慶応高校にみる高校野球の在り方について

 令和5年の夏の甲子園大会は神奈川県代表の慶応高校の優勝で幕を閉じたわけですが、なんと107年ぶり(第2回大会)の全国の頂点ということで話題になりました。手前味噌で恐縮ですが、私の母校も歴史が古く、その頃に甲子園大会に出場しており、1918年の第4回の旧制中学の代表になっていましたが米騒動で中止になったみたいです。そういえば、遠征のバスの中で大先輩がそんなエピソードで激励?していただいたような気がします。

 さて、慶応高校がフューチャーされた要因は107年ぶりの優勝という話題性とともに、高校野球に対する考え方、監督と選手の在り方、練習の仕方が他の高校とは毛色が違うという点もクローズアップされました。

 そもそも、かの慶応義塾大学の下部機関ですからその考え方も独特なのは考えるに容易いと思います。私は今の時代ならばそう驚くことではないと思いますし、そのようにならないといけないとも思います。私の現役時代からは既に30年以上の月日が流れていますし、社会生活や環境も劇的に変化している訳です。インターネットやスマホなんてものは当然ありませんし、何より上下関係が絶対の世界が長く続いていました。私のころはちょうど監督さんが交代した時で、近代的な考えをお持ちでしたから、プロテインの摂取やウェイトトレーニングの拡充、音楽を取り入れた練習など、以前とは違う練習メニューを組んで頂きました。今ではそう言うことは珍しくもありませんが、当時は画期的でした。(弱かったですけど)

 今回の慶応高校の事は、考え方という点でこれに近い気がします。今は個人を大切にする時代ですから、大方の枠を決めて後は自分で考えて補強し、全体で調和を取るという考え方でしょうか。主体性が重んじられるというわけですね。髪型がいわゆる坊主頭でないことも話題になりましたが、あれも一つの主体性であり、坊主頭にしなさい、という令が無いのだから何でもよいという事でしょう。逆に坊主頭でも良い訳です。

 そして何より「野球を楽しむ」というポリシーが軸にあるという事を聞きました。はて、「楽しむ」ってどういうことなんだろう?そもそもそう思いました。

 私は町内会でソフトボールをしています。周りは私より先輩の方々が多いです。諸先輩は「楽しんでやろうや」とよく言います。ここで言う「楽しむ」とは慶応高校の指すそれとは異質であり、あははおほほいいながらやるものから得る「楽しさ」ではありません。最終目的は「全国大会優勝」であり、彼らなりの努力も相当なものがあったと推測されます。そんな中で「楽しみ」を見出すには「試合に勝つ」事。そのために「何が課題か?その課題を乗り越えるにはどうするか?」を「自分で」練習などを考え「解決」しながら「試合に勝つ」事なんだろう、と思います。それはある種、数学の問題を順に解いていく作法と似ているような気がします。そういうものが好きな彼らにはもってこいですね。ここで前提になるのは「自分」が何をやるのかを決める事です。自分で問題点が見つけられないのなら、永久にすることはありません。そんな完璧な選手、人間はこの世にはいないでしょう。だから練習するのですが「自ら」するのであって「誰か」の用意したものではない、という点が重要です。

 ひと昔は後者の考えであり、監督さんなりコーチなりがメニューを用意してそれに沿って練習をこなすという道筋でした。選手側に様々な知識がないためです。現状はそれこそ技術的なことであればネット社会にあふれかえっていますから自分で取捨選択すればよいだけです。

 もう一つ大事なことがあります。慶応高校は厳しい部の規律の上に成り立っているという点です。練習を一日休むにも監督さんはもちろん、様々な関係者に連絡したうえで正当な理由の下でないと許可されないという条項を見ました。これを見ればLINE一つで会社を易々と休むなんて認められわなーと思いますよね。こういうバックボーンがあってこその新しい高校野球の考え方が成立しているという事を忘れてはならないと思います。仲良しごっこでは甲子園で優勝はできません、ということでしょうか。

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