第5話

 健一は学校から数分歩いたところにある喫茶店にて身を潜めるようにコーヒーを啜っていた。

 その対面には陣羽織桃子が優雅に腰掛けてはいるものの、不機嫌極まりない仏頂面で健一を眺めていた。

 ちなみに学生である健一たちだが、授業中と思われる時間帯であるにも関わらず喫茶店に入っても咎められることは無かった。

 それどころか桃子はこの店の常連らしく、痩せた壮年の店主が「いつものでよろしゅうございますか?」と尋ねてきた。

 桃子は無言で頷き「こちらの方にはブレンドをお願いします」と健一のぶんのオーダーも忘れない。

 桃子は店主が持ってきたエスプレッソコーヒーを、まるでショットバーでウォッカを注文したロシアのオッサンがやるように一気に飲み干し、ターンと音を鳴らしてテーブルにカップを置いた。

 それが合図であったかのように、桃子が質問を始める。


「一服して落ち着いたところで質問の続きだけど、あの斉天付属の転校生は何者なの?」

 ちなみに健一は一服どころかまだ注文されたブレンドすら来ていない。

「うんそれね。何者って言われても、オレの隣に住んでる、ひとつ年下の女の子だよ。名前は向井透。お向かいさんだから向井ってよくからかったよ。いわゆる幼馴染ってやつで、両親が離婚して斉天付属に居るのが面倒になったからウチに編入するっことにしたらしいよ」

「どうして両親が離婚したら転校しなければならないの?」

「知らないよ。ただオレが聞いた限りだと、そういうスキャンダルはその学校で生きてく上で苦痛になるんだと。それにあの学校自体あいつの肌に合わないから心機一転したかったんだとさ」

「そうは思えないわね。彼女の目的は犬飼くんじゃないの?」

「オレが? どうして?」

 透も桃子と同じように、健一のことを犬の生まれ変わりだと認定し、猿の生まれ変わりの自分と鬼退治に行こうとか言い出すと思っているのだろうか。

「犬飼くんと同じ学校に通いたかったんじゃないの? 離婚はただのきっかけに過ぎないわ」

「ああそういう意味ね。なんか陣羽織さんがそういうこと言うとは思わなかったから、別の意味かと思ったよ」

「茶化さないで真面目に答えて」

「うん。まあそれも少しはあるんじゃないかな? でもあくまで一因に過ぎないと思ってるよ。家が近いとか共学だからとか他にも選んだ理由は沢山あると思うよ」

「要するに、あの娘は犬飼くんを追いかけてきたわけね」

「陣羽織さん。オレの話を全然聞いてないだろ」

「ちゃんと聞いてるわよ。聞いた上でそう判断したのよ」

「まあいいや。仮にそうだったとしてそれで何か困ることあるの?」

「別にないわよ」

 とても無いようには思えないほど不機嫌であることを隠さずに、桃子は吐き捨てる。

「無いなら話はこれで終わりだよね」

「終わりじゃないわよ。なにを寝ぼけてるの? 話はこれからじゃない。いまのは軽い雑談で、前菜みたいなものよ。これからが本当に大切な話なのよ」

「鬼退治関係なら断る!」

「あら犬飼くん。あなた自分に拒否権があると本気で思ってるの?」

 桃子が頬杖をつきながら呆れたように健一に視線を送る。

「ない……のかな?」

「ないのよ」

「そっか。ないのか~」

 健一の諦め口調に満足したのか、桃子はにっこりと微笑む。

「いい返事ね」

 それから健一は、一~二時間ほど桃太郎や鬼の伝説や伝記などの解釈を桃子より聞かされ続けることになった。


 健一たちが喫茶店を出たのは昼頃だった。

「午前の授業をサボってしまった」

「ちょうどお昼ごはんの時間ね。犬飼くんよかったら……」

「もう昼食か、透のやつ怒ってるだろうな」

「…………」

「え? 何か言った陣羽織さん?」

「なんでもないわ。犬飼くんはお昼どうするの?」

「いや、透と一緒に食べる約束をしてるけど?」

「やっぱりね。そんなことだろうと思ったわ。犬飼くんは過保護すぎるようね。それじゃ彼女には友達ひとりできないわよ」

「何故そんなことが言えるんだい?」

「だって私がそうだもの。自慢じゃないけど小学校からこの歳になるまで、友達なんて一人もいないんだから!」

「確かに自慢するようなことじゃないね」

「その私が言うんだから間違いないわ。転校初日に昼食を上級生の男子と食べてたりしたらクラスの噂になって友達なんかできっこないわ。むしろイジメの標的にされるわよ」

「そういうものなの?」

「そうよ。犬飼くんの容姿は中の上くらいだけど、上級生補正で上の下くらいになるから、やっかみの対象になることは必至だわ」

「へぇ。上級生補正とかあるんだ」

「女の子にとって年上というだけで、+αされるわ。彼女たちの年頃だと同学年は駄目ね。よほどのマイノリティーくらいしか興味を示さないわ」

「陣羽織さんって意外と女子のこと詳しんだね」

「なっ! それってどういう意味かしら? 女の私が女子に詳しくて何が意外なの」

「いや、そうじゃなくて、その、女子の派閥とか性格というかなんというか、そういう女子ルールに陣羽織さんは縛られないんじゃないかなって思ったから」

「もちろんそんなルールに従うつもりはないわよ。でも知らないのと知ってて守らないのじゃ違うわ」

「確かにそうだ」

「だから犬飼くんは幼馴染の娘と昼食を食べては駄目よ」

「陣羽織さんが言いたいことは分かったし、少し納得したけど、約束しちまったしな」

「断りなさい」

「それって命令?」

「そうよ」

 健一は少し悩んだが、この件に関してのみ、桃子の言うことに一理あるので、ここは素直に従うことにした。


「……まあ確かに陣羽織さんの言う通りだな」

 健一はスマホを取り出してメールを打つ。

 するとすぐに返事が来た。

「あはは、怒ってる。怒ってる」

「…………」

「どうしたの陣羽織さん?」

「そのスマホ、少し見せてくれない?」

「え? どうして? いくら陣羽織さんの頼みでもそれはちょっと……」

「違うわ。そのメールの宛名が気になっただけよ」

 陣羽織桃子は健一の腕を掴むと、その手を手前にぐいっと引っ張る。

「うわっ!」

「やっぱり違う」

「違うって?」

「犬飼くんの幼馴染って“向井透”さんっていうのよね?」

「そうだけど……あっ!」

「でもそのメールだと“猿渡透”と表示されているけど、それってどういうこと?」

 ひょんなことから透の新しい姓がバレてしまった。

 健一は旧姓が猿渡でと言い逃れしようかと思ったが、どうせそのうちバレるのは明白なので、いまのうちに正直に話した方が吉だと判断した。

「実は……」


 透の両親が離婚し、苗字が猿渡に変わったことと、それによってお供の猿に任命されるのではないかと危惧していたことを健一は暴露したが、桃子の反応はあっさりしたものだった。

「苗字が猿渡だからお供の“猿”の生まれ変わりだなんてナンセンスだわ」

「ちょっと待て! 昨日言ってたことを自分であっさりと否定すんなよ。陣羽織さんは昨日と今日で言うことがコロコロ変わっちゃう困った上司タイプなの?」

「そうよ悪い」

「…………」

 言い訳することなく思い切り肯定されたので、健一は絶句するしかなかった。

「少し誤解があるようだから補足させてもらうわ。昨日はそれが正しいと思ったからそのように行動したわ。それは間違ってないと確信しているのよ。でも今日はそういう気分じゃないの。お供の猿については別の方法で見つけないといけないって気がするのよ。わかる?」

「全然わからないよ。陣羽織さんが何を言ってるのか、それすら理解できない」

「それじゃ逆に尋ねるけど、犬飼くんはあの子を苛酷な戦いの渦中へと誘いたいの?」

「誘いたくないからあれこれ画策してたんだよ」

「なら問題ないじゃない」

「確かにその通りなんだけど、それじゃどうやってサルとキジを探すんだよ?」

「別に急がないからいいわ。半年、いいえ数年先になるかもしれないけど、それくらい長いスパンでじっくりと探すつもりよ」

「数年後って随分ゆったりペースだな。ところでひとつ聞いていいかな?」

「どうぞ」

「そのお供が揃うかもしれない数年先までオレは付き合わないといけないの?」

「そうよ」

 人の人生を数年間かそれ以上拘束するという宣言を、さも当然とさらりと述べる陣羽織桃子に、健一は軽い殺意を抱いた。

「陣羽織さんの最終目的は何? どうすればオレは解放される?」

「解放だなんて人聞きが悪いわね。いつ私が犬飼くんを拘束したっていうの?」

「いまとかさっきとか思い切りしてたと思うけどあれは拘束とは言わないの?」

「あんなの拘束って言わないわよ。ちょっとお茶してただけじゃない。本当に拘束する気があるなら鍵付きの地下室にでも放り込んで閉じ込めるわよ」

「怖い事言うな。まあわかったよ。それじゃ最終目的を聞かせてくれないか?」

「それはもちろん鬼退治よ」

「それは分かってるけど、どうやったら鬼を退治したことになり、桃太郎としての陣羽織さんと犬としてのオレがその苦役から解放されるの?」

「そうね。鬼というのは概念に過ぎず、人の心の隙間に取り憑いて悪事を働くというのはさっき話したわよね?」

「話したっけ?」

 喫茶店で桃子が話していたことを真面目に聞いてなかったので、健一はよく覚えていなかった。

「犬飼くんは“雉”生まれ変わりでもあるのかしら? でも鳥頭じゃ困るわ」

「いっそのことオレの中に犬と猿と雉の魂が入ってるって設定でもいいよ」

「それはいい考えね」

 探すのが面倒になったのか、有り得ない案を採用しかねない笑顔で桃子が頷く。

「冗談だから本気にしないでくれ。それより話を続けてくれないか?」

「失礼ね。犬飼くんが話の腰を折ったのよ」

「そうだっけ?」

「そうよ。それで鬼は人間の負の感情によって何度でも甦る性質をもっているから、物語での桃太郎のように鬼を退治して宝物を手にしておしまいというわけにはいかないの。次の転生者が生まれるまで戦い続けるしかないわ」

「次の転生者っていつ生まれるの?」

「それは分からないわ。でも条件さえ整えばすぐにでも生まれるわ」

「それいいね。次の転生者に望みを託してオレたちは楽隠居しようぜ」

「それは構わないけど、犬飼くんの協力も必要なんだけど大丈夫?」

「オレにできることなら喜んで手伝うよ。言っとくけどできることならね」

「それは大丈夫だと思うわ。ついてきてくれる」

「わかった」

 健一は桃子に言われるがまま、その後について行った。


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