第27話「大人の階段」



 昼休み、五、六時間目、帰りのホームルームもあっという間に終わり、生徒達は帰宅の準備を始めて次々と教室を出ていく。


「満、帰ろうぜ」

「ごめん。今日はちょっと帰りに用事があってね」

「お? おう……」


 満は教室の扉から廊下へ出ていった。しかし、裕介は見逃さなかった。教室を出た先にちらりと見えた人影、真紀だ。裕介は何かを確信し、綾葉達の元へやって来た。彼らには嘘がお見通しのようだ。


「どうだった?」

「間違いない。真紀ちゃんと一緒に帰ってったみたいだ」

「やっぱり。これで決まりね」


 綾葉は無邪気な笑みを浮かべた。新しく買ってもらったおもちゃを楽しむ子供のように。


「決まりって、何が?」


 広樹が尋ねた。状況が読み込めていないらしい。


「わからない? 満君はね……すぅ~、はぁ~」


 結論を言う前に、大きく深呼吸した。これから言うことは、思いがけず発覚した衝撃的な事実なのだ。




「満君は真紀ちゃんに恋をしているのよ!」

「……ほぉ」

「ほぉって、広樹! 何その反応は!? 満君が恋をしてるのよ!?」


 広樹は驚くことはせず、つまらない反応だ。


「いや、なんで恋になるんだ? 一緒に弁当食ったり、一緒に帰ったりしたことが」

「あぁもう! あんた男なのに満君のことがわからないわけ!?」

「近いぞ」


 綾葉は広樹に顔を近づけて問い詰める。


「仕方ないわね、説明してあげる! 真紀ちゃんを初めて見た時、一人の少年は不思議な感情を心に抱いたの」

「なんか始まった……」


 綾葉は恋に恋する系の人間だ。恋をしている友達を見つけると、必死に応援したくなる。そして、綾葉の謎の熱演が始まった。


「胸がざわざわとする。満君はこの感情を知らないけど、あることを思うの。とにかく真紀ちゃんと仲良くなりたい! 真紀ちゃんをことをよく知りたい! だから満君は行動に出たの。まずは一緒にお昼ご飯を食べること。そこで色々お話をして、仲良くなるチャンスを作ったのよ。そして次のステップ、放課後に一緒に帰ること。そこでさらに交流を深めることにしたんだわ。つまり、真紀ちゃんに一目惚れしてしまい、片時も離れたくない、少しでも一緒にいたいと思ったに違いないわ! それこそが恋なのよ!」


 綾葉は超ノリノリで長々と弁論した。彼女は親友の恋一つで、ここまで熱くなれるのだ。


「そうか。まぁ、満だって誰かを好きになることくらいあるだろ」

「甘いな、広樹。話の本質がまるで分かってない」


 急に裕介が間に入ってきた。


「なんだよ」

「恋愛の類にてんで興味を示さないあの満が、恋に目覚めたんだぞ!? それだけで衝撃的な事実だろ!」

「ふーん。でも、いくらそんな満だからって、恋しないってわけじゃあ……」

「はぁ? まぁいい、とにかく! 俺達で満の恋が実るように何か手助けをしてやろう!」

「いいわね! それ!」


 裕介と綾葉が珍しく手を組む。


「いや、余計な手出しはしない方がいいんじゃね? ここはそっとしといて……」

「バッキャロォォォォォォ!!!!!」


 バンッ

 裕介は広樹の頬を思いきり殴った。広樹の頬は痛い意味で赤く染まる。


「痛っ! 何すんだよ!」

「お前な! どうしてわからないんだ!? 恋愛のことに関して何もわからない満が、誰かを好きになるという初めての経験で戸惑ってるっていうのに、それでも勇気を振り絞って一緒に昼飯食ったり、一緒に帰ったりする約束をしたんだぞ!」

「おぉ……」


 裕介は広樹に顔を近づけ、謎の演説を唱える。それに綾葉も加わる。


「満君は今、恋愛という未知の領域に足を踏み入れ、大人の階段を上ってるのよ!」

「あぁ……」

「一緒に過ごしているうちに、あいつはあそこまで成長していたんだ。だが、あいつの力だけじゃ限界がある。親友ならそこで手を貸してやるしてやるべきだろ。それに気がつかないなんて、お前それでも満の親友かぁぁぁ!?」


 裕介の叫びは、広樹の心に届いたらしい。


「そうか……あいつは今、そんなに頑張ってんのか。それに気がつかないなんて、親友として恥ずかしいぜ。まさに、恋は盲目ってやつだな」

「それ意味違うと思う」


 美咲が冷静にツッコミを入れた。だが、場は無駄に熱を上げていき、最終的に『満と真紀をくっつけよう大作戦』が決行されることが決まった。


「この小説を読んでるそこのあなた! 想像してみて? 満君が今どんな顔をしているか。きっと見たこともないような幸せな顔をしてるわ。初めての恋を、純粋に楽しんでいるはずよ!」






 満は絶望的な顔をしていた。クレープの値段表を見ながら。


「クレープって……こんなに高いんだ……」


 真紀は満に向けて手を合わせた。満と真紀は七海駅の駅前広場に来ていた。ここでは定期的にクレープを売るカートが停まり、若者達は甘い匂いに吸い寄せられる。


「ごちになります!」


 真紀はチョコストロベリー生クリームスペシャルを、満はチョコバナナ生クリームを買い、近くの木の下のベンチに座る。


「うん! 美味しい♪ 満君ごめんね~。私、今金欠なのよ~」

「未来のお金しか持ってないんだから実質無一文だよ。逆にこっちが金欠になりそうだ……」


 先日のクレーンゲームの件で発覚した通り、真紀は自分の時代の硬貨や紙幣しか持っていない。それはこの時代で使うことは不可能であり、今は満の所持金に頼るしかない。真紀はクレープに化けた満のおこづかいを豪快に頬張る。


「あ、そっちのも美味しそう。一口食べていい?」

「え? えっと、うん……」


 パクッ

 真紀は満のクレープの生地にかぶりついた。ちぎれた生地は真紀の口跡をつくる。


「ん~♪ こっちも美味しい!」


 一瞬間接キスどうのこうのが満の頭をよぎったが、この際深く考えても理性がもたない。満は考えるのをやめた。




 クレープを食べ終え、二人は再び帰路に着く。


「いや~♪ 満君の学校、案外楽しいね!」

「真紀は授業中寝てたけどね」

「古典の授業だけだもん! でも、本当に古典嫌いなのよね……」


 真紀は過去にあって未来にはもう無く、失われた物などが大好きだ。しかし、古典文書などはなぜかどうしても好きになれない。とにかく読めないのだ。その意味が、その価値が理解できずして、好きになるというには無理がある。


「そういえばあの石井先生、私が寝てても何も注意しなかったね」

「石井先生はいつもあんな感じなんだ。不真面目な生徒がいても、特に何もしない。本人曰く自由放任主義がモットーなんだってさ」

「そうなの。まぁ、いい感じにレッセフェールしてくれるなら、こっちは助かるわね」


 言葉の使い方が少々間違っていることはともかく、先生としてあの態度はどうかと思う満。だが、意外にも石井先生の評価は高いらしい。事実、授業も分かりやすい。マイナスなのは、不良生徒の指導をしないことだけだ。


「それにしても、さっきの話ほんとなの? 未来にクレープが無いって」

「ほんとよ。消滅遺産図録にそう書いてあるの。理由は書いてないけど」


 それで、クレープのカートを見つけた瞬間食べたいと思ったわけだ。満は納得した。そして、真紀が現代を楽しむためなら、喜んで協力しようとも思えた。


「しょっ……証明遺産相続?」

「消滅遺産図録! 私の時代にはもう無いモノや生物とかが記されてる本よ。帰ったら見せてあげようか?」

「ほんと? 見たい!」


 仲良く会話しながら、並んで帰る同い年の男女。端から見れば完全に……アレである。そう、男女の……その……ほわほわした関係の……アレである。


 そのことを二人は知らない。






 コケコッコ~

 どこかで鶏の鳴き声の幻聴が聞こえた。翌日の朝だ。相変わらず真紀は満と狭いベッドで一緒に寝ている。それに満の方もうっすら慣れてきたようだ。


「ふぁ~、おはよう……。って、真紀、もう起きてたんだ」


 満は布団から起き上がった。隣で寝ていた真紀がいない。部屋を見渡すと、真紀は先に起きていた。クローゼットを開けて中を覗いている。


「ねぇ満君、昨日持って帰った私の制服が無いんだけど……」

「え?」


 満は跳ね起きて、真紀が開けたクローゼットの中を確認した。確かに、真紀が保健室から強奪したカッターシャツ、ベスト、リボン、スカートなどが一式無くなっていた。


「おかしいな、昨日ここにかけておいたのに……」


 真紀の制服は無くなっているが、逆に満のカッターシャツやズボンやベストは残っていた。まさか泥棒か。

 しかし、昨日玄関の鍵はかかっており、窓も全部閉めた。窓は強化ガラスのため、破られることはない。家に侵入することは困難だ。


「とにかくお母さんに言ってみよう。もしかしたら、お母さんがアイロンかけたりしてるだけかもしれないし」


 満と真紀は部屋を出て、廊下を進んで咲有里の部屋へ向かった。


 ガチャッ


「お母さん、真紀の制服が……え?」




 満の言葉が止まった。そこには、真紀の制服を身に包んでキュートなポーズをとる愛と、スマホを手に写真を撮る咲有里の姿があった。


「ママ……」

「あ、これは……その……///」


 真紀は自分の母親の姿を見て唖然とした。


「……」


 パタンッ

 満は静かに部屋の扉を閉めた。愛と咲有里の二人は、ぽつんと部屋に取り残された。


「……///」


 真紀達がその場から出ていっても、なお恥ずかしさに殺される愛。昨日帰ってきた時の真紀の制服姿を見て、不本意ながら可愛いと思い、なぜか自分も着てみたいと考えてしまった。

 早朝に二人が寝ている間に、気づかれないように満の部屋のクローゼットから盗み出し、咲有里に撮影を頼み、着てしまったというわけである。


 若返った気分を味わおうと思ってのことだろう。なぜ早朝に着てしまったのか……。


「真紀に見られた……///」

「愛さん……」

「はい?」


 咲有里はゆっくりと口を開いた。


「羨ましいです~! 自分の子に制服姿見られて! 私もさっき着てたのに! 満に見て欲しかったです~!」

「え?」




 どうやらこの二人は、逆に大人の階段を下っていたらしい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る