106.恐怖の蔓延る街
窓から漏れる灯を視界の端に流しながらひたすらに石畳を蹴り進む。
その景色を懐かしむ余裕はない。
服の内側にしまった|晶刃(しょうじん)の重みを胸に感じながらバティは駆ける。
魔法を、そして呪いをこの世から消し去る。
その使命を胸に秘めて。
目指すは王宮にある大聖堂。
その地下にある魔法を司る魔水晶と呪いを司る呪水晶の2つを破壊すること。
魔力量の少ないバティにしか出来ない、この世界を護るための重大な使命。
それを胸に刻んでこの無機質な景色の移ろいの中を行く。
その景色の移ろいの中に人の姿はない。
視界に写るのは夜の|帳(とばり)に浮かぶ灯と星々のみ。
いつもならここエンプティオは夜であろうともう少し賑わいを見せていたはずとバティの記憶が語りかける。
昼夜問わず商いを行う者、家から零れる家族団欒の音、星空を眺めながらタバコをふかす者、街の治安を護るべく周囲に眼を光らせる兵士、酒に溺れて千鳥足で歩く者、金のために身を売る少女。
エンプティオの夜の風物詩とでも言うべきそれらの姿がひとつもないのだ。
「なんだ······?」
気持ちに余裕がないバティもそのあまりの異常さに思わず進む足が緩む。
立ち止まって辺りを見回すと人の気配が毛ほどもない。
今の今まで気づかなかったことが不思議な程に。
そこには静寂に包まれた暗闇があるのみ。
不審に思ったバティは近くの家を窓から覗いてみた。
灯に照らされた室内にはついさっきまで家族が談笑しながら夕食をとっていたかのように、温かそうな食事が並んでいる。
かじりかけのパンがテーブルに転がっていたり、スープにつけられたスプーンがそのままになっていたり、ほんの少し前までいた人だけが消えたとしか説明のつかない空間が広がっていた。
隣の家も、その隣の家も同様に人だけがごっそり消えたように生活感あふれる空間が広がっている。
「一体どうなってやがる······? 今日は祭りでもあるのか······? いやいや、にしてもこれはおかしいだろ。それに街が静かすぎる······」
あまりに不自然な光景。
それが平然と軒を連ねている。
そこにバティの思い描く懐かしきエンプティオの姿は無かった。
だが止まってはいられない。
バティには使命があるから。
果たさねばならぬ使命があるから。
だから立ち止まってなんていられない。
雑念を振り払ってまた走り出そうとした時だった。
“ズシン······ズシン······ズシン······”
微かに聞こえた大地を揺らすような音。
感じた空気の震えはどこか聞き覚えのある畏怖を醸し出していた。
耳を澄ませばその音はひとつやふたつどころの話ではない。
よくよく眼を凝らせば闇夜に幾つもの影が蠢くのが見える。
それは正しく恐怖の権化。
「まさか······。人がいない理由って······!?」
気づいてしまった。
今エンプティオに起きているアルミリアによる人類、そして魔族掃討その一端に。
音のしている方向にはエンプティオのシンボルである時計塔がそびえ立っている。
時計塔はグローリア通りというエンプティオ一の大きな通りで王宮と結ばれている。
そしてグローリア通りの終着点というのが王宮の北門なのだ。
そしてバティが通ろうとしていたのもこのグローリア通りであった。
しかも不幸なことに足音はその方向からしか聞こえてこない。
避けては通れぬ道。
そこに広がるは恐らく地獄のような光景なのだろう。
闇夜に蠢く幾つもの影は時計塔を目指して進んでいる。
だが立ち止まっている暇はない。
この惨劇をこれ以上増やさない為にもバティは己が手でその使命を果たさねばならない。
「くそっ······! 急がねぇと······!」
そしてまた走り出す。
胸の重みをずしりと感じながら入り組んだ道を駆ける。
そしてグローリア通りに近づくにつれて聞こえてくる
“魔王を殺す”
の大合唱。
夜空に響くその声は感情の欠落した殺気だけで尖りきった凶器のような狂気の歌。
その歌はバティの心に鋭く、深く斬り込んでくる。
それがバティを焦らせ、恐怖を心に植えつけていく。
また友を喪う恐怖。
己の護るべきものを失う恐怖。
その恐怖を加速させるように無数の足音はその数と大きさを増し、歌はよりはっきりバティの耳にこびりつく。
そして次第に視界に映る|人(・)と|人(傀儡)が増えていく。
恐怖に顔をゆがめて逃げ惑う|人(・)と、呆けた顔で歌を垂れ流す|人(傀儡)。
凄惨たるこの街はもはや地獄。
その地獄を救うために駆け抜けるバティ。
恐怖を振り切り勇んで腕を振り、地面を蹴る。
そしてついに地獄の渦中、グローリア通りへと突入したのだった――
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「おいミーシャ、アルシアは今日こっちに来るんじゃったな」
「えぇあなた。そのはずよ」
そう答えながらミーシャは紅茶を嗜む。
鼻に抜ける芳醇な香りの余韻に浸りながら用意されたクッキーに手を伸ばす。
ゴブリン特有の緑色の肌は綺麗に手入れされており絹のようなツヤを醸し出している。
ヘイグはその横で息子がここ、エンプティオに来ることを面倒に思いつつ、仕方なしと諦めたように葉巻に火をつけた。
貯えた髭の間からボワッと煙を吐き出すと、ヘイグは落ち着かないように立ち上がり、窓辺から夜空を眺め、何やら物思いにふける。
魔族の元財務大臣であるヘイグとその妻ミーシャは先の人間と魔族の戦乱に乗じてここエンプティオへとその難を逃れていた。
そこから2人は驚きの好待遇を受けることとなる。
なんと住まいとして王宮内の一室を提供されたのだ。
魔族は奴隷として扱われているここエンプティオでは破格の待遇である。
腐っても財務大臣であったヘイグを中心とした魔族の反乱を警戒した国王デュラハンの苦肉の策であることは当然2人は知る由もないのだが。
そんな感じで2人はこの数日、外界とは隔絶された至福の空間を満喫していたのだった。
外の世界で起きている様々なことを一切知らぬままに。
そんな夜更け、タバコをふかすヘイグの視界に突如無数の影が映った。
「うわっ!」
突然のことに思わずふかしていたタバコを口から落とし、尻もちを着いた。
旦那の怯えた様子にミーシャも紅茶を飲む手を止めて不審がる。
「······あなた? どうかした?」
「あ、あああああれを見ろ!」
そう言ってヘイグは時計塔の方を指さした。
その様子を訝しみながらもミーシャものそりと立ち上がり、窓辺に寄る。
「なんなんですかいった······ひっ!」
影と目が合った。
紫の筋が伸びた巨大な顔。
その顔に鎮座する無垢な瞳と。
ミーシャは知らず知らずのうちに後ずさりを始めていた。
となりでヘイグも不格好にじりじりと後ずさりをする。
何か得体の知れない恐怖。
それがずしりと身体にのしかかる。
「あ、ああなた、逃げましょ!」
「逃げるってどこに!? そもそもなんじゃあれは······」
「そんなの今はどうだっていいじゃない! ······そうだ! この王宮には地下があったはず。ひとまずそこに逃げましょう!」
「あ、あぁ!」
言うが早いかミーシャは脱兎のように駆け出していた。
遅れてヘイグも走り出す。
唐突に降りかかった得体の知れぬ恐怖。
それを振り払うように2人は駆ける。
今ここで何が起きているのか欠片も知らぬままに。
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