第49話「現実」
「真紀……ありがとう」
「ま~た私に迷惑がかかるとかどうとか考えてたんでしょ? ほんっと、お人好しなんだから!」
「ははっ、真紀にはお見通しかぁ」
「あったり前よ~♪」
僕らは顔をギリギリまで近づけ合い、互いの目を見て笑った。時間も距離も追い着いた僕らを止められるものは何も無かった。
そう思っていた。この時は。
「それじゃあ、またね」
「うん! 改めて、これからもよろしくね!」
「あぁ……」
僕は座っていたソファーから立ち上がり、玄関へ向かう一歩を踏み出した。
ズギッ
「……!?」
その時、膝に激しい痛みを感じた。今まで感じたことのないような激痛だ。僕はバランスを崩し、床に倒れた。
バタッ
「満君!?」
「ぐっ……!」
「満君!? どうしたの!? 大丈夫? 満君!?」
僕は膝を押さえながら悶絶した。真紀は僕に駆け寄り、何度も呼び掛ける。だが、僕はそれに応えることが出来なかった。膝の痛みが彼女の声を塞ぎ込む。意識が次第に遠退いていく。
「真紀……」
終いには天井の蛍光灯の光も見えなくなった。僕は完全に闇へと引き込まれた。
* * * * * * *
「
「え?」
アレイと愛、真紀、若菜の前で、医師は満の診断結果を告げた。骨肉腫。いわゆる骨にできるガンだ。満の場合は、右足の膝蓋骨に悪性の
しかし、満の遺伝子には特に異常は見られなかった。原因は不明だ。だが、足にとてつもない負担をかけていたことが一つの要因ではないかと、医師は推測した。実際、満は真紀を探すために、街に出向いては自身の足を酷使していた。
骨肉腫自体珍しい症状であり、発症する年齢層は10代後半に集中するとも言われている。満のような高齢者での発症は、更に大変珍しいケースだ。
「症状がかなり進行しております。早急の摘出手術が必要です」
今回は発見がかなり遅れてしまった。骨肉腫などの骨軟部腫瘍は、肺などの他の器官に転移しやすい。そうなっては、更に手遅れになる恐れがある。
「お願いします!」
15万円近くの手術費は満の財産からあてられた。その3割ほどをアレイが負担した。満は都市の病院で緊急入院をした。摘出手術の前に、抗がん剤治療を行った。摘出手術の成功率を少しでも上げるためだ。
「ううっ!」
「満君! 頑張って!」
「うっ……あぁっ……」
満は何度も吐き気を催した。抗がん剤の副作用だ。今回の治療に使われた薬剤は副作用の出にくいタイプのもののはずだった。しかし、弱った満の体では耐えられなかったようだ。
「満君、大丈夫……大丈夫だから!」
「真……紀……」
満が嘔吐する度に、真紀は背中をさすった。数日前の健康的な姿が、まるで嘘のようだった。満の体は日に日に痩せ細り、食欲も無くなっていった。あの爽やかな笑顔もどこかに消えてしまった。
それから数日間、地獄の治療生活が続いた。少しでも満の心の支えになりたいと願い、真紀は毎日病院へ通い、満の隣で彼の手を握った。そして、治療期間は一旦終わった。
「腫瘍が少し小さくなってきました。摘出手術を行いましょう」
満はストレッチャーに寝かせられ、手術室へと運ばれた。運ばれる満を追いながら、真紀は満に声をかける。彼の手は自ら生気を手放そうとしているように冷たかった。
「満君! 頑張って! 大丈夫! 絶対成功するからね!」
「真紀……」
満は今にも眠りにつきそうな様子だった。体力がほぼ限界にきているようだ。だが、瞳の奥には、力強さが宿っていた。満を乗せたストレッチャーは手術室の扉を通り抜け、奥へと進んで見えなくなった。
「……」
真紀は廊下の真ん中で立ち止まり、手術室の扉が閉まる様を見つめた。
手術は三時間にも及んだ。手術中の点灯が消えたことを確認し、真紀達は廊下の椅子から立ち上がった。手術室の扉が開き、中から医師が出てきた。
「先生! 満君は……?」
真紀は真っ先に駆け寄った。それに続き、アレイと愛、若菜も医師の前に集まった。
「腫瘍の摘出は成功しました」
医師は腕で汗を拭いながら言った。四人はほっと胸を撫で下ろした。
「いえ、まだ安心できません。腫瘍が他の臓器に転移しているかどうか、調べる必要があります。再び精密な検査を行いましょう」
まだ事態は完全に解決したわけではない。真紀達は再び不安にさらされるのだった。続きに検査室へと運ばれる満。摘出手術が終了しても、ほっと一息つく暇も与えられない。
「真紀……疲れたでしょう?」
ふと、愛が真紀の肩に手を乗せる。
「満君のことは僕らが見ておくから、真紀は家に帰って少し休みな」
「……うん」
真紀自身も満のことが心配で最近食欲も無く、十分な睡眠も取れていない。圧倒的な疲労感に押し潰されている。両親の恩に乗っかり、真紀は一旦家に帰ることにした。
困ったことに、家の中にいても落ち着けなかった。満のことが非常に心配だった。また体に悪いことは起きていないだろうか。満は苦しんではいないだうか。そう考えると、呑気に休んでなどいられなかった。考えれば考えるほど病院へ戻りたくなる。
「神様……どうか満君を助けてください……お願いします……」
真紀はしんとした自室の床に座り込み、ひたすら天に祈りを捧げた。
ピンポーン
家のインターフォンが鳴った。誰か来たみたいだ。真紀は玄関へ向かい、ドアを開ける。
ガチャッ
「真紀……」
訪ねてきたのは直美だった。約2週間振りの対面だ。
「直美……久しぶりね……」
「久しぶり? 何それ? それよりも、アンタ時空難破に遭ったんですって? 大丈夫だったの?」
直美は心配して様子を見に来てくれたらしい。何だかんだで真紀のことを気にかけてくれている。追い詰められた心境の中、親友がそばにいてくれることは心強い。
「うん。84年前くらいに漂流してね、そこで2週間くらい帰れないでいたの。でも、もう大丈夫よ」
「そう、それで久しぶりって言ったのね。とにかく、アンタが無事でよかったわ……」
「うん、ありがとう……」
直美に久しぶりに会えたことで、少し気を紛らわすことができた。しかし、不安を完全に拭いきれたわけではない。
「ん? 元気無いわね。何かあったの?」
満のことが心配なのは変わらなかった。そのことを直美に悟られそうになる真紀。
「えっと、実は……」
真紀は直美にも事情を話すことにした。過去の時代であったこと、そして、今起きていることも全て。
真紀と直美は場所を変え、家の近くの公園のベンチで話し合った。
「なるほどね。んで、その満さんが今病院で大変なことになってると……」
「大変なことって……一応手術は成功したんだから!」
直美はどこまでも現実的だった。彼女に事情を説明したことで、更に心に残った不安が取り除かれたと思われた。しかし、彼女の発言は更に心配を加速させるものでもあった。
「でも、まだ安心はできないんでしょ? 転移してる可能性を調べてるらしいじゃない。ガンってことは死ぬ可能性も……」
「そんなことあるわけ無い!!!」
真紀は怒鳴った。迫り来る現実を無理やり否定するかのように。だが、真紀も薄々そんな可能性が存在するのではないかと、内心危惧していた。絶対に起こりうるはずがないと、否定することでしか安心できなかった。
「ごめん。でも、あり得ない話ではないわよ。骨肉腫って死亡例も多いみたいだし……」
「そんな……」
「不安にさせるつもりじゃないけど、気をつけた方がよさそうね」
「……」
何も言葉が出なくなる真紀。満の死、考えたくもないことだ。そのことを考えただけで、不安が止まらなくなる。
プルルルルルルルルル……
突如、真紀のスカートのポケットにしまってあったタイムテレフォンが鳴った。画面を確認すると、愛からの電話だった。ボタンを押し、電話に応答する。
「ママ……何?」
真紀の呼び掛けに、愛はすぐには応えない。うっすらと鼻水をすする音が聞こえる。
「ママ?」
「真紀……満君が……」
ダッ
真紀はすぐさまベンチから立ち上がった。
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