第37話「できない」



「真紀……」

「恐れていたことが本当に起きてしまうなんてね……」


 愛とアレイは再び椅子に座る。いつかこうなると予測はしていたのだが、いざ自分の娘が元の時代に帰りたくないと言いだす様は、見ていて心苦しい。だが、救助が来るのは決定したこと。どうしたものか。


「さっきは急に怒鳴ってしまってごめんなさい……」

「いいよ。でも、それは真紀本人に言うべきだね。一番辛いのは真紀なんだから……」

「そうね……」


 愛はいつも真紀に厳しくなってしまう。それは決して悪ふざけなどではない。娘を想う母親の愛だ。真紀には誠実で立派な人間に育ってほしいと願っている。

 だが今回に限っては、かなり言い過ぎてしまったのではないかと後悔している。娘の初恋は確かに嬉しいが、タイムトラベラーとしての規則が頭を過り、素直に喜ぶことができない。


「私、真紀のこと何も分かっていなかった。母親失格ね……」


 愛の頬に涙がつたう。それを見たアレイが口を開く。


「愛、僕らが初めて出会った時のこと、覚えてる?」

「え?」








「はぁ……まだ眠いや……」


 とあるビル街の郊外。時間監理局に所属したばかりのアレイは、いつもの通勤で利用する公園通りを歩いていた。今日はとある大切な会議の日。そのため、通常より一時間早く出勤した。何も問題がなければ、予定の時間に間に合う。アレイは歩みを進める。


「無い……無いわ……」


 すると、池沿いにあるジョギングコースに差し掛かったところで、声が聞こえた。ふと横に目をやると、女性が膝をついて地面に顔を近づけている。手当たり次第に地面を触って、必死に何かを探している。


 アレイは足を止め、女性に声をかける。


「あの……」

「はい?」

「何かお探しですか?」

「えっと……」


 女性は困った顔をしていた。これは助けて欲しいと頼むべきか否か、迷っている顔だ。今のアレイは出勤中ということもあり、スーツ姿である。忙しそうだから、助けを求めたら迷惑か。そのような類のことを考えているのだろう。


「落とし物……ですか?」

「はい」

「僕、探すの手伝いますよ」

「え?」


 アレイは女性に微笑みかける。余裕を持って家を出てよかった。出勤時間まで余裕は十分にあるはずだ。軽い探し物くらい手伝ったっていいだろう。


「あ、ありがとうございます……」


 本人さえ良ければもう問題はない。アレイは腰を下ろしてしゃがむ。それにしても、女性はやけにオドオドしてる様子だ。相手が男性であるため、緊張しているのだろうか。


「えっと、家の鍵です。キーホルダーにピンクのハートのストラップがついた……」


 これはまた大事な物を落としてしまったな。ハートのストラップとは、これまた可愛い……。アレイは内心ときめいた。

 見たところ学生ではない。女性は社会人だ。その歳でハートのストラップ。だが可愛い。ギャップ萌えというやつだろうか。違うとしても、可愛いのに違いはない。


「オッケー! さぁ、探すぞ!」


 アレイはシャツの袖をまくった。




「うーん……」


 アレイは頭を悩ませる。あれから30分程経っているが、全く見つからない。ストラップくらい見つけられると思ったのだが、認識が甘かったらしい。それにしても、そろそろ出勤しないとまずい。会議に遅刻してしまう。


「すいません……」


 二人の間に気まずい空気が流れる。女性は自分のせいで迷惑をかけてしまったという顔をしている。アレイも目を合わせられなくなり、池の方を向く。


「ん? あぁぁ!!!」


 アレイは池の柵に手をついて顔を乗り出す。池の水面上に何やら小さな物体が浮いている。さらに顔を伸ばして目を凝らす。太陽の光に照らされて反射している。間違いない、金属だ。女性が探しているストラップだろうか。


「やっぱり……よし!」


 アレイは携帯を取り出し、電話をかける。


「あ、前橋? ごめん、ちょっと頼みたいことが……」


 アレイは悟った。会議には間に合わないと。そこで、同僚に無理を言って、会議に代わりに出てもらうことにした。一度助けると決めた以上、最後まで尽くそうと決心した。


「資料は後でそっちのパソコンに送っとくから。本当にごめんね! 今度何か奢るから! とにかくよろしく!」


 ピッ

 アレイは電話を切り、女性の方へ向く。これで会議のことは一旦頭から忘れることができる。


「すみません、ちょっとここで待っててください。いいもの取ってきますんで!」

「え? いいもの? あっ、ちょっと……」


 女性の声かけを聞かず、アレイは走り出してしまった。戻ってきたのはその数十分後だった。


「お待たせしました! じゃ~ん! ウルトラマグネットガン~!」

「マグネット?」


 汗だくで戻ってきたアレイは、ハンドガンの形をした装置を見せつけた。女性はきょとんとした表情で装置を見つめる。


「それ!」


 アレイは装置の引き金を引いた。ゴーンという鈍い音が響き渡る。すると、池に浮いた物体はゆっくりと近づき出した。水面に波紋をつくりながら、物体は装置に向かっていく。


 ピュンッ

 急に物体が水面上で跳ね上がり、装置の銃口に吸い付く。チャリンと音を立てたその物体は、紛れもなくストラップのついた鍵だった。


「わぁ~!」

「これは金属でできたものなら何でも吸い付けることができる銃なんだ」

「すごいですね!」


 アレイは自信満々に装置を見せつける。便利な時代になったものだ。アレイは銃口から鍵を外し、ズボンのポケットからハンカチを取り出して水滴を拭う。


「あ、そこまでしていただかなくても……悪いですから」

「大丈夫大丈夫」


 アレイはハンカチで拭き終わった鍵を見た。鍵にはさっき女性の言っていた可愛いハートのストラップがついていた。そして、ハートの中心には大きく赤い文字で「愛」と記されていた。


「愛……こういうの好きなんだね」

「あ、はい。それもありますけど……」


 さっきまでうつむいていた女性が、しっかりと顔を上げ、アレイの方を向いて言った。


「私、名前が愛なので……」

「そ、そうなんだ……」

「本当に……ありがとうございます……///」


 可愛い。その顔はストラップ以上だ。そして、今までアレイが出会った女性の誰よりも。それは、アレイが今まで経験したこのない一目惚れだった。








「そうだったわね」

「あの頃の君は本当にうるわしかったねぇ~」

「何よ? 今は違うって言いたいの?」

「ひはうひはう! いれれれれ! いはいっへ!」


 アレイの頬を思いきりつねる愛。愛しの夫の優しげな語りのおかげで、少し空気が和らいだようだ。


「でも、なんでそんなこと急に……」

「いや、なんて言うかさ、人の出会いは不思議なものだって思ってね」

「え?」

「人が恋に落ちる原理なんて、よく分からないものさ。いつ、どこで、どんな出会いかも予測できない。でも、それはすごく嬉しくて、とっても素敵なことなんだ」


 アレイの言葉の一つ一つが、愛の不安をほどいていく。それは、自分が一生愛していくと決めた相手の言葉だからだろうか。


「僕はそれをなるべく受け入れていくべきだと思う。受け入れれば、人はもっと幸せに生きていける。そう信じてるんだ」

「アナタ……」

「今回だってそうだ。真紀は満君を愛してしまった。確かに過去の人間に恋をしてしまったら、後々面倒なことが付きまとってくる。でも、それは仕方ないことなのかもしれないね」


 自分が愛と出会い、恋に落ちてしまったことを思い返すように、アレイは真紀の恋について語る。二人が恋仲に発展してしまうことを恐れながらも、父親として喜ばしいことであり、応援してやりたい気持ちも芽生えている。


「まぁ、真紀の問題だから、これからどうするかは真紀自身が決めるべきだろうけど。でもね、僕としては満君にも真紀のことを覚えていてほしい。真紀自身もそう思ってるはずだから」

「……ありがとう。落ち着いたわ」

「とりあえず、僕らは見守るとしよう。真紀の選択をね」


 アレイと愛は天井を見上げる。どうか誰もが納得のいく未来が訪れるよう、祈りを捧げながら。




   * * * * * * *




 キー

 私はゆっくりと満君の部屋のドアを開ける。寝ている満君を起こさないように。


「……」


 満君はすうすうと寝息を立てている。起きてはいない。気づかれないように部屋に侵入する。そして、私はパジャマのズボンのポケットからメモリーキューブを取り出す。


“私が……やらなきゃ……”


 先程から考えている。満君には私のことを忘れて欲しくない。だけど、忘れないとパパやママは安心して帰れない。きっと満君の記憶を消さずに未来へ帰ったら、二人が罰則を受けることになる。

 家族にはなるべく迷惑をかけたくない。全部私のせいでこんなことになったのだから。やはりここは家族の安心を選ぶべきか。


「うっ……」


 私はメモリーキューブのダイヤルを回す。投げる準備をする。それでも、腕が震えて投げられない。満君を愛する気持ちが、私の腕を掴んで離さない。


 いや、やらなきゃ。私は最後の覚悟を決めた。満君、ごめんね……。


「!!!」


 やれ……やるんだ! 私!






「……だよ」


 え? 今の声……満君だ! 満君の……寝言?


「嫌だよ……真紀……」


 満君が寝言を呟きながら寝返りをうつ。そして、私は見た。彼の目には涙が浮かんでいた。涙は頬をつたって枕を濡らす。彼はとても苦しそうだ。とても悲しそうだ。


「嫌だ……よ……」




「満君……」


 私のことを好きになってくれた満君。この涙が、彼が本当に私のことを愛してくれていることを証明している。そして、私が彼の初恋の相手。満君は初恋の相手を忘れるのだ。




 バタッ

 私は脱力してその場に倒れこむ。私の目からも涙が溢れ出てくる。この涙を見てしまったら、もうできない。


「できるわけ……ないじゃない……」


 メモリーキューブは私の手からこぼれ落ち、床に転がる。忘れてほしくない。満君には、私のことをずっと覚えててほしい。だって、満君のことが大好きだから。もう一生他の誰も愛さないってくらい、大好きで大好きでたまらないから。


 でも、それは絶対に過去の人間には抱いてはいけない感情。未来人として決して越えてはならない一線を越えてしまい、行き場を失う私。ただ好きな人ができただけなのに。人を愛するのがダメなんて……どうかしてるわ。




“ねぇ、真紀ちゃんはどう思う?”


 ふと、心の中で声が聞こえた。咲有里さんの声だ。


“罪を犯してまで人を愛するのって、いいと思う?”


 咲有里さんのあの台詞が心の中に響く。未だに私はその答えを出せないままでいた。


「私、どうすればいいの……」


 満君は深い眠りに入っている。誰も私の言葉に答えてはくれない。時間は迷いだけを乗せて、タイムリミットへと私達を運んでいく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る