第13話 涙が寂しさだった頃

七海はクローゼットの方をちらりと振り返ってからキッチンに戻ると、腕まくりをするような仕草を見せる。

「さて、じゃあ、ポテトフライから。」

180度の高温に温まった揚げ物鍋の油の中に、七海はボールにはいったスティック状にスライスしたジャガイモを片手で掴むと、さっと油の中に入れる。

“ジュアー、パチパチ”とジャガイモについた水が油を跳ねかし、跳ねた油が七海の指を襲う。

「熱い!」

七海は急いで手をひっこめる。

「だ、大丈夫?」

心配そうな顔をしている翔平に笑いかけながら、七海は跳ねた油がついた指を水で冷やしていた。


「大丈夫ですよ、ちょっと失敗して油が跳ねただけです。

 直ぐに治まります。」

七海は水から指を出し、翔平に見せる。

油が当たったと思われるところは赤くなっていた。

「ならばいいけど、火傷しないように気を付けてね。」

「はい。」

七海は菜箸を掴んで油の中のジャガイモを掻き回す。


「こうやると均等に熱が通って、からっと揚がるんですよ。」

しばらく掻き回し、こんがりキツネ色になったのを見計らってスキマーをとると、ジャガイモから出世したポテトフライを、キッチンペーパーを引いた金属製の笊にあけ、上からお塩を振りかけながらリズミカルに前後に揺らす。

「これで余分な脂が取れ、お塩が満遍なくついて美味しいですよ。」

七海は笊から皿に揚がりたてのポテトフライを盛りつけ、一つ摘まんで味見をする。

「うーん、我ながら今日は上手に出来ました。」

七海はポテトフライの乗ったお皿を翔平の方に差し出す。

「翔平さんも味見で一ついかがですか?」

「サンキュー。」


翔平は、七海と同じように一つつまんで口に入れる。

揚げたてのせいもあるが、口に入れたポテトはカリカリしていて、そして塩味も効いていて、外のお店で食べるポテトフライよりも数段美味く感じた。

「お、おお!

 美味いじゃないか、このポテト。

 しかも、ビールにジャストマッチだ。」

翔平は美味しそうにポテトフライを食べ、缶ビールの残ったビールを飲み込んだ。

七海は、翔平の嬉しそうな顔を見て満足して、残りのポテトを揚げ始める。


切ったポテトの量が多かったのか、3回に分けて揚げた後、次に冷蔵庫から下味をつけた唐揚げ用の鶏肉を取り出し、片栗粉をまぶして、良くかき混ぜる。

片栗粉が鶏肉とつけ汁に馴染むと、ひとつずつ、油の中に入れていく。

そして、菜箸で何度もひっくり返しながら丁寧に揚げていき、浮き上がって焦げ目がつき始めたものから、箸でつかみ、先ほどと同じように新しいキッチンペーパーを引いた金属製の笊の上に並べて行く。

キッチンは換気扇を回していたが、香ばしい唐揚げの匂いが充満していた。


七海は揚げたてのから揚げの中から大きいのを一つ箸でつかんで、まな板の上に置くと包丁で真ん中から切り、中まで火が通っているかを確認する。

唐揚げは中まできちんと火が通り、かつ、鶏肉の油が滲み出ていて、見た眼にも美味しそうだった。

「よし。

 翔平さん、あーん。」

七海は半分に切った唐揚げを箸でつまみ、翔平の口元に持って行き、翔平が口を開けると、その中に唐揚げを放り込む。

「あ、あちっ!

 ほっ、ほっ、ほっ」

翔平は熱そうに唐揚げを口の中で持て余す。


「あ、ごめんなさい。

 熱かったですか?」

七海は残った半分のから揚げをひょいと指でつまんで、自分の口に入れる。

「あ、ほっ、ほんと。

 あ、あつ…。」

七海も口を開け空気を吸い込むようにして口の中の唐揚げを冷ます。

「でも、美味いよ、この唐揚げ。」

やっと味わうことのできた翔平は、美味しそうな顔をして七海を見る。

七海も熱さで眼を潤ませながら頷いて見せる。

「は、はい。

 唐揚げも思った以上に、上手に出来ました。」


七海は翔平から缶ビールを受取ると、残ったビールを飲み干した。

「ふぅ。

 ちょっと危険でしたね。

 まるで、熱いおでんを顔に付けるリアクション芸みたい」

「まあ、顔に付けるのは勘弁してな。

 さすがに“聞いていないよ”って言えないし。

 でも、七海はお笑い見るの?」

「え?

 私、お笑い大好きですよ。

 いつも母さんと見て、ゲラゲラ笑って…あっ。」

七海はお笑いが好きだと言って“しまった”と思った。

(“ゲラゲラ笑って”なんていって、翔平さん呆れているかしら?)

「あはははは、ぼくも“お笑い”大好きでさ。

 特にリズム系のやつ。」

「あ、それうちも好きです。」

七海はそう言って最近はやりのお笑いのマネをして見せ、二人は大笑いした。


その後、残った鶏肉を揚げ終わると、七海は広い皿に揚がった唐揚げを並べ、その上にマヨネーズをたっぷりかけ、仕上げに一味唐辛子をマヨネーズが真っ赤になるほど振りかける。

「七海さん、ちょっとそれは掛け過ぎでは…?」

翔平はトウガラシの量を見て思わず怯んだ。

「この位なら大丈夫です。

 マヨネーズと合わせることでまろやかになります。」

辛いもの好きの七海は、にこやかに微笑んで見せた。

「そ、そうですか…。」


その後、味噌汁を作って7時過ぎにすべてテーブルの上に並べられていた。

「翔平さん、今晩は何を飲みますか?」

「そうだな、この献立だとビールかな。」

「はい。」

七海は冷蔵庫から缶ビールを2本取り出し、テーブルに持って来てプルトップを開けると、翔平の前にあるガラスのコップに、ビールを注ぐと、翔平は開いていないもう一本の缶ビールを取り、プロトップを開け、七海のコップに注いだ。

そして、翔平は「乾杯」といってガラスのコップを七海の方に差し出す。

七海も「乾杯」と言って、翔平のガラスのコップに自分のガラスのコップをそっと当てる。

二人はコップの半分近くまで飲み干すと、美味しそうに「ほぉー」と息を漏らした。

二人ともキッチンでガスコンロの傍にいたので、その熱気で喉が渇いていた。

「やっぱり、ビールは最初の一口が上手いな。」

「ほんとうに。」

七海も嬉しそうに微笑む。


「さて、まずは、赤く染まった唐揚げから。」

翔平は、少し躊躇しながら、唐辛子があまりかかっていない唐揚げを箸で掴むと口の中に入れた。

唐揚げは多少ピリッとしたが、七海の言う通りマヨネーズのおかげでまろやかになり、唐揚げの味を引き立てていた。

「う、美味い。

 本当に辛くない!」

それはいい過ぎかなと思いながらも、翔平は美味そうに次のから揚げに手を伸ばす。

「もう少し、唐辛子を掛けましょうか?」

七海は「辛くない」と言った翔平の言葉に少し物足りないのではと勘違いしていた。


「い、いや。

 これで十分!!」

翔平は慌てて否定する。

「そうですか…。」

七海は真っ赤に唐辛子のかかった唐揚げを平然とした顔で口に頬張り、呑み込んで行く。

「やっぱり、少し足りないかな。」

尚も唐辛子を掛けようとする七海を翔平は必死で留めた。

「ポテトにも、唐辛子を掛けると美味しいですよ。」

七海はそう言って笑ったが、翔平は「そのままで十分に美味しい」と言ってやんわりと掛けるのをやめさせた。


「そう言えば、野球はどうしました?」

「どれ。」

翔平がテレビのスイッチを入れ、野球中継をやっている番組を探す。

「今日は、ジャイアンツ対ベイスターズか。

 げ、10対1で敗けてる…。」

「あらあら。」

がっかりする翔平を七海は可笑しそうに笑いながら宥める。

テロップで他球場の途中経過が流れ、タイガース対スワローズが14対0でタイガースが負けていると出ると、七海は思いっきり顔を曇らせた。

「あらあら。」

今度は、翔平が笑いながら、七海を宥める。


「そうだ、テレビをやめて、七海の持ってきたDVDを見よう。」

「そうしますか。」

七海はリュックから無印のDVDを取り出すと、翔平はテレビの側のデッキを操作していた。

「翔平さん、これ。」

「おう。」

翔平は七海から渡されたDVDをデッキにセットし、テーブルに戻るとリモコンでPLAYボタンを押した。


映しだされたDVDは、高校の校舎と思われる前に舞台が作られ、セーラー服を着た女子生徒が20人程、曲がかかるのを待っているようだった。

音声は、周りで囃し立てる学生の声を拾っている。

「これは?」

「はい、高校3年の時の学際です。

 校舎の前に特設ステージを作ったんですよ。」

「七海は、どこにいるの?」

「えっと、3列目のこっちから見て左端です。」

七海が説明すると、曲がかかり、20人程の女子学生が曲に合わせ一糸も乱れぬように躍り始める。


「すげぇ。

 皆、上手いな。」

「ええ、この時のために放課後何か月もかけて練習したんですよ。」

「あ、七海だ。」

翔平が左端の七海と思われる女子生徒を指さす。

「はい。」

翔平が指差した七海は、髪が今よりも長く、ツインテールにしていて、顔も身体つきも今よりふっくらしていた。

「高校の時、結構、パンパンだったんですよ。

 笑わないでくださいね…。」

七海はそう言って翔平の方を見ると、翔平は瞬きもせずに食い入るように画面を眺めていて、七海の声は聞こえていないようだった。

(まったく…)

七海は、そんな翔平を見て思わず苦笑いをする。


“恋をするのはいけないことか”

歌の歌詞が七海の耳に飛び込んでくると、七海は玲奈に言われたことを思い出した。

「恋しちゃダメよ」

七海は、胸がチクリとなるのを感じた。


DVDの中では、女子生徒が各々のパートを完ぺきにこなし、七海もダイナミックに曲に乗って踊っていた。

「今は出来ないかな…。」

七海は画面を見ながら呟くと、急に翔平の視線を感じた。

「翔平さん。

 今、ここで踊れと言っても、無理ですからね。」

慌てて打ち消すと、曲が終わり、次の曲が流れ、5人ずつくらいに皆集まっていた。

「これって?」

「そうですよ、ほら、シャンプー。」

「おおー!!」

“おいでシャンプー…”

曲が流れ始めると、先ほどとは打って変わったように、ステージの女子学生は皆嬉しそうな顔をして踊り始めた。


そして曲が進んで行くと、右のスピーカーからぼそぼそと話し声が流れていた。

翔平は、耳をそばだて、その話声を聞くと、いきなり立ち上がりDVDを巻き戻す。

「翔平さん?」

七海は、翔平のために新しい缶ビールを冷蔵庫から持ってくると、翔平が何を始めるのか不思議になった。

翔平は、曲の先頭に巻き戻すと、左のスピーカーの音量をゼロにし、右だけにして再生する。

「翔平さん、どうしたの?」

七海が訝しんで翔平に尋ねると、翔平は「シー」と人差し指を口の前に持って来て静かにするように七海に仕草で示す。

その時、七海の耳に、聞き覚えのある女子の声が入って来た。


「…

 七海、楽しそうに踊っているよ。」

「ほんと、嬉しそう。

 あの笑顔、本当にかわいいもんね。」

「まったく、あの子ったら、皆があれ程に心配しているのに。」

「いいじゃないの。

 いろいろあって、ちょっとひねちゃっただけよ。

 根は明るくて、いい娘よ。

 ほら、あの笑顔を見たら。」

「そうね。

 変な噂も皆で叩き潰したし、あとは、七海のお家のことね。」

「でも、なんとか進学できるって。」

「よかったぁ。

 もう心配で…。」

「何泣いているのよ。」

「あんただって。

 …。」


声はその後音楽で打ち消され聞えなくなっていた。

「七海?」

翔平が七海の方を見ると七海は、呆然としながら目から涙をこぼしていた。

(知らなかった。

 みんなが、本当に私のことを心配していてくれたなんて。

 変な噂、知っていたけど、すぐに聞こえなくなったのは、皆のおかげ…?

 皆、心配しているって言ってくれたことを、私ったら、信じなかった。

 ううん、信じられなかった…)

そう思うと、あの頃、寂しがり屋でお昼など女子のクラスメイトが集まっている輪のところに気づかれないようにこっそり加わっていたはずだが、いつもまるで七海のための席が用意されているように空いていたこと。

気が付くといつも必ず傍に誰かいたことを。

いつの間にか誰かとおしゃべりをしていたこと。


七海はすべてがわかった気がした。

(ウチ、幸せやったんや。

 ただ、気が付かなんだだけやねん。

 それなのに、ウチったら皆がよそよそしくて寂しかったなんて…。

 今度、みんなに会うたら、ありがとうって伝えなくっちゃ)

七海は幸せそうな笑顔を見せながら、涙をこぼしていた。

それを翔平は微笑みながら眺めていた。


「さてと。」

翔平は、そう言うと、曲を巻き戻し、また、左のスピーカーの音量を戻し、再スタートさせた。

先程の声の部分は、聞き取れなかったが、七海には十分聞えている気がした。

曲は全部で4曲あり、見終わるころには七海の涙は乾き、懐かしそうに笑顔を見せている七海がいた。

「翔平さん、ごめんなさい。

 それと、ありがとうございます。」

七海が翔平に頭を下げると、翔平は何食わぬ顔でいう。

「なに?

 どうかしたの?」


翔平はDVDの中の女子学生の声や七海の涙の理由はわからなかったが、最後に七海が笑顔になったので、きっと良かったのだろうと、詮索することはしなかった。

七海にはそれがまた嬉しかった。

(今度、お話できたら…ね)

七海が感慨にふけっていたあと、ふとテーブルを見ると、唐揚げやポテトフライが半分以上なくなっていた。

「あー、翔平さん、私の分!!」

「え?

 美味しいものは早い者勝ちだろ。」

「もう」

おどけた顔でいう翔平を七海は明るい笑顔で見つめていた。


それからいつものように、お皿が空になって七海を大喜びさせ、食べた後片付けが終わり、翔平は七海の入れたコーヒーを飲んで食休みをしていた。

眼の前では、七海がアイロン台を出し、翔平のワイシャツにアイロン掛けようとしていたが、七海は指先を気にしていた。

「七海?

 どうかした?」

翔平は気になって声をかける。

「はい。

 揚げ物をした時に火傷した指先がピリピリして、少し水膨れになっているようで。

 翔平さん、絆創膏、持っていますか?

 途中で破けて、ワイシャツを汚すといけないから」

「え?

 どれどれ。」

翔平が七海の火傷した指を見ると、たしかに指先が赤く、小さくではあるが水膨れになっていた。


「アイロンは、いいよ。

 明日、クリーニングに持って行くから。」

「いえ、大丈夫です。

 やらせてください。

 そうだ、私のリュックに絆創膏入っていたっけ。」

七海が立ち上がると、翔平が薬箱を持って戻ってきた。

「絆創膏に火傷の薬もあるから、指を出して。」

翔平は、薬箱から火傷治療用の軟膏と絆創膏を出した。

「すみません」

七海は恐縮して指を出すと、翔平は優しく患部に軟膏を塗り、絆創膏を貼る。


「これで大丈夫。

 アイロンは、ほんとうにやらなくていいから。」

「いえ、翔平さんのワイシャツだから、私にやらしてください。」

七海の真剣な目を見て、翔平は頷いた。

「でも、無理しちゃだめだからね。」

「はーい。」

七海は、返事をすると鼻歌を歌うように楽しそうに翔平のワイシャツにアイロンをかけていた。

ただ、時折、指先を気にしていた。

「痛むの?」

翔平は気になって七海に尋ねるが、七海は「ううん」と首を振る。

「少しだけ痛いけど、大丈夫です。」

七海はそう言うと笑顔を見せる。

「さて、アイロンが終わったらお風呂の支度をしますね…。

 あら?」


七海はアイロン掛けしたワイシャツをハンガーラックに吊るし、翔平の方を振り向くと、椅子に座っていたはずの翔平がいなかった。

(どこに行っちゃったんだろう…。

 おトイレかな。)

そう思っているとバスルームから水を流す音が聞えて来る。

(いやだ、翔平さん、お風呂の支度してくれているのかしら。)


七海は急いでバスルームに行くと、中では浴槽を洗って、シャワーの水を掛けている翔平がいた。

「翔平さん、だめじゃないですか。

 私の仕事ですよ。」

七海は怒った顔をして見せる。

「まあ、いいじゃないか。

 HKはアイロンまでで、あとは、Lの時間でさ。」

「えっ?!」

七海は、ほのかに顔を赤らめた。

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