第1話
あっという間に俺の怪我は癒えてしまった。
普通じゃありえない速度なのだが、これも全て神楽坂グループの力によるもの……ということで驚きを隠しきれなかった。
なんでも莉愛が自分の親に泣きながらこの病院に入れるように頼み込んだという話を小耳に入れて、今度会った時にお礼を言おうと心に決めた。
そして、自分の家へと戻ってくる。
ボロボロの小さなアパートの一室。
六畳一間とトイレ、風呂、キッチンがあるくらいの小さなワンルームだが、たまに寝泊まりするのに帰ってくるだけなので、このくらいの大きさで十分だった。
久々に明るい時間に帰ってきたけど、改めて見るとひどい部屋だな……。
よく考えるとまともに家具も買いに行ってないから仕方ないか。
部屋の中には引きっぱなしの布団とゴミ。
あとはヨレヨレに脱ぎ捨てられたスーツやシャツ以外何もなかった。
さて、これからどうしようか。
莉愛はあれ以来顔を出していなかった。ずっとつきっきりでいるのかと思ったらそうではなかったので少しホッとしていた。
あのとき、訳もわからない……俺を養うなんて言い出していたからな。
日を挟んで冷静になったのだろう。
ただ、通帳の中には今まで見たこともないような額が入っていたので、それだけでも莉愛には感謝している。
これだけ金があれば次の職を探す間、十分生活をしていける。
とりあえず職業案内所へ行く必要があるだろうな。
あとは……もう少し人が住めるような部屋にしないとな。
苦笑を浮かべていると突然扉が叩かれる。
「有場さん、いますか?」
扉を開けるとそこにいたのはこのアパートの大家さんだった。同じアパートの端の部屋に住んでいるので心配して見に来てくれたのかもしれない。
俺と同じくらいの年齢の女性で肩にかかるほどのウェーブがかった茶色の髪。
背は女性にしては高く、俺の頭一つくらい低い程度で細身の体ながら胸だけは非常に大きく思わず目がいく女性だ。
「珍しいね、こんな時間に。泥棒でも入ったのかと思って様子を見に来たんだけど……」
「前の会社を辞めたんですよ……」
「その方がいいと思うよ。だって、前までの有場さんは死んだ魚の目をされてましたよ」
そんなにひどい目をしてたのか……。
自分では普段通りに過ごしていたつもりだったのだが……。
「それにしても元気になられたようで良かったです。早く仕事が見つかるといいですね」
大家さんが微笑んでくる。
その目映いばかりの笑顔を向けられて俺は思わず顔を赤くしてしまう。
そして、大家さんが帰っていくのを小さく手を振りながら見送っているとその後ろからジト目を向けてくる莉愛の姿があった。
「有場さんはあんな女性がいいのですね……」
「そんなことはないぞ。それよりもどうしてここに?」
「はいっ、有場さんが退院されたと聞いて引っ越しを手伝いに来ました」
「はっ?」
満面の笑みで答えてくる莉愛に俺は思わず呆けていた。
何を言ってるんだ、莉愛は。
「別に引っ越す予定なんてないぞ?」
「有場さんは私が養っていくと言いましたよね? だから私の家に来ていただきます」
「いやいや、さすがにそれは駄目だろ!」
相手は学生。十歳近く下の子と一つ屋根の下の生活。どう考えてもアウトだ!
必死に首を横に振って否定する。
「なんでですか? 何か問題でも?」
不思議そうに首をかしげてくる莉愛。
どうしてお前がわからないんだ!!
莉愛の反応に頭が痛くなってくる。
「いいか、まず俺は男だ。しかも成人してる。これはいいか?」
「もちろんです。さすがに女性の方には見えませんよ」
莉愛に鼻で笑われていたが、気にすることなく話を進める。
「それでお前は女だ。しかもまだ学生だろう?」
「そうです。今年の春から聖ミリス学園に入りました」
やはりお嬢様学園だったか……。
しかも入学したばかりと言うことは十五歳と言うことだ。
今二十五歳の俺とちょうど十歳違うことになる。
さすがにこんな状態で同居生活はまずすぎる。下手をすると捕まってしまいかねない。
ただ、ここまで説明しても莉愛はわかっていない様子だった。
「それで何か問題があるのですか?」
「はぁ……、とりあえず一緒の家はまずい。さすがにまだ捕まりたくない」
「えっ? でも、有場さんは今も女性の方と一緒に住んでいますよね?」
「いや、この部屋には俺が一人で――」
「部屋……じゃないですよ。家……です」
家? どういうことだろうか。
莉愛の視線を追っていくとこのアパート自体を見ているように思えた。
「もしかして、このアパートのことを言ってるのか?」
「家には違いないですよね」
にっこり微笑んで答える莉愛。
確かに一軒の家……には違いないが、だからといって一緒に暮らしているわけではない。 ただ、それを言ってもうまく伝わらないか……。
それならば莉愛に言うのではなくて、直接親に言って断ってもらう方が早いかもしれない。
「わかった。とりあえず家に行かせてもらおう。引っ越すかどうかはその後でいいか?」
「仕方ないですね。今日はそれで我慢しますね」
ようやく納得してくれたので俺は莉愛のあとについていく。
◇◇◇
しばらく歩くと一台の黒塗りのリムジンが止まっていた。
まるでそこへ向かっているようにも見えるんだが……まさかな。
乾いた笑みを浮かべる俺だったが、その予想は正しかったようだ。
莉愛を前にすると運転手は扉を開ける。
「お帰りなさいませ、莉愛様。どうぞお乗りください」
「ありがとうございます。では、有場さんもどうぞ」
「あ、あぁ……」
信じられない気持ちになりながらリムジンの中に乗り込む。
中は革張りのシートやテーブル、さらにはグラスなども飾られていて、俺が持つイメージそのものだった。
まさかリムジンに乗れるなんて思わなかった。
普通に過ごしていたらまるで縁がない車だからな。せいぜい結婚式の時くらいか……。
一瞬、莉愛のウエディング姿を想像してしまい、必死にその妄想を払いのける。
なんで俺は今、そんな想像をしたんだ!?
冷や汗をかきながら隣を見ると不思議そうに首をかしげる莉愛。
なるほど、一緒にリムジンに乗ったからか……。
理由がわかると次第に冷静さを取り戻していく。
一体このままどこへ連れて行かれるのだろうか?
窓の外を見ても俺の席からは壁しか見えない。
なんだこの壁は?
こんなものが近くにあったかと思い返してみる。
しかし、そんな記憶はなかった。
ただ、この壁の正体はすぐにわかる。
ようやく壁がなくなったと思うと金属の門が見えてきた
。
そして、その前に止まると自動でゆっくり門が開いていく。
その先には……まだ道が広がっていた。
「着きました。ここが私の家です」
莉愛が教えてくれるが、建物も何も見えない。
「えっと、家はどこだ?」
「まだ先ですよ。ここは庭になりますから……」
笑みをこぼしてくる莉愛だが、俺は別の意味で笑いが止まらなかった。
まさか、これほど広い庭がある家に連れてこられたのか……。
確かにお嬢様と言うこともわかっていたつもりだが、想像以上だったかもしれない。
そのまま車は先へと進んでいくと、ようやく建物が見えてきた。
「ここは家……だよな?」
目の前に広がる建物は端から端まで目視できないほどに大きかった。
どこかのショッピングモールとか言われても納得しそうだった。
「もちろん家ですよ。私に付いてきてください。中を案内しますので」
俺の手を取るとまるでスキップをしそうなほど、嬉しそうに家の中に入っていく。
まぁこのくらいならな……。
苦笑をしながら莉愛のあとを歩いていく。
◇
家の中にあるはずなのにまるで迷路だった。
大きな玄関ホールから階段を上り、二階へとくると同じような扉がいくつも並んでいてどこにどんな部屋があるか全く見当もつかなかった。
そんな中、莉愛は迷う様子もなく、まっすぐにどこかの部屋に向かって進んでいく。
「……よく部屋の場所がわかるな」
「ずっとここに住んでますからね。有場さんもすぐに覚えられますよ」
「いや、覚えるつもりもないが……」
危うく一緒に住む流れへ持っていかれるところだった。
更に奥へと進んでいくとようやく端の部屋へたどり着く。
そして、莉愛はその扉をノックしていた。
「お父様、少しよろしいでしょうか?」
「莉愛か。入るといい」
「はい」
莉愛は一度俺の顔を見て確認をしてくる。
一度頷いて見せると安心したようにそのまま扉を開いていた。
「失礼します。お父様、有場さんを連れてまいりました」
「初めまして。有場健斗と申します」
莉愛の父親に向けて軽く頭を下げる。
「よく来てくれた。私は莉愛の父親で神楽坂グループの代表、神楽坂
勇吾さんが頭を下げてくる。あの日本で有数の大企業、その代表が俺に向かって頭を下げているという事実に動揺を隠しきれなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください。俺は大したことはしていませんので、頭をあげてください」
「いや、娘の恩人だ。親として礼を言うのは当然のことだ。それで娘から話は聞いている。前の会社でずいぶんと苦汁を舐めさせられてたんだろう。これからは我がグループが責任を持って君の身柄を保証する。だから安心するといい」
頭をあげた勇吾さんが俺の肩を叩いてくる。
彼が言うのなら俺は本当にこの神楽坂グループの一員になれる……と言うことだろう。
ただ、俺にそこまでの力はないはずだ。
今までブラック企業で働いていたわけなんだから……。
「俺にできる仕事はあるのでしょうか?」
「有場さんは何もしなくてもいいんですよ……」
勇吾さんに対する質問を莉愛が答えてくる。
ただ、勇吾さんは少し考えた後、それを手で静止させる。
「そうだな……。今まで仕事漬けだった君が突然何もしなくていいと言われると困ってしまうだろうな。それならば私からの仕事を与えよう」
「お、お父様!?」
莉愛が驚いた表情で勇吾さんの顔を見る。
まるで約束が違うとでも言いたげだった。
まぁ、会社だから仕事は普通にあるよな。
それを聞いてようやく俺は安心して話を聞くことができた。
「それでどんなことをしたらいいのでしょうか?」
「あぁ、莉愛と一緒にいてくれ。なんだったら恋仲になってくれても構わない。これが君の業務内容だ」
「わかりまし……えっ?」
思わず耳を疑ってしまうような内容だった。しかし、冗談を言っている雰囲気ではなかった。
「すみません、聞き間違いかもしれないので、もう一度確認させていただきます。俺の業務内容って……」
「莉愛と一緒にいてやってくれ。それが君に与える業務だ」
それを聞いて莉愛は嬉しそうに微笑んでいた。
ただ、俺は頭を押さえたくなった。
本当に一緒にいるだけ……。しかし代表からの業務となったら断れるはずもなかった。
俺が頷いたのを見ると勇吾さんは嬉しそうに頷いた。
「それじゃあ、私はこのあと仕事があるから出かけるな」
「お父様、次のお帰りはいつ頃になりますか?」
「そうだな……。数カ月はかかると思うぞ」
「わかりました。では、この館に有場さんの部屋も準備しておきますね」
「あぁ、あとのことは任せた」
慌ただしく出かけていく勇吾さん。
俺たちはそれを見送ると莉愛が笑みを見せてくる。
「これで安心してこの館に住めますね」
そこで俺はハッとなった。
仕事だと言われて頷いてしまったが、よく考えると今の状況は莉愛が望んでいた状況そのものだった。
つまり、俺は親公認で本当にヒモとなってしまったようだ……。
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