第38話


私が入学した頃は、自習室を含む特別棟は全学年共通だった。だが、休講で自習室を使っている時に様々な子息令嬢が寄ってきて話しかけられて迷惑だった。その時は『迷惑行為』として室長が退室を命じて追い出した。

そんなある日、私と同学年の生徒が『やらかし』た。自習中の私の隣に座ったその女子生徒が、いちいち問題をノートに書いては「これはどうやって解くんですか?」と聞いてきた。宿題のようだが、私の学習の邪魔でしかない。


「ねぇ。教えてくれたっていいじゃないですかぁ〜」


その声に言葉遣い。男にこびを売っているのだろうか?

無視していると「ねぇ〜」や「ちょっとぉ〜。無視しないでくださいよぉ〜」と『甘ったるい声』を出してくる。その姿に誰もが不快そうに眉間にシワを寄せている。


パンッと手を鳴らして立ち上がると、ウルがすぐに近付いて来て、教科書やノートを片付けて抱え持つ。同時に自習室の担当者が足早に寄って来て「お部屋の準備が整いました。どうぞ此方へ」と声を掛けてきた。


「殿下ぁ〜。ねえ。どこ行くんですかぁ〜」


馴れ馴れしく声をかけて腕を掴まれた瞬間、ウルは令嬢の腹部に蹴りを入れた。両手に私の荷物を持っているから足しか使えなかったのもあるだろう。

どうせ、令嬢はドレスと脂肪で内臓に直接の被害はなかっただろう。

床に吹っ飛ばされたものの痛みを訴えることも無く、変わらぬ笑顔で立ち上がって近寄って来た。


「勉強を教えて欲しければ担当教師に教われ。何故、私が教師の代わりに教えなければならないんだ」


「でも『王子様』じゃないですかぁ。私みたいに可愛い子に甘えてもらって一緒にいられるのって男の方は喜ぶもんでしょ〜?」


「何方がそのようなことを?」


「お母様とお姉様ですわ」


チラリとウルを見ると目だけで理解をしてくれたようだ。


『極上の笑顔』と評価される笑顔を顔に貼り付けると、その令嬢は嬉しそうに微笑んで「これからも仲良くしましょうよ」と近寄ってきた。


「汚らわしい」


私の言葉が理解出来なかったようで不思議そうに見てきた。出入り口近くに学院長の姿が見えた。騒ぎを聞いて駆けつけたのだろう。


「学院長。私が入学したのは『王立学院』であって娼館ではないはずですが?」


「は、はい。その通りでございます」


「それも此処は『特別科』のはずですよね?」


「はい。その通りでございます」


「では何故『貴族マナー』も身につけられず、勉学にもついていけない学力のものが此処にいるのです?」


すでに入学して二ヶ月。平民であっても基礎の基礎である『立場が上の者に声をかけてはならない』は真っ先に叩き込まれているはずだ。そして平民なら、特別科に入れるだけの学力を持っている。貴族であれ平民であれ、私に聞いてきた問題なら簡単に解けて当然だった。


くだんの令嬢は何も分かっていないようだった。ただ、自分の存在を完全否定されたことだけは理解出来たようだ。


「私は平民ではないわ!」


「ああ、平民以下か。それは平民に対して失礼だったな」


私に『平民以下』と言われて顔を赤らめたが、それはいかりからか羞恥からか。


「私には愛しい婚約者がいる。そんな私に言い寄る娼婦見習いは『王立学院』に相応しくない。もっと相応しい学び舎があるだろう?」


私はそう言うと、ウルを連れて担当者が用意してくれた個室に入った。





彼女のクラスメイトだった・・・という女生徒から聞いた話だが、彼女は授業でもついていけず、そのために彼女を含めた四人には宿題が出されたらしい。それを彼女は私に押し付けようとしてきたのだ。

過去形なのは、彼女が社交界で騒動を起こしたからだ。

王家の催したパーティーに私もリリアーシュ嬢をともない参加した。すぐ下の弟エルスメアの誕生パーティーだった。7歳になったエルスメアに祝辞を伝えて、私たちはすぐ後者に場を譲った。

そこで正式に『およばれ』されていない彼女が話しかけてきた。私のパートナーは自分であり、エスコートされるのは自分だと。

もちろん、社交界マナーの守れない令嬢は即時『不敬罪』で捕らえられた。


リリアーシュ嬢は何を言われたのか分かっておらずキョトンとしていた。


「同じ学院の生徒ですよ。パートナーのいない彼女は、挨拶を終えた私に『パートナーの代わり』を頼もうとしたのでしょう。学院では最低限の社交マナーさえ守れば誰もが平等です。ですが、学院を一歩出れば平等ではありません。彼女はそれを勘違いしたのでしょう」


「まあ。私も気を付けないといけませんね」


「リリアーシュ嬢は大丈夫ですよ。私が一緒にいますから、間違えた時はお教えします」


「はい。宜しくお願いします」


安心したように微笑むリリアーシュ嬢に私も自然に笑い返す。リリアーシュ嬢と一緒にいられるだけで、一緒に微笑み合い、公式の場で隣に立つことを許されている私は幸せ者だ。

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