第4話


「おっはよー健ちゃん。迎えに来たよ」


 昨日。透と一緒に夕飯を食べた際に編入は明日からと聞かされ、健一は口からおかずを噴き出すところだった。

 そうして母親が一緒に行ってやりなさいというので、今日は透と一緒に登校することになっていた。

「早いな。まだ準備できてないぞ」

「んじゃ待ってる」

 透は玄関先に座り、カバンから学校案内という冊子を取り出し読み始めた。

 健一は急いで支度し、朝食もそこそこに出発する。

「待たせて悪いな」

「別にいーよ。それよか早く行こう」

「ああ」

 透と一緒に登校する健一。

 住宅街を抜け、国道沿いの歩道に出ると、健一たちと同じように通学する生徒たちがちらほら現れる。

「健ちゃんの学校って家から近いよね」

「まあな。近いという理由だけで選んだからな。でも進学校だがら結構入試とか苦労したんだが、透はよく編入できたな」

「あたしはほら、柔道やってたから、特待生じゃないけどスポーツ推薦みたいな感じ? 面接の時にインターハイ楽勝ですって言ったら受かったんだよ」

「インターハイ楽勝って、そもそも柔道なんていつから始めたんだ?」

「中学からだよ。なんか筋が良いらしくって、中体連でも県大会二位だったんだよ。全国大会では一回戦負けだったけど、あたしに勝った子が優勝したから実質準優勝だよ」

「優勝した子に負けたからって、それで準優勝はないと思うぞ」

「ええ~でもあたしはその子に判定で負けたけど、その子はその後決勝までオール一本勝ちだったんだよ?」

「そうなのか? とにかく全国大会まで行ったのは凄いな。男でも素人のオレ程度なら軽くブン投げられるってわけか」

「多分ね~」

 透と会わなかった期間の話を聞いていると、その空白の期間が埋められるような気がして健一はなんとなく嬉しかった。

 それは透も同じらしく、聞いてもいないことまで一生懸命話し続ける。

 ずっと話しながら学校に向かったので、あっという間に正門まで到着した。


「なんか今日はいつもより早く着いた気がする」

「話しながら来たから道を覚えてないや」

「迷うほどの道じゃないだろ。交差点3つしかないし、曲がるところも無かったろ」

「迷うよ。あたしの方向音痴を舐めて貰っちゃ困るよ」

「仕方ねえな。今週いっぱいは付き合ってやるよ」

「別に毎日でも構わないでしょ。お隣なんだし」

「まあ確かに困らないが、お前はいいのか?」

「なんで?」

「いや、年頃の男女が毎日一緒に登校するっていうのはどうなのかと思ってな」

「あはは、小学生じゃあるまいし、別に気にならないよ? 健ちゃんはそういうの気にするタイプなの?」

「いや、そういうわけじゃない。それより透は職員室に行かなくちゃいけないんだろ」

「そうだった!」

「場所は分かるか?」

「面接で来たから分かるよ。またね健ちゃん」

 透は健一に手をふりながら、校庭を走って校舎の中に消えてゆく。

 健一も教室に向かおうと思った矢先のことだ。


「い・ぬ・か・い・くん」

 それは、背中からバッサリと斬りつけられるような冷たくて、仄暗く、渇いた呼びかけだった。

 振りかえらなくても誰が言葉を発したのか健一は身体で理解していた。

「な、なにか用かな陣羽織さん」

 健一はまるで壊れかけたロボットのように、ぎこちない動作で振り返る。

「あのね犬飼くん。私はね。昨日はあることが原因で殆ど眠れなかったの。あることっていうのは犬飼くんと私だけが知ってることなんだけど覚えているかしら。これって誰のせいだと思う?」

「ちょっと待った! オレと陣羽織さんは昨日なにも無かったはずだぜ?」

 忘れてくれる? 忘れましょう。というやりとりが昨日あったはずだと健一は記憶していた。

「ふぅ~~~~」

 大きくため息ををつく陣羽織桃子。その表情は心底呆れたと言わんばかりで少し恐ろしく感じた。

「まさかそう来るとは思ってもみなかったわ。あのね犬飼くん。それは建前上の話でしょう。そんな簡単に忘れられると思ってるの? 犬飼くんが私にしたことは、犬に噛まれたと思って諦めろっていうわけ? うふふ、まったく犬飼くんらしい言い草ね。でも全然面白くなんかないんだから調子に乗らないでよね」

 健一は、一人で納得し、一人で立腹する陣羽織桃子の姿というか生き様を、茫然と見守るしかなかった。

「その件については悪かったと思ってるよ。ただ陣羽織さんが忘れたがってるみたいだからあえて触れないようにしてたんだけど、じっくり話し合った方がいいのかい?」

「いいえ。それには及ばないわ。ただあれだけのことをした犬飼くんが自責の念で苦しんでる様子は微塵もなく、斉天大付属女学園の生徒と一緒に仲よさげに登校しているじゃない。昨日眠れなかった私がそんな光景を見せらるのって犬飼くんはどう思うの? 理不尽だと思わない? 私はこの悔しさを誰にぶつければいいの?」

 どうやら陣羽織桃子に、透と一緒に通学していたのを目撃されていたようだ。

「ああ、見てたの?」

「見てたわよ。見てましたとも。見てちゃ悪いの? 私の視界に入ってきたもの、私はどうやって遮ればよかったの? 目を潰せばよかったとでも? 酷い事言うわね。その時は犬飼くんが盲導犬の代わりになってくれるのかしら?」

「いや、そんなこと一言も言ってないだろ」

「それより彼女は誰? 何者なの? 犬飼くんとはどういう関係なのかしら?」

 立て続けに質問してくる陣羽織桃子。健一はどうやったら透のことを誤魔化せるか、無い知恵を振り絞って考えていた。

「あのさ、オレからも質問だけど、今現在、陣羽織さんにとってオレはどういった扱いになってるの? ひょっとしてまだ家臣のままなの? 昨日でそういうのは終わったのかと思ったんだけど?」

「な、何を言ってるのよ。犬飼くんは、犬飼くんは私の……」

 何かを言おうとして言い淀む陣羽織桃子。その表情は悔しさと恥ずかしさが同居し、両手がプルプルと震えている。

 あとひと押しで解放されそうだ。そう健一は確信した。

 するとそこへ。

「健ちゃん健ちゃ~ん。あ~見付かってよかった。んもう、健ちゃんあたしのお弁当も一緒に持ってきたでしょ」

 絶妙なタイミングで透が校門近くまで戻ってきた。

 今現在、陣羽織桃子に会わせてはいけないランキング暫定一位の透が、よりによってこのタイミングで現れた。


 健一は慌てて透に「向こうへ行け」とアイコンタクトを送るが、当の透はその意味に気付いた様子はなく、ニコニコと微笑みながら接近してきた。

 すると、陣羽織桃子が健一と透の間に割って入るように立ち塞がる。

「うわっ!」

「貴女! それの制服は斉天大付属女学園のものみたいだけど、転校生なの?」

 桃子はまるで、風紀委員か教師であるかのように、凛とした態度で透に質問する。

「あ、はい。そうです。本日付けで転校する向井透……じゃなかった。さるわ……」

「ストップだ透! ちょっと待て」

 透が“猿渡”の姓を名乗ってしまう前に、健一は透の口を手で塞いで強制的に会話を終了させた。

「どうしたの犬飼くん。何を慌てているの?」

「話を聞いてくれ“陣羽織”さん。こいつはオレの隣に住んでる“向井透”ってやつで、家庭の事情でウチに編入することになったんだ。それで今日学校まで案内してやってたってわけだ。なあ透。そうだよな?」

 健一はそこまで一気にまくしたて、透に陣羽織桃子の存在をアピールしたのち、塞いでいた口から手を話す。

「う、うん。そうそう、そうなんです」

 目の前に居る女性が、あの陣羽織だと健一の口から知った透は、ようやく事の重大さに気付いたようで、慎重に言葉を選びながら答える。

「こんな時期に転校してくるって、貴女何が目的なの?」

「もっ、目的ですか?」

「そうよ。斉天付属の生徒が、わざわざウチに転校してくるなんて、これはもう何か特別な意味があるに決まってるわ。早く白状しなさい」

「えっ、えと……。け、健ちゃん?」

 透は助けを求めるように健一をみつめる。

「家庭の事情って言っただろ。あんまり詮索するなよ。陣羽織さんだって知られたくない秘密のひとつやふたつあるだろ?」

「そうね。昨日の事は誰にも知られたくないわね。でもそれとこれとは別よ。あくまでシラを切ろうと言うのなら、私にも考えがあるわ」

「け、健ちゃんこの人何言ってるの?」

 健一に聞こえる程度の小声で、透が呟く。

「(これが陣羽織だ。どうだ、関わっちゃいけないって分かっただろ)」

「(う、うん。だけどどうしよう)」

「(とりあえずオレに任せておけ)」

「(ありがとう健ちゃん!)」

 ここまで小声で話していたので、桃子のイライラゲージはマックスを振り切って二周目に突入した。


「陣羽織さん。提案なんだが」

「なにかしら?」

「もうすぐ授業が始まるし、この続きは昼休みか放課後にしないか? 他の生徒もなんか注目しているし」

 実際は注目と言うより、生徒たちは一瞬こちらを伺い、揉めてる相手が陣羽織桃子だと知るや、巻き込まれまいと視線を外して足早に校舎内に向かっていた。

 桃子はその様子をチラリと伺うと、

「みなさん余り関心が無さそうよ」

 と、周りに聞こえるくらい大きな声で勝ち誇ったように宣言する。

 生徒たちの視線が一斉に明後日の方角へ向き、健一たちに注意を払う生徒は誰ひとりとして居なくなった。

「ううっ! とにかく透は転校初日だし、遅刻とかしたら可哀想だろ?」

「私は平気よ」

「いや、陣羽織さんが平気でも透が平気じゃないっていうか」

「大丈夫だよ健ちゃん。あたしも平気だよ」

「透は黙っててくれ。陣羽織さんが聞きたいことは全部オレが答えるから、ひとまずこの場は抑えて貰えないだろうか?」

「なによそれ。それじゃまるで私が我儘を言ってるみたいじゃない」

 その通りと健一は言ってやりたかったが、その言葉だけはぐっと喉の奥に押し込んで堪えた。

「お願いだ。陣羽織さん」

 健一は腰を九〇度に曲げてお願いする。

 これでも駄目なら土下座することも厭わない。

 最近では土下寝というのもあるらしいが、なんならそれをやってみてもいい。

「わかったわ。そこまで言われて嫌だと言い張ったら、私が凄い悪者みたいじゃない。犬飼くんって本当にズルイのね。きっと良い詐欺師になれるわ。いいわ。貴女は教室に戻りなさい」

「えっ! でも」

「いいんだ透。転校初日から遅刻して変なレッテルを貼られるのは嫌だろ。早く行け」

「……わかったよ。健ちゃん」

 透は健一の言葉に従って、校舎の方に戻ってゆく。


「ふう。やれやれ。陣羽織さんありがとう。それじゃまた昼休みにでも」

 透を見届けた健一はそう言うと自分も教室に戻ろうとした。

 したのだが――。

「ちょっと犬飼くん。何処へ行くつもりなの?」

「いや、どこって教室だけど? 陣羽織さんも早くしないと遅刻……」

「何を言ってるの? 私に色々と説明してくれるんでしょう? それは嘘だったの? 犬飼くんって痴呆症なの? それとも約束は破るためにあるものって考えちゃう人なの?」

「いやでも授業が……」

「私は構わないって言ったわ。聞こえなかったのかしら?」

「いや確かに聞こえたけど、でもオレたちは学生で授業を受けないと、ねえ?」

「はぁ? 学校の授業で学ぶものなんてないでしょ? 教科書に書いてある事しかテストに出ないじゃない。それだったら授業なんて聞くだけ無駄だわ」

 言ってはいけないことをまくしたてる桃子の迫力に、健一は圧倒されっぱなしだった。

「いや、その、教科書の内容を理解するために教師が居るんじゃないの?」

「私、授業中はずっとイメージトレーニングとかしてて先生の話とか聞いたことないけど、テストはほぼ満点よ」

 頭のよさって言うのは努力とかではなく遺伝するのだろう。

 仮に同じような境遇で育ったとしても、教科書を読んだくらいでその内容を完璧に理解できる域に健一が達することはないだろう。

 もちろん桃子が嘘を言ってるとは微塵も思わない。

 つまり根本的な脳の作りが違うのだ。天才脳とでもいうのだろうか。

「陣羽織さんは桃太郎の生まれ変わりだから頭もいいんだろうけど、オレは元が犬なんだろう? 犬っコロが学校の授業について行くには相応の努力をしないといけないんだよ。その辺わかってくれないかな?」

「わからないわ。今は犬じゃなくて人間でしょう。前世が犬だからって甘えないで」

 健一の主張は桃子の一言によって、一刀両断で断ち切られた。

 これはもう、どうあっても授業に出ていい雰囲気ではなかった。


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