甲子園の存在価値について

そもそも、野球は第二次世界大戦時に一時「戦争教育の道具」として使われたという事実があった事は前述で記載しました。「アウト=死」「ホームイン=生還」と言うように、英語での表現が禁止された時期にその名残として表現が現在も残っています。

(私が現役の時、大先輩が「米騒動」で甲子園大会が中止になったというお話をされたという事がありました)

新聞ではその文字数を節約する為か、そういった表現で使用されていることもままあります。

「学徒動員」に見られるように、現在の「神宮球場」で壮行会が催されたという事も事実であり、様々なシーンでその名残に触れる事があります。

そう言う観点で推すと、「バッターボックスに立つ」という事は「戦地から飛び立つ」意味合いではないかと最近個人的には感じています。

「バッターボックスにて攻撃に備える」⇒「球を打って攻撃する」⇒「守備側の守備をかいくぐり1塁を陥れる」と(走者として「1塁上で生きている」と言う表現)と野球のプレーではそういう事になります。その後2塁、3里を【陥れ】本塁を踏むと【生還】して得点になる、というゲームなんだと思います。

 野球のいい所は「本塁に【生還】』すると得点になる」と言う点です。只の「戦争ごっこ、殺し合い」ではないのです。相手を攻撃して【無事に生きて帰ってくる】という事が肯定されているという点だけをフォーカスすると、戦争時に「生きて帰ってくるんだよ」なんて口にしたら「非国民」扱いされた時代に於いて、上記は少し矛盾する感じもしますね。


 前置きはさておき、本題についてですが、最近「男女格差の是正」がやたらと叫ばれている現在、野球にも「女子野球」の誕生から「女性の進出」が顕著に見られます。

事実「高校女子野球」が決勝戦で「甲子園球場」を使用して行われた、という事が有りました。断っておきますが、私は「ジェンダー」を否定するつもりは全くありません。

さて、主に論点は以下です。


1:とある高校球児の将来性の為に他の部員が「甲子園行の切符」をもぎ取れる土俵にも立つことすら出来なかった件

2:「甲子園球場にて高校女子マネージャーのベンチ入りに始まるグラウンドレベルでの手伝い、高校女子野球の決勝戦で甲子園球場が使用された」件


1:について

 岩手県の某高校投手の将来性が重んじられた事によって公式戦を辞退し、甲子園行きが絶たれるいう事が有りました。これは監督の決定事項なのだろうから仕方ないのでしょうが、その投手は良いとして、個人の事情で「3年間頑張って来た部員の他はどうなるのか」という事を汲んでいないのか?という疑問が自分の中で生まれました。

 またこの事は「その投手の将来性」>「甲子園行き」という数式で表現されるかと思うため「甲子園行きが全てでは無い」という見解をもって実行したのも勿論わかります。それは同時に「甲子園でプレーする事の価値の軽視」と自分は受け取りました。という事は「甲子園行きが全てでは無い」=「甲子園でプレーする事の価値の軽視」という数式が成立します。その投手は若くして大記録を達成しましたが、判定が不服なのか、その態度が主審の目に留まり主審が投手に詰め寄る事態になり、巷で議論になりました。

「審判がどういう位置づけなのか」という事を分かってないと私は考えます。逆に「この子は何のために野球をしてきて、何を学んできたのか」という疑問符が残りました。

2:について

 私は女性も野球がしたくて「甲子園で野球をするんだ」という方も当然いらっしゃると思いますし、実際存在します。それは否定しませんが、冒頭の「野球と言うものの歴史や位置づけ」を理解した上で実施しているのか?だったら「女子野球の聖地を甲子園球場以外で作ればいい」と言うのが私個人の見解です。時代の流れでそうなっている事は全否定はしませんし、そんな意見を公言できる立場では無いですが「甲子園球場」は歴史上のバックボーンありきで「高校野球の聖地」になっている事を理解して頂きたいです。

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