第14話

 帰宅後、健一たちを待っていたのは桃子のプチ歓迎会だった。

 息子の健一ですら見たことが無いような料理が山のように並んでおり、買ってきたのかと尋ねたら母親自らが腕によりをかけて作ったとのことだった。

 どの料理も美味しそうで、普段どれだけ手抜きをされていたのかと思うと健一は悲しくなった。

 また、とても一度では食べきれない量だったので、残った料理は明日の弁当になりそうだった。

「ご馳走様でした」

「いつもありがとうございますおばさん」

「いいのよ~。おばさんこういう苦労なら買ってでもしたいくらいだわ。なに作っても無反応な男たちと違って、年頃の女の子たちと一緒に夕飯を食べれレるなんて夢のようだわ。もちろん透ちゃんのお母さんには悪いと思ってるのよ」

「いいえ、お母さんとても助かるって、いつも一人で夕飯を食べさせてたから、おばさんたちと一緒にご飯を食べるようになったと聞いてとても喜んでました」

「そうなの? それならいいんだけど。今度お母さんも一緒にご飯を食べましょうね」

「はい。その時はわたしとお母さんが頑張って作るので、美味しくないかもしれませんけど食べてくださいね」

「おばさんうれしいわ~楽しみにしてるわね透ちゃん」

「ごちそうさん」

「あ、健一、食器を片付けたら、お風呂を掃除してお湯を入れてくれる?」

 感情の無い事務的な口調で母親がそう告げる。このテンションの落差はなんだと思いながらも、健一は素直に従った。

「はいよ」

 健一は食器を持ってテーブルを離れ、シンクに食器を浸けてから風呂場へ向かう。

 リビングからは女の子たちの談笑が響いてくる。

 母親にとってみれば、娘が増えたような気がして嬉しいのだろう。

 浴槽の掃除を終えて、お湯を入れ始めた健一は、ガールズトークの邪魔をするのは気がひけたので、再びリビングに戻ることはせず、そのまま自室へと向かった。

 そうしてそのままベッドに横になり、しばらく天井を眺めていると眠たくなってきた。

 ほんの少し休憩をするつもりだったが、いつの間にか健一は熟睡してしまった。


 健一が熟睡している空白の数十分。

 その間、犬飼家の浴室では、年頃の娘が二人、互いを牽制しながら身体を洗っていた。

「猿渡さんの身体って男の子が喜びそうで羨ましいわ」

 皮肉が少し交じっているとはいえ、珍しく桃子が人を褒めていた。

「じ、陣羽織先輩の方が数倍綺麗じゃないですか。なんですかその肌の艶というか張りは。反則ですよ。それにプロポーションも抜群じゃないですか」

「いくら綺麗でも異性をその気にさせられない身体は女として問題があるわ」

 桃子は昨日いくら迫っても手を出してこなかった健一の事を思い出し、自嘲気味に呟く。

「そ、そんなことないですよ」

「その話はいいわ。それよりあの面食いの雉丸トリノを虜にするんですもの。それだけでも凄いことよ」

「トリノと先輩は従姉妹なんですよね?」

「残念ながらその通りよ。あなたも大変ね。あんな変態に付きまとわれるなんて、私で良かったら相談に乗るわ」

「あはは、ありがとうございます」

 変態度はトリノと同じくらいだと思っていた人物に相談に乗ると言われたので、当惑しつつも透はペコリと頭を下げる。


「ところで猿渡さん」

「あ、あの、透でいいですよ」

「それでは透さん」

「はい。なんでしょうか」

「犬飼くんについて知ってることを教えて貰えるかしら」

「健ちゃんのことですか?」

「そうよ」

「知ってることと言っても色々あって、具体的に聞いて頂けると答えやすいんですが?」

「そうね。では好きな女の子のタイプはどうかしら」

「し、知りませんよ。むしろあたしが知りたいくらいですよ」

「知らないの? 幼馴染なら知ってて当然の情報じゃないの?」

「そういう幼馴染もいるかもしれませんけど、あたしと健ちゃんが遊んでたのって小学生低学年までで、それ以降は挨拶するくらいで最近になってまたよく話すようになっただけだから、大きくなった健ちゃんがどんな女の子が好きなのかとかは知らないです」

「なるほどね。それじゃあ、ひょっとして犬飼くんの性癖やエログッズの隠し場所も知らないの?」

「あ、当たり前です。そもそも陣羽織先輩はそんなことを知ってどうするつもりなんですか?」

「知りたいからよ。透さんは知りたくないの?」

「し、知りたいか知りたくないかと言われたら、そりゃちょっとは知りたいと思いますけど」

「知ってどうするの?」

「そ、それはその……」

 透は答えに窮してオロオロしている。

「まあいいわ。風邪を引くから早く浴槽に入りなさい」

「あ、はい。ありがとうございます」

 透は逃げるように湯船に浸かった。

「そういえば、私たちがお風呂に入った後に犬飼くんが入るのよね?」

「そ、そうですね」

「若い女の子のエキスが詰まった湯船を前に、犬飼くん興奮するかしら?」

「ど、どうでしょう? あまり気にしないのでは?」

「入る前に匂いを嗅いだり、お湯を飲んだりはしないかしら?」

「健ちゃんはそんな変態じゃないよ」

「それは透さんの願望でしょ。真実の犬飼くんの姿なんて誰も知らないわ。本当は湯垢を舐め取るような変態なのかもしれないわよ」

「か、仮にそうだったとしても別にいいですよ。逆に汚いって言われてお湯を払われる方が傷付きます」

「そうね。もしそんな罰当たりなことをしたら、私も犬飼くんを許せないわ」

 桃子はそう言いながら浴槽に入ろうとする。

「あっ、あたし出ますね」

「その必要はないわ」

 桃子は透の両肩を抑え、出られないようにしてゆっくりと肩まで浸る。

 桃子の体積分、浴槽からお湯が流れてゆく。

「ああ、勿体ない」

「そうね。大切なエキスが流れちゃったわね。でも大丈夫よ。少ない量に凝縮された方が、きっと犬飼くんも喜ぶわ」

「い、いえ、単純にお湯が勿体ないなと思っただけで……」

「そういう考え方もあるのね。斬新だわ」

「あはは」

 ごく一般的な普通の発想を斬新と思える桃子に、透はどう対応して良いか分からなくなっていた。

 なにせ、こうまで意図したことを汲み取ってくれない人と会話したのは初めてのことだ。

 トリノでさえ、言うことは下品で鬱陶しかったが、会話が成立しないわけでは無い。

 そういう意味ではトリノを相手にする以上に疲れる相手だと透は思った。

 それと同時に、健一がこういう噛みあわない会話を強いられてきたのだと知りった透は、健一を可哀想と思うと同時に、忍耐深いなと感心した。


「ところで透さんは、犬飼くんのことをどう思っているのかしら?」

 透は内心ドキリとした。

 いつか尋ねられるだろうとは思っていたので、ある程度心の準備はしてたものの、こんな場所で、いやこんな場所だからこそ尋ねたのかもしれないと思い直した。

「あ、あの、どう思うかっていうのは、その好きとか嫌いとかって意味ですよね?」

「違うわ」

「ええっ! 違うんですか。それじゃいったい?」

「具体的に言うと、犬飼くんの子供を産みたいか産みたく無いのかという質問よ」

「そっ、それは飛躍しすぎではないでしょうか?」

 あまりにもストレート過ぎて想定すらしていなかった問いに、透はパニックを起こし返答することができなかった。

「飛躍も何も、誰かの子供を産みたいと願うのは、女の子にとっての最終目的みたいなものではないかしら?」

「そ、それはそうですけど……。陣羽織先輩は健ちゃんの子供が欲しいんですか?」

「欲しいわ。むしろ犬飼くんでなければ駄目ね」

「そっそうなんですか」

「あなたは私の脅威になる人かと思ったのだけど違ったみたいね。ごめんなさい。変な質問をしてしまったわ」

 桃子は浴槽から立ち上がり、脱衣所へと向かおうとした。

「い、いえっ! 待って下さい」

 桃子は透に背を向けたまま立ち止まった。


「あ、あたし健ちゃんの事好きです。小さいころから好きです。だから健ちゃんと恋愛できたらいいなって思ってました。その先の事は考えてなかったけど、いまは結婚できたらいいなって思います。子供も欲しいです」

 透は外に聞こえるのではないかというくらい大きな声でそう宣言した。

「そうだったの。透さんって欲張りなのね」

「よ、欲張りって、普通それくらい願いませんか?」

「いいえ欲張りよ。恋愛に結婚、そうして子供まで欲しいなんて贅沢の極みだわ」

「……えっと、全然分かりません。どうしてそんな結論になるんですか?」

「私は子供だけでいいわ。それだけで満足するわ」

「それってシングルマザーでも良いということですか?」

「そうじゃないわ。恋愛と結婚と出産のどれか一つを選べと言われたら、出産を選ぶということよ。他の事がしたくないわけじゃないわ」

「あの。失礼を承知で言わせてもらいます。あたしには先輩が言ってることの意味がさっぱりわかりません。その三つってセットになってるんじゃないですか?」

「透さん。あなたお見合い結婚の人をディスってるの?」

「い、いえ! そういうわけじゃ……」

「それじゃ不妊症の人を馬鹿にしてるの?」

「違いますよ! というか結婚した人はみんな不妊症になるんですか!」

「なるわけないでしょ。ただ結婚しても妊娠できない人がいることは事実よ。私が言いたいのは、私には妊娠や出産は出来ても、恋愛や結婚は出来ないと言うことよ」

「どういうことですか?」

「あなた天然なの? それとも知ってて馬鹿にしているのかしら?」

「ば、馬鹿にするなんてとんでもない! 知りません。本当にわかりません。いったいなんのことですか?」

「落ち着いて考えれば分かるはずよ。同性の友達すら居ない私に恋人を作るスキルなんて持ち合わせているわけないじゃない。それで恋愛や結婚が出来ると思ってるの? 仮に結婚できたとしてもすぐに破綻するに決まってるじゃない。それくらい察しない」

 なるほど。と透は納得しかけたが、すぐにその考えを振りはらった。

「駄目ですよ。そんな悲しい事言わないでくださいよ」

「悲しいけど事実よ」

 背中を向けているので表情は分からなかったが、その声だけで桃子の抱えている寂しさの欠片が、透の中に流れ込んできた。


「先輩! あたしからも質問していいですか?」

「いいけど手短に頼むわ」

「先輩は健ちゃんのこと好きなんですか?」

「そうね。お砂糖ほどには好きよ」

「先輩は健ちゃんと付き合いたいんですか?」

「そうなれば人生のスパイスにはなるでしょうね」

「先輩は健ちゃんと結婚したいんですか?」

「それはステキな考えね」

「分かりました」

 桃子の答えを聞いた透はにんまりと微笑んだ。

「なにが分かったというの?」

「先輩が女の子として健ちゃんのことを大好きだってことがですよ」

「どうしてそう思ったのかしら?」

「それは先輩があたしが思ってる以上に女の子だったからです」

「よくわからないわ」

「あたし無教養だけど、ひとつだけマザーグースの歌を知ってるんです」

「それがどうかしたの?」

「だって先輩が言った“お砂糖”と“スパイス”と“素敵なこと”ってあれですよね。女の子って何でできてる? の答えですよね。それってつまり、女の子にとって必要なものと同じくらい健ちゃんが必要というか好きってことですよね」

「そうね。よく分かったわね。ちなみに男の子は何でできてるんだったかしら?」

「男の子は確か、ぼろきれと、カタツムリ、それから、え~と、えっと……」

「子犬の尻尾よ。そんなものでできてるのよ」

「そうそう。子犬の尻尾! そうでした!」

 二人は犬の尻尾という単語が、健一にぴったりだったので、思わず顔を見合わせて笑った。

 それは、二人の意識が始めて同じことを共感できた瞬間でもあった。


「あの、陣羽織先輩!」

 ひとしきり笑い転げた後、透が桃子に呼び掛ける。

「なにかしら? そろそろ湯冷めしそうなんだけど?」

「先輩の事、桃子さんって呼んでいいですか」

「いちいち許可は要らないわ。好きなように呼ぶといいわ」

「あともう一つだけ」

「まだなにかあるの?」

「ええ、あたし欲張りなんです。あのですね桃子さん。あたしと友達になってください」

 透のその台詞によって、桃子の肩がブルっと震えた。それは寒さによるものではなく、動揺から生じたものだった。

「まったく。簡単に言ってくれるわね。友達ってなりたくてなれるものじゃないわよ」

 やや呆れたように桃子が呟く。珍しく正論だった。

「分かってます」

「それにあなた私の友達なんて思いつきで言ってるなら、あとで死ぬほど後悔するわよ」

「確かに思い付きです。だけど大丈夫です」

「大丈夫という根拠は何かしら? 言っておくけど私しつこいわよ?」

「しつこいのはトリノで慣れてます!」

「そうだったわね……いいわ。好きにすれば」

「好きにさせて貰います。ありがとうございます」

「どう致しまして。それじゃ私は湯冷めする前に上がらせて貰うわ」

「はい!」

 桃子は透に背を向けたまま、浴室を後にした。


 食後、気持ち良くうたた寝していた健一は、なにか固い棒のような物で臀部を叩かれ、文字通り叩き起こされた。

「いってーーー!」

 飛び上がるようにベッドから降り立つと、目の前には桃子が木刀を脇に抱えて立っていた。

 湯あがりなのか全身が仄かに朱に染まっており、なかでも顔は紅潮したように真っ赤に染まっていた。

「いきなりなにすんだよ!」

「犬飼くんは本当に酷い人ね」

 よく見ると桃子の瞳には大粒の涙が溜まっているように見えた。

「な、泣いてるのか? どうした? ひょっとして透と喧嘩でもしたのか?」

「泣いてなんかいないわ」

 ごしごしと涙をぬぐい、健一を睨む桃子。どう見ても泣いていたとしか思えなかった。

「この、幸せ泥棒! リア充の変態っ!」

 桃子は意味不明の悪態を吐くと、健一の部屋から出て行った。

「な、なんなんだいったい?」

 健一は理由も分からずベッドにへたり込んだ。

「とりあえず風呂にでも入るか」

 桃子が風呂から上がったので、風呂場には誰もいないだろうと、健一は着替えを持って浴室に向かった。


 健一が浴室のドアを開けると、下着姿の透と鉢合わせてしまった。

「あっ、あれ? 帰ったんじゃ……」

「けけけ、健ちゃん。なんで?」

「ごめん。陣羽織が風呂から上がったみたいなんで、てっきり誰も入って無いのかと」

 健一は浴槽のドアを閉めて部屋に戻ろうとした。

「あっ! 健ちゃんちょっと待ってて!」

「お、おう!」

 しばらく待ってると、浴室から入っていいよと許可が出たので、健一は緊張した面持ちでドアを開ける。

 透は着替え終わったようで、噴き出す汗をタオルでぬぐっていた。

「桃子さんが言ったの?」

「言ったって何をだ?」

「その、風呂に入れとかなんとか」

「い、いや、いきなり部屋に入ってきて叩き起こされて、なんか悪態吐いて出てった。一応陣羽織の格好から風呂上がりだって分かったから誰も入って無いと思った次第でして」

「そっか。よかった。一瞬でも桃子さんを疑った自分が恥ずかしいよ」

「疑うって何をだ?」

「うん。てっきり桃子さんがそそのかして健ちゃんが覗きにきたのかなーって」

「いやいや、あいつ非常識極まりないけど、そういうことはしないんじゃないか? むしろオレが陣羽織以外の女の裸を覗こうとしたら全力で阻止するんじゃないか」

「うん。そーだね。あとで桃子さんに謝らないと」

「ところでさ」

「どうしたの健ちゃん?」

「さっきから気になってたんだが、陣羽織のことを桃子さんと呼んでるのは何故だ? 脅迫でもされたのか?」

「違うよ~。あたしがそう呼びたいって言ったの。桃子さんも好きにすればいいって言ったからそうしてるの」

「そ、そうか。だがくれぐれも深入りするなよ」

「どうして?」

 不思議そうな表情の透に、健一は一抹の不安を覚えた。

「どうしてって……。あいつがどれだけ危険な奴か、かなり丁寧に伝えただろ?」

「そうだっけ? 桃子さんとじっくり話してみたけど、とてもそういう風には見えなかったよ? 仮にそうだったとしても、もう手遅れかもしれなかったり……」

 えへへと透は笑いながら頭をかく。

「どういうことだ?」

「えっとね。あたし桃子さんと友達になったの」

「なっ! どういうことだ? 脅迫か? いや、洗脳でもされたのか?」

「洗脳ねぇ。うーん。どうなんだろ。そうかもしれない。でも心配ないよ」

「いやいや心配はするだろ。なんだったらオレが陣羽織に透にだけはちょっかい出すなと言ってやろうか?」

「それは駄目! 絶対にそんなこと言ったら駄目だよ。そんなことしたら健ちゃんとは絶交だからね!」

 珍しく透が語気を強めて怒ったので、健一は驚いて一歩引いた。

「え? だって透、おまえ迷惑じゃないのか?」

「健ちゃんは桃子さんを誤解してるよ」

「いや、オレはオマエの方が洗脳されてると思うのだが……」

「桃子さん可哀想……。まあいいや。今日は帰るね。健ちゃんはもう少し桃子さんと話し合ってお互いを理解した方がいいと思うよ」

 透はそういうと、浴室から飛び出して、リビングへ向かい、母親にお邪魔しましたと告げると、玄関のドアを開けて家に帰って行った。



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