第2章「安心する日常」

第11話「はじめまして」



 住宅街のとある一軒家。『青葉』と書かれた表札がぶら下げられた門の前で、一人の女が息子の帰りを待っていた。


「満、遅いわねぇ……」


 彼女の名前は、青葉咲有里あおば さゆり。青葉満の母親だ。




   * * * * * * *




 僕はようやく目が覚めた。目の前にはわずかではあるが星空が広がっていた。プチクラ山の上から見る星はとても絶景だと、街でも有名なのだ。

 ふと視線を横にやると、彼女が枕元で僕を心配気に見つめていた。変な車……タイムマシンと呼んでいた車に乗っていた、あの緑髪の女の子だ。


「あっ、気がついた?」


 彼女の顔から『心配』の文字が薄れ、『安心』の文字が現れた。彼女の顔は枕元に置いてあるランタンの光に照らされ、とても綺麗だった。


 ……って、何恥ずかしいことを思ってるんだ僕は! あれ? そういえば僕、何してたんだっけ?


「……」


 今は地面に寝かされ、腹に大きなタオルがかけられている。あ、そうか。あの車が爆発して、彼女が爆発に巻き込まれそうだったから、身をていしてかばって……。それで気を失っていたのか。

 先程から星空が見えるということは、夜になるまでずっと眠っていたらしい。まずいな、お母さんが心配してしまう。今何時かな?


「ねぇ、大丈夫?」

「えっ? あ、ごめんごめん、大丈夫だよ」

「よかった~。死んじゃったらどうしようかと思ったよ」


 また深く考え込んで、周りをおろそかにしてしまった。僕の悪い癖だ。でも、そこまで心配してくれたんだ。何だか申し訳ないな。


「ありがとう。心配してくれて」

「いえいえ~」


 とりあえず僕は起き上がる。あれ? メガネは……あ、ランタンの横に置かれていた。多少土で汚れてはいるが、あれだけの爆発に遭ったにも関わらず、少しのヒビも入っていなかった。よかった。


「ごめんね、タオルなんかで。本当はもっと掛け布団とかあればよかったんだけど、こうなるなんて思ってなかったから」


 後ろから聞こえてきた声だ。振り向くと、さっきのピンク色の髪の女の人が、小さな丸太に腰かけていた。恐らく、この女の子の母親だろう。


「えっと……まだ疲れてるかもしれないけど、一応自己紹介しておこうかしらね」

「じゃあまず、私から!」


 女の子はそう言うと、その辺に落ちていた木の枝を拾い、地面に文字を書き始めた。わざわざ自分の名前を書いてくれるのか。



 神野真紀



 地面には、そう書かれていた。この四文字を書き終えると、女の子は手を止めて文字を木の枝で指し示しながら言った。


「ねぇあなた。これ、なんて読むと思う?」

「え?」


 これがこの子の名前なんだよね? さっき女の人がこの子のことを『まき』と呼んでいたから、『真紀』は『まき』でいいはず。えっと……多分『神野』は『じんの』か『かみの』だよね。

 どっちだろう……これがどっちなのかを当てて欲しいがために、わざわざ聞いてきたのかな?


「えっと……『じんの まき』?」

「おおお! 正解! 大正解! すごいわねあなた!!!」


 え? すごいの? 二択だから別に当たっても不思議じゃないと思うけど。確率も二分の一だし。なんでこんなに喜んでるんだろう?


「初対面の人には毎回こういう風に名前読ませてるんだけどね、なぜかみんな名字の『神野』を『かみの』って読むのよ! み~んなそうだったの!」

「はぁ……」

「でも、一発で『じんの』って読めたのは、あなたが初めてよ!」

「へぇ~、そうなんだ」

「というわけで、神野真紀じんの まき。よろしくね♪」


 相当名字にこだわりか何かを持っているらしい。でも、何だかこの子を見ていると、不思議と心の中が温められていくように感じる。元からの彼女の性格なんだろうけど、僕が元気になれるように明るく振る舞ってくれているんだ。


「それで? 君の名は?」

「僕は、青葉満あおば みちる


 やっと名前を言えた。そういえばさっきから名前を言おうとしても、何かしら起きて遮られてたなぁ……。


「ほうほう。よろしくね、満君!」


 真紀は僕の両手を握って笑った。初対面の女の子にこんなに接近されるなんて、少々恥ずかしい。いきなり下の名前で呼ぶのも。思ったよりもフレンドリーな人だなぁ……。いや、フレンドリー過ぎる。


「よ、よろしく……神野さん」

「あ、名字じゃなくて、名前で気軽に呼んでよ」


 いや、さっきまでの名字のくだりは何だったの!? まぁ、いいか。


「じゃあ、よろしくね。真紀」

「あら。呼び捨てなんて、いきなりグイグイ来るわね~♪」

「真紀、そのへんでいいわよね」


 真紀のお母さんが止めた。少し喋り過ぎだ

というメッセージが、目線で伝わってきた。僕にも分かる。


「えっと、私は神野愛じんの あいです。この子の母ね」


 真紀が隣で「ふん!」っと胸を張った。する必要はないと思う。


「あそこにいるのが、父親の神野じんのアレイ」


 愛さんが指差す方には、緑色のウェーブのかかった髪の男の人の後ろ姿があった。この人もさっき見た人だ。アレイ……外国人だろうか、それともハーフか。爆発した車の残骸を見て、何かの作業をしている。


 すると、こちらに気がついて振り向いた。アレイさんは笑顔で手を振ってきた。こちらも振り返すと、それを確認した後、また作業に戻った。






 愛さんはアウトドア用のケトルで、ホットミルクを淹れてくれた。湯気が星空まで届くように見えた。星空と重なって、まるで天の川みたいだ。


「はいどうぞ」

「ありがとうございます」

「それで、私達のことについてなんだけど、今から話すことはなるべく信じて欲しい。嘘は言わないから」


 場に緊張が走る。あの真紀も大人しくなって、うつむきながらホットミルクをすすっている。自分のホットミルクに息を吹きかけて冷まし、一口飲んで一息する。そして、何事も受け入れるよう心の準備をした。


「私達は、この時代から84年後の未来から来たの。タイムマシンに乗ってね」


 やっぱり。さっき爆発したあの車は、時間を移動できるタイムマシンだったのだ。今は見るも無惨な様だが。


「だけど見ての通り。あの人が何とか修理できないか今見てるんだけど、それまでは帰れなくなってしまったの。それで、しばらくこの時代にいなきゃいけないことになってしまったわ」

「そうなんですか」


 僕は愛さんの話を聞きながら、それと同時に真紀の顔色を伺っている。さっきまであんなに元気だったのに、何だかしょんぼりとしている。


「タイムマシンはワームホールっていう時空のトンネルみたいなのを通って時を越えるのだけど、そのワームホールが乱れを起こしてね。私達はそれに巻き込まれて、何とか脱出しようとしたら、この時代に不時着したの」


 なるほど。僕が最初にあのタイムマシンを見た時のあの光景。事情を聞いたら確かに当てはまる。一つ一つの謎が明らかとなっていく。ジグソーパズルを解くみたいに。


「時間監理局っていってね、タイムトラベラーを取り締まる警察みたいな機関があるの。そこにさっきから問い合わせてるんだけど、通信ができないのよ。普段は別の時代にいても繋がるはずなんだけど」


 愛さんの話によると、未来人の人達には、どこの時代にいても自分達の住んでる時代と通話ができる『タイムテレフォン』という携帯電話があるらしい。現代の僕も使うスマフォとよく似ている。

 でも、なぜか今は繋がらないみたいだ。それもワームホールのバランスの不安定な状態によるものだという。


「繋がりさえすれば助けを呼べるんだけど……」


 タイムマシンも使えず、元の時代とも連絡がつかず、この時代に完全に取り残されたということか。それはさぞかし不安なことだろう。


 真紀は未だ相変わらずの表情だ。もしかして、さっきから落ち込んでいるように見えるのは、帰れなくなったことが怖いのだろうか。


「それでね、満君。ここから本題なんだけど」


 僕は視線を愛さんの方へ戻し、再び事情を受け入れる準備をする。


「本来、私達タイムトラベラーは過去の人間に自分達の正体を知られてはいけないの」


 確かにそうだ。過去の時代でタイムマシンや未来人の存在が公に明らかになってしまったら、タイムパラドックスが起こってしまうことになり兼ねない。過去の時代の人間である僕にも、そのことは安易に想像できる。


 ……あれ? 僕、正体知っちゃったよね?


「それでね。もし正体が知られてしまったら、過去の時代の人間からその記憶を奪わなくてはいけないの」


 この時、確実にこの場にいる人間の中で、僕だけが寒気を感じた。ホットミルクまでもが冷めてしまうくらいに。僕はこれから記憶を消されてしまうのだ。未来人の保身のために。

 それは彼女達にとっては仕方のないことだし、僕も素直に受け入れなくてはいけない。だが記憶消去と聞くだけで、やはり背筋が凍りつく。喉元にナイフを突きつけられた気分だ。


「そうなんですか」

「ごめんね。法律で決まってるのよ。でも安心して。記憶を消すって言ったって、頭を切り開くとか、そんな野蛮なことはしないから」


 そうか、なら安心だ。いや、だとしても、不安は完全にかき消えたわけではなかった。何かを忘れてしまうことは、僕にとってはやはり恐ろしいことだ。


「それに、今すぐってわけじゃないわ。実はね、君にお願いがあるの。だから記憶消去はしばらく見送るわ」


 お願い? 少し考えて、やはり安易に想像できることだと気づいた。


「さっきも言ったように、私達はこれからこの時代でしばらく過ごさなくてはいけないわ。それを君に手伝ってもらいたいの」


 やっぱり。自分達だけで別の時代で生きていくなど困難だ。確実にその時代にいる人間の協力が必要となる。


 ならば……


「分かりました」

「早! え? いいの?」

「はい。僕でよければ協力させてください」


 話を聞く前から、実はすでに決心をしていた。決め手は真紀の表情だ。急に知らない時代に取り残され、不安と恐怖で圧し殺されそうになっている。

 その顔を見ると、何とかして助けてあげたいと心から思うのだ。その顔に、その心に取り付く不安を振り払ってあげたいと、不思議なくらいに思うのだ。


「……」


 僕が協力すると言った途端、真紀の顔が少し柔らかくなったように見えた。それだけで僕も嬉しくなる。理由はわからない。本当に世界は不思議なことで満ち溢れているんだと知った夜だった。


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