも羨ましいと思うこともあるの。とは、けして言えなかった。


 瑠璃と桃子は予め用意された多種多様の便箋セットと筆記用具をセレクトし、テーブルに並んで座った。

 便箋を袋から出し、筆記用具を構えたところで、ジャッジ役の睦月がスタートのボタンを押して、勝負を始めるサイレンが鳴った。

 勝負を開始して二〇秒と経たないうちに桃子が筆を置き、手紙を折って便箋に入れる。

 そうして席を立って紅牙の前にツカツカと歩み寄る。

「受け取りなさい」

「お、おう」

 そうして瑠璃の方に向き直るとニヤリと微笑む。

 なんとも嫌らしい心理的揺さぶりだろうかと睦月は思ったが、当の瑠璃は余り気にした様子は無く、淡々と手紙を書いていた。

 瑠璃も三分くらいで手紙を書いたが、その分量は便箋一〇枚近くを使った長文で、普通の人間が書くとしたら早くても二~三時間はかかりそうな分量だった。

 そうして便箋を封筒に入れて健一の前までおずおずと近付き、震える手で手紙を差し出す。

「あのぅ、こ、これ、読んでください……」

 顔を真っ赤にし、終始うつむき加減の瑠璃。たまに見上げる視線が健一の視線と合うと、慌ててうつむいてモジモジしてしまう。

 それはまさに萌え狂いそうな挙動だった。

「あ、ありがとう瑠璃ちゃん」

 演技というかそういう勝負だと分かってはいたが、このリアクションに健一は手紙を読む前からハートを半分ほど鷲掴みにされていた。

 遠くから“チッ”っという桃子の舌打ちが聞こえるが、それすら耳に入らなかった。


「それでは読んで採点してください」

 半分呆れ顔の睦月が、しまりのない顔をした紅牙と健一に告げる。

 手紙を開封して数秒後。

「おっおおぉぉ~~~~~~っ!」

 手紙を見た紅牙のリアクションは実に分かりやすかった。

 桃子のラブレターは、便箋一枚に大きな字で“好きよ”と殴り書きしてあるだけだった。

 酷い手抜きに見えるが、紅牙のようなタイプにはこれくらい直球の方が伝わり易いしインパクトもあった。

 一方、健一の方はと言えば、まだ手紙を読んでいる最中ではあるが、その表情はとても真剣で、じっくりと読み込んでいる。

 それだけ読ませる力がそのラブレターにはあるのだろう。

 手紙も終盤にさしかかると、健一の目頭に熱いものがこみ上げてくる。肩も少し震えていた。

 時折り天を仰いで涙をぐっと堪え、それでも手紙を読むのをやめることはできない。

 そうして約一〇分かけて手紙を読み終わった健一は、なんとも言えぬ表情で立ち上がると、瑠璃の眼前で腰を落としてしゃがんで、その小さな身体をギュッと抱きしめようとしたので、慌てて透や睦月に肩を掴まれ引きずり倒される。

「健ちゃんなにやってるの!」

「犬飼くん。しっかりしなさい!」

「はっ! オレはなにを?」

 健一が瑠璃に抱きつこうとしたのは無意識だったようだ。

 それだけの中毒性があのラブレターにはあったということなのだろう。

 そうして紅牙と健一が出した点数は、両者ともに百点で、最初の手紙対決は引き分けとなった。


「瑠璃ちゃん。犬飼くんへのラブレターにどんなこと書いたの?」

 ちょっとというかかなり興味を引かれた睦月は、こっそり瑠璃に耳打ちした。

「えへへ秘密だよ」

 瑠璃はそう言うと、半分放心した健一からラブレターを奪うと、グシャグシャに丸めて燃やしてしまった。

「え? なに? わ~~~っ! 一生の記念にしようと思っていたのに!」

 健一が取り乱しながら燃える手紙を回収しようとするが、透に後ろから羽交い絞めにされたので、灰になるまで見届けるしかなかった。

「返してもらうわよ」

 紅牙からラブレターを奪い返した桃子は、それを用意したシュレッダーの中に放りこんで粉々に裁断したあと、シュレッダーごとバーナーで燃やし尽くした。

「な、なにすんだ! 勿体ないだろ」

 そんな紅牙の抗議も、会場にいる野次馬たちに、「勘違いすんなボケ」だの「鬼が図に乗るんじゃねえ」などの罵声によってかき消されてゆく。

 瑠璃と桃子の二人は、勝負が終わったいま、不本意な記録を残しておきたく無いという点では一致しているようだった。


「それでは次はカードゲーム対決ですが……。ねえ犬飼くん。これはなに?」

 睦月は桃子が用意したカードゲームのデッキを一瞥するや、健一に突き付ける。

「いや、オレもよく知らないけど。遊○王とかそういうのじゃないの?」

 どうやら健一は何も知らないようだ。

 睦月もカードゲームとかは良く知らないが、これは明らかにオリジナルのカードゲームだということだけは分かった。

 なにせカードに描かれたモンスター等のイラストが素人丸出しのポンチ絵だったからだ。

 それ以外の部分、カードの品質や印刷された活字の細かさなどはかなりよく、市販品と比べて遜色がないというのが末恐ろしかった。

 また、隅っこのほうに「IIllustrator:TORINO」と印刷されていたので、この絵を描いたのはトリノなのだろう。

 JH“ジャパネスクヒーローズ”という名前らしく、デッキの中をパラ見すると、桃太郎や金太郎、かぐや姫、鬼や山姥、もったいないお化けなど、昔話などでよく聞く登場人物の攻撃力などが数値化され特殊能力などが記載してあった。

 ルールは割と単純で、デッキにはヒーロー&モンスターカードと呼ばれる攻撃や守備を行うカードと、仙術&罠カードと呼ばれる、特殊な効果を持つカードの二種類があり、これらのカードを駆使して相手のライフポイント(3000)を削り、先に0にしてしまった方が勝ちとなる、よくあるカードゲームの亜種であった。

 瑠璃はすぐにルールを理解し、お互いのデッキを見て戦力的に不公平なものが無いことが分かると、勝負の為のテーブルに腰掛けた。

 桃子は作成者なのでルールどころか裏技的なことまで熟知しているので、瑠璃がテーブルに着いたと同時に自分も腰掛けた。

「この勝負には引き分けはないわよ」

「うん。だから陣羽織お姉さんの負けだよ」


 この手のカードゲームは戦術もさることながら、運の要素も大きく、いかに早く自分が望むカードが手元にくるかにかかっている。

 そういうカードをよく引くことを鬼引きとも呼ぶが、稀に積み込みといって自分が都合のよいようにカードをあらかじめ並べておくイカサマ技もあった。

 通常はそのようなイカサマをさせないためにデッキをシャッフルし、対戦相手にもシャッフルしてもらう。

 この戦いでも当然桃子のカードを瑠璃はシャッフルしたが、積み込みデッキと差し換えられる可能性は高く、そうなったときの対策を練っていた。

「お互いにシャッフルしたところで、ゲームを始めてください」

 睦月の掛け声と共に、ゲームスタートとなり、テーブルの上に敷かれたゲームのバトルフィールドが、大画面プロジェクターに投影され、観客たちに見えるようになった。


「私から行かせてもらうわ。犬、猿、雉を召喚。そうして犬、猿、雉が召喚済みの場合、コストを支払わずに桃太郎を召喚可能。よって桃太郎を召喚! 更に仙術カード“かまいたちの加護”を使用。これにより最初のターンは攻撃不可という条件を免除! 桃太郎軍団によるフルアタック! フルアタック効果により攻撃力が+1000され、合計攻撃力は3000よ!」

 一気に畳みかけるように桃子が吼える。実際畳みかけに来ているのだ。

 なにせ瑠璃の場には盾となるモンスターはいない。

 そのためライフポイントを3000削られればそこでゲームオーバーとなる。

 この手の速攻をワンターンキルと呼ぶが、こうも都合よくカードが揃うわけがないので、予想通り積み込みカードに差し替えたのだろう。

 瑠璃もまた、桃子のデッキを閲覧しこのパターンを最も警戒していたので、ワンターンキルにならないよう、一枚だけ仙術カードを必ず手札に来るように細工してあった。

「仙術カード“ぬりかべ”を使用します。これにより、攻撃は全て無効になります」

「よくそのカードを引けたわね。命拾いしたようね」

「陣羽織お姉さんこそ。まるで仕込んでいたかのような鬼引きにはドン引きです」

 会場の殆ど全員が、桃子の引きの強さをイカサマであると疑っていた。

 そのため、判官びいきではないが、いきなり圧倒的不利となった瑠璃を応援する声がちらほらと現れだしていた。

 イカサマ野郎なんかに負けるな……と。


「ルリのターンですね。子鬼を三体召喚します。あと罠カードを伏せてターンエンドです」

 瑠璃は淡々とゲームを進める。

 桃子は自分のはもちろん、瑠璃のデッキ構成も把握しているので、ここから一発逆転ができるようなカードは無いということは分かっていた。

 ライフポイントの回復や、相手のライフと交換などのカードは無い。

 ただ、攻撃してこなかったのはなぜか。普通に考えればガード用に残して置いたのだろうが、フルアタックの前に子鬼など盾にもならない。

 考えられる戦略としては、フルアタック時に罠カードで使用済みカードを手札に戻して、再びぬりかべで即死回避というパターン。

 また、それを桃子が警戒して、犬や猿などの単体で攻撃した時のためのガード用と考えればすべて辻褄が合った。

 なら自分の手駒を減らすことなく相手を仕留められるフルアタックに賭けるしかない。

 これなら桃子は手ゴマを失うことなく、相手の罠カードを使用させることができる。

 そうすれば同じカードはデッキに混入していないため、今回の即死は回避できても次のターンで瑠璃は詰むだろう。

「私のターン。デッキから一枚ドロー。罠カードを配置して、もう一度フルアタックよ!」

「罠カードオープン。相手がフルアタック時に効果発動。捨てカードの中から仙術、罠カードを手札に戻す。ぬりかべを手札に。そうしてぬりかべを使用します」

「やっぱりそうきたわね。でも次はどうするのかしら? ターンエンドよ」

 このまま瑠璃のターンで何も起きなければ、次の桃子のターンで瑠璃の敗北は確定だった。

 瑠璃は深呼吸してカードを引く。

 ここであるカードを引ければ、瑠璃にも勝機はあった。

 そうしてカードの行方は……。

 来てくれた!

「ルリのターン。子鬼が三体以上召喚してあるので、赤鬼をコスト1で召喚。紅ちゃん出番だよ。赤鬼の特殊効果、相手の罠カードを強制発動! 陣羽織お姉さん。カードを捲ってください」

「なるほどね。攻撃する前に罠カードを発動させようとしたわけね」

 桃子は罠カードをオープンすると、そこには“相手アタック宣言時にカウンター攻撃が可能”という極悪な内容のカードが伏せてあった。

「ルリはまだアタック宣言してないから、そのカードは効果を失います」

「そうね」

「それではルリのアタックです。赤鬼、子鬼三体でフルアタックです」

 この組み合わせでのフルアタックだと合計攻撃力は3300で、ガードする手駒は全て疲労状態にあり、手札が一枚も無い桃子に反撃する力は無かった。


「勝者青木瑠璃!」

 睦月が高らかに宣言する。

「やったな瑠璃!」

「紅ちゃんのおかげだよ」

「やるわね青木さん。私も運が良い方だと思ってたけど、貴女はもっと良いみたいね」

「え? イカサマじゃなかったのか?」

 そう健一がぼそりと呟くと、桃子は身を翻して健一に詰め寄り、その両頬を締め付けるように手を伸ばし、ぐいっとつまみあげる。

「どうして私がイカサマなんて卑怯なことをすると思ったのかしら? まさかとは思うけど、健一くんって私のことをイカサマ師か何かと勘違いしてるのかしら?」

「ひゃ、らって、あろ配置とひうか、引きは……」

 頬を掴まれ、ヒヨコのような口になった健一は、うまく話すことが出来ない。

「引いてしまったものは仕方ないじゃない。それともなに? いいカードが引けても使うなっていうの?」

「ひょんなころは……」

「あれ? ケンイチはトーコの豪運知らなかったっけ? 麻雀やったら分かると思うけど、トーコは半荘で一回は確実に役満を引く化け物だよ。カードゲームの鬼引きなんて、トーコにとっては児戯みたいなもんだよ」

 トリノが今更知らないわけでもあるまいみたいな口調で健一に告げる。

「ひょうなの?」

「そうよ。私とても傷付いたわ」

 桃子は少しだけ手の力を弱める。

「ごめん。疑って悪かった」

 確かに桃子は運は良かった。

 スタンガン木刀が爆発したときも、かすり傷一つ負わなかった。

 それを思い出した健一は、桃子が強運で身を守られていることを思い出した。

 そうして一回戦のラブレターも桃子のクジ運によるもので、仕込みなどでは無かったのだろう。

 強運故、たまたま有利な条件のクジが引けただけ。

 クジを引いたのが瑠璃だったとしても、結果は同じだったかもしれない。


「この勝負、ルリの負けです」

 一連のやりとりを聞いていた瑠璃は、桃子と健一の前に駆け寄ってそう告げた。

「どういうことかしら? 負けた私を侮辱するつもり?」

 健一の頬から手を外した桃子は、少し震えて立つ瑠璃へと向き直る。

「ル、ルリ、イカサマしました。陣羽織お姉さんがカードを仕込んでくると思って、一枚だけ手札に欲しいカードが来るようにすり替えました。だからルリの負けです」

 瑠璃は怒られるのはもちろん。イカサマ師となじられる覚悟でそう告白した。

 そうしなければ、自分は自分を許せないからだ。

 桃子のイカサマをしてないという話が例え嘘でも、自分がやった事実には変わりなく、そんな瑠璃を紅牙は多分許してくれない。

 話さなければ絶対にバレないだろうが、小心者の瑠璃にとってその隠し事は自分の良心を押し潰しかねない小さな爆弾だった。

 そんな瑠璃の心情が分かったのか、桃子はヤレヤレと頭を振った。

「あのね青木さん。それは間違ってるわ。イカサマはしてもいいのよ。但しバレなければね。私は青木さんのすり替えに気付けなかった。これでも結構注意深く見てたのよ。でも分からなかった。だからそれはイカサマじゃなく、立派な戦術と言えるわ。誇りなさい」

 やばい。やばい。やばい。格好いい。流石紅牙が惚れるだけはある。

 いつの間にか瑠璃は、桃子をキラキラした瞳で見上げていた。


「それでどうするの?」

 そう尋ねたのはジャッジ役の睦月だった。瑠璃とは対照的にかなり白けた態度と口調である。

「どうするってなんのことかしら?」

「勝敗よ。どっちが勝ちなの?」

 睦月はそろそろこの茶番に付き合うのが面倒になってきていた。

「ルリの負けです」

「私の負けよ」

「はいはい。それじゃもう引き分けでいいわね。それで文句ないでしょ」

 やや投げやりに睦月が呟く。

 結局、この勝負も引き分けになった。


 最後のクイズ勝負の前に、一旦休憩となり、各々の選手団は一度控室へと戻った。

 単純な知識量、計算能力、文章読解力だけの勝負なら、百パーセント瑠璃が負けることはないだろう。

 だがこの変則三本勝負は、二戦二引き分けと、苦戦を強いられていた。

 そう思っているのは瑠璃だけではなかった。

 桃子はプライドを殺してまで、自分が有利になるよう勝負を設定しているのに、それでも勝てないのである。

 だから少々どころ、かかなりイラついていた。

「しっかし、なんなのトーコは? 不甲斐なさ過ぎじゃないか。折角ボクが絶対勝てる勝負をプロデュースしてあげたっていうのにさ」

 そう。この観客やセット、勝負の内容などを考案したのは他でもない、トリノだった。

 桃子本人でさえ少し卑怯な気がしたので何度か反対したが、負けてもいいのかい? と言われると、黙るしかなった。

 ちなみに健一は一切蚊帳の外だ。話し合いに参加すらさせて貰えなかった。

「まあ勝てないと言うのであれば、負けなければいいだけだよ」

「また引き分け狙いというわけ? ワンパターンにも程があるわよ」

「仕方ないじゃないか。トーコが頭悪すぎるからこうなったんじゃないか?」

 桃子が頭が悪いというのであれば、健一や透は一体何と呼ばれるのだろうか。ミジンコやゾウリムシ辺りであろうか。

「そもそもこのクイズのルールを完璧に把握してれば、絶対に勝てないって向こうも分かる筈だよ」

「その代わり負けも無いわね」

「プライドさえ捨てればそうだね。ルールを変更するかい?」

「まさか。向こうから申し出があれば考慮するけど、こちらから変更する義理は無いわ」

「まあそうだね」

 ニャハハハとトリノが笑う。

 対する桃子は不機嫌そうだ。


「健一くん」

「え? なに?」

 いきなり話題を振られたので、健一は慌てて桃子に向き直った。

「ここまでの二戦は正々堂々と戦ったけど、このクイズ対決では私、あらかじめ全ての問題とその答えを知った状態で挑むわ」

「えっ! それって酷くないか?」

「そうかしら? これは青木さんがやってもいいと公言したことなので、卑怯でもイカサマでもないのよ」

「そういや確かにそんなこと言ってたな。でもだな」

「そうまでして勝ちたいという私の気持ちは間違ってるのかしら?」

 桃子が健一に詰め寄り、その耳元でそっと囁く。

「桃子は負けるが嫌なの? それともオレが瑠璃ちゃんに取られるのが嫌なの?」

「どっちも嫌よ。でもそうね。強いて言うなら、どちらか一方を選べと迫られたなら、健一くんを取られるのは、かなり我慢ならないわね」

「そうかよ。なら何も言わないよ。桃子は桃子の信じた道を進めばいい。っていうかオレが何を忠告しようがどうせ決めた事は覆さないんだろう?」

「当たり前でしょ。健一くんもようやく私の事がわかってきたようね。褒めてあげるわ」

 桃子は健一の頬に軽くキスすると、その身を翻して、決戦の場へと赴いた。


「え~、それでは最終戦のクイズ対決を始めたいと思います」

 睦月は何故自分が進行役をやらなければならないのと思いながらも、瑠璃のためと割り切って淡々と進行する。

 対決開始からなんだかんだで二時間以上経過している。

「始めにクイズのルールを説明します」

 クイズのルールはそこまで複雑ではなく、早押しクイズで、先に一一ポイント先取した方が勝利となる。

 ただしお手付きや答えを間違った場合、ポイントは〇に戻され最初からやり直しとなり、五問連続で間違った場合は失格負けとなる。

 答えを間違えた場合、その問題は失効し、回答権が相手に移ることは無い。

 但し、相手が一〇ポイントでリーチを迎えた場合にのみ、答えを間違った場合、回答権が相手に移動する。

 また、問題数は全部で五〇問用意してあり、問題が尽きた場合はそこで終了となり、どれだけポイントを稼いでいても引き分けとなる。

「ルール説明は以上です。それではクイズを始めます。第一問どうぞ」

 睦月の掛け声でスポットライトが回答者の二人を照らす。


『問だ……』

 ピンポ~ン!

 まだ問題すら読み上げていないのに、ボタンを押した人物がいる。

 回答権を手にしたのは瑠璃だった。

 桃子もボタンを押していたのだが、瑠璃の反応速度には敵わなかった。

 また瑠璃もこんなに早くボタンを押すつもりは無かったが、横目で桃子を観察し、すでにボタンを押すモーションに入っていたので、これはいけないと判断し、瞬時に押したのだ。

『答えをどうぞ』

「分かりません」

 ブッブー!

 当然である。第一問の攻防で瑠璃は悟ったのだ。

 これはもうクイズでは無かった。ただの作業である。

 それから瑠璃は四問連続で回答権を取得し、そのすべてを間違えた。

 そうして五問目は大人しく静観し、わざとらしく問題を途中まで聞いた桃子がボタンを押し、正解を手にする。

 ちなみに問題は予想通り引っかけ問題で、『○○は△△となります。この現象を××といいます。では、□□は●●と反応し、■■となります。この現象を◆◆と言います。それでは1足す1は何でしょう?』みたいな、前半の設問と正解の問題になんの関連性も無いもので、うっかり途中でボタンを押して回答しようものなら確実に間違っていたであろう。


 瑠璃が四問連続で間違えて、桃子が五問目に答える。

 この単調な繰り返しが、五〇問目まで続いた。

 その結果、瑠璃は正解数〇問で、桃子は正解数一〇問となった。

 最終問題でリーチになったものの、勝利条件が一一問正解なので、勝負はドローとなった。

 もしも最初の問題を桃子が答えていたら、45問目で桃子の正解数が一〇となり、その後瑠璃が先に回答権を得ても、間違えれば桃子に回答権が移り、そうなった場合、答えられてしまい、ドローに持ち込むことはできなかっただろう。

 始めから引き分け狙いという戦術で挑まなければ、この作戦は使えない。

 最初の一問、僅かでも躊躇ったら全てが終わりだった。


「え~、ルールに則り、先に一一ポイント先取した人物が居ないため、この試合もドローになります。本日の勝負は三戦三引き分けのドローです」

 観客のブーイングを無視しながら、睦月は淡々と告げ、マイクを置いて控室に戻った。

「最初から引き分け狙いだったのかしら?」

 桃子はクイズの椅子から立ち上がると、少し憮然とした表情で瑠璃に尋ねた。

「勝てる要素があれば勝ちにいってたよ。でも最初の問題で陣羽織お姉さんが問題を言う前からボタンを押す素振りをみせたから」

「正しい判断だと思うわ」

「あの、一つだけ聞いていいかな?」

「なにかしら?」

「どうして引き分けにできるルールにしたんですか? 絶対に負けないルールだって作れたんじゃ?」

「そんな勝負になんの意味があるっていうの?」

「だったら最初から正々堂々と戦えばいいじゃないか?」

「健一くんは馬鹿なの? これはハンデよ。ゴルフの勝負と一緒よ」

 確かにまともに頭脳勝負を行えば負けるのは必至だろう。

「でも二戦目負けてたらどうするつもりだったんだよ?」

「その時は私も問題を知らないフリして、最初の三問は青木さんに答えさせて、油断させたところで、四問目で答えるわ。そうすれば四九問目には一〇ポイント貯まるから、ラストの問題で青木さんがお手付きした後、ゆっくり答えれば勝てたと思うわ」

「えげつないな」

「戦略と言って欲しいわ」

「陣羽織お姉さん。やっぱり最初の問題はワザと……」

「そうよ。感謝しなさい。貴女なら気付くと思ったけど、気付けなかったら勝ってやろうと思っていたわよ」

「ありがとう」

「意味が分からないわ。憎まれ口の一つでも叩いてくれた方がまだ納得できるけど、どうして感謝されなければならないのかしら? 健一くん。私はおちょくられているのかしら?」

「そんなわけないだろ!」

「うふふ。陣羽織お姉さん、健一お兄ちゃん。今日は楽しかったよ」

 瑠璃は壇上から降りて、観客席付近で待っていた紅牙に向かって駆け出し、その胸に飛び込んだ。


「瑠璃ちゃんってカワイイよなぁ」

「おい、ちょっと待てケンイチ! ルリタンはボクのだぞ!」

 トリノが健一の背中に飛びかかって抗議する。

「健一くん。貴方やっぱりロリコンだったのね。夜這に来ない理由がようやくわかったわ」

「け、健ちゃんロリコンなんだ。あ、でもあたしも童顔だしギリギリ大丈夫だよね? ねっ!」

「透さん。いくら童顔でもその胸を削ぎ落さない限り、つるぺた派の健一くんに振り向いて貰うことはできないわよ」

「ダ、ダメだよ。トールちゃんのおっぱいが無くなったら、ボクは死んじゃうよ!」

「トリノはルリタンを追っかけてればいいでしょ。あたしにはもう用は無いんじゃいの?」

「あれ? トールちゃん。ひょっとして妬いてるの? 大丈夫だよ。ボクの一番はトールちゃんで、二番がルリタンだから。睦月ちゃんも悪くないけど、彼女は同性愛に興味がなさそうだし」

「あたしだってないよ!」

「まあ落ち着けよ。とにかく片付けて帰ろうぜ」

「あ~でもケンイチがロリってことは、何気にボクは狙われてたりするのかな?」

「中身がオッサンの外見ロリに用はないです。心技体すべて揃ったロリこそが至高なんですよ。瑠璃ちゃんはまさに理想のロリですよ」

「け、健一くんが語りだした。冗談抜きで本当にロリコンだったの?」

「健ちゃん。悪い冗談はやめてよ~」

 色々誤解があるようだが、面倒なので健一は否定するどころかロリ説に乗っかった。

 なぜなら誤解してくれたままの方が、色々と都合が良いような気がしたからだ。


 一方、奥賀高校鬼チームの控室では、化粧を落とし、着替え終わった瑠璃と睦月が談笑していた。

「よく引き分けに持ち込んだわね。二戦目をドローにしなければ実質勝ってたんじゃない?」

「そんなんことないよ。二戦目はインチキしたルリの負けだよ。それに三戦目も手を抜かれたみたいだし、駆け引き的なものでは負けた感じだよ」

「でも最後のクイズ。あれはイカサマでしょう?」

「うん。そうだけど、答えを用意してもカンニングしてもいいって言ったのはルリだから、陣羽織お姉さんはルールを守って負けない布陣で挑んできたんだよ。カードゲームにしろ、クイズにしたって、やろうと思えば絶対に勝てるルールを構築できたはずなんだよ」

「そこは彼女のプライドじゃないの?」

「うん。そうだと思う。健一お兄ちゃんが賭けの対象になってなかったら、もっとシンプルに挑んで、潔く負けてたと思う。そうして決して諦めないで何度でも挑戦してくる。だから脅威なんだよ」

「正直私はあの人のこと嫌いだし、そんなに褒める気にはなれないけど、あのしつこさだけは評価に値するわ」

「ルリは……」

 瑠璃がそう言いかけた時、控室のドアをノックする音が聞こえ、紅牙がまだ着替え終わらないのかと催促するので、二人はいま行くと返事をし、荷物を持って外へと向かった。


 瑠璃が言いかけたこと。

 それは、陣羽織桃子が本当に桃太郎の生まれ変わりかもしれないということだった。

 睦月や紅牙が聞いたら、一笑されて終わりかもしれない。

 それでも、犬飼健一、猿渡透、雉丸トリノという仲間を集めた行動力と、現代人が忘れてしまった闘争心、それに類い稀なる運の良さは、ただの人間と片付けてしまうには惜しい気がした。


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