第45話「道のり」



「青葉さん! 木材用意しておきましたよ!」

「オッケー、そこに置いといて」


 部下らしき女性に指示を出す満。ここは荒れ果てた紛争地帯。そして、同じTシャツとジャンパーを身にまとった彼らは、国際援助団体の団員だ。貧困に苦しんでいる難民達に、食料や住居を提供している。

 世界各地には未だに紛争によって住む場所を奪われ、追いやられる人々がたくさんいる。その人達に出来る限りの支援を尽くし、豊かな暮らしと笑顔を取り戻すのが仕事だ。


 満は今その団体に所属し、世界各地の貧困地帯を飛び回って支援活動を行っている。


“真紀は自分の時代に無いものがこの時代にはあるって、感動してたなぁ……”


 満は、科学技術が卓越的に優れた未来ならば、何でもあると思っていた。だが実際は違った。今は残っていても、未来には無くなっているものもある。

 それを真紀は、消滅遺産図録を見せながら教えてくれた。失ったものの価値を。これから周りにあるものが、いつ消えて無くなってしまうかわからない。


「……」


 そして、紛争は戦争だ。今起きているものは第一次、第二次世界大戦などと比べたら戦域が狭く、まだ小規模なものだろう。

 だが、世界のどこかでは確実に戦争が続いているのだ。限られ、恵まれた者だけが平和の姿を見ていた。戦争は平和を奪う。自由を奪う。何もかも奪う。奪って消し去ってしまう。


 真紀が見せてくれた消滅遺産図録の中には、紛争によって破壊された歴史的建造物なども記されていた。形あるものはいずれ無くなる。

 それは仕方のないことだったが、満にはどうしても納得できなかった。美しい物の数々が、理不尽な力によって消滅してしまう現実が。その現実に抗った結果がこれだった。満は未来の平和のために日本を飛び立った。


「こりゃあボロボロだなぁ……」

「くそっ! 民間の住宅にまでやりやがって……」


 砲弾でも受けたのだろうか。壁が破壊された家が並ぶ住宅街に行き着いた。これから修復する作業に取りかかる。


「さぁ、やろう! みんな!」


 満はTシャツの袖を捲り、仲間に呼び掛ける。今あるものを、未来にも残してやる。それが自分にできることだと信じていた。まずは、貧困に苦しむ人々のためだ。満はようやく、やりたいことを見つけられた。




 レンガを握る手が止まった。満は気づいた。自分は父親と同じ道をたどっていることに。父親である宏一はジャーナリストだった。世界の紛争の実態を世間に知らしめるために、世界を飛び回っていた。


 満は今、難民への支援を行っている。手段は違うものの、世界の平和を実現させるために動いているのだ。お人好しの血は、やはり自分にも流れていた。

 不思議な縁だが、平和に対する熱い思いはしっかりと未来へと受け継がれていったのだった。


「今あるものを……守るんだ!」


 満は力強くレンガにセメントを塗り込んだ。




 真紀に出会えるまで、あと79年。




   * * * * * * *




 それが無意味なことだと思い知らされることがあろうとは思わなかった。戦車の砲弾が住宅街近辺に直撃した。少数の人々がその爆撃を食らい、犠牲となった。

 僕は現場を見渡す。凄惨な光景だった。せっかく修復した家の壁が、再び壊された。もはや跡形も残ってはいなかった。


「あ……」


 瓦礫の山の上を僕は歩く。所々に遺体が転がっている。血生臭い匂いと土煙があたりに充満する。これが紛争……戦争か。


「……」


 もしかしたら、自分は分かっていたのかもしれない。未来に無くなってしまうものを守ることなんて不可能だと。

 なぜなら、無くなってしまった事実を先に確認してしまったから。どれだけ抗おうとも、それが無くなった未来しかやって来ない。どれだけ守ろうとも無意味だと、自分なら分かっていたのではないか。




「……うぅ」


 ふと、瓦礫の向こう側からすすり泣く声が聞こえた。僕は走り出した。向こう側に回って見てみると、5,6歳程の年の小さな女の子が座りこんで泣いていた。女の子の涙がポタポタと地面に染みをつくる。

 女の子の横に転がっている瓦礫の山は、所々赤みがかっていた。恐らくこの子の家族か誰かが、下敷きになっているのだろう。運良く助かったのはこの子だけのようだ。


「……」


 僕はその子を抱き上げた。髪についた砂利を手でやさしく払って落とした。女の子は何も言わずに僕の胸に顔をうずめた。涙が僕の着ているTシャツににじむ。僕は歩き出す。女の子を別の難民キャンプまで連れて行った。

 そうだ。無意味かどうかなんて関係ない。僕はただ、今自分ができることをするだけ、したいことをするだけだ。少しでも苦しんでいる人達を救いたい。未来ではどうとか、今は考える必要なんてない。


 なぜなら、僕らはいつだって“今”を生きることしかできないんだから……。




 真紀に出会えるまで、あと68年。






 僕が難民の援助をしている間に、日本でとんでもないことが起きた。南海トラフ大地震と思われる地震が発生したのだ。

 震源地は静岡県浜松市から南西11km沖地点。最大震度7、マグニチュード8.6を記録した巨大地震だった。あの東日本大震災に匹敵する程の規模だ。


 東海地方を中心とした都市部の家屋は、約230万以上もの数が倒壊、全焼した。20メートル越えの津波がいくつも確認され、家屋の倒壊や津波に飲み込まれた人々が続出、死者は約30万6千人にも及んだ。

 救助がまるで追いつかず、食料や避難場所も足りなかった。運良く命を落とさずに済んだ住民も、地獄のような避難生活を強いられた。日本はとてつもなく甚大な被害を被った。


「……!」


 僕はすぐさま日本に戻ろうと考えた。だが、日本に向かう飛行機の便は全て飛行中止となり、帰る道は絶たれた。何とか日本に帰ることができたのは二週間後だった。日本にいるお母さんや裕介君達が心配だ。僕は空港に群がる群衆の中を駆け抜けた。


 プルルルルル……

 突如自分のスマフォが鳴った。誰かから電話がかかってきた。知らない番号だ。恐る恐る僕は電話に出た。


「……もしもし」

「もしもし、青葉咲有里様の息子様でいらっしゃいますか?」




 病院の医師がお母さんの死亡時刻を告げた。お母さんは地震が起きたあの日、家にいたという。救助隊に発見された時は、倒れてきた食器棚の下敷きになっていた。台所で料理でもしていたのだろうか。

 お母さんはすぐさま都会の病院に運ばれ、治療を受けた。一ヶ月程昏睡状態になっていたが、無事に目を覚ました。


 しかし、全身の筋肉や骨がボロボロになり、とても歩ける状態ではなかった。なんせ治療薬や手術の機材が圧倒的に不足していたのだから。まともな治療を受けられはしなかっただろう。

 お母さんは日に日に体が弱っていき、言葉を話さなくなった。ある日、前触れもなく謎の呼吸困難に陥り、窒息して息を引き取った。医師から伝えられた事実をまとめると、こんな感じだ。


 お母さんにずっと付き添っていたという看護婦から、まだまともに言葉を発することができた頃にお母さんから聞いた最後の言葉はこうだ。


「待っててね。もうすぐあなたのところに行くから」


 最後の最後でお母さんはお父さんに、愛する夫に向けてのメッセージを告げたという。すごい。お父さんがいなくなってから何年も経っているのに、お父さんを愛する気持ちに全くブレがない。死ぬ寸前まで愛する人のことを想って生きている。


 愛する人のために自らの死を受け入れる。お母さんはやっぱりすごい人だ。




 僕も、愛する人のために生きよう。真紀、僕は絶対に君に会ってみせる。こんなところでは死なないよ。




 真紀に会えるまで、あと46年。






 命とは、どうしてこれほど儚いものなのだろうか。


「裕介が……遺体で見つかった……」


 綾葉ちゃんから電話があった。だが、久しぶりの電話は、裕介君の死を告げる悲痛なものだった。

 そういえば、裕介君は最近連絡が取れなかった。電話をかけてみても繋がらなかった。津波に飲み込まれたのか、それとも瓦礫に押し潰されたのか。


 どういう死だったのかもわからない。ただ、地震の被害に遭って死亡したということしか分からなかった。とにかく、綾葉ちゃんは無事らしい。彼女のすすり泣く声が電話から聞こえてくる。


「美咲と……広樹も……」

「え?」

「津波に……流されて……」


 ちょっと待ってよ。そんなおまけなんていらないよ。あの二人も……死んだ? 頭の理解が追いつかない。こんなにも関係のある人が次々と死んでいくなんて……どうなってるんだ、この世界は……。


 綾葉ちゃんが前に教えてくれた。二年前に広樹君は美咲ちゃんに告白し、正式に交際を始めたという。二人の仲は良好だったそうだ。それはもう結婚まで進んでいきそうな程に。二人の結婚式、見たかった。


 どうして彼らが外れくじを引いたんだ。どうして僕でなくて、彼らなんだ。裕介君も……広樹君も……美咲ちゃんも……愛する人がいるというのに。それなのに……こんな早くに死ななければいけないなのか……。




「満君……」

「何?」

「今、好きな人いる?」

「……うん」

「そう……。それじゃあ、あなたは生きて。愛する人のために、最後まで精一杯生きるのよ」

「あぁ……」


 僕は静かに綾葉ちゃんとの通話を切った。綾葉ちゃんだって、事実を伝えるのが相当辛かっただろう。“愛する恋人”である裕介君を、かつての親友を一度に多く亡くしたのだから。

 だが、彼女は必死に現実と戦っている。ならば、僕も進むしかない。友が死んだからといって、僕の生きる理由に変化はない。僕は真紀を愛し続ける。命の灯が消え去るその時まで……いや、その後もだ。


 僕は分厚いコートを身にまとい、星の輝く夜空を見上げた。いくつもの友の分身が、僕を励ますかのように、行く先を照らすかのように光っていた。ありがとう、君達のおかげで、道を見失わずに済みそうだ。




 真紀に会えるまで、あと45年。






 今度は僕の所属していた援助団体が解体された。団員の中から死傷者が現れたのだ。地中に隠れていた地雷が作動し、下半身を吹き飛ばされたという。

 地雷というのは本当に恐ろしい。軍とは何の関係もない一般市民にまで危険を及ぼすのだから。


 死傷したその人の生命保険が下りたが、団体の責任者は今後の戦況が激化することを懸念し、これ以上の関係者の死を恐れ、団体の解体を宣言した。僕を含む残りの団員達は、速やかに自分の国へと帰国させられた。


 僕は苦しんでいる人を助けたい。だが、自分が亡くなってしまっては元も子もない。少なくとも自分の命は保障されなければならない。

 そのためには、自分の夢は諦めざるを得ない。別の意味で現実の恐ろしさを見せつけられた。それ以来、僕が戦場に足を踏み入れることはなかった。




 真紀に会えるまで、あと38年。






 ついに綾葉ちゃんまでもが亡くなってしまった。新聞に記載されているお悔やみ欄を見て「桐山綾葉」という名前を見つけて気がついた。綾葉ちゃんが密かに裕介君と結婚していたことにも驚きだ。恐らく二人だけでひっそりと結婚式を催したのだろう。


 だが、一番の悲しみである親友を失ったことが、頭の中から離れなかった。綾葉ちゃんへの直接の電話は繋がらなかった。

 代わりの連絡先を必死に探し、裕介君との間に産まれたという息子さんの連絡先を見つけた。彼に詳しい事情を教えてもらった。綾葉ちゃんは交通事故に遭ったらしい。




 知る限りの親しい友人はもういない。家族もみんな、この世からいなくなってしまった。僕は一人取り残された。心が張り裂けそうだ。




 寂しい……。




“満君は、ひとりじゃないよ!”


 心の中で真紀の声が聞こえた気がした。そうだ。僕には真紀がいる。今はまだこの世にはいないが、もうすぐ生を受けてこの地に降り立つ。真紀に会うためなら、僕は何だってやる。


「ありがとう、真紀。僕……頑張るよ」


 僕はよぼよぼの足を前に動かす。愛する人のためなら、僕はどこへだって歩ける。例えどんな苦しみが待っていようとも。




 真紀に会えるまで、あと22年。


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