第15話

 翌朝、健一がベッドでまどろんでいると、部屋の窓がカラカラと音を立てて開き、そこから透が進入してきた。

 それとほぼ同時にドアが開き、桃子が部屋に入ってきた。

「健ちゃん朝だよ!」

「犬飼くん朝よ。起きなさい」

 二人の女の子から左右の耳にステレオで囁かれ、健一は飛び起きた。

 どうやら健一には、睡眠時間以外のプライベートタイムというものは存在しなくなったようだ。

「なっ、なんだ?」

 まぶたをこすって左右を確認すると、腕を組んで斜に構える桃子と、窓の淵に足を掛けてしゃがんでいる透の姿があった。

 二人とも制服姿で、透に至ってはカバンと靴まで持参済みだ。

 どうやら透の通学ルートは、自室から健一の部屋へ抜け、そのまま玄関に出て学校へ行くよう変更されたようだ。

「とりあえず陣羽織さんが居るのは仕方ないにしても、なんで透まで居るんだ?」

「フフッ、やるわね透さん。窓から起しに来るなんて。まさに幼馴染の特権というわけね」

「えへへ。特権というか、一度こういうのやってみたかったんですよ~」

 健一は、透が桃子に毒されてしまったような気がして、軽い眩暈のようなものを感じた。

「まあ理由は分かったよ。とりあえず着替えるから出てってくれないか?」

「それは駄目よ」

 あっさりと却下される。

 自分に人権は無いのかと、健一は恨めしそうに桃子を見上げた。

「何故? どうして?」

「健ちゃんっていつも二度寝しちゃうから見張って無いと駄目なんだよ」

「そういう理由か。わかった。二度寝しない。すぐに起きて支度する。五分経ってリビングに下りて来なかったら戻ってきて見張ってて構わないから、とりあえずいまはオレを信用してくれ」

「三〇秒……といいたいところだけど、三分で支度しなさい」

「あたしたちは下で待ってるね~」

 透はカバンと靴を持って、桃子と一緒にリビングに下りてゆく。

 桃子と透が思った以上に仲よくなっていたので、健一はしばし呆気にとられていた。

 だがすぐに三分しか時間が無い事を思い出し、慌てて着替えてリビングへ向かった。


 朝食を済ませた三人は、揃って学校へ登校した。

 通学路で健一たちを目にした学校の生徒たちは、桃子の姿を確認すると、一瞬引きつったような表情を見せた後、極力顔を会わせないよう、不自然な姿勢で明後日の方角を見つめながら登校していた。

 正門に近付くと、校長が直々に桃子を迎えに来ており、もう体調は大丈夫ですか。とか、かなり気を遣った言葉使いで対応していた。

「大丈夫です。ご心配おかけしました。お願いした教室は手配できましたでしょうか?」

「はい。それはもちろん。今すぐご案内致します」

「それには及びません」

 桃子はそれだけ言うと、健一と透を連れて校舎の中に入った。

「教室の手配ってなんだ?」

「そうだったわね。説明するのを忘れていたわ。二人ともついて来て頂戴」

 桃子はそう言うと、校舎の最上階にある、いまは使われていない教室へと向かった。


「ここよ」

 教室に入ると、そこには普通の机は無く、教室の中央に長テーブルのようなものが三つばかり置いてあった。

「ここはなんなんだ?」

「特進クラスよ」

 どうでもよさそうな口調で桃子が答える。

「進学クラスみたいなものか?」

「ええそうよ。特に勉強しなくても東大程度なら受かる自信はあるけど、雑音が気になって勉強できないから、新しいクラスの新設をお願いしたの」

「お願いしたって、陣羽織さんが学校に?」

「そうね。正確には私経由でお父様から学園の理事長、それから校長先生という経路だと思うわ」

「まあ、陣羽織さんの実力なら東大くらい楽勝だろうね」

「私はね。でも犬飼くんは猛勉強しないと無理でしょう?」

 健一は一瞬、桃子が何を言ってるのか本気で分からなかった。

「いやいや。いまから猛勉強したって無理だよ」

「はぁ。何を寝ぼけたことを言ってるの? このクラスは私のためではなく、犬飼くんを鍛えるために新設したクラスなのよ?」

「……えっと。その前に質問があるんだけど、オレってこのクラスに入ったりするの?」

「当たり前でしょ。あと透さんもよ」

「え? あたし一年だよ?」

 まさか自分も対象だとは思ってなかったので、透は慌ててカバンを落としそうになった。

「学年なんて問題ないわ。過疎地の小学校なんて一年から六年まで同じクラスで授業を受けてるじゃない。それに比べたらたった一学年の差なんて大したことないわ」

「オレたちの都合は無視かよ」

「少なくとも犬飼くんに拒否権はないわ。でも透さんには選ばせてあげる。どうするの? 貴女が嫌というのなら無理にとは言わないわ。でもそうなると、私は犬飼くんと二人きりで勉強することになるわね。二人きりだからふとしたはずみで間違いが起こらないとは限らないわ。どうしましょう?」

「心配するな透。絶対に間違いなんか起こらないから!」

「あ、あたしも特進クラスでいいよ。というかこのクラスがいい!」

「決まりね」

 健一は陣羽織桃子がただ復学するわけはないと思っていたが、まさかこういう形になるとは予想すらしていなった。

 これなら休学させたままにしておいた方がよかったかもしれない。


「話は全部聞かせて貰ったよ! ボクも特進クラスに編入してあげるよ」

 勢いよく教室内のロッカーが開いたと思ったら、その中から雉丸トリノが飛び出してきた。

「えっ! どうしてトリノがここにいるの?」

「あら雉丸さんじゃない。何しに来たの? 部外者は出て行ってもらえないかしら?」

「ボクを特進クラスに入れない手はないよ。なんたってボクはトーコより頭いいんだからね。東大の数Ⅲはもちろん、MITにだって楽勝な人材なんだよ。いままで受けた模試の結果を理事長に見せたら是非ともウチに来てくれって言うから来てやったんだよ」

「行動早すぎないか?」

 トリノとは昨日会ったばかりである。

 僅か一日で手続きって終わるものではないだろう。

「甘いなケンイチ。思い立ったら即実行しないと。それに前の学校はトオルちゃんが居なくなったと分かった時点で辞めちゃったからさ、編入時の障害はなにも無いよ」

「編入するのは勝手だけど、このクラスは私のものよ。貴女の席は何処にも無いわ」

 どうあっても桃子はトリノを入れたくないようだ。

「そんなこと言って大丈夫? トーコは絶対ボクの助けが必要になるよ。後から泣きついてくるトーコを見られるのは楽しそうだけど、ボクとしては早く合流したいから、いま迎え入れておいた方が得策だと思うんだけど?」

「何故貴女が必要になるのか教えて貰いましょうか?」

「だってトーコって人に何か教えるとか、そういうのド下手くそじゃないか。トーコにケンイチの学力を東大レベルまで引き上げることは不可能だよ。これだけは断言できるね」

「貴女なら可能だと言うの?」

「そうだね。トーコよりはマシだと思うよ。ボクはレベルの低い人間にも対応可能だからね。トーコはケンイチが難問にぶつかっても、何故解けないのか分からないだろうけど、ボクには分かるし教えることも出来るよ」

「そこまで大言を吐いたからには、あとで出来ませんでしたじゃ済まないわよ?」

「大丈夫大丈夫。ボクに任せといて」

 いつの間にか健一を東大に合格させるクラスということでほぼ全員の意見が一致しつつあった。

 もちろん。当事者である健一を除いてである。

「おい待て! オレは東大なんて行かないぞ。勝手に人の進路を決めるな」

「おかしいわね。空耳かしら? ねえ透さん。犬飼くんが何か言ったようだけど、なんと言ったか分かる?」

「えっと、健ちゃんは東大に行きたくないって言ってるみたい。あっでも行けるものなら行きたいとは思ってるはずです」

「そう。犬飼くんは東大に行きたいの? それとも行きたくないの? どっちなの?」

 桃子が健一の瞳を真っ直ぐに見据えて尋ねる。

「そ、そりゃ行けるもんなら行きたいさ。でも行けるわけないだろ」

「わかったわ雉丸さん。貴女には犬飼くんの教育係をお願いできるかしら?」

「うへへ。りょーかーい。覚悟しろよケンイチ。一日一八時間は勉強して貰うからな」

「一日一八時間って、寝る時間は?」

「睡眠時間は五時間で、残りの一時間が食事とトイレタイムだよ」

「ごめんなさい。東大諦めます。Fランクの大学でいいです」

「フン。一日一八時間ですって? 全然お話しにならないわ。それだけ勉強すれば雉丸さんが教えなくても東大くらい馬鹿でも受かってしまうわ。貴女に任せた理由はもっと効率的に短期間で犬飼くんを鍛えられると思ったからよ。普通の教育方法と替わりないというのなら、貴女はここに必要ないわ」

「アハハ、冗談だよ。冗談。そうだな~。一度ケンイチの学力を測ってみないと分からないけど、学校に居る間はボクが教えてあげたとして、帰って二~三時間、ボクが作成した問題集に取り組んで貰えれば、まあ文Ⅰくらいなら受かるんじゃないかな?」

「学校から帰ってまで勉強させるの? 授業時間だけでは無理なの?」

「流石に無理だよ。ボクやトーコは何もしなくても受かるけど、ケンイチは凡人なんだよ? ひょっとしたら凡人以下の可能性だってある」

「仕方ないわね。まあいいわ。犬飼くんそれでいいかしら?」

「嫌とは言えないんだろ?」

「もちろんよ」

「あ、あたしはどうすればいいのかな?」

「トオルちゃんもボクがたっぷりと教えてあげるよ~! なんだったら家庭教師をしてあげるよ。対価は一教科につき一ハグでいいよ。おっぱいを揉ませてくれるなら、ボクがお金を払ってもいいよ。というか揉ませてよ」

「やだよ」

「トオルちゃんのケチー」

「犬飼くん。ここは騒がしいわ。屋上へ行きましょう」

「なぜ屋上?」

「私が行きたいからよ。他に理由が必要かしら?」

「あ、あたしも行きます」

「トオルちゃんが行くならボクも!」

 そんなことを言い合ってるうちに、一時限目のチャイムが鳴った。


 こうして、一年一人、二年二人、三年一人の計四名の、特進クラスが設立された。

 有名大学合格確実なトリノと桃子が二、三年生に居るため、今後二年間は有名大学合格者輩出という実績が約束されたのだ。

 そのためなら、学校の空き教室を使用した特進クラスの新設することなど、なんら造作もないことだった。

 むしろ学業はできるが、対人コミュニケーションに問題がある桃子を隔離できるという意味でも、この特進クラスの存在は両者の利害が一致していた。

 健一はそのための生贄、犠牲となったのだ。


 特進クラスには決まった授業は無く、朝に出席を取ったなら、後は何をしていても構わなかった。

 一応担任教師は居るが、本来なら担任になどなれない新人教師が出欠を取るだけという、形だけの担任だった。

 基本的に自習によって授業が行われるので、教科担当を割り振る必要も無く、学校としては何もしなくても良いという、まさにウィンウィンな関係と言えた。

 また、課外授業や合宿もOKなので、事前に申請させしておけば、登校しなくても出席扱いになる。定期的に行われる模試や試験さえ受け、その結果が学校側の望む水準以上であれば何一つ文句は言われない。



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