110.無情


 走り去った3人の姿が見えなくなると、ヘイグは床にへたりこんでしまった。

 リアザルらから感じた静かで熱い想い。

 ほとばしるその想いは多大なる圧となってヘイグとミーシャにのしかかっていた。

 その圧からの解放により、自ずと身体の力が抜けてしまったのだ。

 だが同時に顔は下卑た笑みに変わる。


“一刻も早く僕らをここから出して欲しい。護らなくちゃいけないんだ。魔族も、人間も······!”


 リアザルはそう言ってヘイグとミーシャに助けを求めた。

 そしてその通りに錠の鍵を開け、この牢から助け出した。

 詳しくはヘイグらにはわからないがこうすることで魔族も、人間も護れるというのだ。

 英雄を解放した。

 これは言わば、この世の全てに大恩を売ったことになるのではないか。

 そんな自分が大臣職に復帰できないなどということがあるだろうか。

 否、そんなことがあっていいはずがない。

 むしろ大臣職などというちっぽけな待遇で済むと考えることすら矮小ではなかろうか。

 もっと大きな恩賞を得てもいいはずである。


 さすればわしは······!


 考えただけでヘイグの未来は薔薇色に染まっていた。


「くっくっくっ······はぁーっはっはっはっは! やったぞ······! わしは、わしはやったのじゃ!!!」


 歓喜。

 へたりこんだまま雄叫びをあげ、両の拳を突き上げる。

 老いた身でありながら留まることを知らない野心。

 生まれ持った|性(さが)に忠実に従うその様は他人から見れば卑しく、醜いであろう。

 だがヘイグにそんなことは関係ない。

 最後に自らがそのものたちの上に立っていればいいのだから。

 そしてその気持ちはミーシャも同じ。

 だからこそ、夫婦としてその道を同じくしてきた。


「ふふふっ。やったわね、あなた。リアザル様を救い出した······。これで私たちは······! ふふっ、あははっ」


 他のものを見下す味を覚えた二匹の獣。

 その口は次なる美味を求めて涎を垂らし、高らかに笑いを上げ続けるのであった。

 地上に残るのは煌びやかな夢などではなく、残酷な悪夢であることも知らずに。






___________________________________







 ほとばしる眼を開けられないほどの閃光。

 それとともに生じた旋風にサリーは弾き飛ばされた。

 そしてそのまま岩壁に背中を打ちつける。


「がはっ······!」


 口から血飛沫をあげるほどの衝撃。

 次いで重力のなすまま、サリーの身体は床へと叩きつけられた。

 血と砂の味が口いっぱいに広がる。


「何が······!?」


 何が起きたのか理解の及ばぬまま懸命に立ち上がる。

 よろよろと壁にもたれかかりながら薄らと眼を開き、口の横を伝う生温い血を拭う。

 その頃には閃光は消え去り、辺りを砂埃が舞っていた。

 その視界の先にぼんやりと黒い塊が見える。


「······なんだあれは? ······はっ! デニス! おいデニス! 無事か!?」


 次第にはっきりしてきた頭がようやく大切なことを思い出す。

 さっきの閃光の正体。

 それがデニスであったことを。

 だが呼びかけたとて返事はない。

 耳を澄ませども聞こえてくるのは岩の崩れる音のみ。

 それがデニスの身に何かあったことを告げているようでサリーの不安は一層膨らんでいく。


「くそっ······! 誰か! 誰か無事なものはおらんのか!?」


 その時だった。


「その声はサリーさんですな?」


 サリーの呼びかけに応える声がひとつ。

 この状況においてその老いた声はたいそう落ち着いていた。


「······|長(おさ)、ですか? 長なのですか!?」

「えぇ、私です。サリーさんよくぞご無事で」


 そう言って砂埃から姿を現したのは至る所に切り傷を負ったヴァンパイアの長だった。


「その傷は······?」


 その問いに長は白髭を撫でながら己の衰えを笑った。


「ほっほ。なに、|こ(・)|や(・)|つ(・)|ら(・)のせいで少し瓦礫に巻き込まれましてな。こんなこと言いたかないが昔なら避けれたんですがね」


 だが、笑う長とは対照的にサリーは顔を顰めた。

 ひとつの単語がひっかかったのだ。


「こやつら······?」

「ん? そうか。まだサリーさんは見とらんのですな? なら見上げてみなされ」


 そう言って長は|星(・)|空(・)を指さした。

 崩れ落ちた天井から見える爛々と輝く無数の星々と一際目立つ明るい月。

 そしてその月明かりに照らされる巨大な顔。

 顔、顔、顔、顔、顔。

 禍々しい紫の筋の通ったたくさんの顔。


 気がつかなかった。

 囲まれていたなんて。

 こんな訳の分からない化け物に。

 だけど、気がついてしまった。

 私は、ここで死ぬ······。


 そう思った瞬間全身にぞわりと鳥肌がたち、冷や汗が身体中を伝った。

 身震いがする。

 カタカタと震えが止まらなくなる。

 そんなサリーの肩を優しくポンと叩いて長は微笑みかける。


「大丈夫。まお······私の言う通りにすればあなただけでもま······助かるかもしれません」


 サリーに嫌な予感が走った。

 ついさっきのデニスの姿が脳裏に蘇る。

 カタカタと小刻みに揺れる首。

 ぐにゃりと回る瞳。

 あらぬ方向に捻り曲がる手脚。

 そして口ずさむ“魔王を殺す”という言葉。

 まさに狂気。

 そしてようやく知る。


 あぁそうか。

 デニスはずっとそこにいたんだね。


 化け物の正体がデニスであることを。

 サリーは悟る。

 長もまた、同じ道を辿っていることを。

 そして自分もそう長くはないことも。


「いいですか? サリーさん、あなただけでも逃げてください。魔王······あなただけでも生きてください。私はもう、そうまお······長くはもたないでしょう」


 その言葉にサリーは首を横に振る。


「いいんです、長。私もデニスみたいになっちゃうんですよね? なら私だけ逃げたって意味無いじゃないですか」


 そう言ったサリーの顔はもう諦めに包まれていた。

 目の前でデニスが化け物に変わる姿をありありと見せつけられた。

 そして今、再び目の前で仲間がその姿を変える様を見せつけられている。

 もう十分だった。

 逃げることの出来ない現実。

 少し手を伸ばせば触れることの出来る闇。

 それだけでサリーの心をへし折るには事足りた。

 未だに身震いは止まらない。

 冷や汗だって留まることを知らない。

 嫌に喉が渇く。

 むせ返る血の味が口の中に広がる。

 でも表情だけはひどく穏やかになっていた。

 逃れられない自分の運命を知ってしまったから。

 諦観。

 サリーの心に残ったのはそれだけだった。

 その瞬間だった。


“パチン!”


 サリーの左頬に衝撃が走る。

 思わずたたらを踏んでよろけた。

 遅れて長に叩かれたのだと気づく。


「生きることを諦めるなッッッ! サリーさん、あなたにはまだ希望があるんだ! 諦めちゃいけない! 最後まで抗いなさい!!!」

「でも、私は······私は······」

「まお······くっ! 私はあなたたちに諦めることなんて一度も教えてませんよ? ヴァンパイアとして二度目の生をこの世に受けた······それを無駄にしちゃいけない! もがきなさい! 生きなさい!!!」


 自然とサリーの頬を泪が伝っていた。

 長から受けた言葉

 その重みを知ったから。

 そしてサリーは走りだした。

 言葉に応えるため。

 生きる、そのためにもがくように。


 走り去るサリーの後ろ姿を見て長はぽつりと言葉を零した。


「さぁ魔王を······さぁ行くのです我が子よ。まお······そして我が子たち。魔王を······私もすぐそちらへ行きます」


 夜空を見上げる。

 そこに広がるのは満点の星々と|我(・)|が(・)|子(・)|た(・)|ち(・)の成れの果て。

 次第に長の意識が途切れていく。

 手脚が捻れ始める。


「女神よ······我が子をまお······お救いくだされ。魔王を······魔王を······」


 長が最後に縋ったもの。

 それは幸か不幸かこの地獄の元凶だった。

 長はその事を知る由もないのだが。

 そしてついに


「魔王を······殺す!」


 長の身体を閃光が包んだ。




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