第12話 セーラー服の居場所

七海は翔平のベッドの中で目を醒ました。

身体からはいつものようにほのかな石鹸の香りが漂い、自然と顔がほころぶ。

「うう~ん。」

七海は、伸びをすると鴨居にかかったセーラー服が目に入った。

「え?」

七海は枕元の柵を見ると、そこには何もなかった。

(翔平さん、ハンガーにかけて吊ってくれたんだ。)

吊ってある自分のセーラー服を見ていると、エアコンの風が当たってか、嬉しそうに揺れている気がして、七海は嬉しくて仕方なかった。


「七海、目が覚めたか?」

横から翔平の声が聞える。

翔平はすでに洋服を着ていてリビングの椅子に座っていたが、七海が起きたのを見て、ベッドの方に歩み寄って来た。

七海はくるっと仰向けからうつ伏せに身体を変え、枕を抱えるようにして上半身を起こすと、翔平の方を向き、まるで猫のマネをするように“にゃあ”と声をあげた。


七海は片手で顔に落ちた髪をかき上げ、白い歯をこぼし嬉しそうな顔をして見せた。

「私、どの位寝てました?」

「え?

 ああ、一時間位かな。」

「ええー?!

 一時間も!!」

七海は驚いてベッドの上で跳ね起き、正座した。


「もう、翔平さんたら。

 直ぐに起こしてくれればいいのに。」

いつも翔平は七海が自然に起きるまで寝かせていた。

そのせいか、ハウスキーパーという肉体労働だが、休むことも出来き、逆に元気になって家に帰るようなものだった。

しかし、七海は気持ちよく寝かせてくれているという嬉しさ半面、ハウスキーパーとして家事をやらなければという頭があり、申し訳なさを感じていた。


(あっ)

七海は、何かを感じると「おトイレに行ってきます。」と小さな声で言って、ベッドの上に置いてある七海が借りた翔平のブラウスに袖を通すと、ベッドから降りてそそくさとトイレに向かって行った。

翔平のブラウスは七海には大きく、丈が七海の可愛いお尻を隠すように膝上まであった。

(ふーん、この姿も可愛いか)

翔平は裸の上に自分のブラウスを着た七海の後姿に見とれていた。


トイレから出て来た七海は、ブラウスの下半身に掛る前の部分が開けないように両手で押さえながら歩いてくる。

「そのまま、シャワーを浴びたら?」

翔平の言葉に七海は首を横に振る。

「大丈夫。

 だって、翔平さんが拭いてくれたんですもの。」

七海はそう言うと、こっそりと手に持っていた下着とジーパンを履いていた。

それから布団を整頓しながら、シーツとかが汚れていないかをチェックする。

それが終わると、ブラウスの裾を持って、腰のあたりで結び、乱れた髪も手櫛で整え、後ろで束ね、髪ゴムで結わき、ポニーテールにする。


「翔平さん、何を飲んでいますか?」

七海は、翔平のマグカップを覗き込む。

「ん?

 コーヒーだけど。」

「いい香り。

 一口いただいていいですか?」

「ああ、いいよ。

 今、入れて…。」

翔平は七海のためにコーヒーを入れようとしたが、七海は翔平のマグカップを両手で持ち上げると口をつけ、美味しそうに一口、二口飲んだ。

コーヒーは冷めていて、飲みやすく、味も落ちていなかった。


七海はマグカップを置くと、「ごちそうさまでした。」と小さな声で、七海の思いもよらぬ行動に唖然としている翔平に向かって微笑んだ。

「あっ、何か変なことしちゃいましたか?」

翔平の顔を見て、七海は慌てて尋ねた。

「いや、なんでも。」

翔平は、七海の真意を測りかねていた。


時計は夕方の4時30分を回っていた。

「いけない。

 洗濯物を入れないと。」

七海は軽やかな足取りでリビングのサッシを開けると、そとから暑い空気が入り込み、一気に部屋の温度を上げる。

七海は、ベランダに出ると後ろ手にサッシを閉め、洗濯物を取り込み始めた。

翔平は、まだ一部洗濯物が残っていたが、両手に洗濯物を抱えて戻って来る七海を見て、サッシを開ける。

「七海、洗濯物、ここで受け取るから。」

「す、すみません。

 じゃあ、お願いします。」


七海は手に持っている洗濯物を翔平に渡すと、踵替えして、残りの洗濯物を取り込みに戻る。

渡された洗濯物は、熱波で熱くなっていたが、よく乾いていた。

翔平が渡された洗濯ものをベッドの上に積んでいるころ、残りの洗濯物を持った七海が部屋に入って来る。

「夕方だっていうのに、外はまだまだ暑いです。」

七海は、おでこにじんわりと汗をにじませていた。


それから二人は仲良くベッドの上に積んだ洗濯物を畳み始める。

「翔平さん、いいですよ。

 私がやりますから。」

「いいよ、二人で片づけた方が早いから。

 それに、少しお腹も空いてきたし。」

「まあ、じゃあ、急がなくっちゃ。

 このワイシャツはあとで、他のワイシャツと一緒にアイロンをかけるからこっち。

 このTシャツは、さっき借りたシャツ。

 よかったぁ、もう乾いている。

 私の下着も乾いている…。

 翔平さん、見ちゃダメ。」

七海は楽しそうに洗濯物を畳みながら仕分けをしていた。


洗濯物がたたみ終り、整理ダンスに仕舞うと、七海は休むことなくキッチンに向かって行った。

「さあ、急いでお腹をすかせた翔平さんに夕ご飯を作らなくっちゃ。」

「七海、少し休まなくて大丈夫?」

「ええ、大丈夫です。

 寝かせていただいたので、元気いっぱいで、身体も軽いです。」

七海は元気いっぱいの笑顔を翔平に振りまく。

その視線の片隅に、吊ってあるセーラー服が気持ちよさそうに揺れているのと、水槽の中の金魚が気持ちよさそうに泳いでいるのが見えた。

「翔平さん、あとで金魚に餌をお願いしますね。」

「ああ、わかっている。」

元気な七海につられるように、翔平も元気が湧いてくる気がした。


七海はリビングの椅子に掛けていたエプロンを取り、頭から被り、冷蔵庫から下ごしらえした唐揚げ用の鶏肉が入ったボールを出すと、ラップをめくり、菜箸で掻き回しながら、匂いを嗅ぐ。

「うーん、美味しそうな匂い。」

「どれどれ。」

翔平が近づくと、ボールを持ったまま翔平にくっ付くように、七海は翔平の顔の辺りにボールを持ち上げた。


ボールの中からは、ニンニク、ショウガ、それに醤油が混じって食欲をそそる香りがした。

「本当だ。

 うまそう。」

「えへへへ。」

七海はボールにラップを掛けなおし、再び冷蔵庫に仕舞う。

そして野菜室から大きなジャガイモが入った袋を取り出し、流しに運んでいく。

そして流しの下から、新しいボールを取り出し、軽く濯ぐと水を張った。

翔平は、何を始めるのかと興味津々だった。


七海は、ジャガイモを一つ一つ丁寧に水洗いをすると、ピーラーを持ち出し、一つずつ皮をむいて行き、皮をむき終わったジャガイモを水の入ったボールへ入れていく。

それが終わると、まな板と包丁を取り出し、皮を剥いたジャガイモを1cm幅のスティック状に切って行き、切り終わったスティック状のジャガイモを水を張ったボールに戻していく。

「なんで、水につけるの?」

翔平は好奇心から七海に尋ねる。

「え?

 翔平さん、小学校の理科で習いませんでした?」

「?」

「ジャガイモのデンプンて空気に当たると紫色に変わるんですよ。

 だから水に入れておけば、周りのでんぷんが水に溶け、色が変わらないで済むんです。」

「へぇー」

翔平は感心したような声を上げる。

「何を感心しているんですか。

 常識ですよ、常識。」

七海は笑いながら感心している翔平を見て言った。

「でも、七海。

 それ、間違い!」

「え?」

「正解はじゃがいもに含まれているアミノ酸の一種のチロシンが酸化してメラニンが出来き、色が付くんだよ。

 ちなみに澱粉は白色。」

「そ、そうなんですか…。」

七海は間違いを指摘され、むくれるよりも翔平の物知りに感心した様だった。


「ま、まあ…。

それよりも、お米を研いで炊かなくっちゃ。」

「じゃあ、それは僕がやるよ。」

そう言って翔平が炊飯器のお釜に手を伸ばそうとすると、七海がその手を遮る。

「今日は、私がやりますから、そこで見学していてくださいね。」

そして、手早くお米を研ぎ、炊飯器にセットする。


「そうそう、キュウリのお漬物。」

七海は冷蔵庫からキュウリを二本出すと、水洗いをした後、へたを切り落とし、落としたへたを本体の切り口にこすりつける。

「何やっているの?」

翔平は、その仕草に興味を持ったようだった。

「これはですね、こうするとあくが取れて美味しくなるんですって。

母ちゃん…いえ、母さんが言っていたんです。

“美味しくなあれ”て言いながらやるといいんですよ。

ほら。」

確かに切り口に白い泡に様なものが湧き出ていた。

「へえ、ほんとうだ。」

感心したような声を上げる翔平を見て、七海は心の中で「やったー!」と叫んだ。


七海は、水でキュウリの切り口を洗い流すと、まな板の上に置いてお塩を振りかけ、両手の掌でまな板の上で転がし、塩もみする。

そして、食べやすいサイズにぶつ切りすると、保存用のビニール袋にいれ、上からにか漬けの素と書かれた液体を注ぎ、ビニールの口を縛ると、ビニールの上からしばらくキュウリを揉んでビニールごと冷蔵庫に仕舞う。

「本当はぬか床を作ると美味しいぬか漬けが食べられるんですけど。」

「七海の家は?」

「はい、母さんがやってます。」

「へぇ、だから七海は物知りなんだ。」

翔平は若いのにと七海を感心した目で見つめていた。


「次はお味噌汁とサラダ。

 お味噌汁は…。」

「ワカメ!!」

二人は声を揃えて言うと笑いあった。

「今日は、鰹節でだしを取りましょう。」

七海はお鍋に水を張ると、コンロに掛け、火をつけた。

「お湯が沸くまで、サラダを作ります。

 今日は、キャベツの千切り。」

七海は本当に楽しそうだった。


キャベツを冷蔵庫から出すと、葉を4枚剥き、水洗いをして、ますは縦に4等分。

そしてそれを重ねると、横に線のように細切って行く。

切り終わると、大きなサラダ用の皿に盛りつけ、トマトを2玉冷蔵庫から取り出し、水洗いをして、上手にへたを取り、8等分に切ってキャベツの横に盛り付け、それが終わると、ラップをかけて冷蔵庫に入れる。

その頃には、コンロの鍋が沸騰してきていた。

七海は冷蔵庫から削り節の入った大きな袋を取り出し、鍋の蓋を開け、片手を削り節の袋に入れると、拳一つ分、削り節を取り出し、お湯の中に入れる。

キッチンに鰹節のいい香りが漂う。


しばらく沸騰させると水切りをボールの上に置き、その上から削り節の入った鍋のお湯を注ぎ、削り節だけ取り除くと、削り節のだしの入ったお湯を鍋に戻す。

「ワカメは食べる直前に入れると美味しいから。

 今はお味噌までね。」

七海は、誰かに言い聞かせるように呟くと、取り出した味噌をだしの入ったお湯の中で溶いて行く。

「本当に今日はやることないな。」

翔平は七海の手際よさに舌を巻いた。


「じゃあ、翔平さん。

 ビールでも飲んでいてくださいね。」

七海は翔平の言葉を聞いて、冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、翔平に手渡した。

「お、サンキュ。」

翔平は冷えた缶ビールを受取ると、プルトップをシュポっと開け、ゴクゴクと三口ほど飲み込み、「くわぁ、美味い!!」と美味しそうな声を上げる。

「わぁ、美味しそう。

 私も少し頂いていいですか?」

七海が尋ねると、翔平は笑顔で頷き、飲んでいた缶ビールを七海の方に差し出す。

七海は嬉しそうな顔をして缶ビールを受取ると、2口ほど飲み込む。

「うーん、本当に美味しい。

 喉が渇いていたから尚更です。」

七海も満足そうな顔をすると、缶ビールを翔平に戻し、料理の続きに戻る。


「あとは、食後のグレープフルーツ。

 そうだ、翔平さん、明日はスイカを買いましょうね。」

七海は、グレープフルーツの厚い皮をむいて、丁寧に薄皮を剥くと実だけ取り出し、お皿に盛って行く。

終わるとラップをかけ、冷蔵庫に戻す。

「さてと、これで準備良し。

 次は、ポテトフライと唐揚げね。」

七海は、炊飯器のスイッチを入れ、揚げ物用の鍋を取り出し、ガスコンロの上に置き、サラダ油を入れていく。

「調理器具は全部そろっているのですね。」

七海は、料理をしないのに調理器具はすべて揃っているのが可笑しかった。


「うーん、最初は料理する気満々だったけど、一人だし、仕事も忙しかったからね。」

翔平は言い訳するように言った。

「そう言えば、最近は、土日出勤無いですよね。」

「ああ、働き方改革とかで、残業や休日出勤が問題になって、うちの会社でも厳しくなったんだよ。

 まあ、納品時は出勤することはあるけれど。」

翔平の会社は、以前は深夜残業や休日出勤もざらで、手当ては付くが心身ともに大変だった。

しかし、体調を崩す社員が出始め、労働時間について役所から指導が入り、また新しい役員の考え方から勤務形態も改善されていた。


新しい役員は、徹底的に残業を禁止し、その代り、時間内の勤務の効率を上げることを現場に厳しく要求していた。

翔平などは、そのやり方に賛同し、定時内の勤務の効率化、集中力を高め、作業を濃縮し、疲れはしたが、定時後の時間が多くなったことで、オンとオフを切り替えることが出来るようになっていた。

以前は家に帰るのが深夜の11時、12時が当たり前だったが、今では夜7~8時ごろには家に帰れるようになっていた。


「早く帰れるようになったけど、疲れは変らないので、結局やらずじまいさ。」

「社会人て、大変ですね。」

「まあ、やりがいをどう見つけるかだけどね。

 七海も、大学3年だっけ?」

七海は頷いて見せる。

「そろそろ、就職活動を始めないといけない時期だよな。」

「そうですよ。

 実際は、もうスタートしています。

 インターンシップにエントリーして参加している友達もいます。」

「七海は、どういう方向に進みたいの?」

「うーん、実はまだ漠然として。

 大きな会社に伝手もないし、私は地元の中小企業の事務でいいかなって思っているくらいです。

 翔平さんは?」

「僕は、何となく。

 4年の後期になって、これはやばいぞって思った時に今の会社で追加募集があって、受けたらたまたまさ。

 まあ、人付き合いは苦手な方なので、一人で物を作る仕事が良いなって。」

「それで、エンジニアですか?」


七海は翔平が人付き合いは苦手ということに意外だった。

物腰も柔らかく、話しも合わせられるし、まあ、問題があるとしたらアイドル好きで、ワンピースやセーラー服好きというくらいだった。

(それが問題かしら)

なんて思っていると翔平はキッチンを離れ、洋室との境に掛けてある七海のセーラー服に近づいていった。

「翔平さん、なにを?」

七海は、“セーラー服好き”と思ったのが聞えたのかと思い、慌てて翔平に声をかける。

「いや、換気扇を回しても揚げ物の匂いが服につくといけないと思って、クローゼットに入れておこうかと思ってさ。」


翔平は七海のセーラー服を取るとクローゼットを開けて中を覗きこむ。

「まあ、僕の背広を寄せれば十分だな。」

「そんなことしなくても。」

七海も翔平の後を追って翔平の横からクローゼットを覗き込む。

「今はクールビズで背広も使っていないから、臭くもないだろう。

 いいよな?」

翔平は背広を寄せると、七海のセーラー服が収まるスペースが出来た。

クローゼットは、防虫剤の微かな匂いがする以外は、クリーニングの匂いしかしなかった。


「はい、私は平気ですが、逆にいいのですか?

 背広を寄せちゃって、皺にならないですか?」

「大丈夫だよ。」

翔平は七海に笑いかけ、セーラー服をかけるとクローゼットの扉を閉めた。

(優しくしてもらえてよかったね、私のセーラー服。

 君の居場所もあって。)

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