エピソード1 五章(瑠璃) 通算26話

 青木瑠璃(あおきるり)。

 聡明で合理的な青鬼族にしては珍しく、彼女は感受性が豊かで、繊細な心の持ち主だった。もちろん聡明さも持ち合わせており、どの青鬼族の追従を許さないほど頭の回転が早かった。

 本来の姓は“青木”ではなく“青鬼”なのだが、あまりにも武骨で直球すぎるため、人間社会では青木と名乗っている。

 居候先の青柳家も元々は“青八鬼”の読みをもじって改名したものである。

 青鬼族の姓は合理的というかシンプルで、青鬼姓をベースに、青一鬼~青九鬼と続き、他にも青以鬼、青呂鬼、青波鬼と、“いろはにほへと~”と続いている。

 そうして青鬼姓を持つ瑠璃もまた、紅牙同様、青鬼族首魁直系の子孫である。

 瑠璃という名前にしても、瑠璃色の濃い赤味の青。すなわち赤い瞳を持つ青鬼ということがよく分かるようにと名付けられていた。


 その青鬼族の少女はいま、かつてないほど焦っていた。

 瑠璃は口数は少ないが、その赤い瞳は全てを見透かす。

 すなわち洞察力が異常に発達していた。

 それはもうサトリという妖怪と同レベルくらい、相手の心を読むことができた。

 瑠璃は睦月が紅牙に惹かれ、紅牙もまた睦月に惹かれていたことを知っていた。

 そうしてその仄かな想いは人間と鬼が出会ったことによる一過性の恋であることも承知しており、脅威とは感じていなかった。

 実際、睦月は健一と出会い、紅牙と健一の間でフラフラし、結果として紅牙を振り、紅牙に振られた形に終わった。

 だから安心していた。睦月が一時的に紅牙と付き合うことがあっても、将来結婚するようなことにはならないと。

 だが、ここにきて強力なライバルが現れた。


 そのライバルの名は陣羽織桃子。

 初めて桃子を見た瞬間、紅牙に引き合わせてはいけないタイプだと思った。

 だが出会ってしまった。

 桃子は紅牙を退治する鬼という程度にしか認識していないが、紅牙は違った。

 面白い奴。という認識から始まり、中々見どころのある奴となり、最終的にボコボコにされた揚句に惚れてしまった。

 精神的にタフな女性。それこそ紅牙が求めていたタイプなのかもしれない。

 瑠璃とは対極に居るような存在で、とても疎ましく、羨ましかった。

 惚れた経緯は偶然のようなものだったのだろう。だが、健一の怪我が無くとも、遠からず紅牙は桃子に惚れてしまうことは確実だった。

 その陣羽織桃子が、紅牙を手下にすると言った時、瑠璃は紅牙が完全に自分の元から去ってしまうと確信した。

 “危惧する”なんてレベルではなく“確信した”のである。

 だから瑠璃は桃子に飛びかかった。

 桃子のようなタイプは、興味のない連中に対してとことん客観視できるので、瑠璃のアクションを紅牙を取られたくない為のアピールだと気付いただろう。

 桃子にどういう腹づもりあったのか完全には読めなかったが、瑠璃の意を汲んでくれたようで、紅牙を手元に置くことは回避してくれた。


 桃子は美人で頭も良く、遠くから見る分には問題ないが、付き合おうという猛者は余りいない。

 だから、紅牙のようなストレートでグイグイ踏み込んでくるタイプに、案外弱い可能性がある。

 瑠璃は桃子が愛に飢えていることを見抜いていた。

 そうして健一の態度がはっきりしないため、その愛を満たすために紅牙に心を動かす可能性がまるでないとは言いきれなかった。

 だから恐怖したのだ。

 桃子が紅牙に軟化した態度を見せ始めたら終わりだった。

 そうなったら紅牙は桃子を諦めないだろう。

 こっぴどく振られればいいと思うだろうが、すでにスタートラインが嫌われているので、実質振られているようなものだ。

 だから、何度振られようと紅牙はめげない。けして諦めないだろう。

 そのような相手に、どうすればいいのか?

 答えはすでに出ていたが、瑠璃にそれを実行できる勇気が無かった。

 だがやるしかない。やらなければ紅牙を取り返すことはできない。

 瑠璃の夢は紅牙のお嫁さんになること。

 ただそれだけだ。

 いや、紅牙にとって妹以上に見られたことが無い瑠璃にとって、その夢の成就は極めて難しかった。

 瑠璃は自分が紅牙のタイプではないと知っていた。知りたく無かったが、その見透かす瞳で気付いていた。

 だけど瑠璃は諦めない。諦めが悪いのは鬼の専売特許だ。

 これは瑠璃が決めた、何よりも勝る最優先事項である。

 そのためならなんだってできると、瑠璃は自分に言い聞かせていた。


 やると決めた後の瑠璃の行動は早かった。

 瑠璃は紅牙に頼んで健一のお見舞いに連れて行ってもらった。

 紅牙も昨日は慌ただしかったし、病室に行けば桃子に会えるかもと思い快諾した。

 怪しまれないよう、睦月にも声をかけ、三人でお見舞いに向かった。

 病室には桃子と透が見舞いというか遊びに来ていた。トリノの姿は見えない。

 桃子の格好は普通の私服で、白いノースリーブのシャツに同じく白いスカート姿で、黒髪に良く似合っていた。

 瑠璃と睦月は、改めて桃子の美しさに舌を巻いた。

 ボーイッシュな格好をした童顔巨乳少女の透も桃子と一緒でなければ充分カワイイのだが、横に並ぶとどうしても見劣りしてしまう。

 瑠璃も天使とか妖精などもてはやされているが、女性としてではなく、少女としての評価である。

 分類するなら、美人のカテゴリに桃子と睦月、カワイイのカテゴリに透と瑠璃、それからここに居ないトリノが振り分けらられるだろう。


「お見舞いは昨日済んだでしょう。まだなにか用なのかしら?」

 面倒臭そうに桃子が呟く。まったく歓迎する気は無いようだ。

 このブレなさがまた桃子の魅力なのだろう。

「いや、正直来てくれて助かった。聞いてくれ。病室なのに心休まる暇が無いんだ」

 心からホッとしたように健一が呟く。

 恐らく桃子と透の介助という名の自己アピールによって、心身ともに疲れたらしい健一が、待ってましたとばかりに三人を歓迎する。

「今日退院なんだろ? 荷物とか運んでやるよ」

「本当かい? そりゃ助かる」

「残念ね。人手なら間に合ってるの。だから帰っていいわよ。いいえ違うわ。帰りなさい!」

「紅ちゃんが荷物を持ったら、お姉ちゃんたちはお兄ちゃんを支えてあげられるのにね」

 ボソッと瑠璃が呟く。

「……仕方ないわね。荷物を持って付き添うことを許可してあげるわ」

「おう!」

 健一の意見は何一つ聞かないまま、全て桃子が仕切ってしまった。

 それからしばらく談笑した後、瑠璃は紅牙に買い物を頼んだ。

 紅牙が買い物に行ってる間、瑠璃はやるべきことをやるべく、一歩前に歩み出た。


「ルリと陣羽織お姉さんの勝負について、条件を一つ追加してもいいかな?」

 瑠璃は桃子を見上げるように正面に立ち、ゆっくりとそう述べた。

「条件? いいわよ。言ってみなさい」

「はい。ルリが勝ったら、健一お兄ちゃんを頂きますね」

「なっ、そんなの駄目だよ」

 脇で話を聞いていた透が飛び出してくる。

「どうしてですか? 陣羽織お姉さんは紅ちゃんが負けを認めた時、軍門に下るよう要求したじゃないですか。ルリも同じことを要求しているだけですよ?」

「私じゃなくて健一くんなのは何故かしら?」

「その方が陣羽織お姉さんのダメージが大きいから。かな?」

「ふうん。なかなか心得てるみたいね」

「どうしますか? 受けますか受けませんか?」

「少し考えさせて貰えるかしら」

 珍しく桃子が迷っていた。

 問題には常に即答していた桃子が、ここにきて決断することを悩んでいた。

「勝負を下りるというのであれば、紅ちゃんは返して貰いますね」

「別にあんなの要らないけど、言いなりになるのは私らしくないわね。いいわ。勝負しましょう」

「そうですか。でもルリの頭脳を甘く見ないでくださいね。勝負する場合、健一お兄ちゃんは確実に頂きますよ」

「あの、頂かれちゃったらオレどうすりゃいいの?」

 勝手に商品にされてしまった健一がおずおずと尋ねる。

「学校が終わったら、放課後数時間、ルリや睦月お姉ちゃんと一緒にお茶したり遊んだりしてくれればいいよ」

「あ、なんだ。それだけでいいのか。了解」

 健一はホッとしたようだが、桃子と透はそうでもなかったらしい。

「桃子さん。絶対に勝って下さいよ。負けたらあたし許しませんよ」

「当たり前よ。必ず勝つわ」

「条件を追加したので、問題はそちらで作っても構わないです。答えを丸暗記してきてもいいし、カンペを持ってきても良いよ」

「青木さん。あなた私を馬鹿にしてるの?」

「そんなことないよ。そのぉ、ハンデみたいなもの。かな?」

 瑠璃はそう言うと、病室のミニテーブルに置いてあるメモ帳とペンを拾い上げ、そこへ何かを記入する。

 一瞬の出来事だったので何が起こったのか分からないが、手が高速で動き残像が見えていたのだけは分かった。

 一見しただけでは、なにかグシャグシャとランダムに線を引いたようにしか見えなかっただろう。

 一同がキョトンとする中、瑠璃は更に記入したメモ帳部分を切り離し、空中で折り鶴を作って桃子に渡す。その動作にかかった時間は約三秒。

 メモ記入から折り鶴作成まで、トータル一〇秒くらいだろうか。

 あっという間の出来事に、健一や透は感嘆の声を上げた。

「すげぇ」

「え? なに? 手品なの?」

「違うよ。いま折ったんだよ」

「手が早いというのをアピールしたかったのかしら?」

 桃子は折り鶴をバラし、最初に瑠璃がメモしていたものを目にして絶句した。

 約一〇センチ四方の小さなメモ紙に書かれていたのは、結構リアルな桃子の全身イラストと、身長や体重などの身体のサイズが記されていた。

 それは桃子本人も良く知らなかったような髪の毛の長さや、指はおろか爪の長さに至るまで、事細かに小さな文字で記されていた。

「何が書いてあったんですか?」

 透がメモ帳を覗きこもうとしたので、桃子はその前にメモ帳を握り潰した。

「よく調べたものね」

「調べてないよ。見れば分かるから」

 嘘でないことは、瑠璃の赤い瞳を見ればすぐに分かった。

「そう。この情報化社会で脅威なのは鬼龍院くんではなく青木さんのようね。彼は前座、四天王で言えば最弱だったみたいね」

 桃子はラスボスを見付けたみたいに高揚していた。


「誰が四天王最弱だって?」

 いつから話を聞いていたのか、紅牙が買い物から戻ってきた。

 ここで対決の話は終わりだった。

 健一が賭けの対象になっていることを紅牙が知れば、瑠璃を嗜めたり条件を無効にしかねなかった。

 桃子にとっては、それが最良なのかもしれないが、紅牙に頼ることになるが我慢ならないのと、勝負する前に負けを前提に考えている自分に腹が立ったので黙っていた。

 そうして何事も無かったように時は過ぎ、健一の検査結果も出て問診も終わったので、退院手続きを行い、病院を後にした。


 健一の荷物を届け、帰宅した瑠璃たちは、明日の学校に備えて各々自分の部屋に戻った。

 夕飯を食べ、お風呂に入り、就寝までの空き時間に、瑠璃は睦月の部屋に呼ばれた。

「どうしたの睦月お姉ちゃん」

「それはこっちの台詞よ。どうして犬飼くんを貰うとか変な条件をつけたりしたの?」

「嫌だった?」

「嫌とかそういう問題じゃなくて」

「ルリはね。絶対に紅ちゃんのお嫁さんになるの。それ以外はあんまり興味がないの。睦月お姉ちゃんの事だってそんなには……」

「うん。瑠璃ちゃんの気持ちはよくわかってるつもりよ」

 そんな簡単に分かって貰えるほど、瑠璃が紅牙に秘めた想いは簡単ではなかったのだが、そのことで口論するのは馬鹿らしいので、瑠璃は否定せずに軽く頷く。

「健一お兄ちゃんをこっちに引き入れれば、紅ちゃんと交換できると思っただけだよ」

 本当の意図とは少し違うのだが、こう言えば睦月は納得するだろう。

「そうかもしれないけど」

「もう決まったからどうしようもないよ。それに睦月お姉ちゃんは健一お兄ちゃんの事が好きなんでしょう?」

「なっ! そ、そんなことは……ある、かも」

「別にルリに嘘つかなくていいよ。ルリ知ってるよ。健一お兄ちゃんを好きになる前は紅ちゃんのことが好きだったでしょう」

「ど、どうしてそれを!」

「見てれば分かるよ。紅ちゃんが睦月お姉ちゃんの事が好きで、いまは陣羽織お姉さんを好きってことだって知ってるよ。ルリは知りたく無くても分かっちゃうんだぁ」

 瑠璃の赤い瞳には、うっすらと涙が浮かびあがって、その瞳をより一層煌びやかなものにしていた。

「る、瑠璃ちゃん」

「でもそれが分かっててもルリにはどうしようもないんだよ。だから出来ることをやるの。睦月お姉ちゃんにだって邪魔はさせないよ」

 瑠璃の瞳から大粒の涙が頬に伝わってくる。睦月はそんな瑠璃を抱きしめたくて慰めたくて仕方なかったが、そうすることを瑠璃が望んでないことは分かっていたのでぐっと堪える。

「うん。邪魔なんてしないわ。ううん出来ない。それにしてもまいったな。なんでもお見通しだったとはね。辛い思いをさせてごめんね」

「あのね。睦月お姉ちゃん。正直に言うとね、ルリは睦月お姉ちゃんと紅ちゃんが上手く行くわけないって思ってたの。だから二人が仲良くしてても別に辛くなかったよ」

「あはは、なんだ。私なんか眼中になかったのね。それはそれで少し悲しいかも」

「でもね。陣羽織お姉さんは違うの。あの人はとても危険なの。紅ちゃんをこれ以上近付けたくないの」

「うん。それはとてもよく分かるわ」

「だからルリはどんな手を使ってでも陣羽織お姉さんと紅ちゃんの接点を潰すよ。少しでも興味を持たれたら終わりだから、そうなる前に紅ちゃんと里に帰るの」

「そう。そういうことなら私は何も言えないし、協力することもやぶさかではないわ」

「でも睦月お姉ちゃんは紅ちゃんと陣羽織のお姉さんがくっついた方が都合がいいんじゃないの?」

「あのね瑠璃ちゃん。あんまり私を侮らないで。確かにそれはそれで都合がいいけど、いまの話を聞いてそれを喜ぶ人間だと本気で思ってるの?」

「ううん。睦月お姉ちゃんはそんなひとじゃないよ。だからルリは話したんだよ」

「ちゃっかりしてるわね」

「あの、睦月お姉ちゃん」

「なに?」

「騙してたみたいでごめんなさい」

「なにを?」

「色々知ってたこと。瑠璃のこの瞳、この能力、気持ち悪いでしょ?」

「ううん。凄いと思うわよ。それに瑠璃ちゃんの瞳、とても綺麗だと思うわ。まるで宝石みたいで羨ましいわ」

 本心からの言葉であった。

 瑠璃にはそれが分かるので、睦月の言葉に癒され、その胸を借りて泣くことが出来た。


 数日後。

 睦月と健一のメールのやり取りで、瑠璃と桃子の対決の日程が決まった。

 週末の土曜日で、場所は駅前の高級ホテルの催事場で行われる。

 今回問題を出す側となった桃子たちのプロデュースによるものである。

 恐らく何か仕掛けてくるだろうという予感はあったが、頭脳を遣う戦いをする以上、瑠璃は負ける気がしなかった。

 わざわざそんな場所を借りたということは、まともな対決ではないだろう。

 試験のような筆記問題ではないい何かだ。

 桃子たちにも勝機がある頭脳対決を絞り込むと、クイズ対決が思い浮かぶ。

 問題と回答を暗記しておき、出題と同時に答えれば、瑠璃に勝ち目はないだろう。

 イカサマをしても良いと言ったのは瑠璃本人だったので、あとは桃子がどこまでプライドを捨てて勝ちにくるか。

 もしいま瑠璃が予想したような展開なら、それだけ必死だということだろう。桃子たちの健一に対する態度を測る物差しとしては丁度良かった。

 その結果負けたとしても別に良かった。紅牙は恐らく呆れるだろう。そこまでして勝ちたいかと。

 それが瑠璃の狙いの一つでもあった。

 また正々堂々と勝負に来た場合は、叩き潰してやればいい。そうして健一と毎日放課後遊んで、桃子たちのイライラを募られてリベンジマッチを挑まれせればいい。

 そうしていれば、いつかは勝ちに来る。

 それこそが瑠璃の願いで、勝負の方法が瑠璃に不利であればあるほど、桃子が卑怯であればあるほど好都合だった。


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