第2話

 気がつくと生活用品はこの家に運ばれてきて、俺と莉愛は一緒に暮らすこととなった。


 正直、あまり寝られる気がしない。

 そもそも、普段から三時間寝られたら良い方の生活を繰り返してきたこともあり、結局いつも通り五時ごろに起きてしまった。



 まだ、暗いな……。



 まわりに何もないここだと、窓の外は真っ暗だった。

 ただ、今日から俺は新しい業務に就くわけだ。気合いを入れていこう。


 ほどんとがヨレヨレの中、少しでもマシなスーツに着替えると莉愛の部屋へと向かう。


 さすがにこの時間に起きているということはないだろうが。



 まぁ、業務だからな……。



 何時に起きてくるかもわからないので、とりあえず部屋の前で待機をする。


 ◇


 しかし、莉愛が起きてきたのは昼前だった。



「ふぁ……、おはようございます」



 俺を見た莉愛は手で口を隠しながら小さく欠伸をする。

 それに答えるように頭を下げて挨拶をする。

 もちろん仕事中と言うこともあって頭は九十度に下げる。



「おはようございます!」

「え、ど、どうしたの!?」



 会社で働いていたときみたいに大声を出すと莉愛に驚かれてしまう。



 さすがにこれはなかったな……。



 少し反省した俺は莉愛に謝っておく。



「すまん、ついいつものように大声を出してしまった。……今日はやけに遅いんだな」

「うん、今は春休みだからね……」



 なるほど……、もうそんな時期だったんだな。

 確かに窓から見える外の景色はピンク色に染まっており、満開の桜が見ることができた。



「それに、有場さんもわざわざ待たなくていいですよ。出かける時は声をかけますから好きに過ごしてください」

「いや、これも一応仕事だからな。仕事である以上しっかりやらせてもらう」

「それなら今日一日休んでください。いきなり仕事だと大変ですからね。うん、それがいいです」



 まるで名案と言いたげに手を叩く莉愛。

 休み……。確かに普通の会社ならあって当然なものだ。ただ、休みって何をしたらいいんだ?


 嬉しそうな笑みを見せる莉愛。ただ、俺は真剣に悩んでしまう。


 大学時代の俺なら友達と一緒に遊びに行ったりしていた。しかし、その頃の友人とはすでに疎遠になっている。

 年中働きづめでろくに連絡を取ることもなかったから仕方ないだろう。


 それなら趣味に励む?

 趣味と呼べるようなものは何一つない。


 あれっ、俺は一体何のために働いていたんだ?


 一瞬目の前が真っ白になる。

 ただ、すぐに我に返る。


 そうだ、今まで出来なかったことをすればいいんだ。

 せっかく休みもあって、お金もあるんだからな。



「そういえば、有場さんは生活用品は足りてますか? 一応あの部屋のものは運ばせたのですけど……」



 生活に必要なものはいつの間にか部屋へと運ばれていた。


 今まで過ごしたことのないような大きな部屋で俺が住んでいたアパートの何倍も大きい。

 ほとんど荷物のない俺のものが置かれたところで部屋の広さは変わらず、なんだか物寂しい雰囲気だった。



「確かに家具とかも今ある分だけじゃなくて、色々と揃えておきたいし、せっかくだから見に行ってくるか」

「そうですね。では買いに行きましょうか?」



 自然な流れで一緒に出かけることとなった。

 まぁ、この辺りは莉愛の方が詳しいだろうし、せっかくだから任せた方がいいかもしれないな。



「よろしく頼む」

「うんっ、やったー。有場さんと初めてのお出かけだー!」



 嬉しそうに両手を挙げて喜んでくれる莉愛。

 そこまで大げさにしなくてもいいのにな。ただ出かけるだけなんだから……。


 ◇


 莉愛は急いで服を着替え、出かける準備をしていた。

 その一方で俺は朝から来ていたスーツ姿だった。


 買い物に行くならもっと普通の服の姿がいいだろうが、あいにくこれ以外の服は寝間着くらいしか持っていなかった。

 さすがに出かけるには不十分だろう。



「お待たせしました。……あれっ? 有場さん、その格好……」



 莉愛も今の俺の格好を不思議に思ったようで首をかしげていた。



「……スーツしか持っていないからな」

「では、せっかくですから有場さんの服も見に行きましょう! 私が選んであげますので」



 ぐいっと両手を握りしめて笑みを見せてくる。



「そうだな。せっかくだから選んでもらえるか?」



 そこまで服のセンスに自信はなかった。それならば莉愛に任せる方がいいだろう。



「わかりました。任せてください。ところで、私のこの服はどうですか?」



 クルッとその場で回ってみせる莉愛。

 彼女は薄手の白いシャツとカーディガン、薄いピンクのスカートととても春らしい格好をしていた。



「涼しそうでいいんじゃないか?」

「そういうことが聞きたいんじゃないですよ。もっと、可愛いとかそういったことを……」



 俺の回答はダメだったようで莉愛は口を尖らせてもごもごと独り言を呟いていた。




 ◇◇◇




 俺たちはリムジンに乗り、町の都心部へとやってくる。

 ただ、この移動方法は嫌でも目につくので俺は緊張していた。



「さすがにリムジンだと目立ちすぎないか?」

「そうですか? いつもこうやって移動してますけど?」



 莉愛は不思議そうに聞き返してくる。

 どうやらこの状況が異端だとは思っていないようだ。



 ただ、この移動が普通なら俺が助けたときはどうして一人でいたんだ?



「そういえば初めて会ったときは一人だったよな? あれはどうしてなんだ」



 普段からこうやって車移動しているなら逆にあのときがおかしいように思える。

 何かあったのだろうかと聞いてみると、莉愛はばつが悪そうに口を歪めていた。



「そうですよね。やっぱり気になりますよね……」

「いや、言いたくないなら言わなくていいぞ」

「いえ、有場さんには聞いてもらいたいです。実はあのとき、お父様と喧嘩をしてしまって……。家を飛び出したんですよ。ただ、闇雲に走っていたらあの場所にいて……、それから後のことは有場さんも知っての通りです」



 なるほど、それであんなところに一人でいたんだな。



「事故の後、心配してきてくれたお父様と仲直りも出来ましたし、有場さんとも出会えました。私は感謝してもしたりないくらいなんですよ」



 にっこり微笑んでくる莉愛と目が合う。

 すると恥ずかしくなったのか、莉愛はすぐに視線を窓の外へ向けていた。



「有場さん、お店が見えてきましたよ。まずはあそこに行ってみましょう!」



 莉愛が指さしていたのは高級ブランド服のお店だった。

 噂では一着数万……いや、数十万円してもおかしくないと言われてる場所だった。



「いやいや、そんな高い服なんて買えないぞ!」

「そんなことないですよ。とってもお手頃でいい品物が揃ってるんですよ」



 もしかして、俺が聞いていたのはあくまでも噂だったのかもしれない。

 実際にお手頃なものが揃ってるなら……。



「わかった。それじゃあ行ってみるか」



 莉愛は嬉しそうに頷くと車から降りる。

 それに続くように俺も降りると莉愛は手を握ろうとしてくる。

 ただ、その手を俺はサッと躱してしまう。



「ダメ……ですか?」



 上目遣いで見られるとさすがに言葉に詰まってしまう。

 しかし、周りの人目が俺を冷静にさせてくれる。



「人目が多すぎるからな」



 スーツ姿の俺と私服の莉愛。

 その二人が手を繋ぐ……。とてもじゃないが人に見せられない。

 周りにはたくさん人が歩いている。ただでさえリムジンに乗っていたこともあり、稀有な目で見られているのだ。


 これ以上騒ぎになって警察のお世話になるのはごめんだ。



 ただ、莉愛の悲しそうな顔を見ると心が痛む。

 しかし、心を鬼にして店へと向かう。



「行くぞ!」

「ま、待ってください……」



 俺の後を莉愛が追いかけてくる。

 そして、店の中へ入る。


 しかし、入った瞬間に俺は場違いじゃないのかと思えてしまった。

 どう見ても高そうな服が並んでいる。



「よし、違う店に行くか!」

「だ、ダメですよ! 有場さんの服を買うんですよね?」



 店を出ようとする俺の腕を掴むと必死に引っ張ってくる。

 すると、そんな俺たちを微笑ましい目つきで店員が見てくる。

 高価な店らしく落ち着いた雰囲気の女性だった。



「いつもありがとうございます、神楽坂様。そちらの方はお兄様でございますか?」

「いえ、私のこいび……」

「ただの知り合いです!」



 莉愛が変なことを言いそうだったので慌てて俺は言い放つ。

 すると莉愛は残念そうに頬を膨らませていた。



「ふふふっ、そういうことにさせてもらいますね。それで今日は何をお探しでしょうか?」

「有場さんの服を何着か見てもらいたいのですけど」

「かしこまりました。では、こちらにお越しください」



 店員はテープで色々測ったかと思うと、サッといくつかの服を準備してくれた。



「こちらの服がお似合いになるかと思いますが?」

「そうですね。有場さん、どれか着てみますか?」



 確かに試着はしておいたほうがいいよな?



「そうだな。試しに着てみるか」

「ではこちらにどうぞ」



 店員から服を受け取ると早速試着室で服を着てみる。

 サイズはピッタリで肌触りもよく、何より動きやすい。

 着終わると俺は試着室から出る。

 すると莉愛が満面の笑みを見せてくる。



「有場さん、とってもお似合いです!」

「そうですね、とてもお似合いだと思いますよ」



 店員にも褒められる。お世辞だとはわかってるものの褒められたら嬉しく思う。

 ただ、お店からして高そうに見える。



「ちなみにこの服の値段を聞いてもいいですか?」

「今着られてる服は全て合計して十万円程になります」



 値段を聞いて俺は飛び上がりそうになる。

 前の会社の手取り、一ヶ月分だった。



「お手頃ですね。それじゃあ見繕ってもらったものを全部もらえますか?」

「いやいや、全然お手頃じゃないだろ!!」



 思わず割って入るが、莉愛は不思議そうだった。



「でも、服って普通このくらいの値段がしませんか?」



 そうだった。莉愛は神楽坂グループの娘……。

 安い服なんて着たことがないんだろうな。このくらいが普通に思えるくらいに……。



「もっとお手頃な服があるからそっちに――」

「いえ、大丈夫ですよ。私に任せてください」



 笑みを見せてくる莉愛。すると店員が嬉しそうにしながら戻ってくる。



「全部で百七十万円になります」



 笑顔で店員が言ってくる。



 いやいや、そんなに服で払えるはずないだろ!



 驚きを通り越して、思わず心で突っ込んでしまう。

 ただ、莉愛は普通に財布を取り出していた。



「ではこのカードでお願いします」



 莉愛が真っ黒のカードを渡す。



 えっ、あれは最高峰のブラックカード?


 まぁ、莉愛が神楽坂グループの娘と考えると持っててもおかしくないか。



 呆然と眺めていたが、そこでハッと我に返る。



 ……そうじゃない!!

 女子高生に奢られるなんて流石にダメだろ!



「待て、俺が払う……」



 莉愛の前に出て行くと財布を取り出す。

 今の俺には前の会社から振り込まれたお金がある。それを使えばなんとかなるだろう。

 しかし、莉愛は俺の前に出てくる。



「いえ、有場さんは気になさらないでください。お手頃な値段なので」



 にっこりと微笑む莉愛。

 ただ、お手頃……と呼べる値段をはるかに超えていた。



「でも……、そうですね。それなら私が買う代わりに一つだけお願いを聞いてもらってもいいですか?」



 莉愛が口に人差し指を当てながら前屈みになって言ってくる。



 とても可愛らしい仕草だ。

 それにこれだけ高いものを買ってもらうのだから頼み事の一つくらい代わりに聞くべきだろうな。


 その程度で釣り合うとも思えないが……。


 俺が頷くと莉愛は目を大きく見開いてすごく嬉しそうに笑みをこぼす。



「約束、ですよ」

「あぁ、約束だ。それで俺は何をしたらいいんだ?」

「それは少し後からのお楽しみです」



 何かを企んでいる莉愛の表情を見ると俺は早まったかなと少しだけ後悔をする。


 ◇


 梱包が終わったあと、店員が袋を渡してくる。



「お待たせいたしました。こちらが商品になります」

「ありがとうございます」



 莉愛が丁寧に頭を下げる。

 それにつられるように俺も会釈をする。



「それじゃあ次は何を見に行きましょうか?」



 そうだな……。あと必要なものは家具くらいだろうか?

 生活に必要なものは最低限そろってるんだよな。


 食事は給仕が出してくれるし、洗濯もメイドがやってくれる。



 ……あの家にいると何もいらないんじゃないだろうか?



 そんな疑問すら浮かぶが余計な考えは振り払う。



「とりあえず家具を見に行こう。今度は普通のお店に……」



 家具ならばチェーン店に安めのものが置かれていたはずだ。

 そこに行けば――。



「わかりました。では付いてきてくださいね」



 さりげなく手を掴もうとしてくるので、それをサッと躱す。

 すると、莉愛は頬を膨らませてムッとした顔を見せる。

 そして、小声で呟いてくる。



「さっきのお願い事ですけど、私と手をつないでください……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る