生きるか、死ぬか
「はい、なんでしょう」半身だけ出て来たのは丸っこい目が印象的な銀髪の若い少女だった。その華奢な肩からスラリと伸びる両腕を一生懸命に使ってドアを支えている。とても重そうだ。
アルは代わりにドアを掴む。「急にすみません。あの……招き入れて頂きたいのですが」
少女はきょとんとした。「招き入れる?」
「そうです……おかしいでしょうか?」
「そりゃあ、いきなり家に尋ねておいて招くもなにもないでしょう」少女の緩やかな曲線を描く眉が楽しそうに動いた。
「……それもそうですね」アルは恥ずかしくなって
その様子を見て少女がふう、と息を吐いた。
「――まあいいわ。どうぞ。中に入って。何も出せませんけど」
「いいんですか?」アルは顔を上げた。
「あら、頼んできたのは貴方じゃない」銀髪の少女はもう一度、朗らかに笑った。
「私はヴァイオレット。貴方は?」
「……アルバートです」
そうして屋敷に入り込んだアルだったが、予想もしていなかったことが立て続けに起きた。
まずこの大きなお屋敷には意外にもヴィオしか住んでいなかった。
そしてアルの思惑も上手くいかなかった。
この少女に頼んで誰かを紹介してもらい、家を転々とする。そしていずれはどこか遠くの町に住めばいい、そういう思惑があったのだ。
しかし箱入り娘だったらしいヴィオは家の外から数百メートルくらい歩くと充電が切れたみたいに疲れ果ててしまい、家に戻らなくてはならなかった。
一緒に遠出をするのはとても無理だった。
そうこうしているうちに、いつの間にか吸血鬼であることも露見した。
ヴィオはそれをあっさりと受け入れた。
そして勧められるがままにアルはこの屋敷に住み着いた。
住んでいるうちになんだか居心地が良くなってしまった。
――もうアルは一人でどこかに行こうとは思わなくなっていた。
*
アルは思い出から目を覚ます。
約束の夜が来た。
ヴィオに連れられて屋敷内の庭園に出る。もちろん庭園に出るまでも、出てからも周りに明かりというものは一切ない。真っ暗だ。
もしひとつだけ色があるとするならば真っ赤なアルの二つの目のみ。
視覚には頼ることが出来ない。
庭園内に漂ってくるのは花の香り。バラのちょっと強い匂い。
そして虫の声が二人の耳を涼やかにした。
パラソルがついている二人掛けのガーデンテーブルに座る。
パラソル、テーブル、チェアすべてが真っ白だ。
もっとも今は色なんかアルにはわからない。
「調子はどう、アル」
「とてもいいよ。昼間だって外に出られる」
「またそんなこと言って……でもまあ今日はよく我慢できたわね」
「そんなの、あの頃に比べれば」
あの頃、とは逃げ回っていたときのことだろう。
人間が好きなアルにとってはとても辛かったはずだ。
「……きっとアルは優しすぎたのよ。誰にでも良い顔をし過ぎた」
「そんなことはない。吸血鬼なんて悪いやつばっかりだ」
「ほかの吸血鬼を見たことがないわ」
「吸血鬼は人間の血を吸う。嫌われて当たり前だ」
その言葉はヴィオの心をちくりと刺す。
アルはもう血を吸わない。
血を吸えば元通り元気になるはずなのに。
「なんで」ヴィオは静かにでも力強く言った。「なんで血を吸うことを辞めちゃったのよ」
「……飽きたんだよ、血の味に。あの人間臭い味に」
嘘だ。ヴィオは即座にそう思った。
アルは人間が大好きなのだ。
人間臭いのはむしろアルの方なのだ。
ヴィオはもう何度目かわからないその言葉を吐き出す。
「――ねえ、アル。私を食べて」
「……それだけは出来ない」アルは俯いて言った。
「どうして?」
「もう血は吸わないって決めているんだ」
「でも……でも、このままだとアルが死んじゃうわ……!」
「僕だって同じ気持ちだ。ヴィオを殺したくない」
人間は吸血鬼に噛まれたとき二通りの反応を示す。
耐え切れず死に至るか、奇跡的に生き残り同族となるか。
しかし感染して吸血鬼となった例をアルは一度も見たことがなかった。
それくらい確率は低い。
「――私を殺す? いいえ、アル。それは間違っているわ」
「間違っている?」
「そう。私はね、とっくに死んでいたのよ」
「……なにを言っている?」
「死んだも同然だったの。こんな広いお屋敷でひとり。家族も友達もいない。ずっとひとり。それって生きているっていうかしら?」
「……生きているだろう。少なくとも僕よりは」アルは消え入りそうな声で言った。
「いいえ、誰かに見られていないというのは死と同じ。だからアルが来てくれたときに私は生き返ったの。つまり命の恩人ってわけ」
「仮にそうだとしてもヴィオの血を吸う理由にはならない」
「なるわ。もともと死んでいたんだもの。アルのために死ぬならそれでいい」
「そんなの、屁理屈だ」
アルはもう限界がきている。
ここでヴィオが引いたらもう助かる見込みはなかった。
「アル。私は本気よ……お願い、ちゃんと考えて」ヴィオはアルの目を、その深紅の双眸を見つめた。
そこにあるのはたったひとつ。決して曲がることのない固い決意だけ。
二人はじっと見つめていた。
真っ暗でお互いの顔もよく見えないのに、二人は見つめ合った。
アルは思い出す。
出会ったときのこと。
出会ってからのこと。
今までのこと。
もしヴィオとこれからも一緒に居られたなら、それはどんなに素敵なことだろう?
そうして二人はどれくらい見つめ合っていただろうか。
――そして
アルも覚悟した。覚悟を決めた。
ヴィオのその決意を、二人が積み上げてきたものを不意にすることは絶対に出来なかった。
だけれどもしダメだったなら。
万が一ヴィオが死ぬことがあれば。
僕も死のう。
ただそう誓った。
「わかった……じゃあ明日の昼間、この庭園でヴィオの血を吸おう」
ヴィオの目がひときわ大きく開く。
そして静かに、自分だけがわかるように微笑んだ。
「ありがとう――でも昼間? どうして?」
「昼間じゃないと、人間の血は吸えないんだ」
それは真っ赤な嘘だった。
夜に住む吸血鬼なのにそんなわけがなかった。
これは願掛けだ。
アルのわがままだ。
ヴィオと話しているとなんとなく、太陽の下で血を吸ったほうが成功しそうな気がしたのだ。
そう感じさせてくれるお日様みたいな存在なのだ。
「……いいわ。明日の昼間にこの庭園で会いましょう」
「ああ、必ず」
静かに頷き合う。
「じゃあ今日は戻りましょう。朝になっちゃうわ」
「うん」
二人は手を取り合いながら屋敷に戻る。
運命は、夜が明けたこの場所で決まる。
二人が過ごしてきたこの場所で。
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