第10話

 居間でボンヤリしている母親にドラマの筋書き尋ねると、目を輝かせて語りだした。聞いてもいない今後の展開予想までこと細かに喋り倒し、あっという間に三〇分くらい話し込んでいた。

 これくらい時間を稼げば大丈夫だろうと思った健一は、母親にお風呂に入ることを勧めて自室へと戻った。

 部屋に戻ると桃子はちゃんと服を着ており、ベッドに座って健一を待っていた。

 黒地に白いラインが入ったカワイイキャミソールと、赤を基調としたチェック柄のミニスカートに、膝下くらいまでの紺のハイソックス。はっきり言ってとても良く似合っており、とても綺麗だと思った。

 てっきりバスタオル姿のままでいて、再び迫ってくるかもしれないと警戒していただけに、少し拍子抜けした。

「どうしたの犬飼くん。少しがっかりしたような顔をしてるわね。まさか私がまだ裸でいるとでも思ったの?」

「いや、流石にそこまでは考えてなかったよ」

「でもこの下にはなにも穿いてないんだけど」

 桃子はミニスカートの裾を掴んで太股を見せつける。

 健一は慌てて視線を反らした。

「ところで母さんが風呂に入ってるから帰るならいまがチャンスだよ」

「帰るって?」

「いや、もう二二時だし、いい加減帰らないとウチの人が心配するんじゃない?」

「あれ? まさか犬飼くん。私を追い出そうとしているの?」

「追い出すって言うか、帰ったらどうかと提案してるんだけど?」

「私今日からここに住むつもりで来たんだけど?」

「はい?」

「よろしくね犬飼くん」

 にっこりと微笑んで桃子はお辞儀をする。

 その笑顔はいままで見たことが無いくらい無邪気で可愛らしく、思わず了承しそうな魔力を秘めていた。

「いやいやいやいや。よろしくじゃないよ。ここに住むってどういうこと? 着替えすらロクにもってきてないんだろ?」

「買えばいいじゃない。お金ならあるわよ」

 桃子は持ってきた袋から財布を取り出すと、その中から適当にカードを抜いて健一に渡した。

「なにこれ?」

「クレジットカードだけど? 見たことない?」

「いや、あるけどオレに渡してどうするの?」

「いくら暖かくなってきたとはいえ、まだ5月よ。ブラは仕方ないとして、せめてパンツくらいは穿いておきたいじゃない」

「そうだね。オレもそう思うよ」

「だから買ってきて」

「無茶言うなよ!」

「あら、最近はコンビニでも下着くらい売ってるわよ」

「それは知ってるけど、オレが買うのが無理だって言ってるんだよ」

「犬飼くんはこんな夜更けに女の子を、しかもノーパンノーブラ姿で買い物に行かせるほど酷い人だったの?」

「ノーパンノーブラはオレのせいじゃないだろ」

「そんなことはどうでもいいわよ。過程より結果が大事なのよ。いいから買ってきてよ」

「買ってくるのはいいけど、その前にひとつ確認しておきたいんだけど」

「なにかしら?」

「本気で泊まる気なの?」

「違うわ」

「よかった」

「住むのよ」

「いやだから駄目だろ」

「どうして? 私は犬飼くんのせいで学校を休学する羽目になったのよ?」

「復学すればいいじゃないか? 別に退学したわけじゃないんだから」

「どのツラ下げて復学すればいいのかしら?」

「あれ? 陣羽織さんって意外と世間体とか気にするんだ?」

「なんですって?」

「いや~陣羽織さんって意外とメンタルが弱いんだ。それじゃ仕方ないね」

「なにをどう解釈すれば仕方ないのかしら?」

「だって復学したら陰口を囁かれることになるから、それが耳に入るのが嫌なんだろ?」

「冗談じゃないわ。そんな陰口や噂なんか気にもならないわ」

「じゃあ復学すれば? むしろ休学するってことは、好奇の目から逃げ出したと思われるような気がするんだけど?」

「ふっ、ふふふ、確かにそうね。その通りだわ。私が逃げるなんてありえない」

「そうそう。陣羽織さんに退却や敗北なんて文字は似合わないよ」

「わかってるじゃない。そうよ。私には勝利の二文字しかありえないわ」

「そうそう。常勝無敗、一騎当千」

「ありがとう犬飼くん。尋ねてきて正解だったわ」

「うん。分かってくれてうれしいよ」

「それじゃ早く下着を買ってきて」

「分かった。任せてくれ」

 本当は女性の下着なんて買いたくは無かったが、これで桃子が帰ってくれるなら安い買い物だと、健一はコンビニへと向かった。

 ちなみに健一の母親はもう就寝していた。



 コンビニで恥ずかしい思いをして下着を購入し、それを桃子に渡す。

 パンツだけでいいかとも思ったが、ワイヤー無しのスポーツプラみたいなのも売ってあったので、ついでに買ってきた。

 色は白、黒、ベージュにグレーがあり、一番色気がなさそうなグレー色を買った。

 桃子が着替えている間、健一は台所へ行き、コーヒーなど淹れて部屋へ持って行く。

「安物だけど飲む?」

「ありがとう。いただくわ」

 桃子は健一が下着と一緒に買ってきたサンドイッチをチビチビと食べながら、コーヒーを口に含む。

「……薄いわね」

「生憎家にはエスプレッソマシンとか置いてないんだよ」

「あら、私が好きなコーヒーを覚えていたの? 犬飼くんってなんだかんだ言いながら私の事よく見ているわね。ひょっとしてストーカー?」

 ストーカーはあんただろうと叫びたくなったが、健一はぐっと堪え、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

「た、たまたまだよ。喫茶店でがぶ飲みしてれば嫌でも覚えるよ」

「それでも嬉しいわ。ありがとう犬飼くん」

 たまに魅せる桃子の笑顔は、不覚にも健一をときめかせてくれる。

 ギャップがありすぎるからだと健一は自分自身にキツめに言い聞かせる。

 不良がたまに優しいところを見せると実は優しい奴なんだと思われるように、電波で中二病な桃子がたまにマトモな事を言うとカワイイと錯覚してしまうのだろう。

 健一は惑わされないよう注意しないと、いつか籠絡されると本能的に悟っていた。



「ご馳走様。それなりに美味しかったわ」

「そりゃどうも。せわしなくて悪いけど、早く帰った方がいいよ。家の近くまで送るよ」

「帰る? 私が? どうしてかしら?」

「いや、どうしてもこうしても、陣羽織さん復学するんだよね?」

「もちろんするわよ」

「それじゃ家に帰らないと色々大変じゃないの?」

「ここから通えばいいんじゃない? 学校からも近いし」

「えっ?」

「どうしたの?」

「陣羽織さん。本気でここに住むの?」

「もちろん」

「復学は?」

「するわよ」

「家には?」

「帰らない」

「制服は? 教科書は? カバンは? 復学の手続きはどうするの?」

 健一は矢継ぎ早に足りないものを列挙し、家に帰るよう説得する。

「大丈夫よ。学校に必要なものは持ってきてもらうから。心配してくれてありがとう」

「いや、心配してるわけじゃなくて」

「そろそろ寝ましょう? ここ数日間、色々あって疲れちゃったわ」

 かるく欠伸をし、桃子はベッドの毛布に身体を滑り込ませ、横になった。

 それはもう絶対に帰らないという意思表示のようなものだった。

「……分かったよ住めばいいよ。そのかわりオレがここを出てゆく」

「出てゆくってどこへ行くつもりかしら?」

「そうだな。透のところにでも転がり込むかな」

「それは笑えない冗談だわ」

 桃子が上体だけ起して健一をじっと見つめる。

「それはオレの台詞だよ。ここ数時間の陣羽織さんの行動すべてが笑えない冗談だったよ」

「私の事はいいの。それより本気なのかどうか、よく考えた上で答えて貰えるかしら?」

 桃子の表情はさながら氷の彫刻のように冷たく無表情だった。

「本気だとしたら?」

「万が一にもそんなことはないと思うけど、本気だとしたら……そうね、殺すわ」

 よどみない、迷いのない一言だった。確実に実行するという気迫めいたものが伺える。

「えっと、それは半殺し的な意味での殺すってこと?」

「いいえ、全殺し、いえ皆殺しよ。撲殺と刺殺、どちらがお好みかしら?」

「どっちも嫌だな。それより皆殺しって具体的に誰が対象なんだ?」

「犬飼くんは当然として、あとは猿渡さんと犬飼くんに縁のある女の子たちよ」

「いや、オレはともかく透たち勘弁してやれよ。特にオレに縁がある女の子ってまるで関係ないというか完全なとばっちりだろ」

「そんなに猿渡さんが大事なの?」

「当たり前だろ」

「それは私よりも大切な存在……ということかしら?」

 どこから突っ込めばよいのか分からなかったが、桃子の脳内健一は、桃子の事を大切な存在と思っているらしい。

「…………」

 厄介な存在いう認識しかなかったので、まさかそんなふうに想ってると思われていたとは知らなかったので、健一は絶句するしかなかった。

「そう。迷うほど甲乙つけがたい存在というわけね。たかだか数十年付き合いがある程度の幼馴染にしてはやるわね」

「数十年って結構な年数だろ。オレと陣羽織さんなんか出会って数日しか経ってないじゃないか」

 正直、桃子だけは論外だったのだが、いつの間にか健一の大切な人ランクのトップ1、2に躍り出ている。もちろん桃子の脳内であり、健一の中ではそうではない。

 これはマズイ傾向だった。

「なにを言ってるの犬飼くん。私たちは初代桃太郎から何度も転生を繰り返し、その度に絆を深めてきた仲なのよ? 何十年どころじゃないわ。何百年、何千年という悠久の刻を幾度も邂逅している存在なの」

 久しぶりに桃子の口から電波というか中二病全開な台詞を聞いたが、健一はこういう痛い発言など、わざとやっているのではないのだろうかと疑い始めていた。

「犬っころの時の記憶なんてないしな」

「大丈夫よ。そのうち嫌でも思い出すわ。ううん。私が思い出させてあげる」

「それはどうも」

 色々と諦めた健一は、押し入れを開け、その中に収納してあるタンスの中からとあるマイナーなサッカーチームのレプリカユニホームの上下を取り出して、桃子が寝ているベッドの上に置いた。

「保土ヶ谷スナークス? 犬飼くんってサッカーファンなの? 私にもサッカーしろっていうの?」

「いや、そういうことじゃなくて、そのまま寝たら陣羽織さんの服がシワになるだろ。そんなんで良かったら着替えて寝なよ」

「ありがとう。犬飼くんにしては気が利くわね。でもこのセンスはどうかと思うわ」

 桃子はスナークスという聞いたことのないサッカーチームのレプリカユニホームをしげしげと眺める。

 チェッカーフラッグのように白と黒のブロック生地に、赤を黄金で縁取った盾形のチームエンブレム。トレパンもシャツと同じブロック生地というデザインだった。

「いや、格好いいだろ」

「こういう曖昧なの嫌いなのよ。白黒はっきりして欲しいわ」

「そういう理由かよ」

「まあいいわ。初日くらいは我慢しないとね」

 居座る気満々の言動だった。

「それじゃ着替えたらそのまま眠ってくれ」

 健一そう告げると部屋から出てゆこうとした。

「何処へ行くの? まさか本当にあの幼馴染のところへ行くつもりなのかしら?」

「行かないよ。流石にいまから行くのは非常識かつ迷惑だろ」

「では何処へ行こうというの?」

「陣羽織さんが着替える時間を利用して毛布を取ってこようと思っただけだよ。そんなに心配しなくても居なくなったりしないから」

「べ、別に心細いとかそういう感情は一切ないわよ」

「その辺の感情は期待してないよ」

「少しはしなさいよ」

「善処するよ」

 健一は今度こそ部屋を抜け出すと、物置と化している父親の書斎から古びた毛布を引っ張り出し、しばらく時間を置いて部屋に戻った。

「陣羽織さ……すげぇ、熟睡してる」

 健一が毛布を取りに行ってる僅かな時間に、桃子は眠ってしまったらしい。

 桃子が着ていたキャミソールとスカートは、シワにならないよう、ハンガーに吊るしてあった。

 どうやらちゃんと着替えてくれたらしい。

「オレも寝るか」

 健一は部屋の隅にあるクッションを枕にし、持ってきた毛布にくるまって眠りについた。



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