第22話「青葉宏一」



 遺影に写るその男の人は灰色髪で、大きな丸いメガネをしていた。私はまじまじとその顔を見つめる。誰かしら、この人。


 もしかして……




「その人、満のお父さんよ。私の旦那さん」


 いつの間にか咲有里さんが和室に入ってきた。私が入ったところを見ていたのかもしれない。どうしよう、人の家の中であちこち歩き回っていたら迷惑だ。


「あ、咲有里さん。ごめんなさい、勝手に入っちゃって……」

「いいわよ」


 私と咲有里さんは再び満君のお父さんの顔を眺める。笑顔が優しげな雰囲気を帯びているところが、いかにも満君と同じだ。親子という事実も納得できる。

 それにしても、満君や咲有里さんもそうだけど、この人もメガネなんだ。一家揃って完全なるメガネ家族ということね。


 でも、遺影として飾ってあるということは……


「あの、満君のお父さんって……」

「うん。三年前に事故で亡くなったの」




   * * * * * * *




 これはとある一人の男の小さな黙示録。


 彼の名前は青葉宏一あおばこういち。満の父親だ。彼は主に紛争地を巡るジャーナリストだった。世界大戦が終結してもなお、世界の至るところでは規模の差はあれど、領土問題や宗教問題を巡って紛争が繰り広げられている。

 宏一はそうした紛争地帯に赴き、戦闘兵器の爆撃や食糧難に苦しむ市民へインタビューしたり、写真を撮影したりする。それらの情報を記事にまとめてマスメディアに売り、報道してもらう。言わば、フリーランスの戦場ジャーナリストだった。


 彼らは自らの命を危険に晒しながらも、ただ世界中の人々へ紛争の恐ろしい事実を知ってもらうために、戦場へカメラを向ける。宏一もその一人だった。


 ただ、宏一はその中でも変わった方だ。変わってると言っても性格だけではあるが、彼は比較的おっとりとした性格だった。

 それだけを見れば、戦場ジャーナリストのような人材にはあまり向いていないのではないかと思うことだろう。一瞬でも気を抜けばすぐ命を落としてしまうような危険地帯に、覚悟を持って挑むような勇敢な人材に。


 しかし、彼には「優しさ」があった。人の喜びや悲しみを共感する優しさを持っていた。それらのために動き出す行動力もあった。

 テレビのニュースや新聞記事などで苦しむ子ども達の悲痛の様を見て、この事実をもっと世間に広め、彼らを救う手助けがしたいと思うのは当然だった。彼は海の向こうへ飛び立ったのだ。




 そして、戦場ジャーナリストとして活躍すること実に4年。彼は多少は名のあるジャーナリストとなっていた。悲劇が起きたその日、彼はアフガニスタンの紛争地帯を巡っていた。


「えっと、この便だね」


 全ての取材を終え、飛行機でドバイを経由して日本へ戻る時のことだった。まずは、カブール国際空港からアラブ国際空港へ向かう便に乗った。飛行機は何事もなく離陸した。




「お客様、お飲み物はいかがなさいますか?」

「あ、ではコーヒーをお願いします」


 宏一はコーヒーを淹れるキャビンアテンダントに微笑みかける。この日もごく普通の、いつも通りの約2時間45分のフライトのはずだった。




 ダッ


「動くな!」

「え?」


 宏一の右斜めに座っていた男が、突然立ち上がってナイフのような凶器を掲げた。彼は機内を大声で脅す。


 ダッ ダッ


「大人しくしろ!」


 それに合わせて、複数の男が同じ凶器を持って立ち上がり、機内に大声を浴びせる。誰の目から見ても計画されていたと理解できる動きだ。


「動いたり喋ったりしたらその場で殺す」


 奴らはハイジャックだった。宏一は憎気を奮った。紛争地帯ではよく発生するテロリズムの一つだが、実際に自分がこんな間近に命の危機に晒されることはなかった。


「まぁ、最後はお前ら全員一緒に死んでもらうがな」


 人質にされた乗客の時が止まった。これは自爆テロだ。機内は複数のテロリスト達に完全に支配された。テロリスト達は乗客にナイフを向けながら機内をうろつく。


「……」


 すると、宏一の左隣の席に座っていた金髪の女性が、バッグの中へゆっくりと手を伸ばす。バッグの中の携帯で警察に通報しようとしてのことだ。


「そこのお前! 何をしている!」


 しかし、近くを通りかかったテロリストが、女性の不審な行動に気づく。女性の腕が固まる。テロリストは女性を睨み付ける。


「貴様……!」


 テロリストはナイフを握り締め、女性に向かって走る。自分達の計画を邪魔しようものなら容赦ない。女性は目を閉じて死を覚悟する。


「あっ!」




 グサッ

 テロリストが突き出したナイフは女性ではなく、宏一の腹に突き刺さった。宏一が間一髪で女性の前に立ち塞がり、身代わりとなったのだ。宏一は腹を抱えて床へ倒れこむ。


 バタッ


「うぅ……」

「クソッ、まぁいい。そろそろ決行だ」


 血で染まったナイフを持ったテロリストは、仲間の一人に合図を送った。その仲間はコックピットの方へと駆け出した。




 ガチャッ


「な、誰だ!? ぐぁっ」


 ザシュッ

 テロリストの仲間の一人がコックピットに侵入し、ナイフで操縦士の首を切り裂いた。


「おい、何を! ぐっ」


 ザシュッ

 目にも止まらぬ早業で、副操縦士の首も切り裂く。二人は首から血を流して倒れる。テロリスト達は運命に身を委ね、天を仰ぐ。決して常人には理解されることのない幻想を抱きながら。


「これで……俺達は神の祝福を受けることができるのだ……」


 ガガガガガ

 大きく揺れる機体。運が悪いことに、その日の天候は少々雲行きが怪しく、離陸後もしばらくは手動操縦を保っていた。そして今、操縦幹を握る者は誰もいない。こうなってしまっては、待ち受けるのは墜落だ。


 ガガガガガ

 機内は完全にパニックに陥る。騒ぎ出し、泣き叫ぶ乗客達。床に倒れこんだ宏一も、自分の乗っている飛行機が急降下していることに気づいていた。そして、ゆっくりと目を閉じる。


“咲有里……満……”




 離陸から約40分後、飛行機はカンダハール郊外の荒野に墜落した。当然墜落した飛行機は大炎上した。ハイジャック犯を含む乗員乗客249名のうち、奇跡的に生還した者はわずか6名だった。

 その6名には、宏一が助けたあの女性も含まれていた。しかし、宏一を含む243名の命が一瞬にして消えた。


 乗客の一人がハイジャック犯の隙をつき、密かに警察に連絡をしていたため、この事件は明るみに出た。だが、結果として多くの犠牲者を出した恐怖のハイジャック事件として有名になった。結局犯人の身元も犯行目的もわからず終いだった。


 宏一の死の知らせは後に咲有里と満の元へ伝えられた。遺骨は持ち帰ることができなかった。二人の元には宏一が乗った飛行機がハイジャックに遭い、墜落して彼は亡くなったという事実だけが伝えられた。

 もちろん、女性を救ったという小さな武勇伝は、助けられた女性本人だけが知っている。




   * * * * * * *




「時というのは恐ろしいわね。あれからまだ三年しか経っていないというのに、あの人がいない生活にもう慣れてしまうなんて……」


 私は咲有里さんの目を見た。瞳が潤んで今にも涙を流しそうだった。


「ごめんなさい。悲しいことを思い出させてしまって……」

「いいの。だって、思い出すことは大事なことだもの。大切な人のことは忘れちゃダメだから」

「大切な人……」


 不思議と心に刺さる。大切な人を忘れたくないという気持ち。もしかして、満君もそのことを思ったりするのかな。


「あの! この人の名前、宏一さんでしたよね?」

「ええ、それがどうしたの?」


 私にはまだ知らないことがたくさんある。それらに興味を持っている自分を不思議に思うけど、他人の家の亡くなった人に興味を持つというのは、少々失礼かもしれない。


 それなのに……


「宏一さんのこと、もっと教えてくれませんか?」


 私は知りたがっていた。その人のことを知ることで、その先にあるまた別の何かを知ることができそうな気がしたからだ。自分でもこんな形の好奇心は生まれて初めてかもしれない。


「そうねぇ……じゃあ一旦お掃除を中断して、お茶でも入れましょうか♪」


 私はただの息子の友達というだけの関係の者だ。そんな私に更に深く話をしてくれる咲有里さんに、私は大いに感謝した。


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