ありえない文字列
次の日、俺は自室にいた。
いつの間にか壁掛け時計は午後四時半を示している。
この時間までなにをしていたかはよく覚えていない。
俺は抜け殻だった。
……いや、むしろ役者に中身なんてない方がいいのかもしれない。
そんなくだらないことを、ひとりで思う。
それでもたぶん生きなくっちゃいけない。
死んだらきっと風花に怒られる。
俺はそう思って、冷蔵庫の前まで足を運んだ。
冷凍チャーハンを引っ張り出すとそれを電子レンジに放り込む。
レンジの駆動音がやたらとうるさく感じた。
加えて聞こえるのは窓を打ち付ける雨音と、上階の住人が立てる耳障りな生活音。
そのすべてに嫌気がさした俺はリモコンでテレビを点ける。
夕方のワイドショーがやっていた。
『さあ、いま話題沸騰中! あの人気ドラマの特集です。
このドラマは一話完結で、舞台設定がコロコロと変わるその斬新さが評判。
俳優や女優もあえて有名どころは起用せずに若手ばかり。
なかには中学生や高校生なんて方もいらっしゃいます。
そして今回はなんと!
その注目を集める人気監督に直撃インタビューして来ました。
その様子がこちらです。
さあ、監督。今回はどのような――』
耐え切れず俺はテレビを消す。
若手? 中学生や高校生だって?
なんでだよ。
俺だって頑張っていたんだ。
いつか有名になってやるんだって。
演技で人を感動させるんだって。
――そう思っていたんだ
……ちょっと待て。じゃあいまの俺はどうなんだ?
風花がいなくなったこの世界で俺はなにかを頑張る意味なんてあるのか?
答えはわからない。
ただ、もう俺は演技なんて出来る気がしなかった。
そんな気力はちっとも湧いてこなかった。
ずっと歩み続けた役者への道。
それがいま終わろうとしていた。
こんなふうに俺は、どうしようもなく考えていた。
完全に悲劇の主人公気取りだった。
だから、携帯端末がふいに振動したとき、なんだか現実に引き戻されたような感覚になった。
端末の液晶に表示された文字列を見る。
その瞬間、俺はまず目を見開いた。
その文字だけはありえない。ありえるはずがない。
そして次に誰かのいたずらだと思い至った。
しかしすぐに思い直す。
こんな質の悪いことをするヤツは俺の周りにはいない。
きっと家族か誰かが、
俺はその端末を――風花と表示されたその電話を取った。
「はい、
「――あ、智くん?」
ドクン、と心臓が躍った。「……風花?」
「そうだよ。智くんの彼女の、風花だよ」
聞き間違えるはずがない。確かに風花だ。
だけれど心の隅にほんのちょっぴり残っていた理性が語り掛ける。
風花は死んだのだぞ、と。
「……本当に風花なのか?」
「なに、たったの一日で彼女の声を忘れちゃった?」えへへ、と照れたような笑い声。
やっぱり風花だ。
「……なんで? どうして。だってお前は」
「――うん、ごめん。死んじゃった」
まるで『待ち合わせに遅刻するね 』くらいの軽さで風花は言い放った。
「死んじゃったって……わるい、なにがどうなっているんだ?」
「もう、相変わらず理解が遅いんだから」
「……この状況を理解出来ないのは少なくとも俺の頭のせいじゃない」
「まあね。まあとにかく、智くん。あそこに来て下さい」
「あそこ?」
「そ。あそこ。よく私たちが一緒に練習した大きな公園。そこに有名な銅像があるじゃない? あそこらへんにいるから」
そこでようやく気がついた。電話口から雨音が漏れ聞こえている。
もしかしてもうそこにいるのだろうか?
でもあそこは、確か。
「ちょっと……ちょっと、待ってくれ。あそこは待ち合わせしている人ばっかりだ。それにいま雨が降っている。なんか目印――そうだ、俺は真っ赤な傘で行くよ。風花がくれたあの傘で」
俺はなにを言っているのだろう。
死者を名乗るヤツからの電話だぞ?
どうかしている。
自分でも何をしゃべっているのかよくわからない。
「ええ、あれ嫌がっていたじゃない」
「いいんだよそんなことは。とにかくそれで行くからな」
「わかったよ。ええと、じゃあ私は透明だから」
「透明? 俺が交換であげた傘あったろ。濃紺のやつ」
「……私が死んでお母さんが片付けちゃったの。というか智くん、それよりもひとつ大事なことがあります」
「……なんだよ?」
「智くんと会えるのは、日没までだから」
「日没? それって何時だ? そもそも雨が降っていて太陽なんて」
「――じゃあ智くん、また会えるよう神様に祈っているね」
「は? 神様って?」
電話が切れた。
再び激しい雨音が部屋中を支配する。
まず俺は日没の時間を携帯端末で調べた。
どうやら十九時ピッタリらしい。
あの公園には歩いて二十分ほど。
まだ時間はある。
さっきのは間違いなく風花の声だった。
でも死んだ風花が俺に電話を?
錯覚だろうか? 幻聴だったのだろうか?
俺は風花に対し、どんなふうに受け答えをしたのだったか?
――ふん。
そんなこと、どうでもいい。
もう一度風花と話せる可能性が少しでもあるのなら、それでオッケーなのだ。
俺はグレイのパーカーを肩に引っ掛けると、風花がくれた赤い傘をぎゅっと握りしめて、家を出る。
レンジに入れたチャーハンのことなど、俺はすっかり忘れていた。
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