第15話
翌朝、莉愛の様子がなんだかおかしかった。
まるで以前の遊園地に行った時みたいに目元にクマを作り、今にも眠ってしまいそうなほど、目が虚ろだった。
「大丈夫か、莉愛。体調が悪いなら休んでも――」
「い、いえ、大丈夫です!」
食事中ですら眠気を振り払って頷いてくる莉愛。
ただ、すぐに頭がふらふらとふらつき出す。
まるで前の会社で働いていた時の俺みたいだ。
ろくに眠らずに仕事をしていた時の……。
もしかして、テスト前の莉愛はいつもこんな感じなのだろうか?
テスト前の莉愛……を今回初めて見るので判別がつかない。
元々伊緒が言うには成績はいいらしいからかなり勉強をしててもおかしくない訳だもんな。
「……無理はするなよ」
「わかってますよ。テストが終わるまでですから……」
莉愛が笑みを見せてくる。
ただ、疲れが見えているせいでいつもの可愛らしい笑みには見えず、無理に作っているようにしか見えなかった。
◇
いつもと同じように伊緒との待ち合わせ場所へやってくる。
「おはよう、莉愛ちゃん。……顔色が悪いけど大丈夫?」
やはり、伊緒から見ても莉愛の体調は悪いようだった。
「大丈夫……ですよ。テスト期間中だけですから……」
「でも、莉愛ちゃん、頭いいんだからそこまで勉強しなくてもいいよね?」
「ダメなんです。今回は一位を狙わないと!」
莉愛が珍しく大声を上げる。
一位ってもしかして俺との約束のことか?
莉愛が一位をとったら、願いを叶えてやるって言う……。
無理までして叶えたい願いがあるのか?
「莉愛、別にテストで一位を取れなくてもしてほしいこととか言ってくれたら叶えてやるぞ?」
少し恥ずかしいことだろうけど、こんな莉愛が無茶してるところを見るくらいなら我慢すればいいだけだ。
「いえ、約束……ですから」
莉愛は頑なに約束と言い張っていた。
もしかしたらとんでもないことを言ってくるのかもしれない。
「とりあえず学校にいる間は莉愛のこと、気にかけてあげてくれるか?」
「うん、莉愛ちゃんは友達だからね。何かあったらお兄ちゃんを呼んでもらうように頼んでおくね」
「ありがとう。この埋め合わせは必ずするよ」
「入間屋の巨大パフェね」
伊緒がにっこりと微笑んでくる。
入間屋とは最近話題の生クリームがおいしいと評判のカフェだった。
そこの巨大パフェって大食いの人でも音を上げたとか、そんな噂があるものじゃなかったのか?
まぁ、莉愛のためと考えるとそのくらい安いな。
「わかった。テストが終わったらみんなで食いにいくか」
「うん、楽しみにしてるよ!」
伊緒は嬉しそうに頷く。
彼女がいる限り学校では大丈夫だろう。あとは家にいる間は俺が気にしてやれば問題ないか……。
◇
しかし、莉愛の体調は日を追うごとに悪いものへとなっていった。
ついに莉愛の頬が硬直し、意識がもうろうとしているようだったので声をかける。
「莉愛、一応熱を測ってみてはどうだ?」
「だ、大丈夫……」
本人は大丈夫と言ってるが、流石に心配だな。
熱でもあるんじゃないだろうか?
でも莉愛が嫌がってるなら――。
俺は莉愛に顔を近づけていく。
すると莉愛は顔を赤くして慌てふためいていた。
「あ、有場さん、い、一体何を!?」
「いいからちょっとジッとしてろ」
あまり動かれたら熱が測りにくい。
すると莉愛は目を閉じてそっと口を前に出してくる。
なんだか少し勘違いをしているようだがちょうどいいか……。
ようやくじっとしてくれたので、俺はそのまま莉愛の額に自分のを当てる。
「えっ!? あっ、熱を測る……のですか?」
莉愛が驚きと落胆の声を上げる。
「ちょっと高い気もするが、これだけだと判断がつかないな……。仕方ない、体温計で測っておいたほうがいいだろうな」
測り終えたあと、俺は莉愛から離れる。
ただ、その中途半端な体温に首を捻らせ、側に控えている遠山に言う。
「この家に体温計はありますか?」
「もちろんでございます。今とってまいりますね」
「お願いします」
遠山がさっと動いてくれる。
そして、遠山が取ってきてくれた体温計を嫌がる莉愛に無理やり渡す。
「熱がなかったら行っていいからしっかり測ってくれ」
「……わかりました」
莉愛が服のボタンを二つほど外し、脇に体温計を差し込み、少し赤い顔でボーッとしていた。
ボタンを外したその隙間から見える白い肌に俺自身も顔を赤く染めてしまう。
顔を晒して、体温を測り終えるのを待つ。
すると、しばらくして電子音が響いてくる。
「測り終わりました……」
莉愛が脇から体温計を取り出す。
そして、自分で見たあと俺に渡してくる。
『36.8℃』
すごく判断に困る数字だった。
「莉愛って普段の体温は高い方か?」
「どちらかといえば高い方です……」
それなら休ませるほどでもないだろうか?
無茶をさせるべきでもないが、莉愛が行きたがっている以上止める理由はまだないか……。
「ただ、今日は早く寝るんだ。わかったか?」
「は、はい、わかりました……」
素直に頷いてくれる。
最近の莉愛を見てる限りだとずっと勉強をしてるんだろうな……。
せめて体を温めて勉強してもらわないとな。
……よし、今日は莉愛の勉強に俺も付き合うか。
◇
夜になり、食事を終えると莉愛は急いで自分の部屋へと戻っていってしまった。
それを見た俺も同じように莉愛の部屋に向かう。
部屋の前に立つと扉をノックする。
「莉愛、俺だ。入ってもいいか?」
「あ、有場さん!? は、はい、大丈夫です……」
ゆっくり莉愛は扉をあける。
そして、ちょっとだけ顔を出してくる。
「ど、どうぞ……」
少し頬を紅潮させた莉愛が部屋の中へ入れてくれる。
莉愛の部屋はピンク色を基調とした可愛らしい内装だった。
天蓋付きのベッドに小さなテーブルやソファー。
テレビも置かれ、たくさんの本棚には難しい本から漫画までたくさん並べられていた。
そして、部屋の隅に置かれた勉強机には教科書とノートが広げられていた。
やはり思っていた通り勉強をしていたようだ。
「あ、あははっ……、やっぱり少しだけでもやらないと気が晴れなくて……」
莉愛は申し訳なさそうに顔を伏せながら苦笑してくる。
それを見て俺は頭を軽く掻く。
「多分そうだろうと思ったけど、やっぱり勉強していたか。まぁ莉愛がそうしないと気が晴れないのならしてもいいぞ。ただ――」
寝間着姿の莉愛。
風邪をひいている状態だと今の格好じゃ寒いかもしれない。
「もう一枚上に何か着た方がいいな。何かあるか?」
「あっ、それならカーディガンでも羽織っておきます」
莉愛がクローゼットの中から白色の薄めのカーディガンを取り出すとそれを着て、机に向き合った。
「あと、もう無理だと思ったらベッドに無理矢理連れて行くからな!」
「だ、大丈夫です! 有場さんも今朝、熱がないのを見ましたよね?」
「あれを大丈夫と言って良いか迷うけどな……。せっかくだから今も体温を見ておこうか?」
ゆっくり莉愛に近付こうとすると、彼女は頬を染めて必死に首を横に振っていた。
「い、いえ、あんなことをされたらとても勉強に集中できなくなりますので……」
顔を真っ赤にして机の方に視線を送る莉愛。
あんなことってただ、額をくっつけるだけなのにな……。
「とりあえず無茶をしても良いことはないからな。むしろ効率は落ちていく。それにどんどんやることは増えていって、気がついたら終電を逃して――ってその話は今は関係ないな。とにかく体調悪いときは早く休むんだぞ」
「わ、わかりました。ちゃんと寝ますので有場さんも早く寝てください」
「いや、俺は莉愛が寝るまで後ろにいるからな……莉愛が寝たのを見てから部屋に戻るさ」
「そ、それじゃあ余計に眠れませんよ……」
顔を真っ赤にしてあわわ……と体を震わせていた。
さすがに寝顔を見られるのは嫌だったのだろうか?
それに体調が悪いなら医者に診てもらえば早いか……。
「そうだな、一応莉愛を見てくれる医者を手配してもらっておいたほうがいいか?」
「だ、駄目! それはもっと駄目! そんなことをしたら絶対に休めって言われてしまいますから……。大丈夫、あと数日だけは私の好きにさせてください……」
莉愛が悲壮な声を上げてくる。
「はぁ……、わかったよ。その代わり風邪でも引いたら無理矢理休ませるからな」
俺自身、かなり無茶な生活をしてきたこともあって、これ以上強く止めることは出来なかった。
「ありがとうございます……」
莉愛はお礼を言うとそのまま意識を勉強の方へ向けていた。
無言で過ぎる時間。
周りから莉愛が文字を書く音しか聞こえない。
その状態で日をまたぐまで勉強をしていた莉愛。
でも、一時を超えたくらいから頭が上下に揺れ、眠気と戦っている様子だった。
もう限界か……。
俺は莉愛の隣に行くと体を抱きかかえる。
「えっ!? わっ、な、なに!? なんですか?」
「もう限界だろう? とにかく一度仮眠を取れ。あとは起きてから頑張れ!」
「そ、そうですね……。わ、わかりました……」
ようやく莉愛が頷いてくれる。
そして、ベッドに連れて行くとすぐに眠りについていた。
やっぱり体は限界だったんだな……。
俺も苦笑をしながら莉愛に布団を掛けるとゆっくり音を立てないように自分の部屋に戻っていった。
◇
それからしばらく莉愛の体調を見ながらの日々が続いていた。
ただ、試験の日の前日まで熱が上がることなく、なんとか持ちこたえることができた。
「いよいよ、明日からテストです」
「あぁ、そうだな。ただ、まだ気を抜くなよ。あと、体調は大丈夫か?」
「はい、今は本調子には遠いですけど、大丈夫そうです」
莉愛が笑みを浮かべてくる。
やはりその表情には疲れの色が見える。
「その……、最後にギュッとしてくれませんか? それをしてもらえたら私は頑張れる気がしますので……」
まぁ今まで頑張ってたんだもんな。
ため息混じりに俺は手を広げてみせる。
すると莉愛は目を輝かせて俺の方に近づいてくる。
そして、すっぽりとその体が収まってしまう。
「やっぱり有場さんに抱きしめられるの、好きです……」
莉愛は目を細め、小さく微笑んでいた。
「私、絶対に一位を取ってみせますね」
「あぁ、それで取れたときに何をしてほしいんだ? そろそろ教えてくれても良いんじゃないか?」
「そ、そうですね……。私のお願い……、それは有場さんがこれからも私と一緒にいて欲しい……ってことです」
「あぁ……えっ?」
どんな願いが飛んでくるのかと思ったらそれは今もしていることだった。
「そんなことのために……?」
「わ、私にとってはすごく大切なことなんです! だって、有場さん、転職されるんですよね? それじゃあ私はもう有場さんに会えないってことですよね? そ、そんなことは絶対に嫌です……」
莉愛が感極まって涙を流し始める。
ただ、莉愛は勘違いしている部分があった。
「えっと……、俺は別に転職をするって決めたわけじゃないぞ?」
俺は頭を掻きながら答える。
「……えっ?」
すると莉愛が視線を俺の方に向けてくる。
「確かにそういう話はあった。だから勇吾さんに相談させて貰おうとは思っていたが、まだ何も決めていない状態だぞ?」
「で、でも、前に権蔵さんと……」
「あぁ、そのときの話を聞かれていたのか……。あのときもそんな話を貰ったから勇吾さんがいつ帰ってくるのか聞いていたんだ……」
ようやく莉愛の目に光がこもる。
「それじゃあ、有場さんは出て行かない?」
「少なくとも莉愛に相談もしないで出て行ったりはしないぞ」
あのブラック企業から救い出してくれた莉愛には感謝している。
彼女だけは悲しませたくない……と言う気持ちは俺の中にあった。
「あ、あははっ……、私の勘違いだったのですね……。よかった……よかったです……」
莉愛は俺にギュッと抱きつくとしばらく泣き続けていた。
ただ、そのまま緊張の糸がほぐれるように倒れてしまう。
「……莉愛?」
俺は莉愛を抱き留める。すると彼女の体がとても熱くなっていた。
もしかして、安心したら無理していた疲れが一気に!?
「あ、有場さん……、ごめん……なさい……。私、無理を――」
青い顔をしながら莉愛が謝ってくる。
「もう喋るな。ゆっくり休んでろ! 医者を……」
莉愛をベッドに連れて行くと俺は部屋を出ようとする。
しかし、莉愛が俺の手を離そうとしなかった。
「い、一緒にいて……ください……」
今にも消えそうな声で言ってくる。
「わかったよ……」
せめて莉愛が眠りにつくまでは側にいよう。
莉愛の手をギュッと握り返すと彼女は嬉しそうに微笑み、そのままゆっくり目を閉じてすぐにすやすやと寝息を立てていた。
それを確認してから俺は一度部屋を出て行き、遠山に医者の手配を頼むと莉愛の頭を冷やす氷とタオル、あとは飲み物を準備して莉愛の部屋に戻ってきた。
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