吸血鬼と紫の魔法
西秋 進穂
死にかけの吸血鬼と血も涙もない女
これは今より少しだけ前の話。
西の先のそのまた西の、とある科学が進歩した小さな国。
その大きなお屋敷での物語。
「ヴィオ、いいかげん外に出してくれよ」真っ暗な部屋の中に紅い二つの瞳がくっきりと浮かんでいた。
ヴィオ―ヴァイオレット―はその肩にかかる銀髪をさらりと払うと、扉の外側から答える。「夜まで待たないと、アル。まだ日が昇っているもの」
「……人間が吸血鬼を監禁するなんて。聞いたこともない」
「そう言うけどね、そもそも招き入れてくださいと言ったのはアルの方じゃない」
アル―アルバート―は部屋の中でひとりため息をついた。
確かにそうお願いした。
しかしそれはもう十年以上前のことだった。
――ロボットみたいなやつだ。まるで機械であるかのように融通が利かないことも多いし、なにより物事を寸分違わず正確に覚えている。
アルはそう思った。
「そんなに物覚えが良いのなら子どもに絵本の読み聞かせでもしたらどうだい?」
「あらそれは素敵。アルに構ってないでそうしようかしら」
「……ひどい言い様だ。血も涙もない」アルは口を尖らせた。
「……冗談よ。私がついていてあげるわ」
アル一人ではもう何も出来ない。
それは悲しいことだったが、二人はその現実を受け止めなくてはならなかった。
アルの体力は明らかに底を尽きかけていた。
「……どうせ長くはもたない。ヴィオの負担になるくらいだったら僕はもう」アルは分厚く鋭い八重歯を自らの唇に押しつけた。深く傷つくが血は出ない。
「――ごめんなさい、そういう意味じゃないの。それに……何度も言っているでしょ。別に負担なんかじゃないわ。死なれたほうが迷惑なの」
「ならいまここから出してくれ。昼間じゃないと……明かりがないと、ヴィオの顔が見えないんだ」
吸血鬼は元より不老不死だ。容姿だって老けるようなことはない。
しかしアルはもう違う。長い間生命エネルギー、つまり血を摂取していない。
弱っていた。それもだいぶ。
死はアルのすぐ背後に忍び寄っている。
ここ数年は日光だけではなく人工的な光もすべてダメになってきた。
だからアルとヴィオが会うのは真っ暗な場所でだけ。
頼るものはお互いの声しかないような、そんな世界でのみ。
でも死ぬ前に明るいお日様の下でヴィオの笑顔を見てみたかった。もう何年も見ることが叶っていない。
それがアルのたったひとつの願いだった。
「――じゃあ私の血でも吸って元気になる?」
「……やめてくれ」
「あっそ。じゃあまた夜になったら来るからね」
キシキシと廊下の軋む音が遠ざかっていく。
アルは長く息を吐きながら目を閉じる。
夜までは長い。
そしてつい、こんなことを思い出してしまう。
*
アルは何百年も前から血を吸わなくなっていた。
その理由はアル自身もうまく言葉に出来ない。
なんだか吸いたくなくなったのだ。
吸血鬼であることを隠して生活し、周りの人間にはとても愛された。愛されるだけのことをしていた。アルはみんなに優しく、人間のことをとても大切にしていた。
そしてアルは小さな町を転々として回っていた。
一つの町に長くいると吸血鬼であることがばれてしまうから。
ここ最近では急速に科学が発展し身分を隠すことが難しくなってきたことも事実だ。
それでも自分は上手くやっている。そう思っていた。
ところがある日。
そんな誰からにも愛されるアルを気に入らない連中が彼の正体を見破った。
それはほんの些細なことだった。
でもそれだけでアルは町に居られなくなった。
それからは逃げた。
何日も逃げ回った。
ときおり太陽の光も浴びた。
日光を浴びたからと言ってすぐに死ぬわけではないが、生命エネルギーは徐々に消耗する。
だから長く太陽の下には居られなかった。
逃げ回りながらたまに別の町にたどり着くことが出来た。
しかし吸血鬼は自分から新しい家に入ることが出来ない。
必ず招き入れてもらわなければいけないのだ。
アルはここで手こずった。
噂が広まっていて、ひとりぼっちの小汚いアルはどうしても家に入れてもらえなかった。
そんな肉体的にも精神的にも消耗した夜。
人里離れた山の麓に一軒の屋敷を見つけた。
いままで見てきた中でもひときわ大きい豪奢なお屋敷。
その大きさに圧倒されながらも心の何処かで期待を捨てきれなかったアルは歩を進めた。
自身より大きい鉄格子を開き中へと入る。
暗い。明かりはない。
辺りにはどうやら短い芝生が生い茂り、アルの左右は腰くらいの背丈の草木が整えられている。遠くには開けた空間――あれは中庭だろうか――も見えた。
アルはその草木の間に通る石畳を歩いた。
やがて石段にたどり着きそれを上る。二十段ほど上るとやっと玄関が目に入った。
玄関の前に立つ。
馬の頭をかたどったノッカーがドアについていた。
――こんな旧式のノッカーなんて今どき珍しい。ここ最近は科学の発展が目まぐるしいのに。町には機械掛けの馬車だってあるし、ロボットだっている……こんな辺鄙なところにある屋敷だからだろうか?
……いや違うな。きっと由緒ある家柄なのだ。そうなると僕を入れてくれる可能性はとても低い。
アルはそう思いながらも、一縷の望みをかけてそのノッカーを鳴らした。
すぐさま中から声がする。
こんな広いお屋敷なのに、と思った。
重厚な音をたててドアが開く――
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