第51話「分からない未来」
「……」
私は病院の廊下の一角で椅子に座り、外にある中庭を見つめる。この病院の患者だろうか。二人の小さな子供達が、追いかけっこをしている。そんな微笑ましい様子を眺めながら、私は満君のことについて考える。
「満君……」
きっと満君は、未来で私と再会するためだけに、数々の想像を絶する絶望を味わったと思う。もうやめたい、死にたいと思ってしまうほど、彼の歩んできた道のりは過酷なものだったに違いない。
それなのに、彼は84年間生き延びてみせた。死に物狂いで私に会いに来てみせた。彼の愛は本物だった。私のことを命の全てをかけて愛しているのだ。息を引き取る最後まで、私のために生きてみせた。
私なんかの……ために……。
「真紀、ここにいたのね」
後ろから名前を呼ばれた。振り向くと、直美が立っていた。
「直美……」
「残念だったわね……満さん」
直美はゆっくりと近づいて私の隣に座る。慰めようとしてくれているのだろうか。いつもなら私が冗談を言って、彼女がキレキレなツッコミを入れてくる。でも、今はそんな呑気な青春漫才を繰り広げる心境ではない。
だって、私なんかのために満君が死んでしまったのだから。
「私……やっぱり満君と会わなかった方がよかったのかな?」
「は?」
私は責任を感じていた。満君が84年生き延びて会いに来てくれたことは、私としてもすごく嬉しい。命懸けで私との約束を守ってくれたのだから。
だが逆に考えれば、その84年間を私が奪ってしまったことになるのではないか。私と出会わなければ、私のことを好きにならなけらば、彼は普通に他の誰かを好きになり、若々しい恋愛を謳歌し、好きな人と一緒に歳をとることができた。
そんなふうに、人生丸ごと好きな人と一緒に楽しむことができたのではないか。彼はもっと素敵な人生を歩むことができたのではないかと、私は後悔している。概ねそのようなことを、私は直美に打ち明かした。
「何よ……それ……」
「本当に私なんかでよかったのかな。私が満君を好きになったのは、間違いだったんじゃないかな。私なんかが満君の大切な人生を……」
パチンッ
直美は私の頬を思い切り平手打ちした。廊下に鈍い音が響き渡る。
「アンタ、馬鹿じゃないの!? 何よ今更! そんなこと、あるわけないじゃない!」
「直美……」
赤く腫れた頬をさすりながら、私は叫ぶ直美を見つめる。こんなに感情を高ぶらせた彼女を、私は初めて見たかもしれない。
「いい? 満さんはアンタを好きになってよかったと思ってる。絶対にそうよ! そうに違いないわ! 死ぬ直前のあの笑顔が、何よりの証拠よ! 自分の人生を真紀に捧げて、本当に幸せだったと思ってるに決まってる!」
驚きだ。直美の口からこれほど真っ直ぐな励ましの言葉が出てくるとは。しかも謎の説得力がある。私は不思議と聞き入ってしまった。
「あの笑顔を見れば、満さんのことをよく知らない私でも分かるわ。それなのにアンタは、くだらないことでグチグチ悩んで……いい加減にしなさいよ!!!」
直美の怒鳴り声のおかげで、私の心にスイッチが入った。あれだけ積もっていた不安は、どこかへ消え去った。そうだ、私が後悔してしまっては、それこそ満君が命をかけていた84年の軌跡が無駄なものになってしまう。
ごめん、満君。私はもう後悔しない。あなたが愛してくれたように、私もこれからずっとあなたを愛し続けてみせる。
「ありがとう……直美」
いつものとびっきりの笑顔を、私は直美に返した。早くも前向きに生きる力が芽生えてきた。私を完全に目覚めさせた彼女は、やっぱり最高の親友だ。
「ふんっ、私の口から言わせるんじゃないわよ。とにかく、アンタは黙って満さんのことを愛し続けなさい」
そう言って、直美は来た道を戻って行った。後ろ姿が相変わらずたくましい。
「直美~!」
私は遠ざかる直美を呼び止める。直美は黙って立ち止まる。
「直美にも、早くいい人ができるといいね!」
「……余計なお世話よ、馬鹿」
直美は廊下の奥へと歩いて行った。私は中庭の上に広がる青空を眺めた。
「満君、ありがとう。私も頑張るよ」
照りつける太陽の光は、まるでこれからの私の人生を祝福してくれているみたいに眩しかった。きっと、そばで満君が私のことを見てくれているのだと、疑いなく信じることができた。
* * * * * * *
「まさか、タイムマシンがこんな悲劇を生むとはな……」
時間監理局の本部、局長室の大きな窓から、タイムリー・ガードンは夕焼けに照らされる街並みを眺める。アレイと前橋はテーブルを挟んで見つめる。
「今更ながら、タイムマシンを生み出して正解だったのだろうか、私にも分からない……」
前橋は今回の事態について嘘の報告をするつもりだったが、アレイは自分の口から真実を話そうと提案した。
満に記憶を保持させたままだと聞いた機関の中枢部は、急いで記憶消却の処置をとろうと試みた。しかし、すぐさま無駄であることに気がついた。
既にこの時代に未来人の記憶を持った満の存在が確認されているからだ。タイムパラドックスの発生を防ぐためにも、これ以上彼の過去に介入するわけにはいかない。見逃すしかなかった。
「……」
だが、真実を話したアレイ達に待っているのは、無慈悲な処罰だということに変わりはなかった。
「ガードン氏、我々は過去の人間に対する考え方をもっと改めなくてはいけないと思います」
再び誰かが同じような悲劇を味わうことのないように、アレイは過去の人間に対する記憶消却の処置について考えを改めることを訴えたかった。特別な場合は記憶消却の処置は見送られることが、許可されてもよいのではと。
「分かった。次の議会で規則の改変について検討してみるとしよう」
「あぁ……ありがとうございます!」
アレイは深く頭を下げた。
「だがなアレイ、秀哉、今回の君達の行為は、やはり今の規則に反しておる。君達には納得いかないだろうし、私もできれば見逃してやりたいところではあるが……」
ガードンはテーブルの上に敷かれた書類にサインをし、二人に告げる。
「神野アレイ、前橋秀哉……時空憲章第4条、及び時空間転移行為取締法第17条に違反ありと見なし、二人を解雇処分に致す」
「クビかぁ~、参ったなぁ……」
二人は夕焼けに染まった道を歩く。アレイはタイムトラベラーとしての義務を放棄したことで、前橋はアレイの違法に加担してしまったことで、二人は時間監理局の局員としての資格を剥奪された。
青葉満という過去の人間に介入し、未来人の記憶を保持させたまま帰還した。小規模ではあるものの、これは立派な過去改変だ。未来への大きな悪影響は見られなかったが、結果として満の運命を大きく変えてしまった。
相手がまだ満であったから良かったが、保持した記憶を悪用するような者だった場合、未来人の存亡を大きく揺るがすこととなった。よって、アレイ達の行為は犯罪であると認めるしかない。
それにも関わらず、前橋はのほほんとしている。
「本当にすまない……君まで巻き込んで……」
「気にすんなって。俺だってお前の娘さんの恋心を犠牲にしてまで、職務を全うする勇気なんて無ぇよ」
「前橋……ありがとう……」
立場を失ったものの、これ以上真紀の悲しむ姿は見たくない。自分の大切な娘のために、全てを捨て去る覚悟を決めたアレイだった。
「俺達、どうなるんだろうなぁ……自分の未来が全く分かんねぇぜ……」
「未来なんて誰にも分からないよ。たとえタイムマシンを使ったとしてもね……」
そう、人生においてどんな結末が訪れるかは、誰にも予測することはできない。未来は誰にも分からない。その未来が“今”とならない限り……。
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