第48話「二人の時間」



 ビューンッ!!!


「あっ!」


 空の上で大きな音がした。見上げると、何もない空間から車が飛び出してきた。


 いや、あれは……


「タイムマシン!」


 あれは、タイムマシンだ。青と白を基調とした中型の車が、空中で制止する。僕はあの車に驚くほど見覚えがある。確か84年前のあの時……そう、時間監理局が神野家に迎えをよこした際に見たものだ。


 ゴォォォォォオ

 タイムマシンは大きな音を立てながら、ゆっくりと地上へと降りる。僕と若菜さんは、それを門の前から眺める。やはりあの時のタイムマシンだ。今、84年前から戻ってきたところだろう。




 ということは……


 ガチャッ


「着いたよ、みんな」

「何とだか久しぶりな気がするよ」


 運転席から男の人……前橋さんが、助手席からはアレイさんが出てきた。アレイさんは後部座席のドアを開ける。そこから緑髪の女の子が出てきた。


「ふぅ……」


 真紀だった。84年前の世界で17歳の僕と別れを告げ、今戻ってきたのだ。


「それにしても不思議ね~。2週間近く向こうにいたのに、こっちでは4,5時間しか経っていないなんて」

「そして僕らはその4,5時間、この時代にいなかったんだ」

「なんか……大晦日に日付が変わる瞬間にジャンプして、年越しの瞬間自分は地球上にいませんでした~、みたいな感じね(笑)」

「ははっ、そうだね」


 このほんわかな雰囲気、間違いなく神野家だ。そして、その中心に真紀がいる。やっと……彼女に会えた……。


「ん? あの人は……」


 前橋さんが僕と若菜さんと家の前に止めてある車に気づいた。続いて愛さんやアレイさんもこちらに顔を向ける。


「誰だろう? あの人……」

「さぁ? 知らない人だけど……」


 二人には僕のことがわからないみたいだった。まぁ、今の僕はどう見ても怪しい老人だ。それが青葉満だと分かるわけがない。




 たった一人を除いて。


「え? まさか……」


 真紀は目をぱちくりと開けながら、ゆっくりと僕の方へ近づく。




「満……君……?」


 真紀が僕の名前を呼ぶ。84年振りに彼女の口から放たれた僕の名前を聞く。真紀は一目で察したらしい。


「満君なの……?」


 真紀は目の前の光景が信じられないようだった。再会を誓った愛人が、84年間生き延びてみせ、自分の前へ再び姿を現したことを。


「あぁ……そうだよ」


 僕は答える。老人らしいしわがれた声しか出ないが、僕なりの愛を込めた優しい答えだ。


「あぁぁ……」


 真紀の口が大きく緩み、瞳からは涙の粒がぽとぽととこぼれる。




 ダッ

 真紀は何も言わずに走りだした。門を通り抜け、僕を目掛けて思い切りダイブした。僕は真紀に押され、地面に倒れる。


「本当に……本当に会いに来てくれた! 満君が……目の前にいる!」


 真紀は僕の痩せ細った老体などお構い無しに、力強く僕を抱き締める。涙と鼻水が僕のシャツに滲む。そんな僕も真紀の背中へ手を伸ばし、ゆっくり優しく抱き締める。やはり、思い切り抱き締められる痛みよりも、再会できたことの嬉しさの方が大きかった。幸せだ。


「僕も……会いたかったよ」

「満君!」


 周りの目などもお構い無しに、僕らはずっと抱き締め合う。こんな幸せがずっと続くことを祈った。感無量だ。本当に辛いことがたくさんあったが、84年しっかり生き延びて、今真紀と再会できた。僕は約束を守ることができた。


 こんなにも愛し合っている僕らだったが、どれだけ近くにいようと、その間にはいつだって84年もの時間の差が存在した。だが、約束を果たした今、その時間の差は完全に無くなった。ズレた時間は修正された。僕ら二人の時間はようやく重なったのだ。


「真紀……」

「満君……」


 僕らは抱き締め合うことで、その喜びを分かち合った。








「それじゃあ、上には俺の方から報告しとくから、満君のことよろしくな」

「あぁ……本当にありがとう。助かったよ」


 前橋さんは時間監理局の本部へ戻っていった。アレイさんは戻る前橋さんを見送った後、家の中に戻ってきた。その夜、僕は神野邸に上がらせてもらった。

 案の定、中は広かった。神野家三人だけでも、生活スペースが少々余るほどだ。そして、タイムマシンを収納するガレージに、これまた広い中庭。かなりの大金持ちのようだ。


 愛さんはいつぞやのアウトドア用のケトルで、ホットミルクを淹れてくれた。初めて会った日のことを思い出す。


「はい、満君。いや、その……満さん」

「満君でいいですよ」


 呼び方に困る愛さん。そういえば愛さんは40代だと、一緒に過ごしていた頃に聞いたなぁ……。懐かしい。それに比べて今の僕は101歳だ。それで僕の方が年上だから、馴れ馴れしい言葉遣いはいけないのではないかと気にしているのだろう。


「でも、今の君は一応僕達より何十歳も年上なわけで……」


 愛さんだけでなく、アレイさんも気にしていたようだ。別に気を遣わなくてもいいのに。


「大丈夫ですよ。あの時みたいに呼んでください」


 僕は笑った。年寄りになってから、優しい笑顔をつくることが昔よりも上手くなった気がする。


「えっと……満君」

「はい」

「満君、僕達のことは覚えているかな?」

「はい、アレイさんと愛さんですよね?」

「すごい……覚えててもらえて嬉しいよ」


 空気が温かくなった。老いぼれの僕を、この人達はすんなりと受け入れてくれる。改めて生き延びた甲斐があった。


「私のこと、ずっと覚えててくれたんだね。しかも、本当に84年も生きて会いにきてくれたなんて……」

「当たり前さ。真紀のためだから」

「嬉しい……///」


 84年振りに拝む真紀の笑顔、とても素敵だ。やっぱり真紀は笑顔でいなくちゃ。




「あの……」


 なかなか会話に踏み込めずにいた若菜さん。僕と一緒に家に上がったのはいいものの、さっきから状況が呑み込めず、困惑している。

 それもそのはず、肌がぼろぼろの痩せ細った老人と、肌がピチピチの爽やかな女子高生が、目の前でひたすら抱き合っているのだから。


「あなた達は一体……それと、青葉さんと彼女は恋人同士とお聞きしたのですが、これはどういう……」


 若菜さんはアレイと愛に聞く。若菜さんが僕から見せてもらったのは、17歳の真紀の写真だ。だが、真紀が諸事情で僕の時代まで遡り、一緒に撮ったという事情は知らなかった。僕が教えなかったのも非はあるが……。 


 とにかくこの写真を見ると、事情を知らない限り、同じ時代の人間同士だと思うのが当然だろう。今の僕が老人であるのならば、それに伴って一緒に写っている少女も、今は年老いた姿になっているはずだと思ってしまうだろう。


「えっと……若菜さん、だっけ?」

「はい、青葉さんの介護福祉士の西村若菜です」

「あなたにも詳しいことを話さななきゃいけないわね」


 アレイさんと愛さんは、若菜さんにこれまでの事情を説明した。真紀がタイムマシンで僕が17歳だった頃の時代に行き、僕と出会ったこと。タイムマシンが壊れてしばらく帰れなくなり、僕に助けてもらったこと。

 僕と真紀が一緒に過ごしているうちに、お互いのことが好きになったこと。別れの時に、僕から記憶は奪わなかったこと。


 それから、僕が真紀との再会のために、必死に生きてきたこと。あまりにも出来過ぎた美しい物語を、全て話した。




「そうだったんですか……」

「若菜さん!」

「はい!?」


 急に真紀が若菜さんの名前を呼んだ。彼女はびっくりしながら、真紀の方へ顔を向ける。


「満君をここまで連れて来てくれて、本当にありがとう……」

「どうも、お二人が再会できて私も嬉しいです」


 若菜さんは真紀へお辞儀をする。年下相手にも礼儀正しいんだな、若菜さんは……。


「あ、そうだ! 満君! あの時はごめん!」

「え?」

「これよりも前に満君、私と会ったのよね? あの時の私はまだ満君のこと知らなくて……本当にごめん!」


 真紀は今の僕の姿を見て思い出したようだ。彼女が謝っているのは、先日の7月22日での出来事だ。あの日、僕は84年振りに真紀と対面したが、彼女は僕のことを覚えていなかった。

 でも、今なら分かる。その真紀は僕の時代へ向かう前の真紀だったのだ。ならば、僕のことを覚えているはずがない。真紀があんな態度を取ってしまうのも当然だ。自分の名前を言っても分かってもらえるはずがない。


「仕方ないよ、僕と会う前なんだから……」

「それで、少しでも再会できる可能性を残そうと、あの時間と日付と住所を書いたメモを入れておいたの……タイムカプセルにね」


 そう、あの挫折が無ければ、僕はそのタイムカプセルを開けることはなかった。こうして真紀としっかりとした再会を果たすための手がかりを掴めないでいた。

 真紀がメモを残しておいてくれてよかった。本当に出来過ぎた展開だよ。もしかしたら、全ては起こるべくして起こったことなのかもしれない。そう思えるほどの運命めいた物語だった。


「だから、こうやってちゃんと会えた。ありがとう……真紀」

「うん……」

「これからどうしようか……」

「どうしようって……これからずっと一緒にいるのよ! 恋人同士が一緒にいるのは当然じゃないの~」




「こんなおじいさんとかい?」

「え?」


 どこからこんな不安な感情が入り混んできたのだろう。また後ろ向きな考えばかりが浮かんでくる。何の前振りも無しに。


「見ての通り、僕はよぼよぼのおじいさんだよ。杖無しではまともに歩けないし、声だってがらがらで、肌もぼろぼろだ。いずれ病気で倒れるし、まともにしゃべれなくなる。君の恋人は、もう昔みたいな青年じゃないんだよ」


 せっかく出会えたというのに、なぜか僕はありったけの後ろ向き発言を羅列してしまった。ここまでたどり着くまでに背負った全ての不安を吐き出すかのように口が動く。


「それに、こんなカサカサの唇じゃあキスだっt……」




 その口が塞がれた。真紀のキスによって。端から見れば、女子高生と老人がキスをしているという、衝撃的な光景だ。だが、そのキスは何よりも美しいものだった。


「真紀……?」


 僕は困惑する。潤った口をぽかんと開けながら。


「何か問題ある?」


 小馬鹿にするかのように真紀が笑う。そして続ける。


「私はね、満君のことが好きなの。好きな人がたとえおじいさんになったとしても、私は永遠に愛し続けるわ。どんな満君でも、受け入れてみせる。だから、私と一緒に生きて」


 真紀の言葉は実に不思議だ。励まし言葉の一つ一つが心に染み渡る。不安が完全に取り除かれていく。これを乗り越えた僕は、もう恐れるものなど無かった。


「真紀……ありがとう」

「ま~た私に迷惑がかかるとかどうとか考えてたんでしょ? ほんっと、お人好しなんだから!」

「ははっ、真紀にはお見通しかぁ」

「あったり前よ~♪」


 僕らは顔をギリギリまで近づけ合い、互いの目を見て笑った。時間も距離も追い着いた僕らを、止められるものは何も無かった。


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