103.渇き


“ズンッ”


 鈍い音が辺りを舞った。

 首がくの字にかくんと折れ曲がる。

 閉じかけの眼がカッと見開かれる。

 口から赤い飛沫が散る。


「ガハッ······!」


 膝が折れ曲がって地面につく。

 そして


“ドサッ!”


 倒れた。

 力無く。

 地面に打ちつけられた反動で跳ね上がった手がコトリと落ちる。

 そこからハヤタの身体はピクリとも動かなくなった。

 ハヤタの顔からは呪いの邪悪さが影を潜め、元の優しい隼人の表情を取り戻したように見える。


 ひとまずこれでいいんだ。

 僕にできることはこれしか無かった。

 そう言い聞かせるしかない。


 そう思って顔を上げると潤んだ瞳の彩華が隼人のことを見つめているのが見えた。

 そしてゆっくりと、覚束無い足取りで隼人の元へ歩いていく。

 その顔には焦燥と悲哀の色が浮かんでいる。

 口をパクパクとさせながら自らの顔を手で撫ぜる。


「隼······人······? ねぇ、隼人······生きてるんでしょ······? 返事、してよ······。ねぇってば······」


 そう零しながらついには隼人の身体の横に跪いた。

 隼人の頬に手を当てながら上目に僕を向く。

 怒りも、恨みも、何も無い純な困惑を浮かべて。

 瞳に映る僕が揺れる。


「······ねぇ、理くん。隼人は······隼人は死んじゃったの······? あなたが······殺した、の······?」


 その声は酷く揺れていた。

 信じられない、信じたくない。

 その思いを切に表すように。

 だから僕は努めて静かに答える。


「大丈夫。彩華さん、隼人の胸に耳を当ててごらん」

「胸に······」


 言われるがまま、彩華は隼人の胸に右耳を寄せた。

 ゆっくりと起伏する少し厚い胸板。

 それを感じとる彩華。

 そしてみるみるうちにその瞳から泪が溢れ出てきた。

 顔を綻ばせながら。


「生き······てる······。隼人の音だ······。うぅ······」


 そのまま彩華は静かに泪を流した。

 隼人の胸が濡れる。

 そんな様子を見て僕の胸の内もなんだか湿っぽい気分になった。

 でもすぐにハッと我に返る。


 今はまだ感傷に浸るには早すぎるんだ。

 まだ僕の仕事は終わってない。

 サマリアに、諸悪の根源である生の女神にこの手で罰を刻み込む。

 その時までこの気持ちはとっておかなきゃ。

 気を引き締めるんだ。

 本番はここからだ。


 そう思うと湿りかけた心も自然と渇いていく。

 自分の顔から表情が消えていったきがした。


「じゃあ彩華さん、隼人のことよろしく」


 そう言って僕はアルミリアとウィッチを探す。


「え、理くんどういう······」


 その言葉から浮かぶのは困惑の色。

 こんなとこに取り残してくれるなと言わんばかりに。


「僕はサマリアのとこに行かなくちゃ。隼人をこれ以上苦しめないために、町のみんなの笑顔を取り返すためにそして······」


 ちらりと彩華の方へ顔を向ける。


「側近の敵を討つために」


 そこからは彩華ももう何も言わなかった。

 覚悟を決めたように力強く頷いてくれた。

 それを確認して僕は再びアルミリアの方へと眼を向ける。


「行きましょう、アルミリア様。ここからが僕らの本番です」

「えぇ······。そう、ですね」


 そう言うアルミリアの顔はどこか申し訳なさげだった。

 恐らくハヤタが再び現れたことをアルミリアなりに気にしているのだろう。

 本来呪いは死の女神であるアルミリアの管轄。

 それを制御出来ず、サマリアに悪用された結果がこれなんだ。


「ハヤタのことならアルミリア様は気にしないでください」

「で、ですが······!」


 それを僕は手で制す。


「その先は全てが終わってからにしましょう。今はやるべき事に集中しなきゃ」

「······っ! いえ······その通り、ですね。申し訳ありません。私としたことが取り乱してしまいました。行きましょう、理さん。我が妹、サマリアの元へ」


 そう言ってアルミリアは強く口を結んだ。

 覚悟が決まったようだ。

 次いで僕はウィッチの方を向く。

 ウィッチはもう覚悟が決まったのか、力強い眼をしていた。

 頬に泪が伝ったあとがあるけどそれもすっかり乾いている。


「それで、あたいは何をすればいい? なんでも言ってくれ。······もう、こんな思いをするのはごめんだからね」


 その顔はどこか寂しげだった。

 永きにわたってともに魔王を支え、魔族のために尽くした側近が眼前で殺された。

 もうそんな辛いことは真っ平御免ってことなんだろう。


「ウィッチは僕と一緒に来て」


 それを聞いてウィッチは大きく頷いた。


「あぁ、わかった」

「準備も整ったようですね。それでは行きましょう」


 そう、アルミリアが促す。

 でもその前に一つ、やっておかなければいけないことがある。


「アルミリア様、ちょっとだけ待ってもらえますか?」

「······? え、えぇいいですけど。どうかされました?」

「すぐ済ませますんで」


 そう言って僕は側近の亡骸の元へ歩を進める。

 その身体は胸に風穴が開き、全身血みどろになっている。

 この状態のままこんなとこに放置しておくのは僕は気が引けた。

 だから


「水魔法」


 まずは側近の身体を洗い流す。

 最低限、綺麗にしておきたいんだ。

 僕の手から出現する流水によって側近の身体から血が剥がれていく。

 あらかた洗い終わったらもう一度


「水魔法」


 今度は頭の中で氷塊をイメージする。

 すると側近の身体の周りに氷がまとわりつき、側近を中心とするひとつの大きな氷塊が完成した。

 その全長は3mほど。

 次いで


「土魔法」


 その言葉とともにその氷塊をすっぽり覆う土壁のドームが完成した。

 これで氷が溶けるのも抑えられる。

 こうすることで全てが終わるまで側近の身体を綺麗なまま保存できると思ったのだ。

 これが今僕にしてあげられるせめてもの行い。

 一度ふぅー、と大きく息を吐く。


「よし、アルミリア様、お待たせしました。行きましょう」

「はい。では呪いを解きます」


 そう言ってアルミリアは指をパチンと鳴らした。

 途端に空が暗転する。

 星と月が煌めく漆黒の闇へ。

 そう言えばこっちはまだ夜だったなということをようやく思い出す。


「じゃあ彩華さん、隼人をよろしく」

「うん。理くんもウィッチさんもアルミリア様もみんな生きて帰ってきて」

「任せといて。じゃあいってきます」


 そう言って彩華と隼人に別れを告げる。


「理さん、ウィッチさん、こちらへ。転移魔法で一気に飛びます」

「はい」


 そう2人で返事をしてアルミリアに触れる。

 僕はちらりと土壁のドームに瞳を向ける。


 側近、いってくるね。


 そう、心の中で呟く。


「転移魔法」


 アルミリアのその一言で僕らは彼方へと消えた。


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