第3話 当たり障りのない会話

「さあ、お昼にしましょう。

 冷蔵庫の中に何があるかしら。

 翔平さんは何が食べたいですか?」

七海はキッチンに入り、翔平の方を振り向き尋ねる。

「冷や麦があるから、それにしよう。

 ちょうど暑いし、食欲も…。」

「え?

 食欲ないのですか?

 それじゃ、夏バテしちゃいますよ。」

七海はそう言いながら、何かを考えているようだった。


そして何かが閃いたのか、ぱっと顔を輝かせた。

「わかりました。

 冷や麦にしますね。

 あとは、肉系の物があれば…。」

七海はそう言いながら冷蔵庫を開け、中を覗き込んでいた。

「あ、ウィンナー見つけた!

 これ、焼いて食べましょう。

 それと野菜と。

 あ、翔平さん、冷や麦ってどこにありますか?」

「え?

 ここだよ。」


翔平は起き上がりキッチンに歩いてくると、カウンターの下の扉を開き中から冷や麦のパックを取り出し、七海の方に差し出した。

「ありがとうございます。」

七海は受取る際に、翔平の指と自分の指が触れ、慌ててひっこめる。

(一週間経つと、リセットされるんだな。)

いつも決まって、土曜日になり1週間ぶりに会うと七海は妙に恥ずかしがり、よそよそしくなるのだが、肌を合わせると、よそよそしさが取れ、親しい間柄になるのだが、1週間経つとまた、同じことの繰り返しになるのを、翔平は面白がっていた。


「翔平さん、麺を茹でる用のお湯を沸かしてもらえますか?」

七海は、済まなそうな声で言う。

「ああ、もちろん。

 一緒に作ろう。」

翔平が笑いながら答えると、七海は小さく頷き、嬉しそうな顔をした。

「じゃあ、麺を茹でている間に、麺つゆを作りましょう。」

「え?

 つゆの素なら買ってあるよ。」

「いいえ、任せてください。」

腕まくりする七海を翔平は不思議そうな顔をして見た。


七海は、醤油と砂糖、そしてお酢を取り出し、ボールに次々と入れ、最後に少し水を足して、菜箸でかき混ぜる。

砂糖が溶け、良く混ざると、今度は冷蔵庫から何か瓶を取り出した。

「ラー油?

 でも、いろいろな具材が入っているの?」

翔平は瓶に書かれている食品名を読んだ。

「はい、焼いたニンニクやトウガラシなど色々と入っているんですけど、全然辛くないですよ。」

「あっそう…」

七海のにこやか顔で話す説明を聞いていた翔平は、七海の辛いもの好き、というか辛さに鈍感なことを思い、苦笑いをした。


「でも、そんなのいつのまに冷蔵庫に?」

「えー、翔平さん、冷蔵庫の中、見ないんですか?

 一昨日、買い物した時に安売りしていたので、何かに使えるかなって思って、買って入れておいたんですよ。」

七海が買い物をするようになって、翔平の家には調味料がいろいろと増えていった。

同じ具材でも、味付けを変えると飽きないという母親の影響を受け、七海も安売りをしているのを見ると買い込んでいた。

なので、醤油、ソース、ケチャップ、マヨネーズの他に各種焼き肉のタレや、豆板醤、ナンプラーなどの調味料、ドレッシングも、フレンチ、サウザン、イタリアンや青じそ、中華など少しずつ買っても、塵も積もれば山となるでいつしか冷蔵庫に所狭しと並び、ラー油の瓶が一つ増えても、翔平にはわからなかった。


「さて、冷や麦の“つゆ”は完成。

 食べるまで、冷蔵庫で冷やして、次は、ウィンナーね。」

七海は、フライパンに少量のサラダ油を引き、火をつけ、フライパンが温まったころを見計らって袋を破き、中のウィンナーをフライパンの上に転がす。

ジュウジュウと音を立てるのを聞きながら、七海は菜箸でウィンナーを転がし、途中でコショウと塩を振りかけ、更に炒め続ける。

そして、ウィンナーの周りの皮がパリパリになるのを見計らって、火を止めフライパンからウィンナーをお皿に並べる。


「あとは、サラダを作っておしまい!」

横では、翔平が茹で上がった冷や麦を冷水で冷やしていた。

七海はレタスを3枚くらい剥いて洗ってちぎると、トマトを2つ、水洗いして四等分に切り、レタスの上に載せる。

「今日のドレッシングは、えーと。」

「イタリアン!」

七海と翔平は声を合わせて言うと、二人で笑い転げる。


「いただきます!」

「召し上がれ。」

翔平は恐る恐る、七海の作った“つゆ”に冷や麦を付けて食べてみた。

「う、美味い!

 なんか、冷やし中華のタレみたいだけど、ラー油の具材が薬味になって、しかも程よい辛さ。

 食欲が沸くし、これは癖になりそうだ。」

食レポのように感想を言うと、翔平は夢中で冷や麦を“つゆ”に付けて食べ始める。


「よかったぁ。

 美味しくできて。」

「ウィンナーも、まわりがぱりぱりして、コショウがピリッとして美味い!」

「ふふふ」

七海も冷や麦を食べながら、目の前で美味しそうな顔をして食べる翔平を見て、嬉しそうにしていた。

二人で三人前の量の冷や麦と、ウィンナーにサラダを平らげ、満足げにお茶を飲みながら食休み。


「いやー、美味かった。

 ご馳走さま。」

「はーい。」

七海は満足そうな翔平の顔を見て微笑んでいる。

「さてと、これからの予定は、どうする?」

「え?

 ええと、食べた食器の片づけをしてから、食料品の買い出し…。」

七海は、セーラー服のことを思い出し、言葉を濁した。


「そうだ。

 今日は暑いから、車で足を伸ばして、みなとみらいのスーパーに行って見ないか?」

「え?

 翔平さんの車で、みなとみらいのスーパー?」

翔平の運転する車に乗るのが大好きな七海は思わず目を輝かせる。

「ああ、ほらチラシがネットで載っていて、なんか安そうだよ。」

「あ、このスーパー、知っている。

 大学に行く時に使う液の反対側にもありますよ。」

「そうなんだ。

 じゃあ、片づけをして行こうか。」

「…」

翔平の問いかけに七海は黙ってなにか考え事をしていた。


「七海?」

翔平が七海に声をかけると、七海は何かを決めたようだった。

「翔平さん。

 スーパーへの買い出しは、明日にしましょう。

 さっき、冷蔵庫を見たら今夜の食材は十分あります。

 だから、今日はゆっくり休んで、明日、買い物に行きましょう。」

七海は疲れからか、うたた寝をしていた翔平の姿を思い出し、いくら車でと言っても、暑い中で歩くと余計に疲れさせてしまうと考えていた。


「冷蔵庫に鶏肉とジャガイモがあるから、今夜は唐揚げとポテトフライにしましょう。」

七海の笑顔と、自分の身体を気遣ってくれていると感じ、翔平は、なんだかくすぐったかった。

「じゃあ、七海が折角そう言ってくれるから、今日は、のんびりしてようか。」

「はい!」

七海は明るく返事をすると、食べた後の食器を下げ、キッチンで洗い始める。

「七海、僕も手伝うよ。」

翔平が椅子から立ち上がると、七海はそれを制した。

「翔平さん。

 今日はゆっくりしているって言ったじゃないですか。

 大人しくしていなと、許しませんよ。」

「でもさ、何も病気じゃないし、お昼ご飯を食べたら、なんだか元気になってさ。」

そう言って翔平は右腕で力こぶを作って見せる。


「ダメって言ったら、ダメです。」

「はいはい、じゃあ、ここで見ているだけ。

そう言って、翔平はキッチンカウンターの反対側に立って、七海を見ていた。

小柄な七海だが、指は細く長く、綺麗な形をしていた。

その指が、まるで音楽を奏でるように動き、食器を洗いあげていく。

「七海。

 七海の指って綺麗だな。」

「え?

 わわっ!」

翔平にいきなり指のことを言われ、七海は危うく食器を落としそうになった。


「なんですか、急に。」

七海は、指が綺麗だと言われ、恥ずかしくなり顔を赤らめる。

「もう、静かにしていてくださいね。」

「はい、はい。」

七海は食器の片付けが終わると、冷凍庫から鶏もも肉2枚入りのパックを取り出し、レンジで解凍し始める。

「何を始めるの?」

翔平は興味を持って尋ねる。

「え?

 ええ、夕飯、鶏モモ肉のから揚げにしようと思うので、その下ごしらえです。」


「下ごしらえ?

 油で揚げる直前に。唐揚げ粉を掛けて終わりじゃないの?」

「その手もありますが、今日は手作りです。

 お肉が解答されるまでの間に、ニンニクを細かく刻んで、それと生姜を摩り下ろして。

 お砂糖と醤油とレモン汁…。

 さすがにレモン汁はなかったわ。

 代わりにお酢を少し。

 あと、生卵を一つ。」

七海は、細かく刻んだニンニクと摩り下ろした生姜をボールに入れる。


レンジが解凍を終えたと、チャイムで知らせる。

七海はレンジを開け、中から鶏もも肉のパックを取り出すと、パックを包んでいるラップを外し、中の肉を取り出すと、まな板の上に広げて乗せる。

「さて、鶏肉を一口サイズに切って…。」

そう言いながら七海は翔平の顔を見る。

「もう少し大きいか。」

七海は、切るサイズを大きくして鶏肉を切っていく。


切り終わると、ニンニクと生姜の入ったボールに入れ、その上から砂糖、塩、コショウ、醤油、お酢と適量を掛けていく。

「あ、みりんも少し。」

みりんと、溶き卵を入れると、両手に調理用の手袋をして、ボールの中の鶏肉と調味料を混ぜ合わせていく。

ニンニクや生姜の匂いが翔平の鼻をくすぐる。

混ぜ終わると、手袋をはずし、ボールにラップをかけると、そのまま冷蔵庫に入れる。

「これでよし、と。」

肉と調味料をかき混ぜると、どうしてもニンニクの匂いなどが指、特に爪先に残るので、七海はそういう時だけ調理用の手袋をする。


「さてと、終わり~!」

「でも、てっきりニンニクも摩り下ろすと思ったよ。」

翔平が感心したように言う。

「摩り下ろしてもいいんですけど、少し食感で残った方が美味しいかなって思って。」

「七海が考えたの?」

「えへへ、母から教わったんです。」

七海は“ぺろっ”と小さな舌を出し、笑った。

「へぇ、いいお母さんだね。」

「ええ、大好きです。」

翔平は間髪入れずに“大好きです”と言ってきた七海は、よほど母親が好きなんだなと感じた。

それから、七海はコーヒーを入れ、二人は、テーブルで微睡んでいた。


「さて、翔平さん、これからどうします?」

そう言って七海はしまったという顔をする。

(どうしますかって、なんだかあれを期待しているようにとられていないかしら。

 やだわ、私ったら)

七海は耳が熱くなるのを覚えた。

「そうそう、文化祭のDVD、持ってきました。

 観ますか?」

七海は話をうまくそらしたつもりでいた。

「え?

 文化祭のビデオって、あのセーラー服でダンスしているやつ?」

翔平がセーラー服と言ったのを聞いて、七海は自分で自分の墓穴を掘った気分になった。


(しまったぁ。

 セーラー服を着て見せると言った約束、思い出しちゃったよね。

 うう…)

「七海?」

七海の困った顔に気が付いたのか翔平が七海の優しい声で話しかける。

「七海。

 この前言ったセーラー服を着て、見せてと言ったこと、無しでいいから。」

「え?」

「い、いや。

 我ながら、なんてことを頼んだんだろうって。

 気にしなくていいからね。」

翔平は、右手の人差し指で鼻の頭を掻きながら、照れくさそうな顔をしていた。

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