第2話

 さて、話はゴロツキたちと対峙しているところへ戻る。

 桃子の「不意打ちくらいしなさい」という掛け声で、健一はゴロツキに桃子の仲間だと認定されてしまう。

 そうして、武器を持たない健一は、位置的な要因も含み、最初の標的にされてしまう。

 一対一でも勝てそうにない相手なのに、三対一とあっては抵抗する間もなくゴロツキに捕まり、組み伏せられてしまう。

 あまり痛くされなかったのが不幸中の幸いと言えよう。

 それでもゴロツキのナイフは健一の首筋に突き付けられている。

「なんやこいつ。ごっつ弱いで」

「せやな」

「へへっ、頼りの彼氏はこのザマや。お嬢ちゃん。悪いことは言わん。彼氏の命が惜しかったら、そないな物騒なモンはすて……」

「ケンは彼氏じゃないわ!」

「なんやと?」

「彼氏なんかじゃないって言ってるでしょ。何度言わせるのよバカ。あなたたちバカでしょ。バカとバカとバカの三馬鹿! 馬鹿の三重奏!」

 桃子は木剣を振り回しながら健一が“彼氏”であることを強く否定する。

 まるでキレた小学生だ。

「な、なんやねん。どないなっとるねん。アレは兄ちゃんの彼女と違うんか?」

 ゴロツキが健一を揺さぶって八つ当たりする。

「オレにも何がなんだが、そもそもあいつと出会ったのは僅か一〇分前で、半分脅迫めいた言動でここまで付き合わされてんですよ。なんでオレがこんな目に……」

 健一の瞳には僅かながら悔し涙がにじんでいた。

 それは真実の涙だったので、ゴロツキたちも健一が嘘を言ってるわけではないということが分かった。


「なんや兄ちゃんも被害者だったんかい」

「そうですよ。無理矢理付き合わされたと思ったら、いきなり背後からあなたたちに襲いかかるなんて思いもしませんでしたよ。正直非常に申し訳ないと思ってますよ」

「さよか……」

 妙な連帯感がゴロツキと健一の間に生まれる。

 敵の敵は味方という言葉がこれほど明確に実感できたのは、健一にとって生まれて初めてのことかもしれない。

「何をコソコソ話してるの? 駄目よケン。鬼に交渉は通じないわ。ケンを人質にするような下劣な連中よ。でもケンが考えていることは分かるわ。ケンは我が身を犠牲にして私に尽くすつもりなのね。分かってる。たとえケンが殺されても、その志は私の中で生き続けるわ。だから安心してケン。ケンの仇は、必ずとってあげるから……」

 後半は涙ぐみながら、桃子は宣言する。

「なあ兄ちゃん。あの姉ちゃんは兄ちゃんに死ねっていうとんのか?」

「要約すると私のために死になさいって言ってるみたいですね。どうしますか? 彼女の言う通りオレと一緒に心中しますか?」

「あかん。相手が悪すぎる。この兄ちゃんバラしたところで、ワシらにな~んの得にもならへんで」

「そやったらどないするんですか兄貴? このまま泣き寝入りでっか?」

「せやせや」

 苦悩するゴロツキたち。

 手を引きたいのは山々だが、引っ込みがつかなくなって困っている感じだ。


「ちなみに私の父親は警視庁の幹部で、母親は検事で、祖父は裁判官よ! 更に付け加えるなら、二人居る叔父は代議士と弁護士よ。これが何を意味するか分かる?」

 仮にも桃太郎の生まれ変わりを自称している人間が親の七光りやコネを利用するとは、健一は桃子がどこまで正気なのか分からなくなっていた。

「ハッタリや。せやろ?」

「いや、オレもさっき会ったばかりなので詳細は不明ですが、彼女あんな性格ですが、成績は良くって、家柄も良いみたいですよ」

「おい兄ちゃん。アイツの名前はわかるんか?」

「ええ。確か陣羽織って苗字ですけど」

「陣羽織やと、あの陣羽織か!」

「兄貴あかん!」

「それはあかんわ!」

 ゴロツキたちの顔色が変った。

「確かに変った苗字ですけど、有名なんですか陣羽織って?」

「有名も何も、陣羽織一族の名はコッチの世界では有名どころか伝説やで」

 ゴロツキの身体は心なしか震えていた。

「逮捕から起訴、有罪判決まで一家で行えるんや。これは怖いで~」

「連中、ワシらのようなやくざもん専門やからやりたい放題なんや」

「せやで、ワシらみたいなのをムショにブチ込んでも市民から苦情はこんからのう」

「なんか大変ですね」

「いやいや。大変なのは兄ちゃんやで」

「せやで」

「せやせや」

「どうしてですか?」

「わからんか。あの陣羽織の娘に目をつけられたんや。もう逃げられへんで。ワシらは逃げるが、兄ちゃんはそうはいかん」

「ちなみに逃げたらどうなりますかね?」

「兄ちゃんの両親が突然逮捕されるかもしれん。連中は冤罪でっちあげるのなんて屁でもないんやで。そこいらのやくざもんより性質が悪いで」

「そんなバカな!」

「忠告はしたで。もし身内の不幸で行き場をなくしたならワシが世話したってもええ」

「それは遠慮しときます」

「おんどれ折角兄貴がっ!」

「本気にすな。冗談や。社交辞令ってやっちゃ。兄ちゃん頑張るんやで」

 ゴロツキたちはそう言って健一を立たせると、やや乱暴に桃子の方に押し出す。

「ほなさいなら!」

「うわっ!」

「えっ! なに? きゃあ!」

 桃子は木剣を上段に構えていたので、突然自分の胸に飛び込んできた健一にその剣を振り下ろすこともできず、そのまま自分の胸に頭から突っ込ませることになった。

 健一も咄嗟の事で、慌てて桃子にしがみついたので、二人はバランスを崩してひっくり返った。

 流石に女の子を下敷きにしてはマズイと思った健一は、持てる力を振り絞り、倒れる瞬間に身体を入れ替え、自分が下敷きになるように倒れ込んだ。


 顔を横にしていたので、ゴロツキたちが走って逃げてゆく様子が見える。

 やれやれと健一が正面に向き直ると、目の前には顔を真っ赤にした桃子の顔が迫っていた。

「えっ? ええっ!」

 その距離は僅か数センチ。しかも桃子は両手を万歳にして木剣を構えた姿勢のまま微動だにしていない。

 そんな桃子の身体を支えているのは、健一の両手だけである。

 しかもその両手の位置はと言えば、桃子の胸をすっぽりと覆い尽くすようにな絶妙なポイントで支えていた。

「あ、ごめん」

 慌てて両手を引くと、行き場を失った桃子の身体が、健一により一層密着する。

「やんっ」

 柔らかな桃子の肢体が健一の全身を包んでゆく。これでは手で支えていた方がまだマシだったかもしれない。

 また、どういう奇跡か偶然か、健一と桃子の唇が軽く触れ合っていた。

 健一と桃子の視線が互いの瞳を見据えると、二人とも顔から火が出るくらい真っ赤になってしまった。

 とてもじゃないが、健一からは動けなかった。

 確かに両手は使えたが、この状況で桃子の身体に触れるのは、どこを触ったとしても言い訳できないような気がしたからである。

 どうすればいいのかと健一が思い悩んでいると――。

 ガスッ! という音が健一の頭上より聞こえたかと思ったら、桃子の身体が不自然に持ちあがってゆく。

 見上げると、地面に木剣を突きさして、腕の力だけで上体を起こしているらしい。

 アイコンタクトで早くどけと言われた気がしたので、健一は身体を転がし、ほふく前進するように桃子から離れ、ある程度距離をとったところで立ち上がった。

 健一がどいたことで、ようやく緊張が解けたのか、桃子もその場に膝をついて、一度体制を立て直し、ゆっくりと立ち上がる。


 父親が警視庁の幹部で母親が検事で祖父が裁判官と桃子は言っていた。

 それが事実なら健一の社会的地位はもちろんのこと、人生が終わった。

 よくて少年院。民事訴訟を起こされて損害賠償請求など、嫌な未来予想図しか思い浮かばなかった。

 それよりもまず、あの木剣で撲殺されるというセンも充分に考えられる。

 その場合でも、きっと正当防衛が認められ、桃子は無罪になったりするのだろう。

 どこに転がっても、健一にとって明るい未来は何一つない。

「い、犬飼くん……」

 健一の呼称が「ケン」から「犬飼くん」に戻っていた。

 この格下げ(?)は一体なにを意味するのだろうか。

 気にはなったが、健一に尋ねるだけの勇気はなかった。

「な、なんでしょうか?」

「忘れて欲しいんだけどいいかな?」

「な、なにをでしょう?」

「今日あった出来事すべてよ」

「はっ、はい。善処し、いや確約します!」

「犬飼くんはお喋りな人じゃないわよね?」

「も、もちろん!」

「もしも今日の事が他の誰かの耳に入ったりしたら、私、犬飼くんのこと絶対に許さないから」

「だ、大丈夫、もう忘れたよ。というか陣羽織さんとはいまここで会ったばかりじゃないか」

「いい返事だわ。犬飼くんのそういう物分かりがいいところは嫌いじゃないわ」

「どういたしまして」

「それじゃさようなら犬飼くん。またね」

「あ、ああ……」

 陣羽織桃子はキスされたことがよほどショックだったのか。木剣を竹刀袋に片付けることなく、引きずりながら帰ってゆく。

 健一はそれを黙って見送り、桃子の「またね」という言葉が聞き間違いでありますようにと願いながら、自分も家路についた。

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