第13話

 喫茶店には客が一人だけ居た。

 長い黒髪の女性で、エスプレッソコーヒーの香りを楽しんでいたかと思うと、一気に飲み干しテーブルに容器を勢いよく置いて健一たちを伺っていた。

 健一はある程度予想していたので、あまり驚きはなかった。

 だが、目の前の女性、陣羽織桃子の行動パターンを読めるようになった自分自身に後悔というか、なんとも言えない嫌悪感を抱いてしまう。


「け、健ちゃん。ひょっとしてあの人……」

 透もどうやら気付いたようだった。

「言っとくけど別に待ち合わせしてたわけじゃないぞ。でも悲しいかなこうなる予想みたいなものがあったのは事実だ」

「そ、そうなんだ」

「慣れって怖いよな」

 健一は軽く深呼吸すると、桃子の前まで歩いて行く。


「家に帰ればこんなにカワイイ女の子が待ってるというのに、ワザワザ寄り道して帰るなんて、犬飼くんってホント酷い人よね」

 黒髪の女性、陣羽織桃子が、振り返りもせずそう呟いた。

「家に帰るより早く会えたんじゃない? ところで相席いいかな?」

「もちろんよ。むしろ端の席に座りでもしたら、犬飼くんは今夜就寝したら二度と目覚めることはなかったわよ」

「そりゃよかった」

「まあいいわ。犬飼くんはここに座りなさい。あの二人は……どこだっていいわ」

 桃子は健一に隣に座るよう強要する。

 対面よりはマシかなと思ったので健一は快諾する。

「わかったよ」

 健一は透とトリノを手招きすると、二人は恐る恐る近付いていた。

 するとトリノが桃子に気付いたらしく、透を追い抜き足早に近づいてくる。

「あれ? 誰かと思ったらトーコじゃん。なにしてんの? って聞くだけ野暮だったね。いつもの妄想タイムだよね」

 桃子を前にしたトリノがゲラゲラと笑いながら声をかける。

「えっ! オマエら知り合いか?」

「いいえ初対面よ。もしかしたら過去に会ってるかもしれないけど。ごめんなさい、よく覚えてないわ」

 ばっさりと切り捨てるように桃子が答える。

「そうなのか?」

 桃子は平気で嘘をつくので、確認のためトリノに尋ねる。

「トーコとは従姉妹だよ。お前トーコなんかと付き合ってんの? 変った奴だな。トーコの容姿に騙されたのか? それとも性格を熟知したうえで付き合ってる変態か? なるほど。だからボクのトオルちゃんに付きまとってたんだな!」

「付き合ってねーし、色々うるせーよ。それはそうと従姉妹って言ってるぞ?」

「そうだったかしら。でも親戚といっても付き合いが無ければ他人も同じでしょう。犬飼くんにだって一度も会ったことが無い親戚の方とか居るでしょう?」

「それはそうだけど、そうなのか?」

 まるで通訳のように、桃子とトリノの間に立って問い合わせる健一。

「ん~? 毎年盆暮れ正月には嫌でも顔を合わせてるよ。でもトーコはそういう席は大の苦手だから、あんま顔出さないんだよ。引きこもりって奴? ヒャハハ」

「なるほどな。だと言ってるが?」

「言いがかりね。雉丸さんが小さ過ぎるから、居るのに気付かなかっただけだと思うわ」

「さっき初対面って言った割にボクの名字知ってるなんてすごいね。ひょっとしてアレ? 桃子の中に眠る神々の力がそれを可能にしてんの? つかまだ中二病患ってんの? トーコはもう高二じゃなかったっけ? 中二病が許されるのは中学までなんだよ?」

「あなたは中二どころか小学生レベルで色々止まってるわね。肉体年齢や精神年齢とか」

「いいんだよボクは。ボクはこの容姿を余すことなく活かすことができるけど、トーコはどうなの? その無駄に整った端麗な容姿を活かして友達の一人でもできましたか~? もしもーし。それともまだボッチなんですか~?」

 両手を頭に乗せクルクルと振り、舌をベロベロ突き出しながらトリノは挑発する。

 どこから見ても生意気な小学生が大人をからかっているようにしか見えない。

 それにしても健一本人が馬鹿にされているわけではないのだが、見ているだけで無性に腹が立ってくる。

「お生憎さま。友達なら居るわよ。ほら!」

 突然桃子は健一の腕を掴んで自分の方へ引き寄せる。

「友達ぃ~? ねえアンタ。本当にトーコの友達なの? どうせ訳の分からないこと言われたり脅されてりしてんじゃないの?」

 図星だった。

 だがここで正直に友達じゃないと答えてトリノを喜ばせるのだけは、なんとしてでも避けたい気持ちになっていた。

「ま、まあ、友達と言ってもいいくらいの関係にはあるんじゃないか? それよりもういいだろ。二人が従姉妹っていうか親戚というのは納得したからいいよ。続きはオレがいないところでやってくれ」

 そして思う存分潰しあって欲しい。というセリフを健一は飲み込みつつ話題を変えようとした。

「お断りだわ。二人きりでこの人と話すことなんて一生ありえないわ」

「ボクだってそうだよ。聴衆の前でトーコを苛めて羞恥に耐える姿を見るのが面白いのに、誰もいないところで苛めたって面白さ半減だよ」

 桃子とトリノのやりとりを聞いた健一は二人の血というか業の深さを思い知った。

「陣羽織先輩とトリノが従姉妹だったなんて……。少し納得かも」

 透の呟きに健一は無言で同意する。


「ふん。まあいわ。ところで貴女たちは私に何か用なの? もちろん犬飼くんはいいのよ。私に会いにきたということは分かってるから」

 誰が相手でも言動にブレがない。健一は改めで桃子の強メンタルに恐怖を覚えた。

 桃子はまだ健一の腕をつかんで離さない。

 それどころか健一の身体が斜めになるくらい強く引き寄せていた。

「別に陣羽織先輩に用があったわけじゃありません」

 透はそう言うと、桃子の真正面にどすんと座る。度胸あるなと健一は感心した。

 トリノはニヤニヤと微笑みながら透の隣でオレの正面、桃子とはある意味一番遠いところへ座った。

 そうして開口一番。

「アンタ、ケンイチだっけ? そんでもうトーコとはヤったの?」

 トリノが左手で輪を作り、右手の人差し指をその輪に出し入れする。

「いきなりなにを言い出すんだオマエは!」

「この女は見た目こそ幼いが、その中身は脂ぎった中年オヤジと同じ思考の持ち主よ。いちいち言動に構う必要はないわ」

「なんだ。まだなのか。ちなみにボクとトオルちゃんは女の子同士だから道具無しに本番は不可能だけど、精神的には繋がってますから。そりゃもうズップシと子宮の奥まで繋がってるから軽くこすっただけでイキそうになるくらいだよ!」

「つ、繋がってない! なに適当なこと言ってるのよ」

 ゴツンっ! と透のゲンコツがトリノの脳天に振り下ろされる。

「ぎゃーーー! トオルちゃんがブった~」

「相変わらず馬鹿丸出しね。そんなだから鳥頭のトリノと言われるのよ」

「ボクは自分に正直なだけだよ。空想の世界で遊んでるトーコにだけは言われたくないね」

「殺すわよ?」

「ボクより弱いくせに?」

「いつの話をしているのかしら? あれから一〇年以上経ってるのよ。心身ともに成長した私が、いまだ未成熟の貴女に負けるわけが無いわ」

「おいおいやめろって。喫茶店でするような話か? それに陣羽織さんも大人げないだろ。相手は年下なんだから」

「なにを言ってるの犬飼くん? まあ彼女の容姿を見たら勘違いするなと言う方が酷というものね」

「どういうことだ? なにを言って……」

「あ、あのね健ちゃん。トリノはね」

「ボクは三年生だよ。ケンイチがトーコと同学年かそれ以下なら、ボクの事を先輩と呼ばないと駄目だよ」

「さ、三年生だと? 嘘だろ!」

「残念だけど現実よ」

「あたしも最初はびっくりしたんだよね。えへへ」

「でも透、オマエ“トリノ”って呼び捨てにしてたじゃないか? そしたら普通は同級生だと思うだろ」

「う、うん。あたしもトリノの歳を聞いて慌てて先輩って付け加えたんだけど」

「ヤダ! 断固拒否する!」

「って言われちゃって、ずっとトリノのままなの」

「そんじゃオレはなんて呼べばいいんだ?」

「そうだな~。男に名前を呼ばれても嬉しくないから、ケンイチには雉丸先輩とでも呼んで貰おうか」

 健一は、目の前の小学生みたいな女の子を先輩と呼びたく無かった。

「つか“雉丸さん”でいいだろ。学校違うし」

「ふふ、甘いなケンイチ。そんな考えではこの先生きのこれないよ」

「なんでだよ?」

「ケンイチはボクの事を先輩と呼ぶよ。呼ばざるをえなくなると予言しよう」

「どういう……、ま、まさかトリノっ!」

 透が何か気付いたようだ。

 その透の閃きが伝染し、健一にもトリノがなにをするつもりなのか分かった。

「ひょっとして透を追っかけで転校してくるつもりか!」

「ギャハハ、正解。よくわかったな。ボクはそこの並の秀才と違って大秀才だから、編入したいと言えば菓子折り持ってお願いされても良いくらいの人材だから余裕だよ」

 とてつもなく頭が悪そうな発言を連呼しておいて、今更頭が良いと言われても、にわかには信じることはできなかった。

「なあ透。この人頭いいの?」

 健一は透に耳打ちして尋ねる。

「うん。確か全国模試日本一だったと思う。でも偽名で受けてるから学校には秘密なの」

「なんでそんな回りくどいことするんだ?」

「そりゃボクが大秀才って知れたら学内で目立って色々と行動に制約がかかるだろう? だから学校のテストなんかはあえて平均点をちょっと上回る程度に調整してるんだよ。まあどこかのおバカさんは全力出しちゃって、悪目立ちして教師から要らぬ期待を背負っちゃったりしてるけどね」

 トリノは桃子を一瞥し、呆れたように呟く。

「意外と腹黒いんだな」

「計算高いと言ってよ。トーコはどうせ後先考えずに行動してケンイチに迷惑かけてんだろ?」

 またもや図星だった。

 全くその通りだと思ったが、肯定すると後でネチネチと言われそうなので健一は明確な意思表示は避け、愛想笑いを洩らすしかなかった。

「色々と不愉快だわ。犬飼くん帰りましょう」

 怒りを抑えた口調で桃子はそう言うと席を立つと、健一の襟首を掴んで無理矢理立たせる。

「帰れ帰れ、逃げ帰ってケンイチに愚痴を垂れ流してその流れで一発やってしまえ。ボクはトオルちゃんとストロベリートークを楽しむからウィンウィンだろ?」

「ふざけないで。健ちゃんが帰るならあたしも帰る」

「ええ~トオルちゃん。帰っちゃやだ~」

「惨めね。もう帰りましょう犬飼くん。すっかり暗くなってしまったわ」

「そうだな。透も帰るか」

「うん。帰るよ」

「ボクはどうすればいいんだよ!」

「いや、帰ればいいんじゃないか?」

「外は真っ暗じゃいないか。一人で帰れるか!」

「ひょっとして怖いから帰れないの?」

「マスター、タクシーを呼んでください。そうしてこの五月蠅い女を家まで届けるよう伝えて貰えますか?」

 マスターは桃子が全て言い終わる前に、受話器を取ってタクシー会社に電話をかけた。

「いまタクシーを呼んだから、それに乗って帰るといいわ。家の場所はタクシーの運転手なら名前を出せば勝手に連れて行ってくれるでしょう」

「トーコのアホ! バカ! 妄想オナニスト!」

 悪態を吐き続けるトリノを残して、健一たちは喫茶店を後にした。


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