第46話「再会の時」



 僕の住んでいた街はもはや過去の名残をほとんど残しておらず、立派な近未来風の大都会へと発展を遂げた。銀色の高層が立ち並び、その間にはモノレールが運行している。地上を行き交う車両にはタイヤが無く、1メートル程宙に浮いた状態で走行している。


 まさに絵に描いたような未来都市だった。かつて地震で壊滅状態に陥った事実があるとは、とても思えない。よくここまで発展したものだ。


 広々としたビルのモニター画面には大きく「人類の夢“タイムマシン”ついに」と見出しが表示されている。ようやくタイムマシンの存在が世間に合法的に認知されるようになった。タイムリー・ガードンという名の物理研究学者が開発したという。


 真紀との再会がすぐそこまで迫っていることを実感した。もしかしたら、真紀はもうこの世界に既に誕生しているかもしれない。僕は高鳴る心臓を落ち着かせ、杖をつきながら自宅へと戻る。

 足がふらつく。年寄りの体はこんなに辛いものなのか。だが負けない。もうすぐなんだ。




 真紀に会えるまで、あと6年。








「青葉さん。朝ですよ~」


 女性の声で目が覚める。だが、この声の主は真紀ではない。僕はゆっくりと目を開ける。


「朝ごはん作りました。自分で食べられますか?」

「……はい」


 この人の名前は西村若菜にしむらわかな。僕の専属の介護福祉士だ。そう、僕は今介護する人を雇いながらでないと、まともな生活は望めない。

 だが、仕方のないことだ。老いというものは、必ず長寿な人生にまとわりついてくる。僕も今となっては白い髭とシワだらけのおじいさんだ。杖無しではうまく歩けないし、息が長く続かない。


「……」


 だが、若菜さんに助けてもらいながら、何とか命は繋いでいけている。自分の手でスプーンを握り、朝食のスープを飲んでいる。


「それにしてもすごいですね」

「え?」

「青葉さん、もう100歳越えですよね? 全然そんな感じには見えませんよ。食事も自分で食べられるし、歩くのだって杖は使いますけど、自分の足で歩いてますし……」


 老いぼれになったとしてもある程度の健康体は維持しておかなくてはと思い、日頃から適度な運動、バランスのよい食事、十分な睡眠を心がけてきたつもりだ。それが実を結び、現在101歳まで生き長らえた。

 今はもう体が弱ってしまったが、若菜さんに助けてもらいながら、苦労しない生活を送ることができている。


「70代や80代って言ってもおかしくないくらいですよ」

「……そうですか。ありがとうございます」


 やはり誰かと一緒にいるというのは、こんなにも温かいもののか。彼女に支えてもらうおかげで、毎日落ち着いた生活ができている。これなら、いつでも胸を張って真紀に会うことができるだろう。


「それで、今日も行くんですか? 街の方に……」

「……はい」

「やっぱり一人でなんて危険だと思います!行くなら私も一緒に……」

「大丈夫ですよ。すぐ戻ってきますから」


 そう言って、僕は朝食を終えて食器類を若菜さんに預けた。速やかに皿洗いを終えた若菜さんに手伝ってもらいながら、僕は服を着替え、出かけるための軽い身支度を済ませた。そして玄関で靴を履き、杖をつきながらゆっくりと立つ。


「気をつけてくださいね? 何かあったら私に連絡してください」

「はい……行ってきます」


 僕はぎこちない足取りで家を出る。真紀を探しに都市部を目指す。ついにあれから84年経った。未来人のことは誰にも他言してはいない。秘密を最後まで守り通した。時間監理局の人達が未来から記憶消却をしに来ることもなかった。真紀のことを覚えている状態で、やっとここまで来た。


 そろそろ真紀と出会える時期のはずだ。だが、どこにいるかは僕にも検討がつかない。とにかく僕は、人が集中する都市部へと向かった。

 今僕が住んでいる家は都市部から少し離れた郊外にある。そこから電車に乗って、人並みに揺られながら進む。もたもたとした歩き方なので、急ぐ人の迷惑になっている。


 人の圧に耐えながら、僕は都市の歩道をただひたすら歩く。行き交う人の群れを見つめ、必死に真紀を探す。この中にいるかどうかは分からないが、とにかく自分の足が届く範囲から探し始める。


「真紀……」




 あれから何時間たっただろうか。ひたすら歩き続けたが、真紀らしき人物は見当たらない。行き交う人々の姿もいつの間にか無くなっており、周りの往き来の人数が少なくなってきた。

 ずいぶんとしんとした場所に来てしまったな。僕は偶然見つけたベンチに腰を下ろし、深くため息をする。


「はぁ……」


 もう体が限界に近い。疲労がこれでもかという程に、自分の体に重くのし掛かる。特に今日はかなりの猛暑日で、ただでさえ体力の無い老体をむしばむ。じめじめとした汗が服に染み付いて気持ち悪い。照りつける太陽のせいで、歩く気力も湧いてこない。


 今日はここまでか。真紀は一体どこにいるのだろう。もしかしたらこの街にはいないのかも。どこか遠くの街にいるのか。元々困難だと分かってはいたが、こんなにも苦労するとは思わなかった。やはり再会など無理だったのだろうか。


「……」


 帰ろう。とりあえず今日はここまでにしよう。あまり長く出ていると、若菜さんが心配する。明日また探しに来てみよう。今度は若菜さんにも事情を説明して、探すのに協力してみるのも……






「まぁ、自由研究終わったら、直美もどっか楽しい時代連れてってあげるわよ」

「楽しい時代っていつよ?」

「ん~、氷河期?」

「どこが楽しいのよ」


 誰かの会話が聞こえてきた。僕の近くを通り過ぎていった女子高生達が、夏休みの予定について歩きながら話し合っているようだった。

 夏休みか……。さぞ楽しそうな顔をして話していることだろう。僕は女子高生達の方へ顔を向け、彼女達の顔を確認した。


 一人は長い黒色の髪でメガネをかけており、冷めた目でもう一人の子を見ている。そのもう一人の子は、対照的に明るい顔だ。緑色の髪で後ろをポニーテールにして結んでおり、メガネの子に可愛い笑顔を向けている。あの笑顔……何やら見覚えがある。


 あれは……




「……真紀?」


 間違いない、真紀だ。すれ違った時に聞こえたあの明るいトーンの声。そして何より、あの笑顔。僕がずっと探し求めていた笑顔だ。やっと会えた。思いがけない奇跡が起きた。


 ダッ

 僕は思い切りベンチから立ち上がり、杖をつきながら真紀の元へ駆け寄る。心臓の音が急かすかのようにバクバクと音をたてる。何十年も待った。多くの挫折も経験したが、それを乗り越えて生き延びることができたのは、真紀のおかげだ。


 真紀……やっと会えた!


「真紀!!!」


 全身の力を振り絞って叫んだ。二人はこちらに気がついて振り向いた。真紀もこちらを見つめる。その顔、やはり真紀だ。学校の制服らしい衣装を身につけている。学校帰りだろうか。


「真紀……真紀……真紀だ……」


 真紀に会えた嬉しさだけが先走りして、他の言葉が出てこない。それに息も荒れており、まともな話がしたくても口が思うように動かない。


「やっと……やっと見つけたぁ……」


 すると、こちらを見る真紀の目が、怪しいものを見る目に変わっていることに気がついた。どうしたのだろう。僕だよ……青葉満だよ。


「誰? この人。真紀の知り合い?」


 メガネの子が隣の真紀に尋ねる。そうだ。僕は真紀の……






「いや、知らないよ。こんなおじさん」


 衝撃の台詞が放たれた。それも真紀の口から。え? 知らない? 僕のことを知らないって、どうして? だって真紀……あんなに僕のこと愛してくれたじゃないか……。それなのに……


「えっと……おじさん誰だっけ?」


 真紀が苦笑いで尋ねる。だが、その声は僕の耳には届かない。心臓の鼓動がどんどん激しくなってくる。

 そうだ……僕は今よぼよぼの老人なんだ。姿を見ただけじゃ、僕が誰かなんて分からないよね。ど、どうすれば……あっ……な、名前……名前……さえ言えば……。


「そんな……真紀……なんで……」


 なんで僕の口は自分の名前を言わないんだ? 悲しみの声だけしか出てこない。さっきから口が勝手に動く。僕が話したいことが発せられない。全身の震えも止まらない。メガネや杖がカタカタと揺れる。体を思うように制御できない。


 どうしよう……完全に体が悲しみに支配されてしまった。


「真紀……真紀……真紀……」


 僕の口は何度も真紀の名前を連呼する。そして、ゆっくりと真紀の方に向かって右手が伸びる。僕の意識とは無関係に。真紀は僕を見て震えている。


「ちょっ、これヤバくない? 真紀! 逃げよ?」


 スタッ!

 隣のメガネの子が真紀の腕をつかんで引っ張っり、全速力で逃げ出した。真紀はおどおどした様子を見せながらも走り始める。


「待って! あっ……」


 ドスッ

 地面に切れ目ができており、そこに爪先が

引っ掛かって転んだ。膝を強く打ち付け、その場に倒れこんだ。起き上がる力は残されていなかった。もちろん、追いかける力も。


 逃げ去る真紀の姿がスローモーションに見えた。角を曲がり、見えなくなっていく。真紀……どうして……




「どうして覚えていないんだよ……」


 もう周りには誰もいなかった。静かすぎる歩道の上で、僕は倒れながら一人泣いた。


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