第9話「荒ぶるワームホール」



 タカノホシクサ。明治42年に発見されたホシクサ科の一種。主に湿地帯に生息し、ホシクサ科の中で唯一沈水性。水面上に花茎を伸ばして開花・実生する。物珍しさにより採取が繰り返され、その結果、採取圧により絶滅。


 何よこれ。こんなに可愛い植物が、人間の醜い欲望で絶滅しちゃったの? やるせないわね。


 パシャッ

 私は明治時代のとある湿地にて、これからの悲しい未来を約束された哀れな植物の写真を撮る。今はこんなに小さくてキュートな花を咲かせているけど、今後50年も経たずしてこの地から姿を消す。悲しいわ……。


「OK♪ タカノホシクサ、撮ったわよ」

「うん、これで最後だったよね? じゃあ、帰ろうか」


 案外あっという間に終わってしまったなぁ。楽しい時間というのは、こうも早く過ぎ去ってしまうものなのか。でも、様々な時代を巡って、いろんな植物の写真を撮れて楽しかった。私は一眼レフカメラをリュックにしまって立ち上がる。




「こら! お前達何をやっている!」


 すると、怖い顔をした中年男性が、林の向こうから声を荒らげながら走ってきた。え、誰?


「ここは私の土地だ! 余所者よそものが勝手に入るな!」


 あ、ここ個人の所有地なの? 柵とか無いから紛らわしいじゃない……。まぁ、文句言ってもしょうがないから、さっさと帰りますか。


「いやぁ~、すみません。すぐに消えますんで、そちらも忘れていただけませんか?」


 パパが愛想笑いをしながら答える。なんか反省の気が見えないんですけど……。ん? 忘れる?


「忘れろだと!? アンタ何を言っt……!」


 ビューン!

 黄色い光が男性に降り注ぐ。そう、男性の頭上には、メモリーキューブが黄色く輝きながら浮いていた。パパ、いつの間に投げたのかしら。


「ほら、真紀! 今のうちに逃げるよ」

「あ、うん!」


 私とパパ、ママは、その湿地からセコセコと退散した。メモリーキューブも役目を終えると、パパの手元へ戻っていった。




「あ、あれ? 私は……何をしていたんだ?」


 一人取り残された男性は、首をかしげる。その答えは一生明らかになることは無いだろう。








 タイムマシンに乗り、帰りのワームホールを潜り抜ける私達。今までに撮った写真を再確認しながらダベる。


「いや~パパ~、メモリーキューブが役に立ったね~♪」

「そうだね~。やっぱり必需品だよ」


 パパはメモリーキューブを使い、あの男性から私達を目撃したという記憶を奪ったのだ。確かにあのまま同じ場所に留まっていたら、私達が未来人だとバレてしまったかもしれない。


 私達の立場がおおやけに知らされるのを防ぐためには、なるべく過去の人間との干渉を避けるべきだ。タイムパラドックスを防ぐためにも。

 さっきのように向こうから突っかかって来た場合は、このメモリーキューブを使う。そういうふうに、タイムトラベラー達はやり過ごすのだ。私にもタイムトラベルの鉄則というものがわかってきた気がする。


「ねぇアナタ、ここに68%って表示されてるんだけど……」


 ママが手に取ったメモリーキューブの小さな液晶画面を指差して呟く。


「あぁ、残りの電池の残量さ。それ充電式だから」

「意外と減りが早いわね」

「パパ、充電器はちゃんと持ってきたの?」

「もちろん。これだよ」


 そう言って、パパは自分の上着のポケットから充電器を取り出した。ケーブルが髪の毛のようにだらんと垂れ下がる。


「ちょっと思ったけどさ、これ過去の時代じゃ使えないわよね」


 充電器をよく見ると、コンセントに差し込む金属端子が丸い棒状になっていた。これでは、あの二つの四角い穴のタイプのコンセントに刺して使うことはできないだろう。


「まぁね。でも、これに合うコンセントならタイムマシンに付いてるよ。だからここでいつでも充電は可能さ」


 パパがそのコンセントを指差しながら説明する。相変わらずパパは準備がよくて助かるなぁ。タイムマシンで充電ができるなら安心だ。


 ……タイムマシンが故障でもしない限りはね。


「まぁ今は充電の必要は無いか。まだ少し残ってるし、もう帰るからっt……うわぁ!!!」


 パパは急に驚いてハンドルを切った。気がつけば、タイムボールトが目の前まで迫っていたのだ。タイムマシンは大きく右に旋回した。ほんとにいきなりだったので、かなり揺れた。


「うわ! ビックリしたぁ……」

「アナタ! よそ見運転なんて危険じゃない!」

「ゴメンゴメン……」


 危うくタイムボールトにぶつかってしまうところだった。も~、気をつけてよパパ。……って、私と喋ってたからか。


 窓からはワームホールを流れるタイムボールトがいくつも確認できた。でも、初めてワームホールに入った時より、何やら数が増えている気がする。


「うーん、どういうことだ?」

「どうしたのパパ?」

「あ、いや、なんかさっきからタイムボールトが多すぎるかなって思って……」


 パパも同じことを思っていたらしい。何だか不安を煽ってくるような数の多さだ。


「パパも思ってたんだ」

「真紀も気づいたのか? おっと!」


 ガタンッ!

 タイムマシンはさっきから蛇行を続けていた。タイムボールトが行き先を遮るように流れてくるのだ。一つ一つ避けながら右へ、左へ、上へ、下へ、あっちこっち。パパは何度もハンドルを回転させている。


 タイムマシンも揺れに揺れる。最初はガタガタ揺れてちょっと楽しいと思ってしまったけど、パパの表情が強張るのを見て、私の胸にもようやく緊張が漂う。


「やっぱり。多すぎるな」

「多いと何か問題なの?」

「タイムボールトはワームホールのバランスを保つためのものだ。通常より多かったり少なかったりすると、乱れて正常が保てなくなって、最悪消滅してしまうかもしれないんだ」

「えぇぇぇぇ!?」


 私はママと揃って大声をあげる。消滅って……消えちゃうの!? じゃあ、ここにいる私達はどうなっちゃうの!?


「パパ! 早く帰ろ!」

「あぁ、急いだ方がいいな。しっかり掴まってろよ!」


 ガッ!

 アクセルを踏み、スピードを上げるパパ。タイムボールトのむれをさっさとかわす。その度にタイムマシンはガタガタと大きく揺れる。車内の荷物が宙を舞い、あちこちに散乱する。機体にだいぶ負担がかかる。


「アナタ、無茶はやめて!」

「だが早く抜け出さないと本当に危険だ!」


 気がつけば、辺り一面は黒い塊に覆われていた。ワームホールもさっきまでの鮮やかな黄色から、タイムボールトのような紫がかった黒色に染まっていた。空間全体が暗い紫色の雷を帯びていて、ゴロゴロと音を立てていた。


「大嵐の中にいるみたい……」


 すると、目の前に巨大な黒い塊が迫ってきた。今までのとは比べ物にもならないくらいの、大きなタイムボールトだ。パパは勢いよく右にタイムマシンを旋回させる。


「何!?」


 しかし、右奥には、中玉のタイムボールトが隠れていた。これはとても避けきれそうにない。


「うわぁっ!!」


 ガーンッ!!!!

 いきなり飛び出してきた黒い塊に、もろに衝突してしまった。衝突した衝撃でタイムマシンは後ろに飛ばされ、周りの小さな黒い塊にもぶつかる。黒い火花が何度も飛び散る。タイムマシンは完全にコントロールを失った。


「くそっ! もう機体がもたない!」

「うそっ!? 何とかしてよ!」


 ワームホールはいよいよどす黒い雷を帯びていていき、私達のタイムマシンを襲う。このままでは事故は免れない。最悪の場合……


「パパ! どうするの!?」

「これ以上ワームホールの中にいては危険だ! 一旦どこかの時代に不時着しよう!」


 その時、左斜めからまたもや中玉の黒い塊が勢いよく迫ってきた。


 ガッ!!!




   * 🕛 * 🕐 * 🕑 *




 夕焼けに照らされる街並みを、ただ一人黙々と模写する満。鉛筆がサササッと音を走らせる。


「できた! やっと完成したよ……」


 2時間34分24秒かけて、ようやく下書きが完成した。満は安堵に満ちた笑みを浮かべる。


「時間かかり過ぎだよなぁ。僕が下書きをしてる間、みんなは色塗りまで終わらせたっていうのに……」


 いつの間にか時刻は午後5時42分を示していた。自らの影が辺りの雑草を覆い隠していた。カラスもやかましい鳴き声を響かせている。


「もうこんな時間か。今日はこの辺で終わりにしようかな。色塗りは明日に……」


 ビリッ!


「消しゴムのカスは……ここに捨てるのはダメだよね」


 ビリッ!


「結局絵の具セット持ってきた意味無かったなぁ……」


 ビリリッ!!




「……」


 さっきから頭上で妙な音が鳴っている。何やら怪しい静電気のような音だ。満は気になって上を見上げる。


 ビリリッ!!!


「え? 何だ? 今の……」


 紫色の雷など、満は見たことがなかった。科学の資料集などで、白味の混じった薄紫の雷なら見たことがあるが、今のような純粋なようで、どこか黒味のある紫は初めてだ。


 しかし、なぜ雷が発生するのか。物体同士が触れ合ったわけでもないのに。理系ではないので、その類の知識は持ち合わせていない。


「……」


 しばらく考えた後、よくわからないという結論を出し、満は帰る準備をした。いつものことだ。


 しかし、世の中には満の知らないことで、異常なほどに溢れかえっている。誰か教えてはくれないか。




 誰か……






 ビリリッ!! ビリリッ!!


 バァァァァン!!!!


「!?」


 満は自分の目を疑った。また雷が発生したかと思いきや、そこからいきなり車のようなものが飛び出してきた。紫色の雷を帯びている。なぜ何もない空間から物体が出てくるのか。


「あっ!」


 その車は、満の頭上を通過し、山の奥へと飛んでいった。車が空を飛ぶという話も、聞いたことがない。


 ズガガガガガーン!!!!!

 車は森林をえぐりとりながら、地面に墜落

していった。濃い土煙が近隣一面を覆う。




「……え?」


 満は呆然と立ちすくんでいた。目の前で起きた一連の出来事を、うまく理解できないでいた。


「……!」


 満はその車が墜落した場所へと駆けていった。車ということは、誰かが運転しているということで、乗客の安否が心配だ。少々恐怖も感じているが、勇気を振り絞って歩みを進めた。


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