第5話 咄嗟についた嘘
土曜日、七海はいつものように、翔平のマンションを訪れた。
七海の心の中では、もやもやしたものが良子との話で解消されたはずだったが、翔平の顔を見たとたんに、再燃し、翔平に玲奈との関係について聞いてみたい衝動に駆られていた。
「お疲れさま。
少し休んで。」
部屋の掃除が終わると、いつものように翔平が笑顔を見せ七海に声をかける。
その翔平の優しい笑顔を見た瞬間に、七海は思わず口に出してしまった。
「翔平さん。
この前、夜に玲奈さん、このマンションに来たんですか?」
「え?
誰に聞いたの?」
翔平は怪訝そうな顔をして七海を見る。
「え、あ…。
れ、玲奈さんです。」
自分でも言い出すつもりがなかったので、七海は自分自身に驚き、しどろもどろになって嘘をついてしまった。
翔平は、玲奈が自分自身のことを他人にぺらぺらと話す性格でないことを良く知っていたので、七海の嘘をすぐに見破っていた。
「この前って、いつのこと?」
翔平の声に険があるのを感じた七海は、尚更、言葉がしどろもどろになって行く。
「に、2,3日、ま、前のことです。」
(私ったら、何を言っているのだろう。
嘘もついちゃったし翔平さんに嫌われちゃう。)
そう思いながらも、七海は聞き出すことを止めることが出来なかった。
「翔平さんは、以前、玲奈さんとは兄妹みたいな関係と聞かせてくれましたが、ほ、本当は、お二人は、どういう関係なのですか?
れ、玲奈さんのこと…」
「七海!!」
「ひっ?!」
翔平は真顔になり、珍しく声を荒げて、七海の言葉を遮ると、七海は驚いたように、その場で硬直したように棒立ちになった。
「西山さん。
僕とあなたの関係はHKLなんだ。
私事に変な詮索はしないでくれないか。」
七海は、翔平に名前ではなく、名字で呼ばれたことに、頭を殴られたようにショックを受けた。
(き、嫌われた。
翔平さんに嫌われてしまった。
もう、ダメ…)
七海の目からは無意識に涙が止めどもなくしたたり落ちていた。
それを見て、翔平は小さく息を吐く。
「まったく、もう…。
今回だけだ。
今回だけ、その質問に答えよう。」
「え?」
七海が顔を上げると、翔平の顔からも声からも険が消えていた。
「まずは、涙を拭きなさい。」
「は、はい。」
七海は言われた通りに、ポケットからハンドタオルを取り出し、いそいで涙を拭き取る。
「玲奈と僕は、前も言ったように兄妹のような間柄で、それ以上でもそれ以下でもない。
玲奈の兄と僕はこの前も話したように、小学校来の仲の良い友人で、それにいつしか玲奈も加わっただけだ。
よく相談事で僕に会いに来ることはある。
二、三日前も、相談したいことがあると家に来て、まあ、結局、玲奈の兄も後から来て、宴会になったけどな。」
「え?
玲奈さんのお兄さんも来たんですか?」
七海は、それを聞いて自分の早とちりだったことに気が付き、今度は恥ずかしさから顔が熱くなった。
「ああ。
それで、納得か?」
「は、はい。」
七海は、どう繕っていいかわからず、ただ頷いているだけだった。
「で、次に、僕から質問なのだけど。」
「…?!」
何を聞かれるのだろうかと七海は身構えた。
「二、三日前ということは、例のお父さんと揉めた日だな。
僕の後をつけてきたのか?」
「…」
七海は緊張して翔平の前で直立不動のように背筋を伸ばしたまま、小さく頷く。
「なぜ、そんなことをした?」
「あ、あの…。
父が、あの人が大人しく引き下がるとは思えず、何か胸騒ぎがしたので…。
つい…。
ご、ごめんなさい。」
七海はハンドタオルで口覆いながら、頭を下げる。
「それで、玲奈と居るところを目撃して、最初の質問になった訳だ。」
「はい…」
七海は余計な詮索をして、翔平に食って掛かった恥ずかしさと早とちりをした自分の愚かさとで胸が張り裂けそうになりながら頷く。
翔平は、七海の後悔している態度を見て、玲奈から聞いたという嘘をあえて指摘しなかった。
翔平は、再び小さく息を吐きだし、右手の人差し指で鼻の頭を触る。
「まったく、危ないことをして。
もし、お父さんと出くわしたら、どうするんだ。
それに、夜遅くにここら辺をうろつくと、変なのに声かけられたり、痴漢に襲われたりすることがあるかも知れないだろう。」
「…」
七海は、優しい顔で自分を心配してくれる翔平の顔をまじまじと見つめた。
(怒っていない?
それどころか、私のことを心配してくれている…。
何て優しいの。
それなのに私ったら、何て馬鹿なことを)
七海は何と言っていいのかわからなかった。
「今度は、隠れていないで、ちゃんと出てくること。
傍に玲奈がいても、問題ないから、出てきなさい。
それよりも、そんな危ない真似は絶対にしないこと。
わかった?」
「は、はい…。
あの…、翔平さん?」
七海は上目づかいで翔平の顔を見ながら、小声で話しかける。
「ん?」
「あの…。
怒ってないですか?」
「何が?」
「玲奈さんとのことを詮索して。
HKLのルールを破ってしまったことを。」
七海は、なおも自分のことを嫌いにならないでと神様にすがるような思いで問いかける。
「まあ、HKLのルールで明文化されている訳ではないが、契約しているのだから、もう、つまらない詮索をして不快な思いはさせないでくれよ。」
「じゃあ…。」
「ああ、怒っていないが…。」
翔平はそう言いながら七海の手を握ると、怪しく目を光らせ、ぐいっと七海を引き寄せる。
「きゃっ」
七海は抵抗せずに翔平の腕の中に倒れ込む。
「怒っていないけど、お仕置きをしなくっちゃ」
翔平は七海を抱きしめながら、その顔を見つめ、優しく囁く。
「し、翔平さ…ん?!」
翔平は、七海の唇を自分の唇でふさぐと、腕に力を込め七海を抱きしめる。
七海も夢中で翔平の舌に自分の舌を絡める。
しばらく二人はお互いをむさぼり合うと、どちらかともなく、そっと唇を離す。
「翔平さん…。
ごめんなさい。
おトイレに行きたくなっちゃった…。」
七海は、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして呟くように言う。
翔平は頷くと七海を抱きしめている腕を緩め、七海を自由にする。
七海は小さく頷くと、そそくさと速足でトイレに入って行った。
(よかった。
翔平さん、許してくれた)
ほっとして、トイレから出てくると、急に体が宙に浮き、翔平に抱き上げられていた。
「!?」
「さあ、お仕置きの時間だ。
お仕置きは、ベッドメイキングだ。」
翔平はそう言うと、そのまま七海をベッドに運び、わざと荒々しくベッドの上に七海を降ろし、七海の上着とズボンを脱がし、下着だけにする。
「優しくしてください…。」
七海は、上下の下着を掌でかくすようにして、小さく囁くと目をつぶる。
七海には、翔平がワザと荒々しい態度をやっているのがわかっていたので、それに合わせるように言ってみただけだったが、内心では翔平が待ち遠しかった。
「さあ、どうしようかな。」
翔平は、裸になると、七海に覆いかぶさり、下着の上から七海の胸に手をかけ、優しく愛撫する。
そして、七海の首筋に顔を埋め、首筋を刺激する。
七海は嬉しさのあまり、息を漏らした。
それからの翔平はいつもの翔平だった。
七海を裸にすると、全身くまなく、優しく愛撫していく。
七海はそれに呼応するように、身体を小刻みに痙攣させる。
そして、翔平は七海の柔らかく蕩けるような女性の中に深々と男性を挿入すると七海の耳元で囁く。
「七海は、可愛いし、綺麗だ」
七海は、うっとりと翔平の言葉を聞きながら母に言われたことを思い出していた。
(『七海は可愛いし、誰よりもべっぴんさんよ。
絶対に、あんたの方になびくって。』
お母ちゃんの言っていたこと、本当かな…。
本当ならいいな…)
そして歓喜の波に抗うことなく、自ら波を受け入れながら、翔平の波も受け入れていった。
七海が目を醒ますと、いつものように翔平の腕の中だった。
そっと顔を上げ翔平の顔を見ると、そこには優しい瞳で自分を見つめている翔平の顔があった。
七海は、翔平に微笑み返すと、額を翔平の胸に埋める。
(目を醒ますと、優しい翔平さんがいる。
私、この瞬間も好き。
翔平さんの温もりが身体の中に残っているし…。
馬鹿なこと言ったり、したりしないで、翔平さんに嫌われないようにしなくっちゃ。)
七海は身体から香る石鹸の良い香りに、酔いしれていた。
翔平も、腕の中にいる七海の柔らかで温かい身体、そして、七海から香る、石鹸の香りだけでなく、若い女性のいい香りが堪らなく思い、七海をずっと抱きしめていたかった。
翔平にとっても、七海は身体だけではなく、やさしく素直で明るい性格と、すべて思い描いていた通りだった。
(まったく、一丁前に嫉妬なんかして。
そういうところは、治してほしいものだ)
そう思いながら自分の胸に顔を埋めている七海の頭に、そっとキスをする。
「え?
翔平さん、何か言いましたか?」
七海は、何かが聞えたのか、顔を上げ、翔平を眺める。
「いや。
それより、お腹空いたかな。」
「え?
今何時ですか?」
七海が時計を見ると昼の12時を回っていた。
「たいへん。
早くお昼の支度をしなくっちゃ。」
七海は、ごそごそとベッドの中で下着を着ると、ベッドの淵に腰掛け、立ち上がろうとしたが、腰が砕け、時間が逆回りするようにへなへなとベッドの淵に腰掛けた。
「あれ?
力が入らない。」
七海は何度も立ち上ろうともがいたが、なかなか立ち上がることが出来なかった。
「お仕置きがきつすぎたのかな?」
翔平は笑いながら下着姿の七海の背中を人差し指で上から下へ撫でると、くすぐったかったのか七海は“きゃっ”と言って、立ち上がった。
「おお、凄い!」
「何が凄いんですか。
翔平さんの意地悪」
七海は立ち上れてほっとしたのか、翔平の方を向いて笑いながら“アッカンベー”と舌を見せた。
「翔平さん、お昼、何がいいですか?」
ブラウスを着て、ズボンを履きながら七海は翔平に尋ねる。
「ご飯がいいですか?
それとも麺類?」
「そうだな、ミートソースの缶があったから、たまにはスパゲッティにしようか。」
翔平も洋服を着ながら答える。
「いいですね!
じゃあ、それで決まり。」
そう言いながら、七海はもぬけの殻になったベッドの掛布団をめくり、シーツの皺を伸ばそうとシーツに手を置くと、顔を赤らめた。
シーツはぐっしょりと湿っていた。
(やだ、私ったら、そんなに…だったのかしら。)
「腰が抜けるほど、燃えていたってやつかな?」
後ろから七海を羽交い絞めにしながら翔平が耳元で囁く。
「もう、ばか。」
翔平は腕の中で、七海の身体が熱くなるのを感じていた。
「後で、シーツを新しいのにしておきますね。」
「お仕置きの後のベッドメイキング。
よろしくね。」
「もう、ばかばか。」
可笑しそうに言う翔平に、七海は恥ずかしそうに言い返した。
それから二人はキッチンでスパゲッティを茹で、ミートソースを温めて茹でたスパゲッティの上に掛け、あと、トマトサラダを作り、テーブルで向かい合って食べ始める。
「翔平さん、タバスコありますよ。」
「そうだ、七海!」
「は、はい?」
思い出したように大きな声で七海の名前を呼ぶ翔平に、七海は驚いたように返事をする。
「冷蔵庫に、タバスコ2本入っているだろ?」
七海は黙って頷く。
「2本とも同じ赤い色なので同じと思って、この前使ったら、1本は、滅茶苦茶辛かったよ。」
「あ、このことですか?」
七海はミートソースにたっぷりと中身を振りかけていたタバスコの瓶を翔平に見せる。
「そうだけど、2本とも同じじゃないの?」
「いいえ、冷蔵庫に入っているタバスコは、“ペッパーソース”で、こっちのタバスコは“ハバネロソース”です。
辛さは、ペッパーソースよりも若干辛いかもしれません。」
「ハバネロって。」
「はい、あの“暴君ハバネロ”のハバネロです。
美味しいですよ。
掛けて見ます?」
「い、いや。
冷蔵庫に入っているタバスコの方が良いや。」
「ごめんなさい。
今、持ってきますね。」
冷蔵庫に“ペッパーソース”のタバスコを楽しそうに取りに行く七海の後姿を見て、翔平は小さく息を漏らす。
(あんなに“ハバネロソース”のタバスコをミートソースの上に掛けて、七海は平気なのかな。
今度、“ハバネロソース”のタバスコにもなれなくっちゃ)
辛いもの好きの七海の味覚に、なぜか自分を合わせようとする翔平だった。
その日は、午前中の“事件”のために、午後は掃除のやり直し。
冷蔵庫の中には、そこそこ色々な食材が入っていたので、買い出しは日曜日にスライドさせ、二人は午後の時間を楽しんでいた。
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