第16話

 翌朝、莉愛が目覚めた頃に医者が慌ててやってくる。



「お待たせしました。莉愛様の治療に伺わせていただきました」

「では、俺は外で待っていますね」



 さすがに診察中は一緒にいるのはまずいだろうと部屋の外で待機する。

 するとしばらくして中にいた医者から呼ばれる。


 一応莉愛のことを一通り診てくれたようだ。



「疲労からくる風邪……ですね。無茶をされたんでしょう。体が弱っていますからしばらくは安静にしてください」



 やはり莉愛は風邪をひいてしまったようだった。


 医者からは薬とゆっくり休むように再度言われる。

 そして、医者が帰った後に俺たちは謝り合った。



「申し訳ありません……。私が無茶したばっかりに……」

「いや、俺が中途半端な態度をとったせいだな……。本当に済まなかった」



 まさかお互いが謝るとは思っていなくて、その様子がおかしく思えた。

 そして、その後に二人揃って笑い合う。



「それよりも薬を飲むために何か食べないといけないみたいだ。一応粥を準備してもらってるが食うか?」

「はいっ、いただきます。ただ、そのまえに汗をふきたいのですが――」

「それじゃあ俺は外に出ているぞ?」

「い、いえ……、その、自分じゃ背中は拭きにくくて……。有場さん、手伝って貰うことはできませんか?」



 莉愛は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら聞いてくる。


 さすがにそれはまずいんじゃないだろうか?

 それに館の中なら俺じゃなくてもメイドもいる。


 そういう人に頼むべきなんだろう……。

 そう思っていたのだが、莉愛が目を潤ませ、心配そうな目つきを見せてきているので俺は大きくため息を吐く。



「はぁ……、わかったよ。風邪を引いてる今だけだぞ?」

「はいっ、お願いします……」




 俺が汗を拭くタオルを準備していると莉愛が後ろでもぞもぞと動いていた。

 おそらく服を脱いでいるのだろう。

 さすがにその間は後ろを見ずに反対を向いていた。



「もう、大丈夫ですよ……」



 今にも消えそうな莉愛の声に反応して、後ろを振り向くとそこには上半身の服を脱いだ莉愛の背中があった。


 さすがに恥ずかしいようで顔を真っ赤にして、正面はタオルで隠しているようだった。


 そんな莉愛の後ろに立つと俺はまず莉愛に確認を取る。



「それじゃあ拭いていくぞ……」

「はい、お願いします」



 莉愛に確認したあとにゆっくりその背中を拭いていく。

 ただ、やはり莉愛は恥ずかしいようで顔を真っ赤にして目をギュッと力強く閉じていた。



「大丈夫か? なんだったら別の人に……」

「いえ、有場さんがいいんです……」



 頑なに俺が良いと言い張る莉愛。

 仕方なくその調子で莉愛の背中を拭いていく。

 そして、背中を拭き終えると莉愛にタオルを渡す。



「前は……莉愛が拭けるな? 俺は粥を取ってくるからその間に拭いておいてくれるか?」

「わ、わかりました。でも、早く帰ってきてくださいね……」



 甘える莉愛の口調。

 俺は頷くとまっすぐ食堂へと向かっていった。



 莉愛の部屋に戻ってくると彼女は既に別の寝間着に着替えたあとだった。



「粥を取ってきたぞ」

「……ありがとうございます」



 莉愛の前に粥が乗ったお盆を持っていく。

 ベッドで横になっていた莉愛は体を起こす。



「もちろん有場さんが食べさせてくれるんですよね?」

「それはいいが……、もう元気になってないか?」

「気のせいですよ……」



 まだ莉愛の顔は赤いし本調子ではないことはわかるが、それでも随分と普段の莉愛に戻った気がする。

 やはり昨晩ゆっくり眠ったのが効いているのだろうな。


 ただ、それでも病人には違いないか……。



「仕方ないな。ほらっ、あーん……」

「あーん……」



 莉愛が小さな口を開けるので、俺はその中に少し冷ました粥を入れる。



「んーっ、美味しいです……」



 莉愛は本当に美味しそうに恍惚な表情になっていた。



「粥なんてそこまで美味しいものでもないだろう?」



 風邪をひいた時に食べる味気ないもの……くらいの印象しかなかったが、莉愛はどうやらそうではないようだった。



「そ、そんなことないですよ。やっぱり有場さんが食べさせてくれるから格別なんですよ」

「……そんなものか」



 一瞬疑問に思ったが、俺自身も経験があった。

 おそらく以前莉愛が弁当を作ってくれた時に感じた満足感……。あれに近いものなのだろう。



「まだ食えるか?」

「もちろんです!」



 意外と食欲もあるのか?

 これならすぐに治ってくれるかもしれないな。


 俺は再び莉愛の口に粥を運んでいく。



「うん、美味しいです……」



 莉愛は本当に嬉しそうな表情を見せてくる。

 ただ二口しか食べていないのだが、申し訳なさそうに言ってくる。



「……ご馳走さま」

「もう食えなさそうか?」

「はい、まだあまり食欲がなくて……。もう食べられそうにないんですよ……」



 さっきまでは無理して食べていたのかもしれない。

 まぁ何も食べないよりはちょっとでも食べてくれた方が良いか……。



「それなら薬を飲んでおけ。あとはゆっくり寝てろ」



 すると莉愛は俺の目を見て心配そうに聞いてくる。



「もちろん有場さんもそばに居てくれますよね?」

「……もちろんだろう」



 さすがに風邪を引いている莉愛を一人置いておくわけにはいかない。

 それを聞いて安心した莉愛は眉をひそめながら薬を飲む。



「薬って苦手です……。苦くて……」

「でも飲んだ方が早く治るぞ」

「わ、分かってます。これ以上有場さんにもご迷惑をかけたくないし……」

「俺は全く迷惑だと思ってないからな。だからそんな事気にせずに早く治せ」

「……はいっ、わかりました」



 薬を飲み終えた莉愛は再び横になる。

 そして、俺の方に視線を向けてくる。



「あの、有場さん……。手を繋いでもらってもいいですか?」



 なんだか今日はよく甘えてくるな。

 でも、風邪で気が滅入っているのかもしれない。

 俺にできるような事ならなるべくしてやろう。



「あぁ、いいぞ」



 莉愛の側によると励ますようにその手を握りしめる。



「なんだか有場さんが優しいです……。そう考えると風邪を引くのも悪くない……ですね」

「馬鹿なことを言ってないで早く治せ」

「はーい」



 ゆっくり目を閉じていく莉愛。

 するとすぐにスヤスヤと寝息を立て始めていた。


 それを見た後で俺はゆっくり手を離す。

 そして、莉愛の頭に手を当てるとまだかなり熱かった。



 さっきのは俺に気を使わせないために精一杯強がってただけなんだな……。

 風邪の時くらい本音を出してくれてもいいんだけどな……。



 苦笑をしつつ莉愛の頭に熱冷ましのシートを貼る。



「んっ……?」



 莉愛が眉をひそめ、口を尖らせる。


 起こしてしまったか?


 物音を立てないようにジッとすると再び莉愛は心地好さそうな寝息を立て始めたので、俺もホッとする。


 ◇


 しばらく莉愛を見ていたはずが気がついたら俺も寝てしまっていたようだ。

 莉愛のベッドにもたれかかるように眠っていた。



「あっ、有場さん。目を覚まされましたか?」

「あ、あぁ……」



 莉愛が微笑ましそうに俺の顔を覗いていた。



「何をしていたんだ?」

「何もしてないですよ。ただ、有場さんに顔を見ていただけです……」

「別に俺の顔なんて面白いものでもないだろう?」

「そんなことないですよ……。気持ちよさそうにしている有場さんを見ているとなんだか、心が落ち着くんですよ……」



 嬉しそうに言ってくる莉愛。


 それよりも莉愛の体調は……顔色はよくなっているようだ。

 それもそのはずで気がつくとすでに夕方になっていた。



「今日のテスト……受けられなかったですね」



 莉愛がオレンジに染まる窓を眺めながら寂しそうに呟く。



「……仕方ないだろう。莉愛の体の方が大切だ」

「はい、それはわかってますけど、せっかく頑張ったのにな……」



 莉愛が小さく呟く。

 それを聞いて俺は軽く莉愛の髪を撫でていた。



「大丈夫だ、莉愛が頑張っていたことは俺がわかっている」

「……!? そ、そうですよね。有場さんがわかってくれたらそれで――」



 莉愛はおとなしく髪を撫でられ続ける。

 そして、莉愛が覚悟を決めて頬を染めながら言ってくる。



「有場さん、私……、有場さんのことが――」



 その瞬間に部屋の扉が叩かれる。

 ピクッと体を震わせて飛び上がりそうなほど驚く莉愛。



「莉愛、大丈夫か!!」



 扉を叩いていたのは勇吾さんだった。

 莉愛が風邪を引いたと聞いて慌てて帰ってきたのだろう。

 本当だったら明後日に帰ってくると聞いていただけに、勇吾さんの慌て具合がよくわかる。


 でも、莉愛は次第にぷるぷると肩を震わせて怒っていた。

 顔を真っ赤にして、少し涙目になりながら鋭い視線で扉の先を眺めていた。


 ゆっくり扉が開くと勇吾さんが顔を見せる。



「莉愛、無事だったか……」



 そして、莉愛の姿を見るとホッとした様子だった。


 しかし、莉愛は側に置かれていた、大きなペンギンのぬいぐるみ(通称かっしー)を勇吾さんに向けて放り投げる。



「出てって!!」

「わ、私はただ莉愛のことを心配して……」

「出てって! お父様の馬鹿ー!!」



 何の脈絡もなく近くに置かれていたぬいぐるみを勇吾さんに向けて放り投げる莉愛。

 勇吾さんは慌てて部屋から出て行くと、あとには俺と息を切らせた莉愛だけが残されていた。



「はぁ……はぁ……」



 ここまで荒れた莉愛を初めて見たかもしれない。

 よく考えるといつもの莉愛は誰に対しても敬語で一歩引いた感じだもんな。

 それを考えると今の莉愛は新鮮だった。



「あははっ……」



 思わず笑みがこぼれてしまう。

 すると莉愛が頬を膨らませていた。



「むぅ……、どうして笑うのですか!?」

「いや、さっきの莉愛はすごく新鮮だったからな。敬語を使わない莉愛も良いと思うぞ」

「わ、忘れてください……」



 恥ずかしそうに莉愛がポコポコと俺を叩き始める。

 その姿は風邪を引いているなんて想像も付かないほど元気なものだった。



「あははっ、気にする必要はない。俺の前でくらい気を張らなくても良いんだぞ?」

「そ、そういうわけにはいかないですよ……。だって、有場さんの前ですから――」



 再び莉愛は顔を真っ赤に染め上げる。

 そして、ゆっくり俺の方に近づいてくる。



「まだ有場さんにそんな気持ちがないのはわかってます。だからまだ黙ってようと思ってたんですけど、どうしても伝えずにはいられないです……。私は有場さんのことが好きです。助けてもらったときからずっと大好き……です」



 上目遣いを見せてくる莉愛。

 顔を真っ赤にして、緊張した様子を見せている。


 以前にも聞いたことがある莉愛からの好きという言葉。

 ただ、今日の莉愛の表情は真剣そのもので俺も何か言わないといけない気がした。



「莉愛……俺は――」



 うまく言葉に出来ないのはやはり年齢差……という問題があるからだろう。

 俺自身も莉愛のことは嫌いではない。


 むしろこうやって過ごしてきて、いろんな莉愛を見てきたからこそはっきりと言うことが出来る。

 だから俺は大きく息を吸い込んで気持ちを落ち着かせた後、大声で言う。



「莉愛、俺もお前のことが好きだ!」

「……えっ!?」



 莉愛が信じられないくらいに驚いていた。

 目を大きく見開いて、俺の顔を見てくる。



「ほ、本当……ですか?」

「あぁ……もちろんだ」



 これは嘘偽りのない言葉だった。

 しばらく一緒に過ごしてきて少なからず俺は莉愛に惹かれていた。



「そ、それなら私と付き合って――」

「それはまだ出来ない……」

「ど、どうして――」

「せめて莉愛が高校を卒業してから……だ。そうじゃないと社会的な問題が――」



 いや、俺は今莉愛のヒモだった。そっちも問題があるのじゃないだろうか?


 と、とにかく、俺自身が胸を張って莉愛と付き合えるようになるまではその誘いは受けるわけにはいかなかった。



「すまない……。なんとか莉愛に釣り合えるようになってみせる。だからもう少し待っていてくれ」

「わかりました。いつまでも待たせていただきますね。でも、このくらいならいいですよね?」



 莉愛がにっこり微笑むと俺に近づいてきて、口同士がふれあう。

 それは一瞬のことだったが、それでも莉愛は嬉しそうに微笑んでいた。



「えへへっ、今度はちゃんと出来ましたね」



 何かと莉愛が近づいてきたときには邪魔が入っていたからな。

 観覧車であったり、さっきの勇吾さんだったり……。


 ただ、それ以上に俺は顔が真っ赤になって動揺してしまう。



「有場さん、顔が真っ赤ですよ……」

「そういう莉愛だってすごく赤いぞ」



 慌てて頬を触る莉愛。

 その様子を見て俺は笑い声を上げていた。


 ◇


「それじゃあ、俺は勇吾さんと話があるから莉愛はゆっくり寝ておくんだぞ」

「大丈夫ですか? 私も一緒に行きましょうか?」

「いや、これは俺の問題だからな。大丈夫、莉愛と離れるようなことだけは絶対にしないからな」

「約束……ですよ」



 にっこりと微笑む莉愛。

 彼女がしっかりベッドに入ったのを見た後、俺は勇吾さんの部屋へと向かっていった。

 今の俺が解決すべき問題はあと一つ……。


 莉愛の側から離れたくないと改めて認識できた以上そちらの答えもほぼ決まってるようなものだったが――。


 部屋の扉をノックすると勇吾さんに対して声をかける。



「有場です。少しお話をよろしいでしょうか?」

「あぁ、大丈夫だ……。入ってくれたまえ……」



 なんだか勇吾さんの声に元気がなかったが、俺はそのまま部屋の中に入っていく。

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