第8話 梅雨

その日、七海と山下公園で遊び、一度、着替えでマンションに戻り、それから七海の家のある駅まで送った翔平は、夜の7時ごろマンションに戻って来た。

マンションに戻ると、少しして稲妻と雷鳴が轟き、滝のような雨が降り始めた。

「七海は、雨に当たらないで帰れたかな。」


翔平が七海のことを思いながら窓の傍に立って激しく降る雨と稲光を見ていた時、来客を知らせるインターフォンがなり、出るとHKLの代表の長谷川玲奈だった。


翔平は玲奈の兄と大親友で、しかも小学校の頃からいつも一緒に遊んでいたので、いつの間にか玲奈とも兄妹のように親しくなっていた。

今回七海を紹介したのも、相手が翔平で、性格から何から何までわかっていたので安心して七海に勧めた経緯があった。


「こんばんは。」

そう言いながら玲奈が翔平の部屋に入って来る。

「どうした?

 ビショビショじゃないか。」

玲奈は、髪から水を滴り落ち、服もびしょぬれだった。

「どうもこうもないわよ。

 外見たでしょ!

 いきなり雷。

 その上、ゲリラ豪雨よ。」

玄関の外からは、確かに強い雨音が聞えていた。


「まあ、梅雨だから仕方ないさ。

ともかく入った。

 タオルを出してやるから。」

「さんきゅ。

 洗面所、借りるね。」

翔平から大き目のタオルとバスタオルを受取ると玲奈はバスルームに入って行った。


しばらくすると、玲奈はブラウス1枚とスカートの代わりに下半身にバスタオルを巻いた格好で出て来た。

「しばらく、洋服を乾かせてね。」

「ああ、わかった。」

玲奈は長い黒髪をアップし、タオルを巻いていた。


ピンクのブラウスにスカート替わりにバスタオル。

ブラウスは玲奈のふくよかな胸できつそうに見えたのと、バスタオルの下から白く形の良い細い脚が見え、それだけで男性の眼を虜にするほどだったが、翔平は何も感じていないようだった。


玲奈も、翔平の目を気にする様子もなく、翔平に話しかける。

「七海ちゃんは、帰ったかな?」

「ああ、さっき駅まで送って行ったよ。

 今日は、あれか?」

「ええ、HKLの確認よ。」


HKLで紹介した男女については、1年契約で更新ありだが、途中解約も可能で、どちらが切り出してもいいという約束になっていた。

そのために、毎月、玲奈が七海と翔平に別個で状況を尋ね、問題ないかどうかを確認していた。


「ハイボールとコーヒーとどっちがいい?」

翔平は玲奈にダイニングチェアに座るように勧めながら飲み物を聞いた。

「業務中だからコーヒー…。

 と言いたいところだけど、今日はこれで終りだし、後でお兄ちゃんがここに来て合流するから、ハイボール!」

玲奈は、にこやかに片手を上げた。


「はい、はい。」

翔平も玲奈のことを実の妹のように可愛がっていたので、笑みを浮かべてグラスの用意を始めた。


「しっかし、驚きよね。」

「え?

 なにが?」

「翔平ちゃんの部屋。

 しっかり、生活感がにじみ出ているじゃない。」

「なんだ、それ?

 ほい、ハイボール」

玲奈は翔平からハイボールの入ったグラスを受け取り、一口、味わうように口に含んだ。


「これ、メーカーズマークね?」

「よくわかったな。

 自分としては、ジャックダニエルもいいかと思うけど。」

「そうね、あの臭さもたまらないわね。

 ていうより、あれはバーボンじゃない。」


「まあ、まあ。

 それで?」

「こんな立派なマンション買って、眺めも良くって。

 ローン、すごく高いんじゃない?」

「まあね。」


「翔平ちゃん、ちゃんとしていれば十分に女子にもてるのに。

 なんで、彼女を作らないんだろうね」

玲奈は、答えはわかっているという顔をして尋ねた。

「俺だって、作る気ないわけじゃないさ。

 単に、縁が無かっただけだよ。」

「え?

 “出会いの場と時間がない”じゃないの?

 答え、変わった。」

玲奈は少し驚いた顔をして見せる。


「まあ、それでも何もない味もそっけもない部屋だったのに、今じゃ、ソファアだとかいろいろなものを買い揃えて。

 全部、七海ちゃんの影響かな?

 それ、七海ちゃん用のマグカップでしょう?」

玲奈が指を差したのは、食器棚入っている花柄のマグカップだった。

翔平は少し照れたように、人差し指の指先で鼻の頭を掻く。


「それに七海ちゃん専用のグラスや食器。

 洗面所には、仲良く歯ブラシとコップが並んでいて。

 それになに?

 枕まで。」

玲奈は洋室のベッドにあるピンクのカバーのかかった枕を指さした。


「まあ、まあ。」

翔平はたまらず玲奈の言葉を遮った。

「まあ、いいけど。

 で、どうですか?

 七海さんは、問題なく上手くやっていますか?」

玲奈はハイボールを飲みながら翔平に尋ねた。


「ああ、問題なし。

 実にいい娘だし、とっても助かっているよ。」

翔平はそう言いながら、棚から缶を取り出し、それを皿に開けると自分の飲んでいるグラスと一緒にテーブルに運んで来て、玲奈の正面に座った。

翔平が皿の物を顎でしゃくると、玲奈は皿に手を伸ばした。

皿にはつまみでミックスナッツが盛られていた。


「それならば“よし”ね。

 こう言ってはなんだけど、あの娘、すごくいい娘よ。

 ちょっと複雑な家庭環境だけど、素直でいい娘。」

「それは、わかる。

 親孝行だしな。

 で、七海の方は、“続けて”で問題ないのかな?」

「ええ、この前聞いたら嬉しそうに頷いていたわ。

 最初会った時は、何か思い詰めた顔をしていて心配したのだけど、最近、明るくなったし、可愛さも増して来たし。

 翔平ちゃんの魅力かな?」

「よせよ、そんなことないだろう。」


「でも、よく15万も出しているわね。

 ここのローンと合わせると結構な額じゃない?

 両方とも払えなくなったなんてことないようにね。」

玲奈は冗談半分だった。

「ああ、それは大丈夫。

 今の会社を続けていればね。

 それに、他に使うことないし。」

「まあ、そうね。

 安心しているから、翔平ちゃんに紹介したのよ。」

玲奈は、“お代わり”と空になったグラスを翔平に差し出した。


「でも、翔平ちゃん。

 七海ちゃんに本気になっていないでしょうね。」

玲奈が探るような視線で翔平を見る。

「わかっていると思うけど、HKLだからね。

 本気にならないでよ。

 間違えても恋しちゃだめよ。」

「ああ、わかっているよ。」

翔平はそれを受取るとキッチンに行って、新しいハイボールを作って持ってきた。


「七海の方は?」

「七海ちゃん?

あの娘、危ないわよ。

恋する乙女の瞳になってきたみたい。

私から、よくよく釘を刺しておくから。」

「なら、よし、と。」

玲奈は、翔平からハイボールの入ったグラスを受とると、一口飲み込んだ。

翔平も自分用に作ったハイボールを口に含む。

何となく、昨晩、七海と一緒に飲んだハイボールとは味が違う気がしていた。


「玲奈の方は、こんなことやっていて大丈夫なのか?」

翔平は前から気になっていることを口に出した。

「HKLのこと?

 そうね、女の子を紹介して体までってなると、問題よね。

 だから、私は、男性からしか登録料をもらっていないの。

 女の子から貰うと斡旋料と思われて、売春と変わらなくなっちゃうもんね。

 それで、出来れば…。」

玲奈は何かを言いかけて言葉を濁した。


「まあ、大丈夫よ。

 お互い自由意志ということで。

 活動資金は、表の娘たちが稼いで来てくれるし。」

「ああ、あの本格的な女子大生の家政婦さんか?」

「ハウスキーピング!。

 口コミでも広まっちゃって、凄い人気よ。

 その分、トラブルも多くなってきて。」


「トラブル?」

「それはそうよ。

いくら二人で行っても、中には自分のことが好きなんじゃないかって誤解して女の子に迫って来る家主もいるのよ。

油断すると危なくて。

おかげで、見回りのメンバーも増やさなくちゃいけなくて売り上げが伸び悩み。」

玲奈はやれやれという顔をする。


「HKLの方は、今は翔平ちゃん含め、4組。

 今のところ家主さんは全員、お兄ちゃんの知り合いか、私の知り合いだから人的には問題ないし、女の子もいい子が揃っているからいいんだけど…」

「ん?」

「いえね、どこから聞きつけてきたのか、最近、登録希望が舞い込んでくるようになったのよ。

 それも一流企業のお坊ちゃまとか、官公庁のエリートさん、代議士さんに、その秘書さんまで。

 一切、秘密にしていたのだけど。

 翔平ちゃん、どこかで口を滑らせなかった?」

「いいや、そんなことなしていないよ。」

翔平はかぶりを振った。


「まあ、翔平ちゃんは口が堅いから心配していないけど。

 女の子も希望者が少しずつだけど私に声をかけてきて。

 まったく知らない男に、可愛い女の子を紹介するわけにはいけないし。

 どう断わって行こうか、現在思案中よ。」

断わると聞いて玲奈が手を広げることを考えていないとわかり翔平は少しほっとした。


「ならばいいけど、一歩間違えると大変なことになりそうだし。

余り危ないことはするなよ。」

「はい、はい。

 共犯者殿!」

玲奈はアルコールで酔って来たのか、コロコロと笑っていた。

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