第23話 民芸工房 あかまつ

 “自動”と書かれたドアを手で開く。普通の引き戸より数倍重い。

 但しカギがかかっていないところを見ると一応、私達が来る事は想定してくれているようだ。

 ドアの周りにはインターホンの類は無いし、この建物に裏口や通用口のようなものは無い。


 そのドアには『民芸工房 あかまつ 本日休館日』と書かれた木の板が吸盤でぶら下がっている。

「華ちゃん、お休みになってるけど……」

「ここに住んでいるのだから、休みの日に自動ドアの電源を切ればこう、なるっ!」



 開ければ当然閉めるのだ。この重たいドアを必要以上に開ける必要性は無い。

 重たい引き戸を自分が通れる分だけ開け、桜が通ったら中に入って閉める。

 扉をくぐると古めかしい棚や家具が並び、ぱっと見では売り物と調度の区別が付かない。

 木工細工の他、陶芸、金属、織物、書や油絵、浮世絵に至るまで、あらゆる工芸品や美術品が並ぶその店内。


 そしてわざと古く見せている店の内装にそぐわない ピロリロリン、ピロリロリン♪ と言う電子音のチャイム。

 当然、防犯カメラも私達二人を捉えて記録しているはず。

 古くさく見えるのは見かけだけ、と言う事だ。



「ごめんください。マエストロはいらっしゃいますか?」

 振興会ではバイヤーを装って入店し、彼の事は先生。と呼ぶ。

 但し。私はどうも、そう呼ぶには抵抗がある。


 もちろんマエストロは英語では無いが、英語のアルティザンやマスター。

 これも彼を呼ぶにはしっくりこない。

 そして私の語彙ではそれらに対応する日本語は全く浮かばない。

 師匠も匠もピンとこない。



 そしての人が私がそう呼ぶのを好まないのは知っているが、他の呼び方では失礼に当たる気がする。

 彼の事は人間的に得意では無いのは事実だが、一方でリスペクトしているのもまた本当。

 失礼に当たるような、そんな呼び方をするわけには行かない。と言うのはなにもマエストロを苦手としているから、だけではない。


 ちなみにお姉様はおじいさま。と呼ぶのだが、あの人の場合。そもそも普段からして何でもありなのであり。

 なので、こう言う場合はまるで参考にはならない。



「失礼します、あのぉ。……あやめの妹、華なのですが。どなたかいらっしゃいませんかぁ?」

 お店がお休みでも、職人さん達が作業をしている場合がある。

 変なところで何かを感づかれると不都合だから、関係者以外誰も居ない。

 と言うのを確認出来るまではあやめの妹、と言う設定は通さないといけない。



 地下の工房に居るのだろうか。

 私がこの時間に来る事は伝わっているはずだし、ドアのカギも開いていた。

 ならば不在、というのはおかしい。

 確かに、作業に没頭すると時計やカメラを見るのを忘れるような人ではあるのだが……。




 店の中にはマエストロ自身やお弟子さんが作ったものの他、知り合いの職人さんや作家の作品、――茶器であったり、おもちゃであったり、がずらりと並んでいる。

 木工職人の店の中に陶芸や織物、和紙の工芸品、絵の入った額などが飾ってある所以だ。

「わぁ、なんかかわいいお椀……」


 そして今、桜が見ている棚だけには値札が無い。

 確かに売り物では有るのだが、自分の自信作や、知り合いから基本的には展示目的で預かった作品の並ぶ棚である。


 値札が無い、と言う事は当然。

 購入しようと思えば値段は直接マエストロと交渉して決める、と言う事である。


 正直、私には価値がわからないのだが、その棚に並んだ箸が一膳6,000円で売れたのを見た事がある。

 つまるところその棚に並ぶ品は全てが職人手ずからの逸品もの。

 単純に言って“お高い”のだ。



「インスタントだってこれで飲んだらすごくおいしそうだよ!」

 桜の部屋に転がり込んだ翌日、取りあえず百円ショップで購入してきたお椀だって。

 味噌汁を飲む。

 と言うその一点においては、ここまでなんら問題は発生していない。

「見た目も大事、と言うのはわからないでも無いけれど……」


 他の棚では無くて、いきなりその棚に目を付ける桜の目ももすごいが、その棚は何よりお値段がすごいのだ。

 少なくとも値段的に、朝に慌てながらインスタント味噌汁を入れてポットからお湯を注ぐ、そんな使い方をするお椀では絶対無いはず。


「ちょうど二個あるし!」

 何がちょうどなのか、既に私の理解の幅を超えている。

 箸で6,000円、しかも買った人は、――安く手に入った! と喜んでいたのだ。


 桜が気に入って眺めているのは箸では無くお椀、明らかに箸より大きい。

 ならばどう考えても万単位。

 私達の自由に出来るお金で購入出来るような、そんな価格設定では絶対に無いはずだ。



 棚に気を取られた私達の後ろに人の気配を感じ、慌てて振り返る。

 ピ。シャコン。電子音が鳴ると同時、自動ドアにオートロックの錠が下りる

 私より若干低い上背、がっしりした体格に藍色の作務衣さむえを着込み、四角い顔にごま塩頭を短く揃えたいかにも職人、と言う風体の老人。

 いつの間にかこの店の店主、マエストロこと赤松老師が立っていた。



「久しぶりだぁな、クロ。……あやめが来るってぇ話じゃなかったのかぃ?」

 親しみを込めているのか面倒くさいのか。

 日本でも指折りのアイテムクラフタはだいぶ前から、私の事をクロッカスだから。と言ってクロ、と呼ぶ。


 肌の色の事もあるし、それに名前からクロを取ってしまったら、残りはカス……。

 いくら親しみを込めて貰おうとも。

 そう言う諸事情あって、私はこの呼ばれ方は好きでは無い。



「その呼び方は止めて欲しいと以前から……。いえ、失礼しました。ご無沙汰致しております、マエストロ」

「おめぇもおいらの事をそう呼ぶんじゃねぇや。ジジィで良い、つってんだろうが」

 当人が良いと言ったところで、私がそう呼ぶわけにはいかない。


「ところで、あやめはどうしたぃ?」

「お姉様は急遽所用が出来まして、なので私が代理でまいりました」


 今回。半分は桜が気になって、あえて自分で手を上げた部分もある。

 マエストロは確かに悪い人では無いが、得意というわけでも無い。

 桜のことがなければ、多分手を上げたりはしなかったと思う。

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