最後の希望


一心不乱に雨の中を走った。

十九時までにはまだ余裕がある。

しかし一刻でも早く風花の顔を見たかった。


雨は強く打ちつける。

だけれど寒くはなかった。

真っ赤な傘が俺を守ってくれるからだ。


そうして公園の入口に着く。

待ち合わせの銅像は北入口から道なりに真っ直ぐ行った広間の中央にある。

広間は円形で、直径はおそらく五十メートルほどもある。大きな広間だ。

広間の東西南北にそれぞれ道が繋がっていて、周りにはアスレチックやピクニック広場、バーベキュー場やなぜか小さな神社なんかもある。



その広間を目指しながら、ふと俺は違和感を覚えた。

なぜだかいつもより人が多い。

こんなに雨が降っているのに。

すれ違いざまに傘が触れてしまう。

「すみません――」

俺はぶつかるたびに謝りながら道を急いだ。

ゆっくりと進むわけにはいかなかった。


道が大きくひらけてくる。

それに比例して、人はどんどん増えている。

銅像がある広間に着いた。


そして――俺は驚愕した。

まず目に入ったのはおびただしい数の傘。

その広間は人で埋め尽くされていた。



……なんだこの人の多さは?

いくらなんでもあり得ない。


十人や二十人どころではない。

五百人以上はいる。


風花は透明な傘だと言っていた。

つまりビニール傘のことだろう。

だが銅像の前にはほとんどの人がビニール傘を差していた。



俺は笑うしかなかった。

雨で視界が悪いうえに、傘を差していては顔なんてまともに見えない。

それにこの人の数では移動もままならない。

こんなの、見つけられるはずがない。




どうして。

俺はまずこんなに人が多い理由を探った。


理由はすぐにわかった。

広間の中央、銅像があるその場所を見れば一目瞭然だった。

ドラマの撮影だ。

それを囲むように大勢の人が押し寄せている。


さっきやっていたワイドショー。それが脳裏をよぎった。

こんな偶然があっていいはずがない。


いや、と俺は考え直す。

たぶんこれは偶然なんかじゃない。

きっと風花がそうしたのだ。

そう仕込んだのだ。

なんとなく、そう思った。


だったら、なおさら俺は風花を見つけ出さなくてはいけない。


人を縫うように広間の外周を移動する。

傘を閉じようか悩んだが差したままにした。

雨に濡れてしまうからではない。

風花が赤い傘を見つけてくれるんじゃないという淡い希望を捨てられなかったからだ。


風花は肩にかかるくらいの黒髪で、大人しい色のカーディガンやロングスカートを好んで着ていた。


だからそういう外見の人を見つけるたびに傘を持つ手に力が入ったが、みんな違った。

広間を大きく一周し終えた。

その間もドラマの撮影は続いている。

ギャラリーは輝かしい役者たちに夢中だ。

俺は二周目に入る。



とそこで俺は後ろから肩を掴まれた。

「おい、お前さっきからなにやってんの?」

大柄の男だ。たぶん三十代後半。

「あ、いえ、すみません。人を探していまして」

「はあ? 人? こんなところで? 見つかるわけないだろ」

「はい……でももうちょっと」

無視してまた人込みに紛れる。

「おい、ちょっと。お前――」


俺は大勢におかしなやつだと思われたと思う。

女性の顔を凝視しては目を逸らし、次の女性に移る。

明らかに不審者だ。

でもそんなことはどうでもよかった。

誰にどう思われようがどうでもよかった。


風花に会えれば、ただそれだけでよかったのだ。




しかしそれが実を結ぶことはなかった。

五周目が終わったとき、俺はほぼ諦めていた。

ほぼ、と言ったのは最後の希望がまだ残されているからだ。


どうやらロケが終わったらしかった。

ドラマのスタッフたちは機材をしまい、撤収の準備をしているようだ。

ギャラリーがだんだんと減っていく。

でも俺は待ち続けた。

最期の希望、つまりみんながいなくなって残った人。それが風花のはずだからだ。



しかしまたも俺の期待は裏切られる。

風花が姿を現すことはなかった。

そもそもドラマのスタッフ以外は誰も残らなかった。


俺は思った。

やはりあの電話は幻聴だったのだ。

精神が作り出したまやかしだったのだ。

くそ。なにやってんだよ俺の脳みそ。

どうせなら風花の幻も見せてくれればいいのに。




雨はさらにひどくなるようだった。

無理に歩き回った俺の肩や足元なんかはずぶ濡れになっていた。

このころには体の芯まで冷えていた。

でもそんなことより心の中のほうが空っぽで寂しくて、ひどく冷たかった。



俺は帰ろうと思った。

でもその前に、最後に、思い出の銅像を眺めながら、電話口での風花の声をもう一度思い出そうと考えた。


あのとき風花は言った。

『うん、ごめん。死んじゃった』

――そんなの、知っているよ。痛いほどわかっている。


『智くんと会えるのは、日没までだから』

――あと三十分しかないよ。もうおしまいだ。


『じゃあ智くん、また会えるよう神様に祈っているね』

……え? 神様? 祈る?

俺はふと思った。

そういえばこの広間のすぐ脇には。


俺はわき目もふらずに走った。

銅像を正面にして右に九十度の位置から続く道を進む。

そうするとまた右に折れる小径がある。俺はそれに入る。

しばらく進むと、小さな鳥居が寂しそうに立っているのに出くわした。


神様に祈る、もしかしてここなんじゃないかと俺は考えた。

俺は息を整えながら周りを見渡す。

まさに祈るような気持ちで探す。


しかしまたしても風花はいなかった。


俺はもう限界だった。

膝から力が抜けた。

前に倒れるようになったが、なんとか地面に手をつく。


そして――気がついた。

目の前の地面が、一か所だけ器用に濡れていない。

おかしい。変だ。

こんなに雨は打ち付けているのに。


そう考えていた、まさにそのとき。



「あーやっと気がついた」



どこからか、よく知った声がした。


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