第23話「お人好し」



 22年前。咲有里がまだ大学生の頃。日曜の休日に咲有里は大学近くで開催されるスイーツ博に来ていた。フルーツだのケーキだの、それなりに楽しんだ後、帰宅する。開催地のあるビル街から、少し離れたこじんまりとしたバス停へ向かう。


 パラッ


「あら、大変!」


 咲有里の頭で大きな雨粒が弾ける。突然の雨に、咲有里は足を早める。


 ザァァァァ

 雨は次第に強くなる。咲有里は角を曲がり、ようやくバス停を発見する。そこには雨避け用の屋根から人がはみ出るほどの長者の列ができていた。はみ出たところに並んでいる者達は、雨が降りだしたことに気がつき、次々と傘を広げる。


「ふぅ……」


 咲有里は列の最後尾に並ぶ。折り畳み傘を取り出そうと、バッグに手を入れる。




「あっ、そんな……」


 十数秒バッグの中を探った後、思い出した。折り畳み傘を家に忘れてきてしまったのだ。天気予報で今日は雨が降ることは確認済みであり、折り畳み傘を用意してはいた。しかし、家を出る際に玄関にでも置き忘れてしまったのだろう。


「どうしよう……」


 バスはまだ来る気配は無い。雨避け用の屋根の下も人が集まっており、入れそうなスペースは無い。咲有里以外の者は自分の傘を持ってきている。一人雨ざらしとなる咲有里。


「くしゅんっ!」


 くしゃみが出る。寒い。身につけたカーディガンはみるみるうちに雨水に染まっていき、体も冷えていく。このままでは風邪を引いてしまう。




「あの……よかったら入りますか?」


 すると、目の前に並んでいた男性が、咲有里に傘を差し出した。メガネをかけた灰色髪の男性だった。


「あ、ありがとうございます……///」


 咲有里は恩に乗っかり、その男性の傘に一緒に入った。二人で一つの傘に入る。俗に言う相合い傘の状態だ。雨水が当たらないよう体を密着させなければならないため、少々恥ずかしい思いをした。しかし、彼のおかげでそれ以上に服が濡れずに済んだ。




 そう、この男性こそが宏一だった。これが宏一と咲有里の出会いだ。






 出会いというのは、本当に不思議なものである。いつ、どこで、どんなきっかけがあって起こるものか、誰にもわからない。タイムマシンを発明した未来人でさえも。


 咲有里は宏一にお礼をするために、バスの中で彼の連絡先を聞いた。それから二人は頻繁に連絡を取り合うようになった。当時、宏一はビジネス系の専門学校に通う学生だった。

 歳近で学生同士ということもあって親近感が湧き、二人の仲はますます良好なものへとなっていった。


 一年後、二人は恋人となった。それから更に二年後、宏一の方からプロポーズをして二人は結婚した。その二年後には満が生まれ、青葉家の幸せな生活は続いたのだった。








「あの人はとにかく優しい人だったわ。私が困ってたら何でも助けてくれたの」

「そうなんですか」


 咲有里の優しげな声で発せられる語りを、真紀はソファーに座りながらじっくりと聞く。満の優しさは、父親である宏一から受け継いだようなものだろうか。はやり子は親に似るものだと、真紀は納得した。


「でもね、いつでも他人のことばかり気にしてた。自分のことは二の次で。とにかくすっごくお人好しなのよ」


 そういった一面もやさり満に似ていると思い、真紀はふふっと笑った。自分の苦労も省みず、他人のために無条件で優しさを振る舞うことができる。青葉家は立派なお人好し一家だ。


「それで? 他には?」

「ん~、本当になんでもないことなんだけど、あの人との思い出の中で不思議と印象に残ったことがあるの」

「え? それって何ですか!?」


 強く食い付く真紀。自分でも驚いている。他人の結婚相手の話で、ここまで熱中することができたのは初めてだ。咲有里の語りが驚くほど穏やかで、聞いているだけで心が温められていくような気がしているからだろうか。


「あらあら。本当になんでもないことよ?それでも聞きたい?」

「聞きたい!」


 真紀の瞳は、宝石にも負けないほど好奇心で輝いていた。






 宏一と咲有里が恋人として付き合い始めてから半年、宏一は咲有里の家で同居することになった。偶然にも、宏一の通う専門学校は咲有里の家から徒歩圏内にあり、通学には支障は無かった。

 両親を早くに亡くし、一人でひっそりと暮らしていた咲有里は、宏一を温かく迎え入れた。宏一は実家を離れての一人暮らしだった。両親からの了解も得て、宏一は元々住んでいたアパートを引き払い、咲有里の家へ移り住んだ。こうして二人暮らしが始まった。




 ある日、二人はテレビドラマを見ていた。何の用事もない休日は、二人で家で一緒に過ごすことを約束している。

 ドラマの中でとある男がスーパーで万引きをして、それが発覚して警察に問い詰められていた。緊迫した空気が瞳を刺した。


『なんで盗った? 答えろ』

『俺には家族がいる。もうすぐ小学生になる娘と、病気で寝込んだ女房が……。今の家の家計は俺にかかってんだ! だが、俺の安い給料じゃ毎日食っていくなんて無理だ! 家族を養っていかなきゃなんねぇのに……』


 貧乏な家を、苦しむ家族を、少しでも助けてやりたいと思っての行動だった。だが、万引きは犯罪である。今回のところは男の処分は商品の返却と注意喚起だけで済まされた。


 そんな物語の行方を、固唾を飲んで見る二人。最終的に男とその家族は、ハッピーエンドを迎えて物語は完結した。だが、咲有里にはあの男に万引きの理由を問うシーンが、一番印象に残ったらしい。




 ドラマを見終え、二人で洗濯物を畳んでいる時、咲有里が口を開く。


「ねぇ、宏一さん」

「ん?」

「あのドラマの男の人……」

「あの男かい? まぁ、万引きしたことはともかく、家族への愛は本物なんだろうけど……」


 宏一は広い視野を持っている。万引きという事実だけで物事を考えず、男の気持ちまでしっかり理解していた。咲有里は宏一の目を見つめて言う。


「ねぇ、罪を犯してまで人を愛するのって、いいと思う?」

「……」


 宏一はしばらく黙る。何と返せばよいかわからない。普段は温厚な咲有里が、ここまで真剣な表情を見せるのは初めてだった。


「どうだろう……。ただ、もし君が僕のことを愛するが故に罪を犯したとしても、僕はきっと君のこと許しちゃうんだろうなぁ……」


 宏一らしい答え方だと、咲有里は思った。もちろん明確な答えを求めていたわけではない。ただ、思わぬ形で宏一が自分のことを本当に愛してくれているということが分かり、幸せに思う咲有里だった。






「いい話じゃないですか~」

「うふふ、ありがとう♪ ねぇ、真紀ちゃんはどう思う?」

「え?」


 いい話でジーンと感動する真紀に対し、咲有里は同じことを聞いた。当然明確な答えを求めているわけではなく、興味本位で真紀ならどう答えるかが気になったのだ。


「罪を犯してまで人を愛するのって、いいと思う?」


 真紀は答えに悩んだ。そもそも、自分は今までしっかりと好きな人ができたことはない。いや、もしかしたら自分で気づいていないだけで、密かに誰かに好意を抱いているのかもしれない。


 一体誰を……だが、いたとしてもその人のために罪を犯すとは。何にせよ、真紀は質問に答えることができなかった。


「私は……」




 ガチャッ


「ただいま~」


 玄関のドアが開き、満が帰ってきた。今日は始業式で授業が少ない。昼前に生徒は帰宅できる。時刻を確認すると、午後12時30分を過ぎていた。あれからもう4時間近く経過していたのだ。真紀と咲有里はずいぶん長話をしていたらしい。


 ダダダダダ


「咲有里さん! あ、満君お帰りなさい。それより咲有里さん! 次は何をすれば!?」


 風呂場の掃除を終えた愛が、ものすごい勢いで居間へやって来た。真紀と咲有里は向かい合って笑った。今も昔も、この家が賑やかなのは変わらなかった。






 アレイはセーフティーイヤホンを耳に入れ、山道を進む。


「あった、ここだ」


 タイムマシンの残骸と、接近妨害電波発信装置が残る場所へとたどり着いた。装置はまだ音を鳴らし続けている。タイムマシンの残骸も、変わったところはない。

 本当に誰もこの場には近寄らなかったようだ。装置はしっかりと働いているらしい。


「さてと」


 タイムマシンが無事……ではないが、誰にも見つかってはいないことを確認し、アレイは例の作業に取りかかる。そう、タイムマシンの修理だ。


「……」


 この時代に来たあの日。真紀は自分のせいでこんなことになってしまったと嘆いていた。だが、真紀だけではなかった。アレイも責任を感じていたのだ。

 あの時、自分がうまくタイムボールトの群れをかわしていたら。ワームホールの乱れが起こることを予測できていたら。タイムマシンを運転した者であるからこそ、家族を危険な事態に巻き込んでしまった自分を卑下していた。


 あれから何度も時間監理局に問い合わせてはいるが、未だに繋がらない。ワームホールの乱れは、今もなお続いているらしい。連絡がつかない今、未来へ帰れるかどうかは、アレイがタイムマシンを直せるかどうかにかかっている。


「やるぞ!」






「ダメだぁ……」


 始めてから二時間。作業は難航していた。自分の技量と知識では歯が立たない。


「どうするかなぁ……」


 青空の天辺で輝く太陽に照らされ、アレイは途方に暮れる。果たして神野家が未来へ帰ることができる日は来るのか。


 それとも……


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