第4章「それでも僕は / 私は」

第36話「愛に惑う二人」



「好きだ、真紀。君のことが」


 言ってしまった。こんなことを言ったら、真紀が迷惑だと思うに決まっている。真紀は未来人だ。この時代の人間ではない。過去の人間と恋人になって付き合うなど、そんなおかしな話があるか。


「……え?」

「ごめん、真紀。どうしても伝えたかったことなんだ……」


 それでも伝えたかった。過去の人間と未来の人間、そこの線引きは理解しているつもりだった。

 しかし、真紀と過ごしているうちに、いつのまにかその境界線が見えなくなった。その先の世界ばかり見たくなった。僕がまだ知らなかった世界だったから。そう思ったのも真紀に会えたからだ。


 でも……


「でも、こんなこと言われても迷惑だよね……僕、本当に馬鹿だ……」


 勝手に好きになっておいて、しかもこの場でいきなり告白なんて、僕は本当に馬鹿野郎だ。何が優しい人間だ。自分のことしか考えていないじゃないか。


「……」


 何も答えずにうつむく真紀。その頬に一筋の涙がつたう。やはり迷惑だったか。




「ほんと、馬鹿だよ。満君……」


 真紀は袖で涙を拭い、ゆっくりと僕の方へ顔を向ける。






「私まで、同じ気持ちにさせるんだから……」


 衝撃の言葉が耳に入ってきた。同じとは……。


「私も、満君のことが好き」


 真紀の返事を聞いて、心臓が止まったように感じた。今聞こえた台詞は聞き間違いではないだろうか。自分の耳が疑わしい。自分の都合よく聞こえるように狂ってしまったのではないかと疑った。


「満君と一緒に過ごしてたら、いつの間にかね……」


 だが、それは紛れもなく真紀の本音だった。彼女も僕のことが好きだなんて、神様は贅沢を与え過ぎなのではないか。気づかないうちに、真紀も僕のことを愛してくれていたのか。友達としてではなく、男女の関係として。


「でも、満君やっぱり馬鹿だよ……」


 真紀は急に顔を強ばらせた。そして僕に吐き捨てる。


「私、迷惑だなんて思わないわよ! 私だって好きだもん! そう思ったのって、どうせ私が未来人だからとか、そんなくだらない理由でしょ?」


 いつになく怒鳴り散らす真紀。こんなに感情を荒々しく吐き出した真紀は初めて見た。僕が真紀を愛してしまうことを、勝手に迷惑だと決めつけられたことへの怒りだ。そして、それは彼女がきちんと僕のことを愛してくれていることの証明だった。


 真紀の言う通り僕は大馬鹿者で、彼女は本当に優しい人間だ。


「未来の人間だとか、過去の人間だとか、そんなの関係ないわよ! それで好きになっちゃダメとか、そんなのあるわけないじゃない! そんなことも分からないの!?」


 小さな拳で僕の胸を叩きながら訴える真紀。彼女の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。言葉の一つ一つがなお美しく、僕の心に突き刺さる。


「真紀……」

「満君……」


 真紀は叩くのやめ、僕に身を寄せる。僕は真紀の左手に自分の左手をそっと添える。


「ありがとう。真紀、大好きだよ……」

「私も……大好き……」




 僕は目を閉じながら、真紀の唇にそっとキスをした。真紀も目を閉じながら、僕に体を近づけてきた。生まれて初めてのキスだ。周りに人はおらず、イルミネーションに照らされた広場。完全に二人だけの世界。とても幸せな時間だった。今までのどんな時間よりも。


 心臓の音がうるさい。さっきからドキドキして気が散る。だが、これが恋というものか。初めての経験だが、僕はすんなりと受け入れることができた。これも相手が真紀だったからかもしれない。ありがとう、真紀。






 電車がガタンゴトンと揺れる。真っ暗な窓の景色が、時たま電灯の光りを運んでくる。僕らは家に帰るところだ。真紀は僕の肩にもたれかかって眠りこけている。

 遊園地でたくさん遊んだこともあるが、自分の気持ちと本音をぶちまけたことによる疲労もあるだろう。その寝顔でさえ美しい。囚われたお姫様のようだ。


「……」


 僕は窓に映る自分自身と真紀の顔を眺めて、幸せなような後悔のような、複雑な感情に揺れる。いや、若干後悔の方が勝っているかもしれない。真紀に好きだと伝えたことにより、真紀も僕のことが好きだったと分かった。この先の展開がなんとなく読めてくる。


 取り返しのつかないことをしてしまった。いや、取り返しのつけたくないことをしてしまった。僕はそう思った。


「一体どうすればいいんだ……」


 真紀は深い眠りに入っている。他の乗客も各々疲れの末眠っている。誰も僕の言葉に答えてはくれない。電車は迷いだけを乗せて、暗闇へと僕らを運んでいく。








「……」


 家に帰った僕は、自室で一人椅子に腰かける。時刻は午後11時を回っている。いつもなら真紀がベッドに入ってきて、一緒に寝てくれとせがんでくる頃だろう。だが、真紀は今風呂に入っている。


 そして、恐らく真紀は今夜ここには来ない。今日、僕らはお互い両想いだと分かった。本来ならば喜ぶべきなのだろうけど、どうしてもそんな気分になれない。

 気まずい雰囲気になってしまい、お互いに距離を置き始めた。実際僕も、これからどのように真紀と関わっていけばよいのかわからない。


「真紀……」


 恐らく真紀も悩んでいることだろう。迷惑ではないと言っていたが、真紀にとっても初めてのことだ。考える時間を欲しがって、僕と距離を置いている。


 今の僕にできることはないか。今だからこそ……何か……。




「……!」


 僕は目の前にごま団子の空箱が置いてあることに気がついた。真紀達にあげたあの日、空になった箱を僕が持って帰ったのだ。山の中にゴミを捨てるわけにはいかないから。その空箱がまだ捨てられずに、勉強机の上に置かれてあった。


 そういえば、何かに使えそうだと思って、そのまま置いといたんだっけ。でもきっと、この箱すら真紀との大事な思い出のような気がして、無意識に残しておきたかったんだろう。それほど僕は真紀のことを意識していたんだ。


「これ、使えるかな?」


 ただの箱だが、これを使って何かできないか咄嗟に考えた。真紀のためになるような……何か……。


「そうだ!」


 僕はいいアイデアを思いついた。まず箱には触れず、キャスターの引き出しからB5サイズのメモ用紙とペンを取り出した。


「……」


 メモ用紙に書き連ねていく。僕の思いを、素直な気持ちを。真紀のために。


“真紀……”


 もし、彼女のためになるようなことが残っているとしたら。もし彼女への思いを残しておくことが許されるとしたら。こういう時こそ前向きに、明るい未来を見据えた行動に出るんだ。僕は心の中で彼女を想いながら、必死に筆を動かした。






 脱衣場で咲有里さんのパジャマに着替えた私は、廊下に出て居間へ向かう。扉の隙間から光がこぼれていた。まだ明かりが点いている。リビングに誰かいるのかしら。


 ガラッ


「真紀、おかえり」

「パパ……ママ……まだ起きてたの?」


 パパとママだった。二人でコーヒーを淹れて飲んでいた。こんな夜中まで起きて、一体何してるのよ?


「真紀、話があるんだ」


 パパが嬉しさと悲しさを半々にしたような微妙な顔で言う。こういう顔のパパは、大事な話をする時のパパだ。私は身構える。


「さっき、時間監理局と連絡がついた。未来から救助が来るそうだ」


 え、今なんて言った? 未来から救助……?


「この時代の日時でいう明日の午後5時に、向こうからお迎えが来るの。やっとお家に帰れるのよ」


 お家というのは、もちろんこの青葉家のことではない。この時代から84年後の、未来の神野家のこと。私達の本来のお家のことだ。時間監理局がこの時代に救助に来て、私達を保護してくれるという。


 明日の午後5時? ちょっと待ってよ。何よそれ。いきなりそんなこと言われたって……。


「ちょっと名残惜しいけど、やっぱり僕達は本来いるべき時代に帰らなくちゃいけないから……」


 もし満君と出会っていなくて、自分達の力だけでなんとか今日まで生き延びてこの瞬間を迎えたとしたら、私は思いっきり喜んで帰ることだろう。初めはずっと未来に帰りたいと願っていたから。

 だが、現状は違う。満君に助けてもらいながら、初めての経験も共有しながら、この瞬間を迎えてしまった。


「満君や咲有里さんには感謝しなきゃね。あの人達が助けてくれたおかげで、なんとかこの時代で生き延びれたもの」


 パパとママは、この時代を離れることを既に受け入れているらしい。


 だけど……


「……真紀? どうしたの?」






「……帰りたくない」


 私は受け入れられなかった。満君と出会って、恋に落ちて、ずっと一緒にいたいと思うようになってしまった。


「帰りたくないって……どういうこと?」

「私、満君のこと、好きだから……彼と一緒にいたい……この時代にずっといたい……」


 親の前で本音をさらけ出すのは、相当な勇気がいる。普段からよく言っているつもりだから、慣れていると思っていた。だが、今回は事態が事態だ。


「何言ってるのよ、真紀……。あっ、と、友達として、よね? そうよね?」

「違う。男女の恋愛関係というか……その……」


 本音を一つ一つさらけ出す度に胸が痛くなる。私の言葉が積み上げられていくほど、ママの焦りの顔が少しずつ怒りの顔に変わっていく。私だって分かってる。分かってるのに……。




 ダッ

 ママは椅子から立ち上がり、ものすごい勢いで私のところに来て肩を掴んできた。


「真紀! 今すぐ満君から記憶を奪いなさい! 真紀も満君のことを忘れなさい! 満君は過去の人間よ! 過去の人間に恋なんてしちゃダメ!」

「ママ……」


 ギリギリまで怖い顔を近づけて、肩をぐらぐらと揺らして怒鳴るママ。非常事態に正常な態度が保てなくなっている。


「愛! 落ち着いて!」


 パパが仲裁に入ろうとするものの、それを無視してママは続ける。


「過去の人間に恋なんてしたら、帰りたくなくなっちゃうでしょ!?」


 そう、未来人の決して越えてはならない一線。そもそも、過去の人間と必要以上に関わること自体がタイムトラベルにおいて禁止されているというのに、恋愛なんてもっての他だ。

 そして、今の私がまさにそれ。未来に帰らず、ずっと満君と一緒にいたいと思ってしまっている。彼に恋をしてしまったから。




「……何それ」


 でも、そんなの今の私に言ったところでもう無駄。私はこの気持ちを変えようとは思わない。忘れようとも思わない。そんなの嫌よ。私は満君のことを本気で愛してるんだから。

 ママはなんでそんなことを強要させてくるの? それが規則だから? 過去の人間に恋をしちゃダメ? そんなの知らないわよ。私の胸の中にも、小さな怒りが込み上げてくる。


「誰が誰を好きになったって、別にいいじゃない……。未来の人間だとか、過去の人間だとか、そんなの関係ないでしょ!? 娘の好きな人を、なんでそんなに受け入れられないの!?」

「真紀……」


 私の顔はまたもや涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。みっともない顔だけど、怒りをぶちまけたと同時に、溢れだして止まらないんだもの。ママは申し訳なさそうな顔をしている。


「……!」


 ダッ

 私は居づらくなってその場から駆け出した。居間の扉を豪快に開けて、階段を上っていった。涙や鼻水が床にこぼれ落ちて染みを作るけど、そんなのお構い無しに走った。


「真紀!」


 ママの呼び止める声が聞こえた。私はそれを無視して物置部屋に閉じこもった。


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