最終章「笑顔」

第52話(終)「笑顔」



 私は満君のお墓の前で手を合わせた。そして、用意したピンクのチューリップを供える。お墓参りにチューリップなんて、ちょっと不釣り合いに思われるかもしれない。だけど、彼にはこれが何よりもぴったりの花だ。


「また来るね! 満君!」


 私は墓場を後にした。




 今日は若菜さんに呼び出された。今から若菜さんの家に行くところだ。満君が亡くなってから、一年半ほど経った。空気は暖かく、のどかな春の日が続いている。

 私は髪を更に伸ばし、以前のポニーテールはやめ、結び方をハーフアップに変えた。この方が大人っぽく見えるでしょ? この春から大学生なんだから、お洒落しないとね♪


「お待たせしました~」

「真紀さん! お久しぶりです!」


 自宅から段ボール箱を抱えた若菜さんが、玄関を通って出てきた。彼女は変わらず元気だ。


「久しぶり! それで、どうしたんです? 急に呼び出して……」

「それがですね……青葉さんの私物の整理が、まだ終わってないんです。あと写真だけなんですけど、とんでもない量でして……。とても一人では片付けられないんですよ」


 そういうことか。満君ったら、仕方ないわねぇ。でも、私との思い出を全て取っておいてくれていたのは、素直に嬉しい。本当に私のことを大切に思っててくれてたんだね。


「それに、私の私物の写真が混ざっちゃいまして……整理しにくくなって……」


 あ、それも手伝ってほしい理由なのね。意外とおっちょこちょいで可愛いわ、若菜さん。初めて会った時は、しっかりしてそうなイメージだったけど。




「私より先に来なくてどうすんのよ、真紀」


 家の中から直美の声がした。玄関のドアを開けて、直美が段ボール箱を抱えながら外に出てきた。どうやら彼女も呼ばれていたらしい。


「なんだ、直美も呼ばれてたんだ……って! どうしたのその髪!?」


 私は直美の姿に驚愕した。彼女はストレートロングの黒髪をばっさり切り、ショートにしていた。ボーイッシュな風格に、どことなく女の子っぽい色気が共存している。何なのその仰天チェンジは! 失恋でもした!?


「何でもないわよ、ただの気分転換。さぁ、おしゃべりはおしまい。さっさと片付けるわよ」


 直美は抱えた段ボールを外に置いた。彼女が気にしていないなら、まぁいいんだけど……。普通、気分転換で髪をばっさり切ったりする? 私の考えがおかしいのかなぁ?




 片付けを速やかに終え、私と直美は帰路に着く。若菜さんから何十枚か写真をもらい、それらを眺めて懐かしむ。


「懐かしい~♪ よく撮ったわね、あの頃の私……」


 私はアルバムに入った写真を眺めながら、直美と並列して歩く。このアルバムは、先程若菜さんが大量の写真を持って帰りやすいようにと、用意してくれたものだ。


「若菜さんが持ってったのも数えると、ざっと500枚はあるわね……撮りすぎよ、あの頃の私……」


 私はアルバムをめくりながら話す。無意識に思い出を残したがるのは、満君とよく似ている。良くも悪くも、私達は気の合う似た者同士のカップルなのかもしれない。でも、それが嬉しい。


 先程から、直美は私の話を黙って聞いている。


「ねぇ、真紀」

「ん?」


 ふと、直美が口を開いた。私は直美の顔を見る。


「さっき、この髪にしたの、気分転換って言ったけど、あれ嘘……」

「え?」


 やっぱり。女の子が長い髪をばっさり切るには、何かしっかりとした理由がある。そう相場が決まっている。いや、知らないけど。私も女の子だけど、よく知らない。


「私……好きな人ができたの。それでその人、短い髪の子が好みみたいだから……///」


 黒髪のショートヘアーを指先でいじりながら、ホッと赤面する直美。彼女が照れてるところ、初めて見たわ。


「うぅぅ……直美~!!!」

「ちょっ、何すんのよ! 離れなさいって!」


 私は思い切り直美に抱きついた。何だか直美が可愛くて仕方なかったのだ。冷徹な彼女にやっと好きな人ができた。それがとてつもなく嬉しかった。恋はやっぱり人を変えるのだ。






「ただいま~」


 私は自宅に着いた。真っ先にパパとママがいる居間へ向かう。


「パパ~、ママ~、見てこれ! 若菜さんから色々写真もらっちゃった! 懐かしい写真ばかりだよ~!」


 パパはソファーに座って新聞を読み、ママは台所の掃除をしていた。二人は私に気がつき、振り向く。


「おぉ、良かったね」

「満君にも見せてあげたら?」

「あ、そうね! 見せてくる~」


 私は居間を飛び出す。パパとママはその後ろ姿を、微笑ましく眺めていたらしい。






 私は和室へと向かう。襖を開け、しんとした空間に立つ。元々私の家には、和室は無かった。でも、パパにお願いして改築してもらったのだ。


「あの部屋みたい♪」


 わざわざ満君の家にあった和室に似せて造ってもらった。宏一さんの仏壇があったあの和室だ。なんでこんなことをしたかったのかは、私にも分からなかった。


 ただ、一人のお人好しのことをいつまでも忘れないために、必要なことだったのかもしれない。私は簡易的に作った仏壇の前に座った。


「満君、ただいま♪」


 仏壇には17歳の頃の満君の写真を入れた遺影や、満君と一緒に撮ったプリクラ、満君がクレーンゲームで取ってくれたクマちゃんのぬいぐるみ、満君が書いてくれた古典の授業の要点のメモ、満君と一緒に行ったドリームアイランドパークのチケットなど、数々の満君との思い出の品が置いてある。

 

 私はそこに若菜さんからもらったアルバムを加える。


「懐かしい写真がいっぱいあるのよ。後で見てね」


 私はアルバムの写真のことを、満君に話す。返事は無い。部屋はしんとしている。


「それより、直美に好きな人ができたんですって! あの勉強にしか興味の無さそうな直美がよ? 私、嬉しくて嬉しくて……」


 直美のことを、満君に話す。返事は無い。部屋はしんとしている。


「まだ会ったばっかりなのに、今度二人でデートするんですって! 微笑ましいわねぇ~♪」


 直美が彼氏さんと結構関係が深まってきているいることを、満君に話す。返事は無い。部屋はしんとしている。


「買い物行ったり、遊園地行ったり、クレープ食べたり、いろんなことを一緒にするんだろうなぁ~♪」


 恵まれたカップルの話を、満君に話す。返事は無い。部屋はしんとしている。


「いろんなことを、二人で……そしてこれからも、ずっと……二人で……一緒に……」






 もう嫌になってきた。世の男女はみんな仲良く遊んでる。互いに愛し合っている。そして、ずっと一緒にいる。好きな人の温もりを、そばで感じている。

 私だって好きな人がいるのに……そばにいるはずなのに……そばにいない。なんでいなくなったのよ。なんでこんなにすぐ死んでしまうのよ。


 神様、ほんとどうかしてるわ。あんな優しくて素敵な人を、簡単に奪ってしまうなんて。あの人はもっと生きるべきだった。なんでこんなに早く……100歳以上も生きたらもう十分だろとでも言いたいわけ? ほんとふざけてる。あの人を……返してよ。


「うっ……うぅ……」


 胸の底から怒りがこみ上げる。だが、その怒りを圧し殺し、心の頂点に立ったのは、やはり悲しみだった。感情が悲しみに変わった途端、嗚咽が溢れてきた。


「満君……そばにいるんだよね……だったら出てきてよ……私の前に現れてよ……」


 満君は遺影の中で変わらず笑顔を浮かべるだけ。その笑顔が、水滴がこびりついたように段々とぼやける。あぁ、私……また泣いてるんだ。


「ダメだなぁ……私。泣いてたら、また満君に泣き虫だって言われるわ」


 一旦仏壇から顔を反らす。袖で拭うも、涙は一向に止まらない。目が潤う度に、満君のいない現実を思い知らされる。


「うぅぅ……満君……」


 耐えられない。私は満君の遺影を見るために、もう一度仏壇の方へ顔を向ける。満君の顔を見れば、少しは気が楽になると思うから。






「あっ……」


 すると、遺影の後ろに一つの箱を発見した。ごま団子のパッケージ……これは確か、満君がくれたものだ。彼は辛いことがあった時に、これを開けてくれと言っていた。今開ける以外に、ベストなタイミングはないと安易に判断した。


「……」


 私は箱に手をかける。満君……開けるよ。


 パカッ




「これは……」


 中には何枚か重なったB5サイズのメモ用紙があった。何か文字が書かれてある。


「これ……手紙……と、メガネ?」


 なぜか満君がかけていた黒縁のメガネも入っていた。死ぬ直前にかけていたものと同じやつだ。スペアだろうか。とりあえずメガネは置いといて、手紙を手に取って読んだ。






“君がこれを読んでいる頃には僕はもうこの世にはいないだろう……。だからと言って、また泣いてはいないだろうね?”


 こんな時に何よ。生意気な文面がいかにも満君らしい。それでも、心の中に満君の落ち着いた優しい声が届いてくる。


“真紀、元気出して。確かに僕は死んでしまったけど、僕は必ず君のそばにいる。近くにいるからね”


 まるで私の今の状況がわかっているかのような文面だった。そうか、きっと未来まで私に会いに来ても、老人になることが決まっていることを見越して、17歳の満君が思いを馳せながら書いたんだ。


“真紀のこと、一緒に過ごしているうちにだんだんわかってきたからさ”


 もし自分が本当に死んでしまった後に、少しでも私の辛い思いを軽減させられれように、彼はこの手紙を残したのだろう。満君の死を目の当たりにした私が、辛さのあまり箱を開けてしまうことも計算済みのようだ。


 不思議……満君と会話しているかのような気分に陥る。私はさらに読み進める。


“大好きだよ、真紀。君の顔も、髪型も、声も、名前も、全部大好き。死んでも愛し続けるから”


 私の目からは再び涙が零れ始める。私を泣き虫にしたのは、他の誰でもない君よ、満君。「大好き」という言葉を口にする度に、あなたのその言葉は私の涙腺を刺激するのだから。


“そこにメガネがあるよね? かけてみて。きっと似合うと思うから”


 急に満君が変なお願いをしてきた。もうすぐ手紙読み終わるというのに、最後に言うことがそれ? 私、メガネとか似合わないと思うけど……。色々考えながらも、私はメガネをかける。


“やっぱり。似合ってるよ、真紀”


 真っ赤に染まる私の顔。文面だけで赤面させてくるとは、かなりの強者だ。私は今、満君のメガネをかけている。満君と一つになれた気がして、心がじんわりと温かくなった。今の私は、満君の見ている景色を見ているのだ。


“これから僕らは一緒の景色を見ていこう。ほら、僕はここにいるよ”




「あっ!」


 縁側に満君が腰掛けていて、私の方を見て笑ったような気がした。私はすぐに駆け寄る。だが、満君の姿は見当たらない。でも、不安な気持ちは起こらなかった。満君は確実にそばにいる。それが分かったから。




“幸せな人生をありがとう……。青葉満”




 私もよ。ありがとう、満君。




 あぁ、幸せだなぁ……。

 幸せとは何かなんて今まで考えたこともなかった。でも今、少しだけ分かった気がする。幸せというのは、今のように世界で一番大切な人と一緒にいる時に感じられる、この何とも言えない心地よさのことではないか。


 うん、悪くない。むしろ最高だ。幸せだ。




 幸せをぎゅっと凝縮した雫が、太陽に照らされて眩い光を反射している。


「んもう……泣いてないわよ。この……お人好し!」


 私は澄み渡った青空に、愛しい一人のお人好しに、今世紀最高の笑顔を見せつけた。




    KMT『タイム・ラブ』 完


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