第15話 残暑

翌朝、七海が目を醒ますと、翔平の腕の中だった。

(一晩中、私を抱いていてくれた…)

七海は顔を上げると、翔平の笑顔があった。

「あ、翔平さん、また、私の寝顔見て笑っている。」

七海はそう言うと体制を変えうつ伏せになり、顔だけ挙げて翔平の方を見る。

「いいじゃないか。

 減るもんじゃあるまいし。」

「何かその言い方、いやらしい。」

七海はワザと口を尖らせて見せる。

「えー、そうか?

 じゃあ。」


翔平は、そう言うと七海の腋の下をくすぐりはじめる。

「きゃあ、私、くすぐりに弱いんです。」

「え?

 いいこと聞いた。」

翔平はくすぐる手を止めず、七海はきゃあきゃあと体をくねらせていた。

「か、堪忍したってや…。

 …

そ、そうだ。

 今、何時ですか?」

七海は必死になって翔平の注意をそらす。

「今?

 7時過ぎだよ。」

「じゃあ、起きてお洗濯。

 外は?」

七海は翔平の手が止まった隙にベッドから抜け出して、厚手のカーテンを開ける。

外は朝から元気いっぱいの太陽が真っ青な空の下で燦燦と輝き、セミの合唱が今日も猛烈な暑さの予感がしたが、厚手の物の洗濯にはうってつけだった。


「翔平さん、起きてください。

 まずは、洋服のお洗濯から。

 パジャマも脱いで着替えましょう。

 また、翔平さんのTシャツを貸してくださいね。」

七海は翔平から昨日借りたTシャツと違うTシャツを受取るとジーパンや着替えとともにバスルームに入って行った。

その七海の後姿を翔平は複雑な面持ちで見送ると、頭を掻きながら小さく息を漏らした。


七海が着替え終わってバスルームから出てくると、翔平もジーパンにTシャツというラフな格好に着替えていた。

「翔平さん、パジャマを貸して下さ…。」

“ください”と言い終わる前に七海は翔平のパジャマが山なりに飛んで来るのが見えた。

そのパジャマをキャッチすると、小脇に抱えて、二つの枕からピロケースを外す。

ついでにシーツも。

「タオルケットはさすがに後ね」

そう言うと、バスルームに戻り洗濯機を回し始める。

「さあ、次は、お布団を干して。」


七海は、ベランダに出て布団干しを出し、雑巾で拭いて戻ってくるとキルトケットとタオルケットをベッドの横に置き、敷布団を丸めて持ち上げようとしたが、重さでうまく持ち上らなかった。

「セミダブルの大きさだから重いんだよ。」

翔平は笑いながら七海から敷布団を受取り、ベランダに出る。

ベランダは8時前だというのに東側から朝日が照り付け、もわっとした暑さが襲ってくる。


「あちい。

 これなら布団も洗濯物もあっという間に乾くよ。」

翔平が片手で風を起こすように仰ぎながら言うと、後から枕を二つ持った七海が出てくる。

「本当に暑いですね。

 でも、ここは高台だから、まだましですよ。」

そう言いながら七海は器用に枕を布団干しに括り付けるようにして干した。

「しかし、セミも朝から元気だな。」

「本当に、そうですね。」

マンションの周りの木々からセミの声が絶え間なく聞こえていた。

「さあ、暑いから、早く中に入ろう。」

「はい!」

翔平も七海も暑さは苦手だったので、逃げるようにエアコンの効いた室内に逃げ込む。


「翔平さん、朝食はご飯ですか?

 パンですか?」

七海はキッチンから声をかける。

「そうだな。

 いつも朝はパンだから、たまにはご飯がいいや。

 七海は?」

「私は、ご飯党です。」

七海は笑って答える。


「へぇー、若い女の子なのに。」

「いけないですか?」

「いや、とんでもない。」

とりとめのない会話を楽しみながら、七海はせっせとフライパンを使って料理をする。

「そう言えば、指の火傷は大丈夫?

 痛ければ、ご飯の支度、代わるよ。」

翔平はキッチンに入って来て、忙しそうにしている七海に声をかける。

「大丈夫ですよ。

 もう、まるっきり痛くないです。」

(昨日、翔平さんが髪を洗ってくれたり、身体を洗ってくれて、指先を使わなかったからですよ)

七海は口に出さず、心の中で思った。


朝食の準備が出来上がる頃、一回目の洗濯が終わったことを伝えるブザーが聞える。

「翔平さん、洗濯物、干しちゃいますね。

 先に朝食を召し上がっていますか?」

「七海と一緒に食べたいから、待っているよ。」

「はい!

 じゃあ、大急ぎで干してきちゃいますね。

 でも、その前に。」

七海は1回目に回した洋服類を洗濯籠に移すと、大きな厚手のタオルケット、キルトケットを洗濯機の中に入れ洗濯開始のスイッチを押すと、洗濯籠を持ってベランダへ出る。

洗濯物を干し終わり、室内に戻ると、額やうなじに汗が光っていた。


「ご苦労様。

 少し休んで。」

「いいえ、折角のおかずが冷めちゃって、ごめんなさい。」

七海は洗濯籠をバスルームに戻すと、パタパタとキッチンから朝食のおかずを運んで来る。

朝食は、ベーコンエッグに炙ったイワシの丸干し、切ったトマトとキュウリのおしんこに納豆とシンプルだったが、翔平の食欲をそそった。

「おー、上手そう!

 久し振りだな、こんな、和食の朝食は。」

目を輝かせている翔平を見て、ご飯と味噌汁を運んで来る七海は微笑んでいた。

「豪華じゃなくて、すみません。

 昨日、買い物に出なかったので、食材があまりなくて。」

「何を言っているんだ。

 これで十分だよ。」

「お味噌汁は、昨日の残りで…。」

「いいよ、いいよ。

 わかめの味噌汁大好きだから。」

七海からご飯茶碗にお味噌汁の入ったお椀を受取りながら、翔平は微笑んだ。


「じゃあ、いただきます。」

七海がテーブルにつくのを待ってから翔平は食べ始める。

「召し上がれ。」

七海もそう答えると、一緒になって朝食を食べ始めた。

「そう言えば七海は関西出身だったよね。

 納豆は平気なの?」

納豆をかき混ぜながら翔平は尋ねる。

「みんなそう言うけど、大丈夫ですよ。

 むしろ、好きな食べ物です。

 確かに関西にいた頃は、売っていましたが、あまり食べたことが無くて、こっちに来てから食べ始めました。」

七海は、練りからしのチューブから、からしをたっぷり納豆に掛けてかき混ぜる。

「からしも美味しいですけど、ワサビも美味しいですよ。

 ネギも好きだけど、青のりの方がもっと好きです。」

七海は温かいご飯の上に、からしをたっぷり混ぜた納豆を掛けて、美味しそうに口に運ぶ。

(か、辛くないのかな…)

翔平が思わず心配するほどだった。


イワシはカチカチに干してあり、硬かったが、噛めば噛むほど程よい苦さが口の中に広がり、それだけでご飯がお代わりできるほどだった。

美味しそうにご飯をお代わりして食べる翔平を見て、七海は嬉しそうな顔をする。

「翔平さん、良かったら私のおかずも食べてくださいね。」

「いいや、七海もしっかり食べないと、夏バテするぞ。

 ただでさえ、身体が細いのだから。

 そう言えば、チコチャンやってたな。」

「あ、それ知っています。

 “ぼーっと生きてんじゃないよ”って言う子でしょ。」

(私は、“ぼー”とは生きていない。

 お母さんのため、翔平さんの笑顔のために頑張るのだから)

七海は心の中で固く誓っていた。


二人が食後の食休みをしていると、2回目の洗濯が終わったことを伝えるブザーが聞えた。

「あ、洗濯が終わった。

 私、干してきますね。

 翔平さんは、ゆっくりと食休みしていてくださいね。」

七海が椅子から立ち上ろうと前屈みになると、翔平のTシャツを着ていたせいかダボダボで胸元から七海の胸がよく見えた。

今回はノーブラではなく、下着を着ていたが、かえってその白さが翔平には色っぽく思えた。

七海が、洗濯物を干してリビングに戻ってくると、翔平は食べた食器を下げ、キッチンで洗い始めていた。


「もう、ゆっくりしていてって言ったのに。」

七海は、翔平の横に立ち、洗った食器を布きんで拭いて食器棚に仕舞う。

(一緒に暮らしたら、いつもこうなのかな。

 それとも、亭主関白で何もしなくなっちゃうかしら。

 何でも一緒にする方がいいなぁ)

七海はそう思いながら、顔をほころばせていた。

片付けが終わると、七海は二人分のコーヒーを入れ、テーブルに運び、二人でくつろぐ。


「さて、今日は、これから“みなとみらい”にあるスーパーに買い出しだっけ?」

「はい。

 少し遠いいですよね。」

「大丈夫。

 車で行こう。」

「え?

 翔平さんの車?」

翔平は笑顔で頷く。

「やったぁ、翔平さんの車だ!」

七海は翔平の運転する車が好きで、飛び上がって喜んだ。

「せっかくだから、少し遠回りしていこう。」

翔平はそう言うと、遠くに見えるベイブリッジを指さす。

それは、暗にベイブリッジ経由で横浜港を一周してから、みなとみらいのスーパーに行こうという合図だった。

七海は迷うことなく大きく頷く。


コーヒーを飲み終わると、二人は出かける支度にとりかかる。

七海はクローゼットから洋服を取り出すと、バスルームに行って着替え始める。

出て来た七海は、白い色のレース柄のノースリーブのワンピースに、持ってきた水色のサマーカーデガンを羽織り、髪はポニーテールで結わき、まるで山の手のお嬢様のように可愛かった。

「おお、ワンピース!

 でも、セーラー服でも良かったのに。」

「もう、翔平さんのスケベ!!」

七海は“イー”と顔をしかめて見せた。

(でも、ほんとうに七海は可愛いな)

翔平は七海を見ながらつくづく思った。


「そうだ。」

「?」

翔平は洋室にある袋から何かを取り出して七海に渡す。

渡されたものは可愛らしい麦わら帽子だった。

麦わら帽子は、つばが短く、可愛らしい花柄のえんじ色のリボンが付いていた。

「これを私に?」

「ああ。

 この前会社帰りに偶然見つけて、七海の似合うかなって思ってさ。」

七海は嬉しそうに麦わら帽子を持ってバスルームに行くと洗面所の鏡で帽子の角度や向きをいろいろと試していたようだった。

「どうですか?」

結局、七海は麦わら帽子を普通に被って出て来たが、更にお嬢様化が進んだ様に翔平には思えた。

「完璧。

 我ながら、似合うと思ったんだ。」

「もう」

翔平が手を叩きながら自画自賛をしている様子を見て、七海は思わず笑みを漏らした。


翔平の運転する車は、七海を助手席に乗せ、尾根のような道を進む。

左手は下り斜面になっていて、家と家の間からは遠くの景色が見えた。

そして山道を下って行くと、首都高狩場線の乗り口があり、そこから首都高狩場線で横浜駅、新山下方面に向かって行く。

空は朝から抜けるような青空で、真夏の太陽が容赦なく照り付けるが、車の中はエアコンの涼風で快適だった。

首都高に入ると七海は思い出したように翔平に話しかける。

「翔平さん、この前ラジオでかかっていた曲、持っているって言いましたよね?」

「ああ、ウォークマンに入っているよ。」

「聞きたーい。

 今ありますか?」

「バッグの中に入っているから見てごらん。」


七海は言われた通り、翔平のセカンドバッグを開け、中を探ると、水色のウォークマンを見つけた。

「あー、私のもっているのと一緒だ。

 しかも、色まで!」

七海は喜んで翔平のウォークマンを取り出し、電源を入れる。

「同じものを持っているなら、使い方は大丈夫だな。

 この前の曲って、ヤマシタタツローの“Ride On Time”だろ?」

しかし、七海から返事はなかったが、可笑しそうに肩が揺れていた。


「?」

「翔平さん…。

 ノギザカ全アルバムにケヤキザカ、モモクロにエーケービー、それにパフュームと、これでもかと言わんばかりに可愛い女性のアーチストばかり入っていますね。

 本当に好きなんですね、可愛い女の子が。」

七海は今にも笑い出しそうだった。

「いいだろ!

 そんなこと言うと貸さないからな。」

「あー、ごめんなさい。

 私も、ノギザカはもちろん、ケヤキザカ、それとモモクロは入れてます。

 ヤマシタタツローですよね。

 あ、あった。」

「そうしたらダッシュボードにUSBケーブルが入っているから、それとカーステレオをつなげれば聞けるよ。」

「はい!」


車は横浜駅方面と新山下方面への分岐を新山下方面にすすんで行く。

それまでは上下2車線の下の線を走っていたが分岐を抜けると上り車線と下り車線が並行に走り、視野が広くなった。

右手には山下公園、本牧が見え、正面のベイブリッジがドンドンと近づいてくる。

日曜日の昼間、車も少なくスムーズに翔平の車は走る。

“青い水平線を いま駆け抜けていく”

ベイブリッジに入る手前で、曲が流れ始める。

ベイブリッジに入ると、翔平は左車線により、制限速度ぎりぎりで車を走らす。

七海は左手に見える横浜港や“みなとみらい”の風景にくぎ付けになっているようだった。

道は真っすぐで、青空に下、みなとみらいが輝いて見える。

「夜景もいいけど、昼間の風景も好き。」

「じゃあ、今度は夕暮に来ようか。

 夕日で、また違った風景が楽しめるよ。」

「本当ですか?

 絶対に連れて来てくださいね。」

七海は掌を口の前に合わせるようにして、笑顔を見せる。

翔平の車は、ベイブリッジを抜けると、左側の分岐を入って行く。

そして大きなスロープのような270度のターンを横Gが掛らないように減速して回っていく。

運転席の右側から正面へ、山下公園からみなとみらいへ風景が流れていく。

そして直線。

左手には相変らず横浜港や山下公園の方の風景が流れ、七海は目を輝かして眺めている。

車は横浜港を一周するように、横浜出口で一般道に降りていく。

下の道はみなとみらいに遊びに行く車で、少し混雑をしていたが、すんなりとお目当てのスーパーの駐車場に入って行った。


二人はスーパーに入ると、まるで新婚のカップルのように手をつなぎ、楽しそうに野菜や肉などの食料品をキャスターにのせた買い物かごに入れていく。

「翔平さん、キャベツが安い。

 レタスも。

 あ、向こうにスイカの大玉が特売だって。」

「ちょっと待った。

 スイカの大玉はさすがに二人じゃ食べきれないし、一人なら尚更食べられないって。」

「えー!?

で、でも、そうですね。」

「キャベツだって1玉じゃ。」

「大丈夫ですよ。

 冷蔵庫に入れれば、結構持つし、私が料理します。」

「でもさ、平日は?」

「う…。」

浮足立っていた七海は、翔平の言葉で少し現実に戻って行った。


「まあ、でもキャベツだったら2週間くらい持つし、レタスは平日、剥いて食べればいいから買おう。」

翔平のひと言で、また七海は顔を輝かす。

「トマトは?

 私、ミニトマトよりも普通のトマトが好きなんです。」

「そうだな。

 昔よく真夏に冷やしたトマトに塩を振って丸かじりしたっけ。」

「あ、私もよくやります。」

いつの間にか、カートの上の買い物かご2つは食料品で満杯になっていた。

「さて、そろそろこんなもんでいいだろ。」

「はい。」

「あ、あと、アイス!」

「え?

 アイス買いますか?」

七海は嬉しそうな顔をして、冷凍品のある場所に翔平を引っ張っていくと、ガラス戸を開け中からスティックアイスを取り出す。

「ここ、アイスが安い。」

七海が目を輝かせる。

「今日は暑いから、もうひと箱買おう!」

「はい!!」

七海は幸せそうな顔をして、チョコレートのアイスを取り、かごに入れる。


スーパーを出る頃には、食料品を満杯にした大きなレジ袋を翔平は両手にひとつずつ、七海は両手で一つ持っていた。

時計は正午を過ぎていた。

「あ、翔平さん。

 お昼ご飯。」

「どこかで食べようにも、アイスが融けちゃうな。」

「大丈夫です。

 揚げそばと、冷凍の中華丼の具を買ったから、帰ったら餡かけ焼きそばにしましょう。」

「お、いいね。

 そうしよう。」

車に戻り、ドアを開けると、むせかえるような熱気が流れ出して来た。

「うわ、炎天下に停めていたから、凄いことになっている。」

「きゃあ、暑い!

 こんな中にいたらミイラになっちゃいますね。」

「早くエンジン掛けて車の中を冷やさなくっちゃ。」


二人は後部座席に、食料品の詰まったレジ袋を押し込むと、翔平は急いでエンジンをかけ車を冷やす。

七海は、車の中の熱気も、きゃあきゃあ言いながら楽しんでいるようだった。

常に笑顔を見せる七海に翔平は心を和ますが、反面、少し困った顔になっていた。

「翔平さん…?

 どうかしたのですか?」

七海は、翔平のわずかな仕草を見逃さずに訪ねる。

「い、いや、なんでもない。

 暑さで少し参っただけだよ。」

「えー、熱中症じゃないですか?

 何か飲み物を買って来ましょう。」

七海はキョロキョロして飲料水の自動販売機を見つけると、翔平が「いいよ」という前に車から降り、小走りで自動販売機に向かって行った。

(楽しそうに、よく笑うようになったな。

 最初の頃は、緊張してか硬い顔をしていたっけ。)

翔平は飛び跳ねるような七海の後姿を見て思った。


戻ってくると、葡萄の果汁が入った天然水のペットボトルを翔平に差し出す。

炎天下の中、小走りで買ってきたせいか、七海の額や首筋に汗が光っていた。

「あれ?

 七海の分は?」

翔平は七海がペットボトルを1本しか買ってこなかった。

「私は大丈夫です。」

暑そうな顔をして七海は答える。

「じゃあ、半分こにしよう。

 最初に七海が飲んで。」

「いいえ、翔平さんが先。

 だって熱中症になりかけているでしょ?」

七海は心配そうな顔をして翔平を覗き込む。

(なにもかも一生懸命な娘か)

翔平は、そう思いながら七海が渡したペットボトルを開け、一気に半分ほど飲み干し、残りを七海に渡した。

「さあ、元気になったから行こう。」

「はい。」

翔平が車を動かすと、七海は嬉しそうに、また少し恥ずかしそうに、翔平の飲んだペットボトルに口を付け、葡萄の天然水を飲み込んだ。


翔平のマンションに戻ると、時間は午後の1時を回っていた。

七海は急いで買って来た食料品を冷蔵庫にしまう。

肉は冷凍庫に、野菜は野菜室、魚は日持ちする様に干物で、少し生っぽいのは冷凍庫、カチカチに乾いているのは冷蔵庫と、なるべく長く保管できるように買うもの、保管方法を工夫していた。


冷蔵庫と悪戦苦闘している七海を横目に、翔平はベランダに出て、干してある布団を裏返す。

部屋に戻ると、冷蔵庫の作業も一段落したのか、冷たい緑茶をマグカップに入れ、七海が運んで来る。

「翔平さん、ご苦労様でした。

 お布団、ごめんなさい。

 私が出来ればよかったのに。

 ともかく熱中症になるといけないから、お茶を飲んで休んでいてくださいね。

 すぐにお昼にしますから。」

七海が傍に来ると、炎天下の中、買い物をして汗をかいているはずなのに、七海のいい香りが翔平をくすぐった。

「七海。」

翔平は七海の手を握って自分の方に引き寄せ、抱きしめる。


「翔平さん、だめ…です…よ。

 私、汗…臭いし、それに翔平さんの…お昼ご飯の支度をしなくちゃ…。」

七海が顔を上げると、その口を翔平の唇が塞ぐ。

「…」

しばらく二人は抱き合っていると、どちらかともなく、“ぐぅ~”とお腹が鳴る音が聞えた。

「ほら、翔平さん、お腹空いているでしょ。」

「何言っているんだ。

 今の音は、七海のお腹だろ。」

「失礼ですね。

 翔平さんのです。」

そういうと二人のお腹が、同時に“ぐぅ~”と鳴り、七海と翔平はお腹を抱えて笑い合った。


昼食は、買って来た揚げそばと、その上に冷凍の中華丼の具を暖めて掛けたもの、それとトマトだった。

「へぇ~。

 五目餡かけ揚げそばだ。」

「時間がない時、冷凍の中華丼の具って、重宝するんですよ。

 ご飯に掛ければ中華丼そのものだし、こうやって揚げそばに掛けても美味しいし、野菜やお肉を足すと八宝菜みたいにもなるんです。

 それに冷凍でも美味しいですよ。」

「それじゃあ…」

「はい、お酢と練りからし。」

七海は翔平が言う前にテーブルの上にお酢の瓶とチューブの練りからしを置く。

「よくわかったな。」

「えへへへ。

 私もお酢をかけて、からしを付けるの好きなんです。」

二人は餡かけ揚げそばの上からお酢をたっぷりかけ、からしをお皿のへりに出し、付けながら頬張る。

「うん、上手い。

 冷凍品と思っていたけど、バカにならない味だな。」

「でしょ~!

 たくさん食べてくださいね。」


七海は翔平には2人前作って皿に乗せて出していた。

しかし、その量でも翔平は何事もなかったようにペロリと平らげていた。

「七海と居ると、色々なものが食べれていいよ。」

「でも、私、舌平目のムニエルとか、そういう高級な料理はできなくて。

 でも、今度は本を読んで頑張りますね。」

七海は右腕で力こぶを作って見せる。

「いや、いいよ。

 僕もそう言うの、性に合わなくて。

 こういうのとか、そうだ、今度、ハンバーグを作ってよ。」

「え?

 いいんですか?

 それなら、お安い御用です。」

食事も終わり、後片付けも終わり、二人はテーブルで買って来たアイスを食べながら、とりとめのない話をしては笑い合っていた。


3時ごろになり、七海は布団を翔平に手伝ってもらって取り込むと、洗濯物もすべて取り込む。

「あ、蜩が鳴いている。」

ベランダで翔平は遠くを見るような目をして呟く。

「え?

 ヒグラシって、あの“カナカナカナ…”と鳴くセミですか?」

「そうだよ。」

翔平は蜩の声がする方をじっと見ていた。

「蜩は、もっと夕方になってから鳴き始めるのだけど、随分とせっかちな奴だな。」

七海は翔平の独特の言い回しに、吹き出しそうになった。

「でも、あの鳴き声、少し寂しくないですか?」

「そうだね。

 夕方になって、あの声が聞えると、皆遊びをやめて家に帰ったっけ。

 そう思うと寂しいけど、腹ペコで家に帰ると、母の夕飯が待っていて楽しくもあったな。」

「そうなんですね。」

二人は部屋の中に入ると手に持っていた洗濯物をベッドの上に置く。

暑さのせいか、洗濯物は全て綺麗に乾いていた。


七海は、洗濯物を畳み、シーツやタオルケット、枕など翔平が寝れるようにセッティングしていく。

途中で暑くなったのか、カーディガンを脱いで、ノースリーブのワンピースだけになっていた。

ワンピースは七海の身体の柔らかい線を浮き上がらせ、腕を上げるとノースリーブのため、腋が丸見えになり、翔平の理性は気を失う。

「七海」

翔平は七海の腕を掴むと、セッティングしたばかりのベッドに七海を押し倒す。

「ちょ、ちょっと待って。

 翔平さん。

 だめですよ、折角洗濯して綺麗になったのだから。

 私、汗をかいているし、外に行って埃っぽいですって。」

翔平は構わず七海の首筋に顔を埋める。

「い…、うぅ…。」

七海は力を抜きかけたが、はっと何かに気が付き、翔平を押し上げる。

「?」

「翔平さん…、ごめんなさい…。

 おトイレに行きたい…。」

真っ赤になりながら泣きそうな顔をしている七海を見て、翔平は「ごめん」といって七海を自由にする。

「すみません。

 すぐに戻って来ますから。」

七海はいそいそとトイレに走って行く。


(どうしよう…。

 また、シーツを汚しちゃったら…。

 でも、私、翔平さんを拒めないし…。

 何かシーツの代わりになるような大きなものはないかしら。

 …

 あ、あれがあった!)

トイレの中で考えがまとまると、七海はトイレから出て洗面所で手を洗い、ベッドの淵に座っている翔平の横にちょこんと座った。


「翔平さん…。」

「ん?」

途中で中断したが、翔平は怒っていなかった。

「あの、お願いがあります。」

「なに?」

「その…。

 あれを…するとき、翔平さんの持っている特大サイズのバスタオルを引いて、その上で…。

 いいですか?」

七海は一度、アウトドアのレジャーに持って行くという特大サイズのバスタオルを翔平に見せてもらったことを思い出していた。

(あのサイズなら、丈が私の身長よりも長いし…。

 後で簡単に洗えるし)

「わかった、七海がそう言うのなら。」


翔平はタンスから特大サイズ丈は、170cm以上横幅は1m近くあるバスタオルを取り出すと、ベッドのシーツの上に広げる。

七海は、髪をほどき、ワンピースを着たまま、バスタオルの上に横たわる。

翔平もその横に寝転ぶと、七海の髪をかき上げ、そっと唇にキスをする。

「翔平さん、私、汗臭いですよ…。

 いい…ですか?」

七海の言うような汗の臭いはしなく、逆に女性の良い匂いが翔平を虜にする。

「七海…。

 まったく汗臭くないよ。

 むしろ、七海の良い匂いが…。」

七海の耳元で囁くと、翔平は七海の首筋に顔を埋め、匂いを嗅ぐように息を吸いながら、首筋に唇を這わせる。

「もう…、翔平さん…たら…」

七海は翔平が動きやすいように首を翔平と反対側に少し傾ける。


翔平は暫く七海の首筋を楽しむと、七海の両手を上げさせ、ワンピースの上から柔らかな七海の胸を触りながら、腋に唇を這わせた。

七海はくすぐったいのか、もじもじと身体を動かす。

翔平は七海の脚の方にまわり、ワンピースの裾を少し上げ両方の太ももの内側に吸い付く。

そして下着を脱がせ七海の女性を顕わにすると、そこを指と舌で重点的に攻め続ける。

七海は片手で翔平の頭を掴み、片手で自分の口を塞ぐようにして、波に耐えていた。

裸になり、翔平の男性を受け入れると、七海はおぼろげながらにバスタオルが丸まり身体がはみ出ていることに気が付いた。

「しょ、翔平…さん…。

 バスタオルが…、はみ出しちゃっている…」

翔平はゆっくりと腰を動かしながら七海の耳元で囁く。

「いいよ。

 すこしでも、七海の匂いが布団からしないと、寂しいから…。」

「翔平さん…。」

七海は翔平のひと言を聞いて、幸せを感じながら、無我夢中で翔平の波に身を任せていた。


その夜、七海が帰り、一人になった翔平はスマートフォンで電話を掛けていた。

2回くらい呼び出し音が鳴った後、相手の女性の声が聞えた。

「どうしたの、翔平?

 あなたから電話なんて珍しいわね。」

「ああ、玲奈。

 ちょっと話があるんだけど、いいかな?」

「いいわよ。

 なあに?」

「実は、七海との契約ことなんだけど。」

「え?」

「…」

「…」

いつしか夏の終わりを告げるような雷雲が夜空を覆いつくし、眩い稲光が遠くのベイブリッジを照らしていた。

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